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♪2 音楽堂

 無関係な人物の過失で、自分まで災難に巻き込まれるといった事はないだろうか……。


 私はある。彼女のアレはまさにそうだった。




「ごめんくださ……い?」


 扉を開けて中に入った途端、自分の中の期待感が薄れていくのがわかった。


 何よ、これ。


 音楽堂という店に引き寄せられて入ったものの、中はどうにも音楽らしいものが見当たらないじゃないの。


 店内にあるものというと色あせた書籍、高そうな壺、珍妙な置物、使い込まれた鍋、年代物のおもちゃ、年季の入った……。


「……桶?」


 骨董品と呼べそうな物から雑貨としか言えないような物が、店内の足元から天井近くまでの棚。棚という棚に置かれている。


 いや、置かれているという表現は的確ではない。詰め込まれている。それも、奇跡としか言いようが無いぐらい複雑に詰められている。どれか動かした瞬間、店中の品物が落ちてくるんじゃないの?


 棚の間に人一人がやっと通れる程度の通路はあるが、いつ売り物の雪崩に遭遇するかと思うと進む気になれない。


 ここは、名前は音楽堂でも骨董屋なのだ。それも、とても身の危険を感じる。


「お邪魔しましたー」


 棚に触れないようにそっと振り返る。


 ここはダメだ。どこか他を当たろう。


 そう思い、外に出るべく再び扉に手をかけようとした瞬間。私の視界は何かによってガバッと占領された。


 私の視界を遮ったのは赤茶色の髪を三つ編みにした女の子だった。


 来ている服はTシャツとキュロット。首には若草色のチョーカー。パッと見て活発な印象を受けたのは、きっと服装からだけではなく内面から出てくる雰囲気もあるだろう。


 相手が誰であろうと、目の前にいきなり出てこられたら驚きもする。だが、私はその驚きに輪をかけて驚いていた。


 女の子は私の頭上から現れたのだ。現に今も上下逆さまのまま、天井からぶら下がっている。


 私の事をじっと見つめる彼女の明るい茶色の瞳には、驚きのあまり声も出せず動く事も出来ない自分の姿が映っていた。


 突如目の前に現れた。それも上から。二段階の驚愕。こういうのも一粒で二度美味しいと言うのだろうか。あ、驚いている割には結構余裕あるな、私。


 三つ編みの彼女はしばらく無言でこちらを見ていたが、やがてニカッと陽気な笑みを浮かべて見せた。


「いらっしゃーい!」


 その明るい声に呪縛が解けたのか。驚愕による硬直から開放された私は、慌てて彼女から一歩間を開けた。


「ど、どうも。こんにちは」


「お客さんですよね。何をお探しですか?」


 しどろもどろに答える私に、彼女はぶら下がったままにこやかに問いかける。


「フルー君。そんなところにぶら下がったまま話しかけて。お客様に失礼ですよ」


 背後からの声に振り返ると、店の奥に男が立っていた。歳は二十半ばといったところだろうか。中肉中背で、青みを帯びた黒髪を覆うバンダナ。優しげな目元には銀縁眼鏡。フルー……私の前でぶら下がっている少女の事だろうが、彼女を嗜める彼の表情は声と同様に穏やかさを感じさせる。


「あ、ゴメンね、お客さん。でも、営業時間中に棚の整理をさせるセロにも問題があると思わない?」


 少女は私に同意を求めながら、ぶら下がっていた紐から手を離す。


 いけない、彼女が落ちる。それも頭から!


 咄嗟に助けようと私が手を出すより早く少女は宙返りして綺麗に着地した。


 彼女が落ちると思った焦り、無事着地した時の安堵感、十点満点上げたくなる綺麗な宙返りへの感嘆。いろんな感情に振り回されて言葉の出ない私を気にせず、少女は周囲の棚達を見回す。


「この状態で整理しようってほうがどうかしてるわよ。どうせ整理してもすぐに元に戻るだろうし。ねえ」


 いや、ねえと言われても返答に困る。


「そう言っていつも整理をサボるから、今の状態になったように思えますが」


 ごもっともだ、お兄さん。


「店長が率先してやらないでおいて、店員に強制するのはどうかしら」


 なるほど、一理ある。


「私が整理した分まで散らかして回るのは、どこのどなたでしょうね」


 ダメじゃん、フルー。


「あら。アタシ以外にも店員がいるの?」


 ん? フルー嬢じゃないのか?


「この店で働くような物好きは私と君ぐらいなものでしょうに」


 やっぱりダメじゃん、フルー。


 私を挟みつつ、私をまったく気にも止めていないらしい二人の問答は、店の奥からの電話のベルで中断する。


 先ほどの会話から察するにこの店の店長であるセロさんがベルに引き寄せられるように店の奥へと消え、店内には再びこの店たった一人の店員フルー嬢と私だけになった。


「改めていらっしゃい、お客さん。何かお探しですか?」


 にこやかに問いかける彼女に私は首を横に振っていた。


「ごめんなさい。店を見違えたみたい。また別の機会に寄らせてもらうわ。その、鍋とか桶とか必要になったら……」


 早口でそれだけ言って店を出ようと思ったのだが、この狭い通路では彼女の横を通り過ぎる事も叶わない。


「そうなの? 残念。でも、試しにお探しの物を言ってみて。ここにはいろいろとあるんだから」


 確かにこの店は何が置いてあっても不思議ではない雰囲気を持っているわね。


 私は店を出るのは一旦諦めて探している物を言う事にした。有れば幸運。無ければ彼女も諦めて、なんとか店から出してもらえるだろう。


「……五線紙を探しているのだけれど」


 私の言葉にフルーがニカッと笑う。


「ちょっと待ってて」


 彼女は私にウインクすると、ロッククライミングでもするかのように売り物に手をかけ足をかけ棚を登っていく。天井近くで棚をゴソゴソと漁っていたフルーは、封筒らしきものを引っ張り出すと私に投げてよこした。


 私がそれをキャッチすると封筒の口が開いて中身が顔を出す。


「それでしょ?」


 確かに、少々焼けて黄ばんでいるが五線紙だ。


「ね、言ったでしょ。ここにはいろいろとあるんだって」


 棚の上で得意げにしているフルーの隣で僅かにコトッと、しかしはっきりと物音が聞こえた。それは棚達の奏でる大音響の始まりの合図だった。


「もしもーし。聞こえます? え? ええ、すみません賑やかで。どうも屋根から野良猫が落ちたみたいで……。それでティバンニさん。今月の家賃ですけど。え? 先月と先々月? 嫌だなぁ、払ったじゃないですか」


 音楽堂の店の奥では、店長のセロさんが何事も無かったように電話を続けている。


 私はと言えば……。


「どうしよう、セロ。大変だよ! お客さんが生き埋めになっちゃった!」


 そう、店の売り物が起こした雪崩に巻き込まれて、頭から爪先まで埋まってしまった。


 手にした五線紙を手放さなかったのは立派に思えたが、それを利用する機会は失った。改めて思えば、この店に入った時には頭の中に流れていた曲は止んでいた。


「……厄日ってヤツかしらね」


 ただただ溜息。何が悲しくて骨董品の雪崩に巻き込まれて遭難せにゃならんのだ……。


「ええ、大丈夫。今月は……じゃないや。今月もちゃんと払いますから。おっと、お客様が来ていますので、お話はまた後日。ええ、必ず。それでは失礼します。……それで、どの辺りに埋まっているんです、フルー君?」


 電話を終えたセロさんがフルーに問う。


「この辺り」


「だから、ちゃんと整理するように言っていたんです。これに懲りたら売り物は棚に綺麗に整頓して……」


 おっしゃる事はもっともだが、お説教はあとにしようね、セロさん。


「それに関して私が思うに、いつもいつも棚があんなふうになっちゃうのは小人さんのせいじゃないかしら」


 何が小人だ! アンタの仕業だろ、フルー!


「とにかく、この辺りを掘り返して……」


 二人が骨董品の山の上を歩いているのだろう。上からガラガラと賑やかな音が聞こえている。


「そうだ。聞いてよセロ。久しぶりにお客さんが買ってくれそうなの」


「そうなんですか?」


 セロさんの声に驚きの色が混じる。驚いてもいいから救出作業の手は止めないで。


「そう、五線紙が欲しいって。物は渡したから、あとは清算するだけだったの」


「……フルー君、この状況で請求できると思いますか?」


「あの、助けてもらえませんか?」


 骨董品の山の上で再び始まった問答に、堪り兼ねて助けを請う。


「あ、この下」


「フルー君。わかったのなら手を貸してください。掘り起こしますよ」


 私の上でガシャガシャ鳴り出したかと思うと、体にかかっている重みが少しずつ軽減していく。


 よーし、これぐらいなら自力で起き上がれるんじゃないかな。せーの!


「よっと!」


 ガシャンと一際大きな音を立てつつ体を起こす。


「おお、お客様。御無事で何より……」


 セロさんが言葉を詰まらせ、フルーの吹き出す声が聞こえた。でも、その様子は私から見えない。目の前が真っ暗なのだ。


 笑いを堪えるフルーの声。声から察するに持ち前の満面の笑顔で肩を震わせているのだろう。笑いの元が自分にあるのはわかっている。さっきから頭に何か当たっている。これが目隠しをしている原因だろう。


「フルーちゃんだったわね。今度からはもう少し店の中の整理は手伝った方がいいと思うわよ」


 引きつった笑みを浮かべて目隠しを取った私は絶句した。視界を遮っていた木製の桶には装飾のされた古めかしいフォークやら、錆かけのナイフなどが刺さっている。


 桶に刺さるナイフを握り締める私の目つきが変わった事に気がついて、フルーは「すみませんでした」と素直に謝る。


「なんとお詫びをしたものか。申し訳ございませんです。フルー君の話では五線紙をお探しだったとか。お代はいりません。どうぞお持ち帰り下さい。その桶もお付けして……」


「桶は遠慮します」


 即答。セロさんは言葉を詰まらせた。


「では、せめて何かもう一つ受け取ってください。おっと、すまないフルー君。電話に出てもらえるかな」


 再び店の奥で鳴り出した電話のベルにセロさんが言うと、フルーは私の不機嫌そうな顔をチラリと伺ってから逃げるように骨董の山を歩いていく。


「遠慮しておきます。五線紙が欲しかっただけですし、骨董品には興味無いですし」


「セロー! ティバンニがすぐセロに代わってくれって!」


 奥から受話器を振って店長を呼ぶフルー。セロさんは「失礼」と一言断り奥へ向かう。


「フルー君。大家さんを呼び捨てにするものではないです」


 嗜める声を聞きながら溜息をついた。


 セロさんの気持ちはありがたいが、私はこの店からとっとと脱出したかった。


 店の奥へ背を向け、出口のドアに向かって骨董品を掻き分けて前進する。


 もう少しでドアノブに手が届くというところで私の袖が引かれた。


「さっきは本当にごめんなさい」


 立ち止まって振り返ると、深々と頭を下げるフルーの姿があった。


「アタシ、ここで働き出して間が無くて、初めてのお客さんでちょっと嬉しくて。決して悪気があってアナタをこんな目に遭わせたわけではなくて……その」


 早口で一生懸命に話すフルーの様子に私は自然に優しい笑顔を作っていた。


 あーあ、可愛い子ってこういう時有利だよなぁ。こういう顔されて許さなかったら、私が悪人みたいじゃないの。


 屈んでフルーに目線の高さを合わせる。


「大丈夫、怒ってないわ。確かにいろいろ驚かされた事はあったけど」


「ホントに?」


「ホントのところはちょっと不機嫌」


 ちょっとした悪戯心でそう答えると、フルーの顔の悲愴感が一気に増す。彼女のあまりに素直な反応に、私は思わず吹き出していた。


「大丈夫だって。今はもうホントに怒っていないから。ね。」


 どれぐらいぶりだろう。こんな優しい話し方ができるとは、自分のことながらすっかり忘れていた。


「許してくれてありがとう。えーっと……」


「トラムよ。トラム・ウェット」


「ありがとう、トラム。ねぇ、ホントに五線紙だけでよかったの? トラムはアタシの一番最初のお客さんだもの、何か他にも欲しい物があったら言ってよ!」


 自分が許された事が本当に嬉しいらしく、笑顔で話してくる。


「そうねぇ」


 彼女の逆らい難い笑顔に負けて、大して興味の無い骨董品の山を眺めてみる。


 さて、どうしたものだろう。ここで正直に何も無いと言ってまた悲愴な顔をされても困るし……。


 そう思いながら動かしていた私の視線が骨董山の一角で止まる。


「あれ?」


 私の視線を辿って歩いていったフルーが、山の中からそれを拾い上げて帰ってくる。


「これ、何?」


 自分の店の売り物ぐらい覚えて……この店じゃ無理か。


「メトロノームっていうのよ」


 ずいぶんと古びたメトロノームだ。木製のフレームには簡素ながらも装飾が施され、なかなかにシックな印象を受ける。


「……変わった置物ね」


 どうやらこの子はメトロノームを知らないらしい。


「これはリズムをはかる機械よ」


 そう言って実際に動かしてみせる。


 カチカチと音を立てて揺れる振子を眺めながらフルーが不思議そうな顔をした。


「なんでも好きな物をって言ったけど、トラムって変わったものを選ぶのね」


「そう? 知らないうちにリズムが早くなったり遅くなったりしてしまわない為の目安に使うの。学校の備品の調子が悪いから、良ければこれを頂いていきたいのだけど」


「構わないわよ。どうぞ貰って頂戴」


「ありがと。ところで、フルー。これから大変そうね」


 足元を眺めて言う私に彼女はニカッと笑いながら胸を叩いた。


「大丈夫、慣れてるから。一晩もあれば元通りになるわ」


 慣れている……なるほど、どおりでこの惨状にセロもフルーも動じないわけだ。


「頼もしいわね。それじゃあ、店の片付けを邪魔しちゃ悪いし、退散させてもらうわ」


「うん、じゃあ、また来てね。ウチは用事でもなければ毎日営業してるから」


 少し名残惜しそうに手を振るフルーに手を振り返しながら店を出た。


「フルー嬢には悪いけど。当分近寄り難いと言うか……」


 店員、店長ともに人柄は好感を持った。


 ただ、問題点はその好感を損なって余りあるほどの店内の散らかりっぷり。しかも、散らかっているのは私が大して興味を持てない品々。


 やはり、しばらくは音楽堂に入る事はないだろう。


「とりあえず、明日もう一度店を回って五線紙を買い溜めしない……と……」


 アパートへの帰路につきつつぼやいていた私の脳裏に、かすかに旋律が響いた。


 この曲は、なかなかいいんじゃないの?


 知らないうちに立ち止まり、内側からの演奏にじっと耳を傾けていた。


 自画自賛?なんとでも言って。音楽に限らず、作者が自賛したがらないような作品が、世に出て広まることはないわ。


 私はその曲を書き記す場所を確保すべく近くの喫茶店に駆け込んだ。

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