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化け神さん家のお嫁ごはん  作者: 忍丸
夜ごはん
27/36

涙と後悔と旦那様

 鮮やか過ぎた季節が通り過ぎていくと、世界は途端に色を失っていく。



 自身を飾り立てていた葉を落とした木々は、寒々しい風の中に、細く頼りない枝を晒している。先日まで庭を彩っていた山茶花も、霜に当たって花を散らしてしまった。その代わりと言わんばかりに牡丹が紅色の花をつけて、くすんでしまった庭に、僅かばかりの華やかさを添えていた。



 空からは、ちらちらと白い欠片が舞い降り始め、厚めの綿が入った半纏が恋しくなると、季節が移り変わったのだとしみじみと実感する。



 冬。冬だ。マヨイガに冬が来た。



 霧で烟る異界の家にも、寒々しい季節がとうとう訪れたのである。



 私は、障子戸をうっすら開けて外を眺めると、ため息と共に閉じた。

 ここに来てから、すでに三つの季節を超えてきた。この場所で、朧の嫁として過ごすのもあと僅か――。



 すっかり着慣れてしまった和服を見下ろす。この季節にぴったりの、南天柄の帯を指でなぞり、またため息を零した。そしてゆっくりと顔を上げると、室内に視線を戻す。そこでは、化け物姿に戻った夫が滾々と眠り続けていた。



「朧……」



 そっと、黒い毛並みに触れる。

 艶やかでありながら、やや癖があるその毛は、冬の冷気に当てられてひんやりとしている。一瞬、どきりとして、急いで毛の奥深くに手を挿し入れると、そこにぬくもりを見つけて、ホッと胸を撫で下ろした。



 私は、着物が乱れるのも厭わず、彼の豊かな体毛に体を埋めると、まるでお気に入りのぬいぐるみを抱く子どもみたいに、顔を擦り付けた。





 ――秋の終わりの頃。朧は変調をきたした。



 おやきを作ったあの日。一旦席を外して、凛太郎と櫻子を迎えに行った私は、ふたりと合流した途端、大きな揺れを感じた。



「ひえええっ!」

「真宵ちゃん、頭を低くして!」

「こっちです。中庭に!」



 急いで屋敷から出ると、不思議と地面はちっとも揺れていなかった。けれども、屋敷は震え、瓦は落ち、柱にはヒビが入っている。どういうことなのかと唖然としていると、神使二人が青ざめたのがわかった。



「……朧様!」



 悲鳴のような声を上げて、走り出した凛太郎の後を追う。嫌な予感がする。私は必死に駆けた。朧は台所にいるはずだ!



 そして、ようやく到着した先――そこには、人形を失い、巨大な化け物姿となって、息も絶え絶えに横たわっている朧がいた。



「朧……⁉」

「お、朧様!」



 慌てて揺さぶって見ても、その巨体はピクリともしない。頭が真っ白になって混乱する。ついさっきまで、おやきの味に感動して私を抱きしめていたのに、これは一体どういうことなのだろう。



 その場所には、獣頭の神もいた。かの神に、どういうことなのかと問いただしたが、詳しいことは教えてくれなかった。けれども、ただ一言――こう言った。



「この現状を招いたのは朧自身であり、そして嫁殿、お前のせいでもある」



 それだけ言い残し、獣頭の神はどこかへと去ってしまった。

 意味がわからない。残された私は、呆然と立ち尽くすしかなかった。



「朧様を、寝室に」

「そうだね」



 そんな私を他所に、神使ふたりは冷静に朧を運ぶ算段を立て始め、面布衆を呼び集めた。この状況で、どうして落ち着いていられるのか理解できずに、ふたりに声をかけようとして――やめた。凛太郎も櫻子も、顔がとても強張っていて、どこか諦めが籠もっているように見えたからだ。



「朧様を、早く温かい部屋へ」



 凛太郎が音頭を取り、朧の巨大な体を、難儀しながらも寝室に運び込む。しかし、先ほどの揺れで屋敷は随分と荒れてしまっていて、開くはずの扉が開かなかったり、崩れた屋根のせいで廊下が埋まっていたりと、かなりの時間を要した。ようやく寝室に朧を運び込んだ時には、みんな心から疲れ切っているように見えた。



――その時だ。



「奥方様」



 集められた面布衆たちが、私に向かって一斉に頭を下げた。そして、その中のひとりが前に進み出ると言った。



「朧様の負担を軽減するため、必要最低限を残し、私どもは形代へと戻ります。奥方様にはご不便をおかけいたしますが、何卒ご容赦くださいませ」

「え?」

「屋敷も、縮小いたします。客間棟は消滅させ、母屋のみを残します。普段の生活には、然程問題はないでしょう」

「……待って。どういうこと⁉」



 私が動揺していると、面布衆のその人は、いつもと変わらない優しい声で言った。



「すべては旦那様の思し召し。奥方様、またお会いできることを祈っております」



 そして、全員で頭を下げると――ふっと、姿を消してしまった。

 ――はらり。そこに残されたのは、人の形に切り取られた白い紙。それが、いくつもいくつも宙に舞って、まるで雪のように畳に降り積もった。



「あ……」



 私は息をするのも忘れて、その様子を見つめていた。大勢が一瞬にして姿を消すと、途端に周囲に満ちていた気配が薄くなり、言い知れない孤独感を感じて身を竦める。そしてあることに思い至ると、ハッとして勢いよく神使のふたりを見た。すると、凛太郎はやれやれと肩を竦めて言った。



「僕たちは消えませんよ。朧様に作られたものではありませんからね」

「そ、そっか……」



 ――ここに、ひとりで取り残されるのかと思った。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、凛太郎はジロリと私を睨みつけて言った。



「一体、どういうことなんですか。何故、嫁取りをしたはずの朧様の力が、これほどまで弱っているのです」

「わ、私に聞かれても」



 凛太郎の、あまりの剣幕にたじろぐ。すると、凛太郎は苛立ちを隠そうともせず、チッと舌打ちをすると、私に向かって言った。



「人と神が交わる時、新しい力が生まれます。子を成せば、更にその存在は盤石のものになる。信者がいない朧様が、これからも生きるために必要なのが嫁取りです。今まで何度も進言していたというのに、朧様はなかなか嫁取りをしようとしなかった。けれども、やっとキミを迎え入れる決意をしてくださった。この世界に……自分に心を寄せてくれない人間に絶望していた朧様が、ようやく生きる道を選んでくれた。そう思っていたのに」



 凛太郎の言葉を聞きながら、ふと視線を彼の手に止める。

 その手は、硬く握り締められているせいで白くなってしまっていた。更には、指の間から、ポタポタと赤い雫が溢れ落ちているではないか。



「り、凛太郎。手……!」



思わず声を上げると、凛太郎は忌々しげに自身の手を見ると、自嘲気味に笑った。



「朧様の味わっている苦しみに比べたら、こんなもの」



そして、改めて私に厳しい視線を向けると、こう言い残して去って行った。



「朧様と夫婦の契りを交わすつもりがないのであれば、一刻も早くここを立ち去りなさい。キミからすれば恐ろしい化け物であっても、僕たちからすればかけがえのない、尊い方なのです。……これ以上、朧様の御心を乱すな。人間‼︎」



 私は強く唇を噛みしめると、去って行く凛太郎の背中に叫ばずにはいられなかった。



「知らなかったの。私、そんなこと知らなかった‼」



 すると、凛太郎はくるりとこちらに振り返ると――黒縁眼鏡の奥に、冷え切った眼差しを湛えて言った。



「ならばそれは、キミが朧様の本当の妻でなかった証拠ですよ」



 そして再び、どこかへ去って行った。遠ざかる足音を聞きながら、へたりとその場に座り込む。すると、私の隣に櫻子がやってきた。櫻子は、私の隣にくっつくようにして座ると、膝を抱えこんで言った。



「凛太郎ちゃんね、化け神さまが本当に、本当に、好きで大切なんだよ。だから、ああいう言い方なんだ。ごめんね~」



 そう口にした櫻子は、どこか寂しげな表情をしている。



「知ってる? 神使って、動物の中でもエリート中のエリートなんだよ。凛太郎ちゃんはね、神使を目指す狐たちの中でも、特に優秀だったの。その癖、他の人とは上手に付き合えないタイプでね〜。人と神を繋ぐのが、神使のお仕事でしょ? だから、そんな凛太郎ちゃんは神使失格だって、どこの神様にも拾って貰えなかった。でも、化け神さまは違った。凛太郎ちゃん自身を見てくれた」



 櫻子は私に寄りかかると、ぽつりと言った。



「すごいよね〜。幼馴染のあたしにしかわからなかった、凛太郎ちゃんの本質を見抜いたの。しかも、自分の神使にって受け入れてくれた。それ以来、凛太郎ちゃんは化け神さまに夢中。後を着いて来た、あたしのことなんて眼中にないくらいにね〜」



 私はじっと隣の櫻子を見つめると、ぽつりと零した。



「櫻子ちゃんは、凛太郎が好きなんだね」



 すると、櫻子はパチパチと目を瞬くと、可愛らしい笑みを浮かべた。



「うん、そう〜。昔からずっと片想い。口も性格も悪いけど、大好き」

「それって褒めてる?」

「褒めてるよ〜。滅茶苦茶褒めてる」

すると突然、笑っていた櫻子が、私をじっと見つめて言った。

「真宵ちゃんも、化け神さまのこと好きでしょ」

「ブッ‼︎」



 思わず噴き出して、慌てて朧の様子を窺う。その大きな体は、呼吸に合わせてゆっくりと上下を繰り返しているだけで、特に反応はなかった。聞かれていなかったことに安堵の息を漏らし、非難めいた視線を櫻子に送る。すると彼女は、タレ目がちな瞳を細めて、ニヤニヤ笑いながら言った。



「睨まれてもなあ。見てたら、バレバレだよ?」

「そ、そうなの?」

「そうだよ。視線とか仕草とかが、大好きーって言ってた。最近は常に」

「つ、常に……⁉」



 あまりのことに、顔が熱くなって汗が噴き出してくる。朧を意識すると、心臓が早鐘を打ち始めるのを感じて、思わず眉を顰めた。



 ――ああ。やっぱり、そうなのか。



「……私、朧のこと好きなんだね」

「他人事みたいに言うね~?」

「だって、よくわからなかったから」



 私は苦い笑みを零すと、両膝の間に顔を埋めた。



『自分は、朧をどう思っているのか?』



 それは、ここ最近の私の悩みだった。



 朧を見ると、嬉しくなる。朧が話しかけてくれると、心が浮き立つ。朧に美味しいと言って貰えるなら、いくらでも料理に手間暇をかけられる。家庭菜園で、上手に野菜が育ったら、朧に見せようと思う。朝起きると、一番に考えるのは朧のことだ。



 こんなの、考えなくてもわかる。

 今までは、わかっていないふりをしていただけ。

 私は――化け物みたいな神様に恋をしている。



「人じゃないのに」



 ぽつりと呟くと、櫻子がクスクスと笑った。



「そんなの、関係あるかな~? 好きになることって理屈じゃないと思う。凛太郎ちゃんよりも素敵な人をたくさん知ってるけど、私が誰よりも好きなのは、凛太郎ちゃんだもん」

「…………もう一回聞くけど、それって褒めてる?」

「褒めてる。凛太郎ちゃんは、あたしにとって最高の雄だよ」

「雄……」

「あたし、これでも狸だからね」



 私たちはじっと見つめ合うと、小さく噴き出した。

 そして、寝室で身じろぎひとつせずに眠っている朧を見つめながら言った。



「恋は理屈じゃないんだね」

「うん」

「そっか」



 私は自分の手を見つめると、ギュッと強く握りしめた。そして、呼吸はしているものの、なんの反応も返さない朧を眺めて、ぽつりと零した。



「……朧、このままだとどうなっちゃうのかなあ」

「……」

「死んじゃうのかな。……私の、せいだよね」

それを口にした瞬間、唇が震えた。みるみるうちに視界が滲んでいって、溢れたものがぽつりぽつりと落ちていき、私を濡らしていく。

「私、好きな人にとんでもないことをしちゃった……」

「真宵ちゃん……」

「どうしよう。櫻子ちゃん」



 慰めるように、櫻子が肩を抱いてくれた。

 私は彼女に寄りかかると、ポツポツと話し始めた。



「初めは、ちゃんとやっていけるかなって、不安だった。借金を肩代わりして貰うんだから、ちゃんと奥さんしようって頑張ってきたつもりだよ。でも、私は肝心なことをしてこなかったんだ」

「肝心なこと?」



 首を傾げた櫻子に私は頷くと、あの初夜のことを語り始めた。



「あの日、朧は私に言った。こんなおぞましい化け物の傍に置いておくのは可哀想だって。だから、一年経ったら帰してやろうって」

「一年……。朧様が、それを言ったんだね」

「うん」



 あの時の私は、得体の知れない自分の夫が恐ろしくて、正常な思考なんてちっともできなかった。けれども、冷静になった後も、私はその言葉に甘え続けた。

 彼の真意だって、一度尋ねてみただけで、知ろうとすることをやめてしまった。

 優しくしてくれるみんなに甘えて、自分がここにいる理由を考えることをしなかった。たった一年間だけだからと、安心しきっていた。その後のことなんて、ちっとも考えてなかった。



「あっちに戻ったら、両親の店を再開しようって。そんなことばっかり考えてた。自分の足もとを見ないで、ふわふわと少し先の未来のことばかり考えてた」



 ――もっと早く、朧が嫁を必要とした理由を知っていれば、最悪の状況だけは避けられたかもしれないのに。私は、一体なにをしていたんだろう。



「『夫婦』って関係から、ずっと目を逸らしてきたの。せっかく、朧が手を差し伸べてくれていたのに」

「真宵ちゃんだけが悪いわけじゃないよ。化け神さんだってなにも言わなかったんでしょ。お互い様じゃない?」

「でも、きちんと考えるべきだった! 私たちは、期間限定だったとしても、ちゃんと夫婦だったんだから」



 私は、櫻子にしがみつくと、震える声で言った。



「凛太郎の言うとおりだよ。私は……本当の意味での奥さんじゃなかったんだ。私がちゃんと向き合っていたら、朧は事情を話してくれていたかもしれない。自分の気持ちに早く気づいて、朧に伝えていたら……こんなことには、ならなかったかもしれないのに‼」

「自分ばっかり責めちゃ駄目」

「でも。でも……ッ! 好きな人を、こんな風にしたのは私なんだよ‼ 私が、もう少し上手く立ち回れていたら……」



 ――胸が痛い。

 後悔ばかりが募り、喉の奥がひりつき、頭が混乱して……自分が、どうしようもなく愚かに思えて仕方がない。化け物なのに、誰よりも優しい朧。朧は、自分の命がすり減っていくのを感じながら、私のことをどう思っていたんだろう。



 私は、胸の奥から溢れてくる気持ちを抑えることができずに、櫻子に吐露した。



「櫻子ちゃん、朧が好きなの。一年経てばいなくなるのに、優しくしてくれた朧が好き。いつだって、私のことを一番に考えてくれた朧が好き。人形じゃない時は、確かに恐ろしく感じる時もあるよ。でも、私を怖がらせないようにって、いつも気遣ってくれてた朧が好き。好きなんだ。好き……」



 あの、温かい赤色を宿した瞳の色が恋しくて堪らない。



 一見すると恐ろしく思える瞳の、底の部分にある温かさを感じたい。



 朧に触れて欲しい。朧と話したい。朧に――……私の気持ちを伝えたい。



「私、どうすればいいの……⁉」



 こんな状況になっても、なすべきことすらわからない自分を情けなく思いながら、櫻子に尋ねる。本来なら、他人任せにはしたくない。けれども朧の眷属である櫻子であれば、なにか方法を知っているのではないか、そう思ったのだ。



 しかし、櫻子はゆっくりと首を振ると、「あたしにもわからない」と答えた。



「……そんな」



 がっくりと項垂れる。そして、畳に視線を落とした。

 すると、そんな私の顔を覗き込みながら櫻子が言った。



「――きっと、凛太郎ちゃんや、獣頭の神さまがなんとかしてくれる。それを信じて待とう。悩んだり、苦しかったりしたら、あたしがいくらでも話を聞くよ。だから、今は休もう? 真宵ちゃん、疲れてるみたい」

「うん……」



 櫻子の申し出に、私はふらりと立ち上がると、滾々と眠り続ける朧に近寄って行った。そして、その体に抱きつくと、そのまま瞼を閉じた。



「……後で、ごはん持ってくるね。ここに、真宵ちゃんのお布団を敷くよ。その方がいいよね」



 櫻子は静かな口調でそう言うと、部屋を出て行った。私は、襖が閉まる音を聞きながら、ひたすら後悔の涙を零していた。


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