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♪30 惨事のあと

 家庭、友人、学校、職場。社会において人から信用を得る事に苦労したことは無いだろうか。


 私はある。あの時のセロさんも大変そうだった。




「わきゃっ!」


 店に並ぶ楽器の上を舞い飛んだ私は、楽譜が並べられた本棚にぶつかって墜落した。尻餅をついた私に追い討ちをかけるように、楽譜達がどさどさと降りかかる。


 イタタタ、お尻打った。でもまあ、楽器を壊さなかっただけましか……。


 私は痛むお尻をさすりながら楽譜を押しのけ立ち上がる。


「セロさん達は……」


 皆を探して店内へと視線を巡らせる。


 いた。セロさん、フィオ、メローヌ、三人とも目を回して倒れていた。まあ無理も無いわよね。あの一撃はそれほどに凄まじかったもの。


 セロさんは私が押し付けたヴァイオリンを弾いた。


 メローヌのヴァイオリンは演奏するものの技術に比例して、聞く者を魅了する力を強める。だったら、ヴァイオリンの演奏に関しては全くのド素人で音痴なセロさんが、それを演奏したらどうなるか。


 結果は私の予想を上回っていた。


 ヴァイオリンの魅了の力はマイナス方向に、つまり不快に思うほうへと働くのではないか。そう思ったのだけど、これはもう不快とか言うレベルじゃない。鼓膜を貫く凶悪な一撃は、もはや立派な音響兵器だ。両耳をしっかり塞いでいた私でさえ苦痛だったのだから、まともにアレを聞いた三人が目を回すのも納得だわ。


 でも、そのおかげで私の中にあったフィオの弾くヴァイオリンの魅力的な印象にも傷が付き、セロさんが未だに握り締めているヴァイオリンを見ても弾いてみたい衝動にはかられない。


 この大惨事の唯一の収穫だけど、これこそが求めていた大事な収穫。セロさんは見事に私の思惑を果たしてくれた。改めて音痴を実感させられた当人としては不本意だろうけど。


「セロさーん、メローヌー、大丈夫ー? フィオー、正気になったー?」


 私にはてきめんに効いたセロさんの演奏だったけど、フィオの方はどうだろう? まだ催眠にかかったままだったら困る。


 私は気絶したままの三人におっかなびっくり近寄ってみる。相変わらず三人は仲良く目を回しているわね。とりあえず、フィオが暴れてもいいようにセロさんから起こしておこう。


「セロさん、起きなさーい」


 ゆさゆさと肩を揺すってみる……。ふむ、起きない。


「おーい、朝ですよー」


 ぺちぺちと頬を叩いてみる……。むむ、起きない。


「……えいっ」


 キュッと鼻をつまんで口を塞いでみる。いーち、にーい、さーん……。


「ブハァッ!」


 あ、起きた。


 セロさんは私の両手を押しのけながら起き上がると、肩で息をしながら恨めしそうに私を見た。


「おはよう、セロさん。気分は大丈夫?」


「少し耳鳴りがします。あと、ものすごく息苦しかったです。なかなか斬新な起こし方をされるんですね」


「フィオ以外に使ったのは初めてよ」


「今後は控えていただけると嬉しいです」


 前向きに善処します。


「さーて、お次は……」


「鼻をつまむのは無しですよ」


 メローヌに向き直った私にセロさんが釘を刺す。ご心配無く、それまでに起きたらつままないわよ。


「メローヌ」


 ゆさゆさと肩を揺すってみる……。チッ、起きたか。


「トラムさん、今舌打ちしませんでしたか?」


 気のせいです。


「大丈夫? 耳鳴りとかする?」


 私はセロさんのツッコミを無視してメローヌを助け起こす。彼女はギシギシと首を軋ませながら、私に顔を向けた。って、ギシギシ?


「と……らむせん……せい、オハ……ヨウゴ……ザイマス」


「メ、メローヌ?」


「ハイ……わたしノ……なま……えハめ……ろーぬデス」


 私とセロさんは顔を見合わせて溜息をついた。壊れてる……メローヌ壊れてる。


「メローヌ君、しっかりなさい。カムバーック」


 ぺちぺちとメローヌの頬を叩くセロさん。


「こけ……まつ……サマ」


 セロさん! メローヌが! メローヌの意識がどっか行ってる! 失われたセロさんの音感があるであろう時空の彼方に向かってる!


 慌ててセロさんからメローヌを取り上げ、代わりにメローヌを起こしにかかる。


 元は一定拍子を刻むメトロノームだったメローヌ。たぶん、狂った拍子はこっちで合わせてあげないと。


「ほら、しっかりして、メローヌ」


 一定間隔をおいてぺちぺちと頬を叩く私。良かった、メローヌの焦点が合っていく。


「ああ、トラム先生。すみません、耐え難い悪夢に意識が保てませんでした」


 まだ目が醒めきらないと見えて、メローヌは二度三度と頭を振る。悪夢……確かに、音楽に関わる存在メローヌにとっては、セロさんの演奏は悪夢かもしれない。


 こめかみを押さえるメローヌの様子を窺う私とセロさん。失礼、セロさんはメローヌのコメントにしょげて彼女を見ていないわね。とにかく、そんな私達の背後で気配が動いた。


「う……ううん」


 フィオの声に私達はビクリとして振り返る。


「フィオ? それともヴァイオリンの精?」


「おそらくフィオさんです。その……私のあの演奏の威力なら、きっとそうです」


 私の問いに落ち込みながら返すセロさん。安心して、私がキッチリ鍛え直してあげますから。


「フィオ。フィオ、起きて」


 私はセロさんの肩を軽く叩いて励まし、続いてフィオの鼻をつまんで口を塞いだ。いーち、にー……。


「ブハァッ! トラム、アンタは私を殺す気かい!」


 目覚めた途端、私の両手を振り払ったフィオ。と、同時に私に食ってかかる。そして……。


「一秒半。凄いわ、フィオ」


「え? 新記録? やったじゃないの、私」


 私への怒りはどこへやら。目覚めの自己記録更新にガッツポーズするフィオ。うん、この反応は間違いなくフィオね。


「なかなか過激な友情の確かめ方ですね」


 後ろでセロさんが呆れているが、今は放っておこう。さて、問題はヴァイオリンの処遇なのだけど……。


 どうやってフィオに話したものか悩む私の肩越しに、ひょっこりメローヌが顔を出した。


「フィオさん」


「は、はい!」


 条件反射なのだろうか。メローヌに呼ばれた途端、フィオはビクリと体を強張らせて返事をする。


「あなたのヴァイオリンの事でお話があります」


「私の……ヴァイオリン?」


 そう問い返すフィオの顔は、思い焦がれる者の名を聞いたような憧憬でありながら、嫌な名を聞いたといわんばかりの嫌悪というなんとも複雑な表情だ。たぶん、ヴァイオリンに魅了された記憶と、つい今しがた受けた負の旋律が彼女の中でせめぎあっているのだろう。


 そして、セロさんが手にする問題のヴァイオリンを目の当たりにして、フィオの二色の表情はさらにその色を増す。負の旋律が僅かに優勢なのか、フィオはヴァイオリンを持つセロさんから半身を引いた。


「えーっと、フィオさん。結論から言わせていただきますと、このヴァイオリンには欠陥があるのです。それも、重大な」


「は、はぁ……」


 ヴァイオリン片手に話すセロさんに、困り顔で生返事を返すフィオ。でも、彼に続いてメローヌが口にした言葉に彼女の表情は一変した。


「ですので、フィオにはこのヴァイオリンの事は諦めて、手放してください」


「それはイヤ! 困る! 冗談じゃない!」


 ヴァイオリンの魅了と負の旋律、形勢逆転。魅惑のヴァイオリンを取り返そうとセロさんに迫るフィオを、私とメローヌで慌てて押し止める。


「お、落ち着いて。落ち着いてってば、フィオ」


「これが落ち着いていられるわけないわよ!」


「これもあなたのためなのです。お許し下さい」


「許せません!」


 フィオの強行軍は止まらない。しがみつく私達を引きずりながら一歩一歩とセロさんへ近付いていく。


「あわわ、そんな慌てないでください、フィオさん! 大丈夫です。一時的に預かるだけで、ちゃんとお返ししますから!」


 セロさんの目前まで迫っていたフィオが、セロさんの声にピタリと止まる。


「一時的に……預かる?」


 私達をぶら下げたままフィオが訪ねると、セロさんは小さく溜息をついた。


「はい……。当店に預けていただければ、万全の調子に戻して御返却いたしますとも」


「それは、修理してくれるってこと?」


「まあ、平たく言えばそうなります」


 フィオに頷き返すセロさん。フィオにぶら下がったままの私とメローヌは同時に顔を上げてセロさんを見た。ただ、同時に上げこそしたがその表情は違う。


「へぇ、セロさんってそういう事も……」


「できるとは存じ上げませんが……」


 感心する私に対し、メローヌの目は疑いのそれだ。うん、私も存じ上げませんよ。存じ上げませんけど、今それを言うタイミングじゃなかったわね、メローヌ。


「やっぱり返してー!」


 メローヌの言葉に再びフィオが動き出す。


「待って! 待ってください! 私はできませんけど、知り合いができるんです! これは嘘じゃないですから! ホントですから!」


 結局、セロさんがフィオからヴァイオリンを預かった頃には、カオブリッツの街並は夕日に染まっていた。


トラムがやっている起こし方ですが、くれぐれもみなさん真似をなさいませんように。いや、ホントに、キツイですから。

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