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♪23 音楽院食堂にて

 勉強したり、遊んだり、笑い合って、時にはちょっと喧嘩もする。そんな苦楽を共にして分かち合える友人がいないだろうか。


 嬉しい事に、私にはいる。彼女は親友であり、悪友でもある。




「アルバイト急募。経験不問。楽器に興味がある方なら大歓迎」


 聖フォンヌ音楽院の食堂の一角。我が親友フィオ・ディーンは、私が掲げたチラシの内容を読み上げた。


「どうしたの、これ?」


 暖簾をくぐるようにチラシを手で掬い上げたフィオと私の視線が合う。私は、何を言うかと大げさに溜息をついて見せた。


「どうしたもこうしたも、仕事が欲しいって言ったのはフィオでしょうが」


 呆れ顔の私に言われて、再び暖簾をくぐったフィオはチラシへと視線を戻して唸る。


「そりゃあ、確かに言ったけど。まさか、昨日の今日で見つかるとは思ってなかったもんだからさぁ」


 うん、それは私も驚いたわ。そもそも、あの店でこのチラシを手に入れるなんて思いもよらない事だったし。


 そんな私が手にしているのは、昨日音楽堂で新米音楽堂店員メローヌから受け取ったチラシだ。


「それも、トラムが見つけてきたのよ。あのトラムがよ。驚きを通りこして疑っちゃうのも仕方ないってものよ」


 そういうことを言うか、この娘は。


「じゃあ、この話は無しって事でいいのね」


「あわわ、ゴメン! ありがと! 感謝しておりますとも、心の友よ!」


 気を悪くしてチラシを鞄へ片付けようとした私の手から、フィオが慌ててチラシを取り上げた。


「しっかし、灯台下暗しとは良く言ったものだわ。こんな手近な所で募集しているなんて思ってなかったわね」


 私の手からフィオにわたったチラシは、トロ・リボーヌ楽器店のバイト募集の報せ。


 トロ・リボーヌ楽器店は、私達の暮らす港町カオブリッツでも割と有名な楽器屋さん。店長であるトロ・リボーヌさんも、昔は音楽で身を立てようとしていたらしいんだけど夢半ばで挫折。そんな自分の叶えられなかった夢を若人に叶えてもらおうと、音楽家の卵を応援する為に作ったのが今のお店なのだそうだ。


 そんな店長の経歴や理想もあってか、この音楽院での知名度は高い。そこいらの院生を捉まえて店の名を問えば、十中八九「ああ、あのお店ね」というぐらいに。安価で良質の物を扱っているから、利用者だって少なくない。かく言う私も利用する。


「店が店だけに競争率高いかも……」


 フィオはチラシを手に席を立つと、食堂の隅に設置された古めかしい公衆電話へと小走りで向かう。


 チラシを渡しておいてなんだけど、フィオの言葉には私も頷ける。気さくな店長と、彼に感化されたかのような気のいい店員達。扱うものは楽器などの音楽機器。音楽に携わる者にとっては、なかなか楽しそうな仕事場だもの。


 紹介した私としても結果がどうなるかは気になるもので、目で彼女の同行を追う。


 フィオが電話をかけ始めてから僅か数分。彼女は受話器を下ろし戻ってきた。


「やけに早くない?」


 私の問いにフィオはチラシを片付けながら頷いた。


「うん。夕方から面接をしますから、店の方へおこしくださいって。ヤダ、なんだか急に緊張してきちゃったよー」


 フィオは緊張に震える身体を両手で抱え、それを誤魔化すように笑ってみせる。


「そんな緊張するほどヤワな心臓してないでしょ」


「うっわー。そういう事いうか、この娘は。トラムは私をなんだと思ってんのよ」


「心臓に毛が生えてる女」


「この、可愛くないわねー」


 悪戯っぽく笑う私に、フィオは憎たらしいと言わんばかりの視線を放つ。


 しばらくフィオとじゃれ合いを続けていた私は、棘の抜けた微笑を彼女に向けた。


「バイト受かるといいね」


 フィオも私とのじゃれ合いの引き際は心得たもので、いつもの無邪気な笑みを返してくれた。


「うん、面接ばっちり頑張ってくるよ。見つけてきてくれてホントありがとうね、トラム」


「いやいや、私はそんな大した事はしてないのよ。昨日勉強教えてる最中に、そのチラシ貰っただけなんだから」


 彼女の素直なお礼がなんだかくすぐったくて、思わず私は照れ笑いを浮かべた。そんな私の言葉に、フィオはすぐさまじゃれ合いモードに戻る。


「あら、そうなの? それじゃ、今の感謝はその人にしないとね。って事で、私の感謝の心を返してちょうだいな、トラムさん」


「無茶な事を言わないでよ。これは返しません」


「いいじゃん、ケチー」


「ケチはどっちよ。ええい、フィオなど面接に落ちてしまえ」


 ブーブーと文句を垂れるフィオに私がそう言った途端、彼女は頬を引きつらせる。


「うっわ、縁起悪い事言ってくれやがるじゃないの。やめてよー、これでもナーバスなのよー」


「大丈夫、トロ・リボーヌ楽器店がダメなら、次を用意するから」


「え? ホントに?」


 私の言葉にフィオの引きつった顔が緩む。


「私が昨日勉強教えていた子が働いているお店。給料ある時払いで良ければ、大歓迎してくれると思うわよ」


「それ、実質タダ働きなんじゃないの?」


 フィオの頬が緩んだのも束の間、今度は眉根を寄せてツッコんできた。そうね、私もそう思ったわ。


「でも、フィオも結構いろんな所に出歩いてるんだね。かなり意外かも」


 今度は私が眉根を寄せる番だ。意外に思われる程、私の行動範囲は狭いのか。


「そんなに意外?」


「うん、意外」


 即答ね。


「だってさ。私、トラムって暇があったら作曲ばかりで、外に出ないイメージが強くて」


 それは誤解というものだ。私だって……まあ、作曲はよくしている。行動範囲が増えたと言っても、音楽堂の店一件分でしかない。


「それが、この前は骨董屋さんでお洒落なオルゴールを見つけてきたし、今度は一晩で仕事見つけてきたし。なんだか最近のトラムって、新天地開拓して回ってるって感じよ」


 フィオ。あなたのバイト先を見つけてくれたのはそのお洒落なオルゴールで、私の唯一増えた行動範囲である音楽堂の一員よ。


「ごめん、フィオ。認める。あなたの言うとおり、私は基本インドアな人だわ」


「え? あれ? 私はトラムが案外あちこち出歩いてるんだねって、言ったんだけど」


「それが、実はそうでもないって事よ」


 キョトンとしているフィオにそう告げて、私はこの話はお仕舞いとばかりにカップのコーヒーを口にした。


 だって、これ以上オルゴールを話題にしていたら、何かの拍子にメローヌのかけた暗示が解けちゃいそうだし。


「ところで、フィオ。面接に行くのはいいけど、履歴書とか作らなくていいの?」


 コーヒーカップから口を離して問う私に、フィオは驚き声を上げて席を立った。


「あぁっと! そうだったのよ、うっかり忘れるところだった! 言ってくれてありがとね! ところで、トラムは履歴書の用紙って持ってない?」


「あるわけないでしょ」


 私の返答に、慌ててテーブルを片付け始めるフィオ。これから町の文具店なりに買いに行くつもりのようね。


「あ。言っておくけど、パウロ文具店は店長が海外旅行中で閉まってるわよ」


「え? ジェーン婆ちゃん、またクジ引き当てたの?」


「さらに言うと、コルネット商店は旦那さんが盲腸で入院して、奥さんが看病中」


「わちゃー、あの奥さんなら不眠不休で看病しそう。じゃあ、そうなると……」


 履歴書用紙が売っているであろう店の閉店を次々に私に伝えられ、フィオの顔に焦りが浮かんでいく。そんな彼女が次に思い当たるのは……。


「で、コラバ堂は旦那の浮気がばれて奥さんが実家に帰省中。そして、旦那は謝罪に行っているらしいわよ」


「何度目よ、あのエロ親父! こんな時に何してくれてんだか!」


 フィオが怒りをあらわにして叫ぶ。どうやら私の読みは当たっていたらしい。


 気持ちはわかるけど、そんなに怒らないでフィオ。その店全部が閉店しているのを実際に歩き回って確かめた私の衝撃は、こんなもんじゃなかったのよ。


「まあ、日が経ってるし、コラバ堂の奥さんも機嫌を直したかもしれないけど」


「うん、それに賭けよう。ああ、スーさん! お願いだから旦那を許してあげて!」


 そう言ってフィオは演技がかった仕草で天を仰ぎ祈り、食堂の出口へと駆け出していった。




 日は変わって翌日のお昼ご飯時。聖フォンヌ音楽院の食堂の片隅といういつもの位置で、私はハムサンドなど頬張りつつ作曲に勤しんでいた。


 今回の作曲テーマは春先の山。冬を越えた木々や動物達が、待ちわびた春の到来を歌う陽気な光景……のはずだったんだけど。


「……これって葬送曲?」


「おわっひゃあっ!」


 不意に耳元で尋ねられて、私は驚き悲鳴を上げた。ついでに、コーヒーをこぼして、書きかけの五線紙はことごとく床に落ちた。


「フィ、フィオ! 驚かせないでよ!」


 いつの間に近付いてきていたのか、私の横に立っていたフィオに抗議する。フィオはフィオで私が声を上げた事に驚いている。


「驚いたのはこっちよ。そんな愉快な声で驚いてくれるなんて」


 声量ではなく声音に驚いたのかい。


「それで、どうだったの?」


 食事を乗せたトレイを置いて席につくフィオに私が問いかけると、彼女は疲れたように溜息をついた。


「いやー、参っちゃったよ。コラバ堂も閉まってたんだから。スーさん相当怒ってるみたいだわ。当分は帰ってこないかもよ」


「そっかー、あの旦那の全然懲りないし、さすがに奥さんも堪忍袋の緒が切れたってところかしらねー……って、違う! そっちじゃなく、バイト! 面接!」


 訂正してから気がついた。結局、フィオは履歴書の用紙が買えなかったわけだ。そうなると必然的にフィオは……。


 表情を曇らせる私に、フィオはニヤリと笑みを浮かべるとVサイン。


「採用! 合格! 私ってば最高!」


「え? なんで?」


 不思議に思って尋ねる私。その反応にフィオはガックリと肩を落とし、Vサインは力を失って折れ曲がった。


「トラムー。親友の実力を信じようよー。私だって、やれば出来る子なんだよー」


「あいや、違うの。履歴書が買えなかったのに妙だなって思っただけで」


 慌てて弁解する私に、フィオは機嫌を直してクラブハウスサンドをかじりだす。


「んぐ。結局、履歴書は無しで面接に挑んだのよ」


「また、無謀な事を……」


「そこはそれ、相手はあのリボーヌ店長だもの。誠心誠意、事情を話して働かせてくれってお願いしたら採用してくれたわ」


 さすがは音楽家志望者応援団長のトロ・リボーヌ店長といったところか。


「そっか。良かったじゃないの、フィオ」


「でしょでしょ。良かったついでに、もう一つ報告しちゃおう」


 そう言ってフィオは、足元に置いていた黒革のケースをテーブルに置いてみせる。この独特のシルエットは……。


「これって……」


「お弁当箱とかいうオチじゃないわよ」


 フィオがニタニタと笑いながらケースを撫でる。


「ヴァイオリン貰っちゃった」


 そう、これはヴァイオリンのケース。


「貰ったって……」


 簡単に貰えるほど安いものじゃない。ケースを見る限りなかなかの年代物。これはかなり高価な物なんじゃないだろうか。それに……。


「正しくは、今のところはバイト代前借りしての貸し出しだけどね。バイト料と勤務態度等々を考慮して、結果次第では貰えるって事」


 そう言いながらフィオはヴァイオリンケースから私へと視線を移した。


「というわけで、トラムにお願いがあるんだけど、昼から時間ある?」


 私はと言えば、未だにケースを凝視している。


「ちょっと、トラム。聞いてる?」


「え? あ、ごめん。何?」


「バイト採用祝いって事で、このヴァイオリン初演奏の伴奏を頼みたいんだけど」


「う、うん。今日は予定無いし……大丈夫」


「ヨッシャ、決まりね!」


 私に向かってウインクすると、フィオは新たなクラブハウスサンドにかぶりつく。


 そんな彼女の嬉しそうな表情を見ていたら、私は言い出せなかった。


 黒革のヴァイオリンケースを見ていた私が、一瞬感じた寒気を。


 年代物だからとか、高そうなものだからという類ではない。口では上手く言い表せない何かが、私の肌に冷たく刺さった事を。


トラムとフィオのじゃれ合い、書いていて楽しいです。

さて、散らかっていた話が少しずつまとまりそうですが……まとめきれるだろうか、私。

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