♪25 超絶技巧片付術
自分にとっては出来て当然の事。でも、周りからみればとても困難な事。そんな感覚の違いから、何気ない事で周囲から賞賛を浴びるという事がないだろうか。
私にもあるようだが、いかんせん自分から見れば普通の事なので、何が凄いのかは皆目わからない。
足元の絆創膏の箱を拾い上げた私は、ズキズキと痛む額から手を離した。掌へと視線を移して思わず顔をしかめる。
うわ、血が出てる。あれだけ派手に転んだんだものね。
箱から可愛いクマさんがプリントされた絆創膏を取り出す。フルーが店の棚に置いていると言っていたからにはこれも売り物。しかたない、後で代金は払おう。まさか、曰く付きでとっても高価な絆創膏……なんてことは無いわよね。
手探りで絆創膏を貼りつつ音楽堂店内へと視線を向けてみれば、そこは相変わらずの惨劇の現場。売り物である骨董品達が山積みになり足の踏み場もあったもんじゃない。
「もしもーし。聞こえます? え? ええ、すみません賑やかで。どうやらアホウドリが屋根から飛び損ねて落ちたようで……。それでディバンニさん。今月の家賃ですけど。え? 先月と先々月? 嫌だなぁ、きっちり払いましたよ」
骨董品をかき分けて店内に入ると、店の奥からセロさんの声が響いてきた。相変わらず家賃請求を受け流している。
「わかっておりますよ。今月だけは……おっと。今月もきっちりと払いますから。お客様が来ていますので、お話はまた後日。それでは失礼します。……さて、と」
「セロさん、ごめんなさーい。遅刻しましたー」
受話器を置く音。私は電話でのやり取りが終わったのを確かめると、店の奥に向かって声をかけてみる。
「いらっしゃいませ、トラム先生。フルーお姉様共々、お待ち致しておりました」
店の奥からひょっこり顔を出したセロさん……よりも早く店内から放たれた声に私は少し驚いた。声の出所へと視線を移す。
「メ、メローヌ?」
そう、メローヌ。その眼鏡の凛々しい整った顔立ちは彼女以外に無い。そうは思っても、つい確認してしまう。だって……。
「はい、メローヌで御座います。このような格好での挨拶、御無礼とは存じますがお許し下さい」
かしこまった謝罪をするメローヌは、骨董品の山から首だけ出した格好。まるで生首のようで、彼女特有の無表情が更にその印象を強めている。
「やあ、遅かったですね、トラムさん。なかなかいらっしゃらないから、みんなで心配して……おでこ、どうなされたんです?」
セロさんは私の額に貼られた絆創膏を見るなり、慌てて棚やら骨董品やらをかき分けて寄ってくる。
「いやー、急いで走っていたら店の前で転んじゃって……」
「それは大変。他は大丈夫です? 手首捻ったとか、ありません? そのおでこの怪我も消毒しておきますか?」
あたふたと慌てるセロさんを私は手で制した。
「そんな大げさな。大した事ないわよ。捻ったりとかしてないし、おでこもちょっと擦り剥いただけだから」
そう言って笑いながらクマさんプリントの絆創膏を撫でた私は、それが売り物である事を思い出してセロさんに頭を下げる。
「ゴメン、セロさん。この絆創膏、音楽堂にあったものなの。勝手に使っちゃったけど、ちゃんと弁償するから……」
「そんなの構いませんよ。そうですか。大した事ありませんか、良かった良かった」
笑顔でそう言うセロさんに安堵の色が混ざって見えるのは、セロさんが心配してくれていた本心の表れ……だったら嬉しいのだけど。私の気のせいかもしれないし、商品棚の片付け要員が増えた事を喜ぶものかもしれない。えぇえぇ、どのみち手伝わせていただきますよ。フルーが慌てて転んだのは、私の責任でもあるんだし。
「ホントに遅れてゴメンね、セロさん」
「いいんですよ。誰しも失敗はあるものですか……ら?」
謝る私にセロさんは気にするなと笑いかける。でも、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ仕草を見せた途端、その笑顔に影がさした。
「……? セロさん、どうしたの? やっぱり怒って……」
「いえいえ、そんなことはありません。お気になさらず」
セロさんは改めて作り直した笑顔を私に一度向け、それから慣れた足取りで生首メローヌの元へと歩いていく。
「なんだか愉快な事になっていますね、メローヌ君」
「セロ店長。たびたびお手を煩わせて恐縮です」
そんな店員の礼を笑って受け止めつつ、セロさんはメローヌ救出に取り掛かった。
私もセロさんを手伝おうと歩き始めると、その音を聞きつけたのか、セロさんが私へと振り返った。
「トラムさん。こちらはすぐに片付きます。先にフルー君の方を頼めますか?」
「え? あ、うん……」
セロさんに言われて返事を返したものの、フルーの姿が見えない。さて、いったいどこに埋まっているのやら。
「トラム先生。そちらの山からお姉様の手が生えております」
困っていた私に気付いたメローヌが助言をくれる。
彼女が首を振って示した方向。骨董の雪崩が作った山の一角から、見覚えのある手がニョキッと伸びていた。
「うーむ」
フルーの転倒をきっかけに発生した音楽堂通算何十回……何百回目かの骨董雪崩から三時間後。私は店内を見回して唸っていた。
まさかこの短時間でお店の商品棚が元通りになるなんて。やればできるとかいうレベルじゃない。驚きを通り越して、ちょっと怖いくらいだわ。
「御協力ありがとうございました、トラム先生」
四人分のカップとティーポットを乗せたトレイを手に、メローヌが私に礼を言う。
「そんな、お礼なんていいよ」
私は片付いた店内からメローヌへと向き直り、力いっぱい首と手を振った。
ホントにお礼を言われるものじゃない。正直言って、何もしていない。そりゃあ、真面目に店の片付けを手伝おうとは思ったのよ。思ったけど、手伝えなかった。メローヌの仕事振りに圧倒され、ただただ唖然としてしまった。私が唯一できた事と言えば、彼女の手際の良さに見惚れている事だけという有り様。
「圧巻ね」
「何がですか?」
もう一度店内を見回して呟いた私に、メローヌは理解できずに問い返す。
「いえ、メローヌって凄いなと思って」
これだけの事をしておきながら、メローヌは別段疲れた様子も無く何食わぬ顔で今は給仕に身を費やしている。恐るべし、メローヌ。一家に一人、お掃除人メローヌ。フィオの部屋に放り込んだら、どれくらいで片付くのか試してみたいわ。
私の賛辞に、メローヌはそれも理解できないらしく、すまし顔を崩さないまま首を傾けた。
「私は私のできる事をやっただけですが……?」
それが凄いと言っているのだ。
「トラム先生。店長とお姉様がお待ちです。どうぞ、リビングへいらしてください」
「あ、はいはい」
トレイを手にしたメローヌに促されて、私も彼女に続いてリビングへ向かう。
「トラム、今日二回目の遅刻だよ」
リビングに入ったと同時、先に部屋に来ていたフルーにそんな事を言われる。責めないでよ。気にはしているんだから。
「ゴメンゴメン。なんだかお店の様子が信じられなくて……」
「ええ、トラムさんの言いたい事は良くわかりますよ」
「うん。アレは凄いよね」
私のその言い訳じみた発言に、セロさんとフルーは同意するように何度も頷いた。でも、その二人の前へティーカップを置くメローヌは納得できないらしく、小さく唸り声を発する。
「私は、もう少し片付けたほうが良いと思いますが……」
……まだダメですか。私も部屋とか片付けるほうだと思うけど、メローヌにかかっては赤点なのかもしれない。フィオの部屋なら、間違いなく落第。下手すれば退学。
「それにしても今日はどうなされたんです、トラムさん? あなたが遅刻とは珍しい」
私に問うセロさんの口調は、遅刻を責めるという棘が見えない。責めると言うより単純に気になっただけという感じだ。
「あはは、お恥ずかしい。私も、あんな時間を忘れるほど演奏に夢中になったのは久しぶりよ」
私はそう前置きして遅刻に至った顛末を話した。
フィオのアルバイト先が見つかった事。そのバイト先で手にしたヴァイオリンの事。彼女から演奏を持ちかけられた事。そして、魅惑のヴァイオリンの事。
「アタシも聞いてみたい!」
フィオのヴァイオリンとのセッションが如何に楽しかったか。それを熱弁しているうちに私の熱が移っちゃったようで、フルーが私に演奏の視聴をせがむ。
「機会があれば、そのうちに聞かせてあげたいわ。とにかく、おかげ様でフィオはバイトもヴァイオリンも手に入ってメデタシメデタシ。ありがとうね、メローヌ」
「私は持っていたチラシをお渡ししただけですから。ですが……」
メローヌは淡々とした口調で受け答えた。ただ、今回はいつもの無表情じゃない。いや、ほとんど無表情に近いのだけど、僅かに嬉しそう。
「御学友のお力になれて光栄です」
そう付け加えてメローヌはティーカップに口を付けた。
「セロさん、メローヌってフィオのこと憶えているの?」
はて、メトロノームとして出会った頃の私の事は忘れていたはずだけど。
「トラムさんと同様に憶えていないと思いますが、なにぶんチカラを吸収した相手ですからねぇ。なにかしら懐かしく感じる部分があるんでしょうか」
こそこそと話し合う私とセロさん。話題の人メローヌは音も無くティーカップをテーブルへ置いてセロさんを見た。
「セロ店長。外出許可をいただけませんか?」
一家に一人、お掃除人メローヌ。ぜひとも私の所にもいてほしい逸材です。