第09話 恋煩いは熱を帯びて
「んっ……ジーク、わたくしもう。あっ」
「はぁ……ヒルデ」
ジークからもたらされた突然の口付けは、甘く切ない感触で生娘のヒルデを蕩けさせるには充分な刺激だった。頬をほんのりと赤く染めてぽうっとした表情でジークを見つめるヒルデは、仮病ではなく実際に熱に浮かされているようだった。
そっと唇を離してジークはふと、違和感を覚える。てっきり、惚れている女と口付けたから、熱に浮かされたような温かさがあるのだと思い込んでいたが。
「なんだかわたくし、頭がぼんやりとしますわ。身体が、おも、く……」
「っヒルデ? うっおでこが熱い、もしかしてお前本当に熱があるのかっ。しかも、高熱じゃないかっ」
「うぅ。熱いんだか、寒いんだか、訳がわかりませんわ。ジーク、助けて」
そのまま、ぐでんと倒れ込むヒルデはまさに病人そのもので、ジークはどうして皆頭からヒルデを仮病扱いしてしまったのだと悔いる。おそらくジーク以外のメイドや使用人フィヨルドも、ほぼ全ての人がヒルデの具合が悪いというセリフを真に受けていなかった。
よくよく考えてみると、自分で着替えができないくらい、頭がぼんやりとしていたわけだし。何かしらの病にかかっていたと考えた方が、無難だろう。
「大丈夫か、取り敢えず寝心地の良い格好に着替えさせないと。悪いがタンスから寝巻きを取り出すぞ、よっと」
ヒルデの部屋に並んだ白いタンスの中には、ジークがデザインした洋服が丁寧に畳まれてしまわれていた。我儘なお嬢様キャラのヒルデだが、意外と物は大事にするタイプで、お気に入りの洋服は何度でも着たいタイプの人だ。
(ヒルデ。デザイナーの正体を知らなかったとはいえ、僕がデザインした服をこんなに大事にしてくれて)
覆面デザイナーという裏方的なポジションゆえ、自分のデザインした服に対する感想はあまり貰えないが、今日は意外な収穫があった。これからも、ヒルデに自分がデザインした服をたくさん着てもらうためにも、まずは身体を治して貰うことに。
「うーん、頭が痛い。それにだるいですわ」
「このパジャマに着替えて、早く横になるんだ。風邪なら、暖まらないと」
タンスにはセクシー系のネグリジェもあったが、今回は通気性の良さそうなパジャマを選ぶ。シャツやブラを脱がせて素早く着替えさせて、天蓋付きのベッドに寝かしつける。
内部電話を使用して、メイドや使用人を呼び出し、かなりの熱があることを伝えると慌ててメイドやフィヨルドが部屋に戻ってきた。
「あぁっ! 私達はなんて馬鹿なのでしょう。お嬢様は、本当に具合が悪かったのですね。どうして早くお医者様を呼ばなかったのかしら?」
「ごめんなさい、ヒルデ嬢。自分で着替えが出来ないなんて、よく考えてみたらもの凄い体調不良じゃないかっ。もうすぐ、近所のお医者様が到着しますからっ」
一旦は険悪なムードになったジークとフィヨルドだが、想い人が病に倒れたとあっては一時休戦である。協力しあって、水で冷やしたタオルをおでこに乗せたり、体温計で熱を測ったりと、看病に徹し始めた。
「うーん。ジーク、フィヨルド、メイドのみんな元気かな。ヒルデは絶不調だみょっ。みんなの声が聞こえる。うふふお花畑が綺麗、あっお母様久しぶり。ヒルデはもうすぐ、そちらに行きますわ」
普段は使わないような萌え系の言葉遣いで呟きながら、夢の中ではお花畑で亡くなったはずのお母様と再開しているヒルデ。これはもう本格的に不味いかもしれないと、一同不安になっていたところで、お医者様が現れた。
* * *
「失礼します、こちらのお嬢さんが病に倒れられたと聞いたのですが。ふむ……人間のお嬢さんの診察はあまりしないのですが、頑張ってみてみましょう」
「こちらです。一応、我々でできる限りのことをしたのですが」
お医者様は青白い肌と長い耳でどこからどうみても魔族だったが、祝日の今日に診察を行っているのは魔族系の病院のみ。無理を言って、種族を越えて診にきてもらったのだ。
ベッドの横に丸椅子を用意して座ってもらい、細かく診察してもらう。平常時はあまり仲が良くないはずの魔族医師が、急患に快く診察を引き受けてくれたことに若干胸が熱くなる一同。
「分かりましたぞ、このお嬢さんの病名。ずばりっ恋煩いですな。しかも、かなり重度の恋煩いと見た」
「こ、恋煩い……ですか?」
「えっとぉ。そんなことがあるのでしょうか?」
確か2時間ほど前にジークは客間で、『ヒルデが恋煩いで死んだら、どうするんだ』と言っていた気がする。ジーク本人もメイドも、そのアホっぽい会話をよく覚えているが、まさか本当に恋煩いだなんて。そんなことがあるのだろうか、と一同疑い始めた。
「あるんですよ、それが。人間は恋煩いでも呪いでも一括りに『風邪』という病名で済ませますが。我々魔族の医師は、原因を魔力的に調べることが出来るんです。このお嬢さんは、今激しい恋煩いに悩んでいるっ。しかも、三角関係と見たっ!」
「さ、三角関係……ですか?」
「ええ。私の魔力診察によると、本来結ばれるはずだった運命の赤い糸の男性とは上手くフラグが立たず。仮の婚約者との間に本当にフラグが立ってしまい、心も運命も追いついていない状態なのです」
運命の赤い糸の男性はフィヨルド、仮の婚約者がジークであるのだが、本来のお告げを改変してジークが婚約者として選ばれたことは、ジーク以外知らない話だ。魔族医師の的確な判断は、隠し事のあるジークの心を揺さぶった。
(どうしよう。この魔族のお医者さん、僕が偽の婚約者だって気づいているのかな。いや、でもヒルデは僕のことを想って恋煩いにかかっているんだ。結局、結ばれるのは僕だろう)
「それで、この恋煩いを治す方法はあるのでしょうか」
「ええ。本物の運命の赤い糸の男性が熱いキッスと口移しで、このお薬を飲ませるんです。そうすれば、翌日あたりにはすっかり治っていますよ。ええと、ここには若い男性が2人おられますが。運命の方は……はて? おかしいですなぁ」
魔族医師がジークとフィヨルドを交互に見比べて、首を傾げる。どちらが運命の赤い糸の男性か、見極めようとしているみたいだが。
どうやらどちらが本命か、分からなくなっているようだ。
(まずい、このままでは僕が御神籤の内容を改変してもらったことが、バレるかもしれない。どうにかして、誤魔化さないと。でも可愛いヒルデがこのまま酷くなっても困るし、どうすれば……?)
すると、動揺するジークを無視して、フィヨルドが何かを医師に伝えようと苦悩し始めた。
「あっあの。本当は、言ってはいけない話だったんですけど。オレ、実は……!」
果たして、フィヨルドの秘密とは一体何だろうか。そして、恋煩いに倒れたヒルデの運命は?
――恋の病が3人の運命を大きく変えようとは、この時はだれも気付いていなかった。




