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♪22 姉と妹

 勉強、スポーツ等々。人に何かを教える機会があるだろうか。そして、どうやって教えるべきか悩んだことはないだろうか。


 私はある。そりゃあもう、ある。思えば……思い出すまでもなく、彼女に教える時は特にそうだった。




「金が振ってきた……ので……一昨年の……カバは……悲鳴だ」


 文章を指でなぞりながらたどたどしく呟くフルーに、私は溜息をつきそうになる。


 一昨年のカバ、いったい何やらかしたのよ……。


「雨が降ってきたので、男は傘を開いた。ね」


 私は彼女と同じく文章を指でなぞりながら正しく読み上げた。


 現在、私こと家庭教師トラム・ウェットは生徒フルーの勉強を見ている最中なのだ。


 フルーの勉強を骨董屋音楽堂の店内で行うわけにもいかない。ということで店の奥、セロさん達の住まいで行っている。そうは言っても勉強部屋など有るわけも無し、リビングの小さなテーブルいっぱいに教科書とノートを広げての授業。


「むー」


 フルーは開いた教科書にあごを乗せ、悔しげに頬を膨らませる。そんな彼女の顔を横目に私は微笑んだ。


 そっか。フルーちゃん、解けなかった事が悔しいんだね。いい傾向だわ。課題に真剣に向き合ってくれるようになったって事は評価すべきよね。


「トラム。カバの悲鳴ってほうが面白いよ」


「って、面白さを優先させないの。そういう授業じゃないから」


 不満を漏らすフルーに私はすかさずツッコんだ。


 前言撤回。もう少し真面目に向き合ってもらおう。


「やっぱり課題にしていた単語の書き取りを先にすませるべきかしら」


 フルーは会話ができるのだから、問題は単語のつづり。これはただ読むより、書いて憶えたほうが早いと思う。そういうわけでフルーには宿題を出していたのだが、案の定フルーはそれに手をつけていなかった。


「むー。アタシ、あれ嫌い。手が疲れるんだもの」


「そりゃあ、何度も字を書いていれば疲れもするでしょ。でも、書き方をちゃんと憶えたら、読み方もついてくるわよ。それってお得じゃない?」


「むー。それ騙されている気がする」


 ……気のせいです。


「じゃあ、読み書きが嫌なら算数からにする?」


「それもイヤー。頭から煙が出るんだもの」


「出ないわよ」


 授業を始めてから、いったいどれほどの時間が過ぎたというのか。すでにフルーの教科書に向き合う気力が失せている。いや、最初から希薄だったんだけどさ。


 どうやってフルーのやる気を出させるか、これが彼女の勉強を見始めてから毎度衝突する壁だ。悩んでいた私は、リビングの戸を叩く音で我に返った。


「失礼いたします。トラム先生、フルーお姉様、お茶をお持ちしました」


 音の出所へと視線を送れば、そこにはすまし顔で立つメローヌ。彼女が宣言したとおり、手にしたトレイにはティーポットとティーカップが四つ……四つ?


「ああ、セロさんとメローヌも休憩するわけね」


 棚の片付けばかりでは疲れてしまうものね。そういう事なら、少し早いけど私達も休憩時間にしよう。これでフルーのやる気が復活すれば儲けものだし。


「よし、みんなで休憩!」


 ……私が言う前に、フルーが言い切っちゃったし。既にテーブルに広げた教材を片付け始めているし……。


「まあ、休憩はするとして、セロさんは一緒じゃないの?」


「手を洗いに向かわれましたので、じきにいらっしゃるかと。私は店番を残すべきだと言ったのですが、セロ店長はお客様が来る気配が無いから大丈夫だと。そういった個人的御都合主義な判断はいかがなものかと思います」


 抑揚に欠けるメローヌの口調がやや不満そうに聞こえたのは、自分の意見がセロさんに聞き入れられなかったからだろうか。


 でも、今回は私もセロさんに賛成。たぶん、お客さんは来ないと思う。何度と無くこの店に来ているけど、私以外の来客は見たことがないもの。


「セロさんとしては、来る可能性の薄いお客さんを待つより、店員とのコミュニケーションを深める事を選んだって事じゃないかしら」


 教材達を片付けながら、セロさんをフォローするように言った私。メローヌはテーブルに茶器を並べながら、ふむと唸る。


「なるほど、そういう考え方もありますね。さすがはトラム先生。勉強になります」


「いや、そんな大層な事は言ってないって」


「セロも休憩したかっただけだと思うけどなぁ」


 感心するメローヌに照れ笑いを浮かべる私。その横で、フルーは首を傾げながら言うと、メローヌの眉根に小さく皺が寄った。


「フルーお姉様の言う通りならば職務怠慢ですね」


「そんな大げさな……」


 紅茶を注いでいるメローヌの言葉に呆れる私。このメローヌの融通の利かないガチガチの大真面目なあたりは、人になる前の性質から来るものなのかしら。ついでに言うと、彼女が四つのカップに注いだ紅茶も量ったように同じなところも、ね。


「どちらも正解ですよ。休憩をしたいのも、皆さんとお話をしたいのも」


 私達の話をどこから聞いていたのだろうか。開けっ放しだったリビングの戸口から当のセロさんがひょっこり顔を出した。


「すみません、勉強の邪魔をしてしまうようで」


 私に恐縮して頭を下げるセロさんに、フルーが力いっぱい首を横に振る。


「いいじゃん、休憩。大歓迎だよ!」


「この様子だと進行状況は芳しくないようで……」


「まあ、覚悟の上で請け負っていますから」


 再び謝ろうとするセロさんを私は笑って押し留める。この笑顔が引きつっていなければ良いのだけど。


「そちらの方は? 店の片付けは順調?」


 これ以上フルーの勉強について聞かれると、セロさんの謝罪の雨あられを浴びる事になりそうなので話題変更。これは概ね成功したようで、恐縮していたセロさんから笑顔が漏れた。


「はい。おかげ様で、ほぼ片付きました」


 微笑みながら答える彼の顔に偽りは無い……ように見えるけど、いくらなんでも早過ぎじゃないですか?


 私も棚整理を手伝った事があるだけに、セロさんの言葉を鵜呑みに出来ないでいた。ひょっとして、私やフルーに心配をかけないようにしているのでは、と。


 私はセロさんの言葉の真意を確かめるように、メローヌへと視線を移す。


「私個人としましては、まだ不備が残っていると思います。ですが、セロ店長の指示された通りには片が付いていると判断します」


 回りくどいが一応片付いたのは間違いないみたいね。


「うわぁ、ビックリだわ。いつも一晩かかってなかった?」


 これは経験者談。次の日は寝不足で辛かったのだ。


「いやはや、私自身驚きですよ。メローヌ君のおかげで大助かりです」


 朗らかに笑うセロさんと、変わらない無表情のメローヌ。うーむ、新戦力恐るべし。セロさんからすれば、メローヌ様々ね。


「だそうよ、フルーちゃん。こちらも勉強を進めないとね」


「むー。それとこれとは話が別だよ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて私が言うと、フルーは不満そうに頬を膨らませた。


「そういえば、フルーちゃんはメローヌのお姉さんなの?」


 私は気になっていた疑問をセロさんにぶつける。


 メローヌはフルーをお姉様と呼んでいるが、外見からすれば逆にしか見えないのよね。


「ええ、お姉さんですよ。もちろん、血縁という意味ではありませんが」


 頷くセロさん。


 そりゃあそうだろう。フルーは確か虎人とか呼ばれる種族で、メローヌはメトロノームの化けた姿。それはわかっているけれど……。


「見た目では、どうみてもフルーちゃんが妹って感じだけど……」


「アタシがお姉ちゃんだもん!」


 私の発言が気に入らなかったらしく、横からフルーが抗議する。その膨れっ面は今日一番のものだ。


「メトロノームとして生まれた歳月はいざ知らず、メローヌ君が今の姿になったのはごく最近の話です。そして、私達の家族になった以上は、先人のフルー君が姉でメローヌ君が妹となるわけでして」


「生を受けてからの年月は関係無いわけね」


「そういうことです」


 私とセロさんは話しながら、すまし顔で紅茶を啜るメローヌと以前むくれっぱなしのフルーを見比べた。


「まあ、トラムさんのおっしゃりたい事もわからなくもないですが……」


「アタシがお姉ちゃんだったら!」


 セロさんの言葉が含むものを察したのか、フルーがもう一度抗議した。


 待てよ……このフルーの反応。これはひょっとすると……。


「読み書き算数がっちりできるところを妹に見せてやろうよ、フルーお姉さん?」


 一計を案じた私はフルーに顔を寄せ、セロさんやメローヌに聞こえないように耳元でそっと囁いてみる。


「む!」


 膨れっ面は変わらないものの、フルーは私の言葉にはっきりと頷いた。


「それじゃあ、休憩が終わったら宿題の書き取りから始めるわよ」


「む! バッチコイ!」


 鼻息も荒く勉強への意気込みを見せるフルー。


 作戦名『お姉ちゃんだもの』。メローヌの姉であるという意識をくすぐってみる策。あわよくば、少しはやる気を出してくれるかもしれないと思ったけど、想像以上に食いついてきたわね。これはもう、メローヌ様々だわ。


「一体何をフルー君に吹き込んだんですか?」


 笑みを浮かべながら紅茶に口をつける私に、セロさんが呆れ顔で尋ねてきた。


「いや、女の友情を確かめ合っただけよ。さてさて、これで悩みの一つは片付くとして、問題はバイト探しか……」


 そう。メローヌとの出会いで危うく忘れそうになっていたけど、友人フィオ・ディーンに職探しを頼まれていたんだった。でも、生憎私もツテは無いし……。


「おや、トラムさん。バイトをお探しなんですか? 給金ある時払いでよろしければ、ぜひウチで……」


 私の独り言を聞いたセロさんがすかさず答え、私は紅茶を噴吹き出しそうになる。


「ある時払いって、それは実質タダ働きじゃないの。それに、アルバイトを探しているのは私じゃなくて、友達のフィオよ」


 訂正する私の言葉に、それまで終始無言で紅茶を啜っていたメローヌの手が止まる。


「フィオ……」


「え?」


 ボソリと囁かれたメローヌの言葉を聞き逃して思わず尋ねる。そんな私に、メローヌは無言無表情で一枚のチラシを突き出した。


フルーの勉強風景をお送りいたしました。

勉強って教えるのも教えられるのも大変です。

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