♪17 鏡の中の四重奏
音楽の演奏、団体スポーツ等々、周りのみんなと自分の呼吸がぴったり合う瞬間。そんな団結力が生み出した高揚感に、思わず酔いしれたくなる時が無いだろうか。
私はある。思いがけないセッションだったが、あれはあれで楽しかった。
「あ、あの、フルーちゃん?」
途惑う私を尻目に、フルーは自分なりにリズムをとり始める。
やれやれ、思い立ったらすぐに突っ走るんだから……。ともかく、ここはひとまず彼女の曲を聴いてみるとしましょうか。それで、フルーの音感もわかるわけだし。
苦笑いを浮かべる私達の前で、フルーはゆっくりとハミングを始める。
フルーの歌を聴いた私は驚き、目を見開いた。
上手い。いや、驚いたところはそこじゃない。いや、それも予想外で驚いたけども。
彼女が歌い出したのは、私の友人フィオが『優しい狼、陽気な虎』と名付けた曲。確かに、これは私が知っていて当然。なにせ、私が以前彼女の前でハミングしていた即興曲だもの。
それにしても、たった一度聞いただけで、よくもここまできっちりと再現できるわね。大したものだわ。でもねぇ……。
私は不安を抱いて妖精達の様子を窺った。
「うーむ。聞いたことあらへん曲やな」
少し困った顔で呟くディンベル。そりゃあそうよね、私が作ったんだから。
「でも、いい気持ちなのだ~」
ドンベルが頬を緩ませてフルーの歌に聞き入っている。そうね。自分で作っておいてなんだけど、私よりフルーが歌った方が良く聞こえるわ。
ディンベルも相方の意見に頷き、首から下げたベルを構えた。
「せやな。歌い終わったらフルーに謝らんといかん。音痴なんて言うてスマンかったってな。ヨッシャ、これならワイらも合わせ易いわ」
そう言ってディンベルが手にしたベルを……振らないの?
「トラ姐さん? どないしたんや、ボケーッとして? 姐さんの番やで」
ベルを構えたまま困り顔のディンベルに言われて、ようやく気がついた。そうよね、ここで妖精の鐘を鳴らしたら、ディンベルとフルーの二人が空間を越えてしまうもの。
正直、それはそれで正解だと思う。
二人を先に行かせて、私とドンベルが続けばそれで終了。間違いではない。たぶん、それはディンベルも気付いているし、ひょっとしたらドンベルも。……フルーちゃんは微妙。歌うのに夢中になってるし。
ただ、気付いていても今更それを口にする者はいない。ドンベルの『みんなで仲良く』という意見が採用された時点で、それは選択肢から外れている。だって、四人みんなの方がきっと面白くて楽しいもんね。
私はフルーのハミングに合わせて、自分の声を重ねた。歌い始める私へと視線を向けるフルー。私と彼女は、お互いを見て笑みを交わす。
よぉし、フルーが陽気な虎を歌うなら、私はセロさんに代わって優しい狼を歌おうじゃないの。
「トラ姐さんもフルーもノリノリなのだ~」
楽しそうなドンベルの声に、いつの間にか自分達が手拍子を打っていた事に気付く。これも一興。このまま続けましょ。
「ホンマ、二人して楽しそうに笑ってからに。ワイも混ぜてもらおか」
私に続く三人目。ディンベルが茶化しながら手にしたベルを振る。
妖精のベルが鳴り響き、ハミングしている私達を包み込む。それと同時に感じる、微風吹く高原にいるような爽快感。さすがは妖精の持ち物といったところか。凛とした音色が胸のうちにまで響いてくる。
でも、その音に聞き入るより、その音と合わせた方がもっと楽しい。ベルが紡いだ微風と戯れるようにして歌い続ける私とフルー。
そして、ディンベルが幾度ベルを鳴らしたか、私達に異変が現れ始める。
ディンベルの鳴らすベルに合わせて、元の世界を映す鏡と私達の体が白く瞬き始めた。きたわね、道が開く時が。
だけど、瞬きは鏡の内に入った時よりも幾分光が弱く、空間を飛ばされる気配が無い。これが、ディンベルの言っていた定員二人という事らしいわね。
二人のハミングと妖精のベルが奏でる三重奏に、淡い瞬きは次第に早まりゆっくりと光を強めていく。最後の一音を加える準備は整ったと見るや、光に包まれたディンベルがドンベルに声をかけた。
「オーシッ、最後の仕上げや! 景気良くかましたれ、ドンベル!」
「わかったのだ~」
ドンベルがベルを大きく振りかざし……。
グ~。
そんな最後の一音が、ベルを振りかぶったドンベルのお腹から鳴り響く……って、おい。
私達は演奏を止め、ドンベルに注目した。
「あー、ドンベル。何か言いたい事はあるか?」
努めて冷静を装って問うディンベル。相方の質問にドンベルは力無く溜息をつくと、ポテッと膨らんだお腹をさする。
「お腹が空いたのだ~」
「間ぁ悪過ぎや、このバカチン!」
「む~、面目無いのだ~」
このタイミングで! よりにもよって、このタイミングで! あろう事か、このタイミングで! お腹鳴らしてくれますか、この食いしん坊のジャガイモさんは!
「えー」
がっかり顔のフルー。そうね、フルーちゃんは頑張って歌ってくれたものね。がっかりよね。
「ディンベル君、やり直しは……?」
「そうしたいところやけど、無理やわなぁ」
言って肩をすくめるディンベルの体を包んでいた光が強くなっている。もちろん、私達が放つ光もだ。
どうやら、ドンベルの鳴らしたお腹の一音で数が合ってしまったらしい。そりゃあそうね、演奏している私達が聞こえたぐらい大きな音だもの。音としてカウントされても不思議じゃないわ。問題は他の音と綺麗に合ったかどうかだけど……。
「まぁ、何事にも誰にでも失敗はあるもんや」
自分に言い聞かせるように呟いたディンベルの一言で、結果は見えた。そうよね、お腹を鳴らして音を合わせるなんて、到底無理よね。
「さて、トラ姐さんもフルーも頭抱えとき。どこに落ちるかわからへんで」
ディンベルはベルの紐を首にかけなおすと、諦め顔で私達に警告した。なんだか、こっちの世界に来る時にも言われたわね、それ。
「お客様方、お出口はこちらでございまーす」
半ば自棄といった調子で、ディンベルが恭しく礼をして光る鏡を指し示す。
彼のおどけた所作に呼応したかのように、鏡の輝きが一気に増す。眩い光に包まれ、私の体は浮遊感に包まれた。
鏡の内へ入ってしまったフルーを救出する為に私が鏡をくぐってから、音楽堂の店長セロさんはいったい何をしていたのか。
答えは、散らかった店内の整理。さすがは店長と言うべきだろうか。完全ではないものの、店の中は鏡をくぐる前とは見違えて片付いている。
ただ、私は謝らなければならない。
ごめんなさい、セロさん。これから私は、あなたがせっかく綺麗にしてくれた店内を、もう一度散らかす事になりそうです。……っていうか。
「セロさん、逃げてー!」
眼下のセロさんに向かって、私は力いっぱい叫んだ。そんな私の現在地、音楽堂店内の天井付近。ひょっとしてとは思っていたが、やっぱり二度目も落ちるのね。
「はて? ……って、うわぁっ!」
上から聞こえてきた私の声に見上げるセロさん。一瞬だけポカンと口を開けて呆けていた彼だったが、状況を把握して悲鳴を上げる。でも、その一瞬が命取り。セロさんが慌てふためくまでの間に私の落下速度はぐんぐん上がり、もう彼の目の前まで接近していた。
セロさんは手にしていた商品を放り投げ、落ちてきた私を抱きとめる。否、抱きとめようとしたけど、私の落下する勢いを殺しきれずにバランスを崩して派手に転んだ。
セロさんが転んだ拍子に店の商品棚にぶつかり、棚は骨董品を振り落としながら倒れ、その隣にあった棚も押し倒して、当然そこに乗っていた骨董品も……あちゃー、ドミノ式大惨事だわ。
「アイタタタ……。トラムさん、ご無事で?」
心配してくれるセロさんの声が、私の足元から響いた。足元を見れば、床に突っ伏しているセロさん。私は彼の背中にチョコンと腰掛けているような状態。
ご無事も何も、あなたの捨て身の救援のおかげで怪我一つ無しですよ。
「うん、ありがとう。大丈夫よ。って、あわわ、ごめんなさい! 重かったでしょ?」
急いでセロさんの背中から降りると、彼は何事も無かったように起き上がる。
「いやいや、軽いものですよ。それで、トラムさんが帰ってきたということは、フルー君も?」
「うん、何事も無ければ一緒に帰ってきているはずなんだけど……」
たぶん、私みたいにどこかに落っこちたんだろう。私は辺りを見回してみる。
「あの……なんかもう、いろいろとごめんなさい」
私は周りを眺めながら謝った。自分の落下が引き金になって起きた骨董土砂崩れで、店内は大災害になっている。
「いやなに、いつものことですよ。アハハハハ」
でも、セロさんは全く動じておらず、軽く笑い飛ばされてしまった。なんとも逞しい店長さんだ。
気を取り直してフルーを探す私。キョロキョロしている私の隣で、セロさんが立ち上がり匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。
ああ、得意の嗅覚ね。
「ふむ、あの辺りですね」
そう言って骨董品をどけながら歩き出すセロさん。たったの一嗅ぎで場所を絞り込むあたりは、さすが狼の鼻を持つだけはあるわ。
「おーい、フルー君。しっかりしてください」
フルーの匂いを嗅ぎつけた位置に辿り着いたセロさん。山になっている骨董品をどけようと手をかけた。
「んー!」
くぐもった叫び声と共に、骨董山脈が噴火した。あ、違う。乗っていた骨董品達を蹴散らしてフルーが起き上がったんだ。
「おお、フルー君。無事だったん……ですか?」
安堵しかけたセロさんの台詞に疑問符が付くのも無理はない。まあ、フルーちゃんは骨董品を吹き飛ばすぐらい元気ではあるのだけど、問題は……。
「んー。んーんー、んんーん!」
セロさんの声に返事をしているらしいフルー。でも、頭から桶をすっぽり被った彼女の言葉は全て「んーんー」になって、何を言っているかさっぱりわからない。
「ちょっと見ない間に随分と様変わりしてしまって……」
本気なのか冗談なのか、セロさんがそんな事を呟く。そんな中、フルーは頭を覆う桶を取ろうと悪戦苦闘。
「んー、んっ!」
スポンと音がしそうな勢いで桶から頭を引っこ抜いたフルー。私はその顔を見て不覚にも吹き出した。
フ、フルーちゃん。顔……顔に、ドンベルが付いてるわよ。
空間を飛び越えた時に気を失ったのか、ドンベルは目を回していた。それでも、両手両足でしっかりとフルーの頭を掴み、ふっくらお腹を遠慮無く顔に押し付けている。
「なんとまあ、ホントに様変わりしてしまって……」
うん、今度のセロさんの言葉は冗談だろう。そんな台詞を聞きながら、フルーは黙ってドンベルを引き剥がした。
そして、こんどこそ現れたフルーの顔。俯き気味のその顔は、拗ねていますと言わんばかりの膨れっ面。
その表情には思い当たるところがある。フルーは、拗ねているんじゃない。泣きたいのを我慢している顔だったわね。
その事を知っているのか、はたまた彼の気質なのか。セロさんは、黙ったまま自分を見つめるフルーに歩み寄ると、彼女を優しく抱きしめた。フルーもまた、セロさんの体に精一杯手を伸ばして、顔を隠すようにして彼に抱きついた。
「おかえりなさい、フルー君」
「ただ……いま……」
堪え切れなかった涙の合間を縫うように、途切れ途切れの声が漏れる。
「大冒険でしたね。お疲れ様」
いつもと変わらない穏やかにして優しい微笑をたたえたセロさん。彼のねぎらいに、フルーは顔をうずめたまま何度も頷いた。
その姿は店長と店員と言うより、親子か兄妹のよう。暖かい絆を感じさせる光景を彩るように、窓に四角く区切られた光が二人を包む。
「……もう朝だったのね」
音楽堂の中に朝陽を取り込む窓達を見つめ、私は眩しさに目を細めた。
思い返せば、たった半日程度の出来事。それでも、大騒動を体験して些か疲れた。しばらくは、せめてフルーが泣き止むまでは、こうして穏やかな時間の流れに身を委ねていよう。
そう思い、窓からセロさんとフルーに視線を移しかけた私だったが、足元に転がる何かに気が付いてそちらへ視線を向けた。
「うぅ……感動の再会やなぁ。良がっだなぁ……」
そこにいたのは感涙妖精ディンベル……イン茶色の小瓶。
「ディンベル君、また小瓶なの?」
「見ての通りや~、みんなドンベルが悪いんや~。二度もこの扱いは、あんまりや~」
呆れ顔の私の足元で、小瓶に入ったディンベルは泣きながらコロコロと転がっていく。
そして、そのまま転がったディンベルは私の靴に当たって止まる。その途端、妖精は嘆き節を止めて一点を凝視した。
「……むぅ、清純派の白やな」
「スカート覗くな、この変態妖精ッ!」
顔を真っ赤にした私は、情け容赦無い一撃で茶色の小瓶を蹴り飛ばした。
生憎、私は楽器がてんでダメです。ですので、セッションという経験が無いです。
笑い合いながらセッションしている姿を見ると、とても楽しそうで憧れたりします。
というわけで、自分が出来ない分、トラム達に楽しんでもらおうとしたのですが……。まぁ、誰しも失敗はあるものですね。