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化け神さん家のお嫁ごはん  作者: 忍丸
昼ごはん
12/36

小さな小さなお客人

 マヨイガの霧に烟る空が、まだまだ暁色に彩られている頃。



 目覚めたばかりの鳥たちが朝焼けの空を飛び、遠くで鶏が鳴いているのが聞こえる。マヨイガを包む霧も、朝方は日中よりは濃厚で、陽光をぼんやりと受け止めて、周囲にゆっくりと揺蕩っていた。朝の冷たい空気に包まれた屋敷では、すでにこの時間から、人々が動き始めている。



「お客様のお通りィ」



 現世と幽世の狭間にあるこの場所には、意外にも頻繁に客人が訪れる。マヨイガには、母屋の隣に客間棟があって、ずらりと部屋が並ぶ様は和風旅館を思わせる。



 今日も、客人がやってきたようだ。先触れをしながら、ゆっくりと廊下を歩く面布衆の後ろには、多くの人間の姿があった。



 それは老若男女、様々な年齢の人々だ。彼らは互いに笑い合い、雑談を交わしている。そして、それぞれ用意された部屋の前に到着すると、浮かれた様子で中に入っていった。その様子は、まるで宿に到着した旅行客のようだ。



 私は、そんな彼らの様子を、凛太郎と共に少し離れた場所で眺めていた。

 朝ごはん用の野菜を収穫するのを手伝って貰うために、凛太郎と一緒に移動していたところ、その場面に遭遇したのだ。



「ねえ、凛太郎。あの人たちって、なんの用があって来ているの? お客様って……朧の知り合い?」



 私がそう尋ねると、麦わら帽子に軍手を嵌めた凛太郎は、作務衣の紐を直しながら、やれやれと肩を竦めた。



「そんなわけがないでしょう。朧様のような高貴な方が、あのようなものたちと友人関係を築くものですか」

「じゃ、なんの『お客様』なわけ?」

「朧様の仕事に関わる客人に決まっているでしょう。奥方様、少しは想像力を働かせたらどうですか」



 ――むむ。



 凛太郎の口ぶりに、櫻子が恋しくなる。いつもなら、ここで鉄拳が飛ぶところだ。凛太郎自身も、櫻子がいないことで解放感があるのか、いつもよりも調子よく、ポンポンと嫌味を飛ばしてくる。



「仕方ありませんねぇ。朧様の一番の眷属――この凛太郎が説明して差し上げましょう。ああ、質問は一度まで! 奥方様の理解力では難しいかもしれませんが、二度と同じことは話しませんから、耳をかっぽじって聞くんですよ」

「……なんか聞きたくなくなってきた」

「なにか?」

「いいえ~」



 凛太郎は、糸のように細い目を僅かに開くと、わざとらしく嘆息した。

そして、黒縁眼鏡の位置を直すと、また新しい客を引き連れて現れた面布衆を見ながら言った。



「あれは、死者の魂ですよ。もうすぐ天に昇る予定の、ね」



 凛太郎によると、この屋敷に来ている魂たちは、死んだ理由はそれぞれあるが、すべてに共通する点があるのだそうだ。それは、この世に大きな未練を遺していること。放って置いたら、悪霊と化したり、この世から消えてしまう魂であること。



「そうなの? そんな風には見えないけど」



 私は、視線を魂たちへともう一度向けた。この世に未練があるわりに、彼らの表情は晴れ晴れとしている。「未練」と言うと、どこか仄暗い感情を伴っているイメージがあるけれど、彼らの様子からは、そんなものは微塵も感じられない。



 すると、凛太郎はどこか自慢げに言った。



「彼らの未練を解消して、成仏させるのが朧様のお仕事なのです。朧様にとって、人間ごときの未練を解消することなんて簡単なこと。ここに来ているのは、すべて未練を解消して、後は天に昇るだけの魂――。朧様は慈悲深いので、彼らにこの世での最後の晩餐を用意し、もてなして差し上げているのですよ。僕や櫻子の仕事の大半は、彼らのおもてなしです」

「へえ……」



 ――未練だなんて、簡単に解消できるものじゃないだろうに。



一瞬、ホラー映画の一場面を想像して、身震いする。

 私の旦那様は、霊媒師みたいなことをしているのだろうか……?

 それにしても、あれだけの数の人たちの未練を解消するなんて、朧の力は余程強力らしい。



「朧って、すごい神様なんだね」



 あまり深く考えずに、ぽつりと零す。すると、凛太郎はパッと頬を紅潮させて、やや興奮気味に言った。



「――ええ! そうですとも。朧様は大変素晴らしい力を持った、すごい神様なのです。あの方が、一体どれほどの数の人々を救ってきたか! 特に、ここ最近の活躍はめざましく、以前よりも格段に招かれる魂の数が増えたんですよ。朧様は、本当に尊い方なのです。僕は、あの方にお仕えできて、心から誇らしく思っています!」



 そう語った凛太郎の潤んだ瞳は、虚空を見つめている。きっとそこに、朧の姿を見出しているのだろう。その姿は、まるで恋する乙女――いや、流石にそれは失礼かもしれないけれど。



「朧のこと、好きだねえ」



私が笑うと、正気に戻ったらしい凛太郎の顔が、別の意味で真っ赤に染まった。凛太郎は、額に滲んだ汗を手拭いで拭くと、唇を尖らせて言った。



「――好き、とはまた違うんですよ。尊敬しているんです」



それは、普段は捻くれたことばかり言う凛太郎の純粋な一面だった。

 意外と可愛いところもあるじゃないか。



 口は悪いけど、それは主人である朧を思ってのことだ。頭にくることもあるが、少しくらいは我慢してもいいかもしれない。そんなことをぼんやり思っていると、凜太郎が盛大に顔を引き攣らせたのがわかった。



「なんですか、その顔。気持ち悪い。あんまりジロジロ見ないでくれますか」



――前言撤回。後で櫻子に言いつけてやる。



 思わず顔を顰めていると、凛太郎はふいに表情を曇らせた。そして、琥珀色の瞳を私に向けると、深刻そうな顔になって言った。



「ですから……こんなにも素晴らしい神である朧様の御子を、一刻も早くお願いします。これは、急務なのです」

「は、はあ……」

「――本来なら、あれらの魂のもてなしも、この家の嫁の勤めです。ですが、今はそれよりも、子作りを優先していただきたいですからね」



 そして、凜太郎は家庭菜園の方向に足を向けると、スタスタと歩き出した。



 ……子を作れっていわれてもなあ。



 また、胸の辺りがモヤモヤしてきた。

 朧自身が子作りに積極的じゃないし、そもそも寝室を別でもいいと言ったのはあちらだ。それを、私ばかり急かしたって、どうしようもないじゃないか。

徐々に遠くなっていく凛太郎の背中を見つめて、ため息を零す。



 ――今、考えたって仕方ないか。



 私は前を向くと、凛太郎の後を追おうとして――けれども、前につんのめってしまった。なぜならば、誰かが私の足に抱きついてきたからだ。



「えっ⁉ な、なに……」



 驚いて、足もとを確認すると、私の足に子どもがしがみついていた。年頃は四~五歳ほどだろうか。笑顔が可愛らしい、やんちゃそうな男の子だ。



「……お姉ちゃん。遊ぼ‼︎」

「待って、えっと。どこの子?」



すると、男の子は面布衆がお客を案内していた部屋を指差すと、ニコッと笑った。



どうやら、この子も迷える魂のひとりのようだ。私は、旦那様の客ならば無下にはできないと、その子の目線に合わせてしゃがみ込むと尋ねた。



「間違ってこっちに来ちゃったんだね。お部屋に戻ろう? 送って行ってあげるよ。場所はわかるかな?」



少年は、私の言葉に目を煌めかせると、満面の笑みを浮かべて言った。



「やだーー‼︎」

「い、いやいや。君?」

「君じゃないよ。僕、陽介って言うんだよ」

「じゃあ陽介君。お姉ちゃんは、ご用があるから遊べないんだ。だから――」

「やだーー‼︎ お姉ちゃんと遊ぶーー‼」

「えええ……?」



助けを求めて辺りを見回すも、近くには誰もいない。その間にも、陽介君は私の足に纏わりついて、遊ぼうと袖を引っ張ってくる。期待の篭った幼い瞳に見つめられると、どうにも居心地が悪い。子どもは嫌いではないし、それにこの小さな子が、この世に未練を残して、朧に世話になったという事実に胸が痛む。



――……どうしよう。



どうすればいいかわからず、途方に暮れていると――誰かの足音が聞こえてきた。



 助けが来たと、嬉しくなって音がした方に顔を向ける。すると、そこに立っていた人の表情を見て、思わず硬直した。



「まったく。遅いと思ったら」



そこにいたのは、凛太郎だった。



凛太郎は、眉間に皺を寄せると、糸のように細い瞳を僅かに開いて、私に纏わりついている陽介君を睨みつけている。その瞳には欠片の温かみもなく、あまりの冷たさにゾッとする。その視線は、決して小さな子どもに向ける類のものではない。



「り、凛太郎……? あの、この子。どうすれば」

「……朧様に聞いてきます」



 凛太郎の意外な返答に戸惑う。

 現状、主人である朧に、判断を委ねるような事態だとは思えない。



「この子も、お客様なんでしょう? なら、他の人みたいに、部屋に連れて行ってあげたらいいんじゃ」



すると、凛太郎はやれやれといった風に肩を竦めると、私に向かって言った。



「それは、まだお客様じゃありませんよ」



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