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化け神さん家のお嫁ごはん  作者: 忍丸
いただきます
2/36

そして私はあの人に出会った

 近所の誰かが、線香でも上げに来たのかと、重い体を無理矢理動かす。ぼんやりしていたせいだろう、来客が誰なのかも確かめずにドアを開いた。



「こんばんは」



 ドアの外にいたのは、なんとも怪しげな青年だった。別に恰好が怪しいというわけではない。身に纏っているのは、ごくごく普通の喪服だ。



 明るめの茶髪で、男性にしては珍しく、襟足だけを伸ばして紅い紐で括っている。黒縁の眼鏡をかけていて、やたらと目が細く、まるで糸のようだ。



「この度は、ご愁傷様です」



 怪しく思えたのは、お悔やみを言ったその青年が、微笑みを浮かべていたからだ。しかも、眼鏡の奥の瞳が笑っていない。



 青年は、私を値踏みするような目つきで繁々と見ている。初対面のはずなのに、なぜだか態度にトゲトゲしさを感じて、思わず身構えた。



 すると青年は、ニコリと、どこか胡散臭い笑みを顔に貼り付けて言った。



「生前、ご両親とは親しくさせていただいておりました。お線香を上げてもよろしいですか?」

「……は、はあ。どうぞ」



 そう言われては断るわけにもいかず、戸惑いながらも家に上げる。ドアを閉めようとして――思わず、目を見張った。



 外に霧が出始めている。空は晴れ渡り、美しい夕日が顔を覗かせているというのに、これは一体どういうことなのか。



 薄ら寒いものを感じて、青年の背を見つめる。

 すると、その人はこちらを振り向くと、にんまりと不思議な笑みを浮かべた。



「お邪魔します」






 仏壇に線香を上げ、手を合わせていた青年は、おもむろに顔を上げて言った。



「近々会う予定でしたので、この度のことは本当に驚きました」

「そうなんですか……」

「ええ、そうなんですよ」



 そして、持参した鞄からあるものを取り出すと、「こちら、お返ししますね」と、私に差し出した。



 それは一枚の書類だった。おずおずと手を伸ばして、内容を確認する。すると、そこに並んでいた文字の意味を理解した途端、堪らず固まってしまった。



『身上書 氏名 高杉真宵――』



「……ええ?」



「身上書」とは、縁談で使われる履歴書のようなものだ。西日本では「釣書」とも言ったりする。中身を確認すると、本籍から、家族構成、趣味、学歴まで、見合い相手に、「私」がどういう人間かを伝えるため、色々と事細かく書かれていた。意味どおりの「身上書」に間違いないようだ。



「ご両親はね、生前、キミの縁談を考えていたんですよ」

「嘘ですよね⁉ 私、一切聞いてませんけど……」

「ええ、本人には内緒で進めていらっしゃったようでした。なにせ、事情が事情ですからね」



 困惑している私に、青年はその「お見合い」について話し始めた。



 相手は、どこぞの資産家の男性。その人は、健やかで若い嫁を捜していたらしい。そこで、なんの因果か私に白羽の矢が立った。



 男性側が縁談を持ちかけてきたが、初めは両親も断っていたそうだ。しかし、「破格の条件」を提示され、迷った挙げ句に「見合いをしてみるだけなら」と、引き受けることにしたらしい。



「破格の条件とはなんですか……?」

「もし、縁談が成立したら、借金を全額肩代わりするというものです」



 目眩がしてきて、思わず額を押さえる。



 ――本当に? あの優しい両親が、まるで身売りのようなことを?



 すると、苦悩している私に、青年はさも楽しげに言った。



「ご安心ください。もちろん、ご本人が嫌がれば無理強いはしないとおっしゃっていました。優しいご両親ですねぇ」

「そういう問題じゃなくてですね……」



 ニコニコと私を見つめている青年を思わず睨みつける。

 ――はあ、とため息を零して、両親の遺影に視線を向けた。



 とても夫婦仲が良かった両親。娘の私から見ても、恥ずかしく思えるほど仲睦まじかった。いつか父のような人と結婚して、母のように、愛する人と手と手を取り合って人生を過ごしたい。そう思っていたのに、見合いだなんて……。



 すると、黙ってしまった私に、青年は言った。



「ま、ご両親が亡くなってしまった今、この縁談も流れてしまいましたがね」



 そして、おもむろに立ち上がると、さっさと玄関に向かった。



 ……なんだ。



 ホッと胸を撫で下ろす。しかし、同時にある考えが脳裏を掠めた。



 ――これは、私に残された最後のチャンスなのではないか?



 両親が亡くなって以来、ずっと沈んでいた心が浮上してきた感覚がする。  


 元々、ウジウジと塞ぎ込むタイプではないのだ。幼い頃から、同性の子よりも男の子の友だちと一緒に、秘密基地で遊ぶのに夢中だったくらいには、アクティブなタイプだった。己の無力さをただ嘆いているよりかは、なにかしら行動を起こしたい。



 ――状況を打破するためには、この機会を逃す手はない!



「待って‼」



 私は急いで青年の後を追うと、その背中に声をかけた。



「その約束、まだ生きていますか⁉」



 すると、玄関で靴を履いていた青年は、ゆっくりと振り返った。そして、不思議そうに首を傾げた。



「約束、とは?」

「もちろん、縁談が成立したら借金を肩代わりしてくれるという約束です!」

「なるほど、なるほど。それですか。ああ、そうですね――」



 青年は、少しだけ考え込むような仕草をすると、とても嬉しそうに笑った。



「ええ。問題ありませんよ」



 青年は、几帳面そうに喪服に寄った皺を手で伸ばした。そして、胸に手を当てて、またあの胡散臭い笑みを顔に貼り付けて言った。



「おや。もしや、この縁談――いや、婚姻(・・)を引き受けてくれるのですか?」



 ……ああ、この質問への答えが、私の人生の岐路だ。



 私は、ごくりと唾を飲み込むと、恐る恐る頷いた。



「このままじゃ、実家もなにもかも手放さなければならないんです。それは、絶対に避けたい。もし、その人が私を望んでいるのなら」



 その瞬間、もしも相手が脂下がった親父だったら、なんて嫌な妄想が頭を過って言葉が詰まる。しかし、すぐに頭を振ってその考えを振り払った。



「私を……お嫁さんにしてください」



 すると、青年は細い目を見開いた。そこにあったのは、日本人にしてはやけに明るい色の瞳。琥珀のように煌めく黄褐色の怪しい輝きに、思わずどきりとする。



「……そうですか。流石、あの方の選んだ人間。肝が座っておられる」



 青年は愉快そうに肩を揺らすと、私の手を取った。



「顔も知らない相手に嫁ぐなんて、不安でしょう。しかし、心配されなくても大丈夫。あなたは、この世で最も貴い方の奥方となるのです――」



 その瞬間、ふわりと足元から冷気が立ち上ってきた。床に視線を落とすと、玄関の扉の隙間から霧が室内に侵入してきている。一体、扉の向こうはどうなっているのかと不安に駆られるが、青年はそんな私に構わずに、ドアノブに手をかけると勢いよく押し開いた。



「……えっ」



 扉を開けた向こう。

 そこは一面、霧で覆われていた。



 青年は、躊躇せずに霧の中に足を踏み入れていった。手を掴まれている私は、その後ろについていくしかない。霧の向こうには、見慣れた下町の光景が広がっているはずなのに、なにも見えないせいで、まるで別世界に迷い込んでしまったようだ。



 いや、違う――。

 ここは、本当にわが家の前なのだろうか?



 そのことに気がついた瞬間、背中に冷たいものが伝った。

 辺りを漂っている霧……それが途切れると、なにかがチラチラと垣間見える。

 それは、巨大な和風建築だった。木造で、瓦屋根の――まるで時代劇や、純和風旅館と見紛うほどの大きなお屋敷が、目の前に建っている。もちろん、そんなものが下町にあるはずがない。



 それに、知らぬ間にアスファルトの地面から、土の地面に変わっている。歩くたびに露に濡れた草が足に触れ、辺りを包む空気は冷たく澄んでいる。まるで、山の上にでも登ってきたようだ。


 不安になって、思わず背後を振り返る。けれども、わが家の玄関は、霧に紛れて見えなくなってしまっていた。



 途端に心細くなって、青年に声をかけようと口を開きかけた――その時だ。



「ああ、わざわざ迎えに来ていただいたのですか」



 青年の声と共に、なにか巨大な影が私の上に落ちた。



 どきり、と心臓が跳ねる。途方もなく嫌な予感がする。恐る恐る首を巡らせ、影の主を確認する。すると――私は、思わず絶句してしまった。



 山と見紛うほどの巨体が、私を見下ろしている。黒く艷やかな毛で覆われたそれは、四対の真紅の瞳をギラギラと光らせて、私をじっと見つめている。頭部に生えた角は禍々しくそそり立ち、四肢の爪は人など簡単に切り裂けそうなほどに鋭い。



 狼と、物語の中に出てくる竜を混ぜ合わせたような歪な生き物――。それは、呼吸をするたびに、低い唸り声のような音を立てる。生暖かい息が私に降りかかり、全身に鳥肌が立った。



 必死に悲鳴を飲み込む。逃げ出したい気持ちでいっぱいなのに、足が竦んで動けない。すると、私の手を引いていた青年は、心から嬉しそうに顔を緩ませると、くるりとこちらを振り返って言った。



「この方が、キミの夫となる方です」



 頭が上手く回らない。この青年は、一体なにを言っているのだろう?



 すると、青年はうっとりと目を潤ませ――更に続けた。



「キミは、神の花嫁となるのですよ――」



 青年の言葉。それはどこか、まるで他人事のように私の耳に届いたのだった。

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