第05話 稀代の美青年、襲来
「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様」
「ヒルデお嬢様のご婚約決定、おめでとうございます!」
広すぎる自宅の正門を車で抜けて、玄関の前で停車。ホテルのラウンジのように広い内玄関ではすでに、ルキアブルグ家当主とご令嬢の帰りを迎える為に、メイドや執事がズラリと並んで整列していた。
「やはり今宵は盛大に、婚約祝いのパーティーを開くべきでしょうか? 我々メイドも全身全霊をかけて、全力でお祝いするつもりです」
普段なら、ここまで使用人が勢揃いで出迎えることなど無い。おそらく、次期国王候補のジークとの婚約が決定したことを、『全力でお祝いする』スタンバイなのだろう。
だが、本日の宴の主人公となるはずのヒルデ嬢は、車から降りるなり青ざめた顔でフラフラと室内へと急ぐばかり。相変わらず風がぴゅうぴゅうと強く、内玄関とはいえよく寒い出入り口で整列なんかして待っていたと、ヒルデは内心驚いていた。
それだけ、次期国王候補ジークとの婚約決定は、ルキアブルグ家にとって大事なことなのだろう。
(ここで使用人達に同情して、お祝いパーティーなんか行った日には、この先永遠にジーク率いるハーレム軍団と仲良くしなきゃならない)
そう考えただけで、ヒルデは胸がグッと苦しくなり、この場はクールに乗り切ることにした。
「わたくし、今日はとてもじゃないけど、パーティーメニューは頂けませんわ。せっかく準備に入っていたのに、ごめんなさいね。部屋に戻って、もう休むから。悪いけど、今日の夕飯は胃に優しいものを部屋まで運んで頂戴」
「えぇっ? ヒルデお嬢様、お体の具合が悪いのですかっ。顔色があまりよろしくないようで、あぁっお嬢様っ!」
迷惑なパーティーの内容そのものには極力触れないようにして、ヒルデ嬢は用件だけ告げると、その後は無言でスタスタと自室へと戻ってしまった。その焦燥し切った様子は、誰から見ても喜んでいるものには見えなかった。
「うむ。皆の者、大勢での出迎えご苦労だったな。ヒルデはああ見えてもナイーブなのだ。放っておいてやってくれ。せっかく、ジークどのと婚約が決まって一安心出来ると思いきや。まさか、ヒルデがあんなにジークどののハーレム要員、ゲフっ。側室候補達のことで悩んでいたとは」
おめでたいムードを壊してしまった愛娘を、見て見ないフリしつつ。ルキアブルグ公爵も、やんわりと小宵の宴を断ることにした。
「そうだったんですか、お嬢様が。例のハーレムメンバー、いえ側室候補の事で心を痛められて」
「ワシとしては、娘を幸せにしてやりたかった。せめてこういう時、母親が側にいてくれたら心強いのだが。息子も寄宿舎暮らしで、家にいないし。ヒルデの長年の親友は、残念ながら事故で記憶喪失になっているしな。フィヨルド君は……いや、今は何もいうまい。本来なら、ワシがなんとかしなくてはいけないのだが」
しばし無言で、来客向けのソファに座り込み苦悩の表情になるルキアブルグ公爵。さすがにメイドも、あまり苦悩されると不安になってしまう。
「当主様……」
「そうだな、このままではヒルデは本当に倒れてしまう。元老院に行って、婚約延期の方法を相談するか」
「はっはい! すぐにお出掛けになられるのですね。準備しますので」
これといった解決方法が見つからないのか、ルキアブルグ公爵は神殿とは別組織にあたる『元老院』で、今回の件を相談するつもりのようだ。時の権力者となるやも知れぬ、ジークとの結婚が重すぎて病になったとなれば。もしかすると今回の婚約は、延期となるかも知れない。
ヒルデ嬢の母親は、数年前に流行り病で他界している。ルキアブルグ公爵は、亡くなった妻のことが忘れられず再婚しなかったため、ヒルデは母のいない娘として思春期を過ごした。
過去には親友と呼べる女友達が存在していたが、ヒルデと待ち合わせの最中に事故に遭い記憶喪失となった。不幸を呼ぶ令嬢と噂されたヒルデは女子校を辞めて、家庭教師と自宅学習で高校卒業の資格を取得する予定だ。
使用人達は急いで元老院へと出かけた当主を見送ったのち、ヒルデ嬢の周辺に起きた暗い過去を、思い出してしまう。
「うぅ。ヒルデお嬢様はお優しい方なのに、様々な不幸が重なって今では孤独に生きておられます。流行り病で亡くなられた奥方様、事故に遭われ記憶を失くされた親友のご令嬢、ジーク様の取り巻き女性からの嫌がらせ。様々な心の傷が、あのお方を追い詰めているのですわ」
「我々も、使用人として歩み寄っていたつもりだったけど。知らず知らずに、望まぬ結婚を強制していただけだったんだわ。使用人の若い男の中にはお嬢様に想いを寄せる者もいるけど、流石に身分が違うし。唯一釣り合いそうな下宿人のフィヨルドさんは、雷撃に頭を打たれてからちょっと変だし。何より、ご神託がすべてなのよね、この国」
「お坊ちゃんも、寄宿舎へ行き相談出来るような状態じゃないですし。お嬢様に、恋焦がれていたお坊ちゃんのご友人も、同じく寄宿舎暮らしですしね」
本来ならば、この家には長男、つまりヒルデの弟も一緒に暮らしていたはずだが、今はその弟も寄宿舎暮らし。名門公爵家とはいえ、神聖ミカエル帝国は教育に力を入れている国だ。
女子であれば嫁入りのみが将来の進路だが、男子ともなれば話は別。男子の場合、冒険者にも軍人にもならないのであれば、学問を究めなくてはならず寄宿舎で徹底教育を施される。昔はお屋敷に遊びに来ていたお坊ちゃんの友人も、同様に皆寄宿舎から出られない。
気がつくとヒルデの側には、幼馴染みのジークだけが残った。辛うじて生き延びたフィヨルドは、不幸なことに頭に雷を宿してしまった。
ヒルデが、他の男とそういう仲にならないように。いや、正確にはなれないように、神自ら促しているかのようだった。
『ヒルデ、あなたにはジークしかいないんだよ』
まるで、神がそう決めたかの如く、ヒルデはジーク以外の人間との交流が絶たれ続けた。
ピンポーン、ピンポーン!
そして追い討ちをかけるように、来訪者を知らせるベルが鳴る。メイドの一人が、監視カメラに映る来訪者の姿を確認すると、稀代の美青年ジークの姿が映っていた。