第07話 それを人は駆け落ちと呼ぶ
コンコンコン!
慌てた足音と共に、急いでヒルデの部屋のドアをノックする音が聞こえる。下宿人兼小間使いの青年フィヨルドが、忍者の如き素早さで状況を伝えに参上したのだ。
「ご報告申し上げます、ヒルデお嬢様! メイドの一人がジークさんの色仕掛けに落ちてしまい、ついにお嬢様との面会を許可してしまいました。メイド長が時間を稼いでおりますが、今からおよそ十五分もすれば、この部屋に到着されるかと」
「なっ何ですって! おのれジーク。自らの美貌を武器に、ついに我がルキアブルグ家の使用人にまで、手を出し始めたのね。なんて破廉恥なの」
着替えの最中だったのか、ヒルデ嬢はレースの水色ブラジャーを脱ぎかけのシャツからチラ見せしつつ、服を整え始めた。正直言って、破廉恥なのはそんな下着をチラチラさせながら、使用人と自室で会話出来るヒルデ嬢の方なのかも知れないが。
緊急事態ということで、ブラジャーの一つや二つに構ってはいられなかったのだ。それに、メイドがジークの色香にやられている現在、頼りになる使用人は男性のフィヨルドのみ。
「い、いえ。別に破廉恥な行為はしていないのですが。そっとメイドの手を握り、ヒルデ様と面会出来るよう優しく微笑まれたとか」
思わぬラッキースケベ展開に、内心ガッツポーズ決めているフィヨルド。そうとは気づかれないようにポーカーフェイスで、メイドとジークのやりとりを報告。
すると、ヒルデ嬢はかなりムカついているのか、ついに自らがジークと遣り合うことに決める。
「ふんっ。それでボーっとして、ジークの言いなりになるメイドにも、問題があるわ。いいわ、ここまできたらわたくしが自ら、ジークに婚約破棄を申し入れるっ。貯金を下ろして海外逃亡の準備もしなきゃだから、あなたも一緒についてきて頂戴な」
相変わらず脱ぎかけの水色ブラとシャツの姿で凄まれても、エロいだけなのだが。この館ではお嬢様に対して邪な気持ちを抱くことは万死に値するため、スケベ根性を封印してフィヨルドは真顔でヒルデ嬢の応援に入る。
「おぉっ! ついに、面と向かって戦われるのですね。このフィヨルド、手足となりながら、全力で応援しております。国外に高飛びして、しばらく2人で高級ホテルを梯子しつつ、楽しく暮らしましょう」
国外に一緒に逃亡するなんて、客観的に見るとまるで駆け落ちのようだが。あいにくフィヨルドの脳内は雷撃に撃たれて以来、一般的な判断が出来ずにいた。
「そうと決まったら、もう一度この服を着なくてはいけないのだけれど。その、ブラジャーのホックが引っかかって、変な形になっているのよね。ねぇフィヨルド、あなた小さい頃『神聖ミカエル帝国知恵の輪大会』で、準優勝したことがあるんでしょう?」
「は、はぁ確かに。小学生の頃は、ちょっとした知恵の輪の達人と、呼ばれておりましたが。神聖ミカエル帝国に留学したきっかけも、知恵の輪ですし」
これは、もしかすると想像以上に。トラブルな展開がやって来ているのかも知れないと、フィヨルドは息を呑んだ。
「そう、ならお願い出来るわね。実はわたくし、今着ているブラジャーを自分で装着出来ないの。メイドはジークに誑かされて、スパイ化しているかも知れないわ。ブラの装着、お手伝いしてくださるかしら?」
「はっはいっ! 命懸けで、ヒルデ様のブラジャーの装着をお手伝いさせて頂きます!」
ヒルデが愛用している『童貞を殺す服シリーズ』は、シンプルながらもオートクチュール。髪飾り、シャツ、リボン、ワンピース、ブラジャーとショーツ、ガーターベルトまでがワンセットだ。今回のブラジャーは、フロントホックと呼ばれるタイプのもので、ブラの前部分にホックが付いている。
問題となっている引っかかりの部分は、ホックにつけられた『真珠付きリボン型の飾り』だった。お洒落に作り込みすぎたせいで、ホックがリボンを噛んでしまいなかなか外れないのだ。
ヒルデ嬢がクイーンサイズの天蓋付きベッドに座り、シャツの前ボタンを開いて問題のブラジャーをフィヨルドに見せる。それなりに大きく育ったおっぱいは、くっきりと谷間を寄せて作っていたが、噛んでしまったホックが玉の肌を傷つけかねない。
(これは、お嬢様の一大事だ。全身全霊をかけて、お嬢様のブラを元通りに装着しなくては)
フィヨルドが過去の準優勝者スキルを駆使して、集中力を高めつつホックに手を伸ばす。
プツンッ!
ぷるんっとした色白のおっぱいが、無防備な姿でフィヨルドの前に現れた。再びブラを装着するためにホックを留めようとするが、今度はなかなか留まらない。
「あっやだ、やっぱり男の人にブラの装着は難しいのかしら?」
「すっすみません。勝手が分からなくて、つい。しかも、前にホックがついているせいで、他人が綺麗にバストを収めながらホックを閉じるのは難しいかと」
「もうっ仕方がないわね。私が右側のホックを持つから、あなたは左側を担当して頂戴」
二人で協力しながらブラジャー装着作業をこなしていると、空気が読めないメイドがノックもせずにドアを開ける。
「お嬢様、ジーク様がお見舞いに…………?」
その瞬間、想定外の光景にメイド達は皆、頭が真っ白になった。
目の前に広がる光景は、ヒルデお嬢様がベッドに座り自らのおっぱい恥ずかしげに見せながら、フィヨルドが愛しそうに顔を近づけているというもの。頬を赤らめつつも、何かを期待している二人のイチャイチャぶりは、誰がどう見ても恋人同士の仕草だ。
「フィヨルド、早くして。あぁっくすぐったいわ。あまり強くしないで」
「あっお嬢様、もうすぐですので。んっごめんなさい、初めてで上手くできなくて」
「諦めないでよ、フィヨルド。ジークのことを完全に断るには、この難局を乗り越えなくてはいけないの。ねぇ早く……あっ」
真実は、ただ単に知恵の輪の達人であるフィヨルドに、どうにかしてブラジャーの前ホックをうまく留めて欲しいだけなのだが。装着のために、どうしても密接にならなくてはいけないため、男女のアレコレに見えてしまう。
しかも集中していて、二人ともメイド達が部屋に入ってきたことすら気づかない模様。
「あっお取り込み中ですかっっ。ごっごめんなさいっっ」
「も、申し訳ありませんでしたっ」
あわやジークが部屋の様子に気づく前に、バタンッ! と再びメイドがドアを閉めた。ゼーハーと息を切らして、ドアを背中で守る。
「お嬢様、ジーク様のことを嫌がっていたのは。実のところ、フィヨルドと恋仲だったからなのですね。それならそうと、おっしゃってくれれば良いのに」
「いや、フィヨルドは初めてだって言ってたし。二人が、いつからそういう関係なのかは。ジーク様とご結婚される前に、せめて想いを遂げようとしているのでは?」
「フィヨルドといえば、身分を隠しているだけで実は『自然溢れる小国の第4王子』というもっぱらの噂。もしかすると我々は、『悪役令嬢が婚約破棄して、よその国の王子と逃亡するシナリオ』に立ち会っているっ? こっこれはもしや、大変なことにっ?」
動揺しまくるメイド達をよそに、イケメンオーラを放ちながらジークがヒルデの自室に向かってくる。仕切りに自分の前髪を整えているところを見ると、ジークなりに身支度をし直している間に時間がかかったようだ。
「んっ? ヒルデの部屋には、まだ入ることが出来ないのかな?」
「きっ着替えに、手間取っておりまして。もうしばらくお待ち下さい」
ここでヒルデ嬢とフィヨルドがアレコレしている現場に、ジークが立ち会えば、痴情のもつれで殺人事件が展開されるかも知れない。必死に時間を稼ごうと、ジークをもてなして誤魔化すメイド。
「へぇ……手間のかかる『着替え』ね。一体、誰が『着替え』を手伝っているのやら」
勘が良いのか、意味慎重なセリフとともにジークの青い目がギラリと光った。
古今東西、波乱というのは意外なところから、展開するのである。