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化け神さん家のお嫁ごはん  作者: 忍丸
昼ごはん
11/36

揺れる心、惹かれ始めた真宵

「ご迷惑おかけしました」

「――熱はもうないのか」

「はい。おかげさまで」

「そうか」



 数日後――虫たちが騒がしい夏の夜のこと。



 結局、熱が下がるまで数日かかってしまった私は、夕食後、朧と話をしていた。夜の朧は、人形ではなくて本来の姿でいることが多い。その日も、朧は巨大な体を小さく丸めて、マヨイガの庭で月光を浴びていた。



 渦巻状の蚊取り線香を焚きながら、縁側に座って朧と他愛ない話をする。

マヨイガにやってきてから、早三ヶ月――夜は朧と、ふたりきりで過ごすことに決めている。こんなことをするようになったきっかけは、夫婦なのに別々の部屋に帰ることを、凛太郎が訝しんだことだ。



『おふたりとも、ご夫婦の営みは、きちんとされていらっしゃるのでしょうね?』



 しかし、私たちは一年間限定の夫婦だ。朧自身も、私に子どもを望んでいる様子はない。けれど、凜太郎にそんなことを言ったら、騒動になるに違いない。困った私たちは、夕食後にこうやって一緒に時間を過ごすことに決めた。流石の凛太郎も、同衾しているかどうかまでは確認しにこない。それで、疑いは晴れたようだった。



 最初、恐ろしい姿をしている朧と、ふたりきりで時間を過ごすことを不安に思ったものだ。けれど、朧と同じ時間を共有すればするほど、恐怖は薄れていった。



「色々としていただいて……本当にありがとうございます」

「病床の妻を見舞うのは、夫として当然のことだ。礼を言う必要はない」


  

 なぜならば、朧自身が、よき夫であろうと努力してくれているのが、理解できたからだ。妻の体調を気遣い、必要なものがあれば揃えてくれ、忙しい仕事の合間を縫って様子を気にかけてくれる。口うるさく言うでもなく、自然体でそこにいてくれる。それは、とてもありがたいことだった。



 この関係は、まるでごくごく「普通」の夫婦のようだな、と思う。



 けれども、私と朧の関係は、決して「普通」とは言えないことも理解している。



「普通」と違うのは、夫が人ならざる存在であること。



 そして――お互いに心を通わせていないこと。



『この度の婚姻は、神の気まぐれ。幼気な人間の娘を、このような恐ろしくおぞましい化け物の傍に置いておくのは、可哀想だ』



 初夜に朧が口にした言葉。この言葉が、いつも頭の中でひっかかっている。

気まぐれ……そう、朧は気まぐれに私を選んだのだ。



 だから、執着することもなく、一年で手放してしまう。

 それにしたって、神である朧が、私を妻として受け入れる理由がよくわからない。生贄的なものなのかとも一時は思ったが、それもどうも違うらしい。ただ悪戯に、人間の女を娶ってみただけということなのだろうか。



 すると、会話の途中でぼんやりと考え込んでしまった私に、朧は心配そうに声をかけてきた。



「真宵、どうかしたのか。夜になると、風が冷たい。風邪をぶりかえしたらいけない。人間には毛皮がないからな。面布衆になにか羽織るものを……」

「大丈夫ですよ」

「しかし……」

「本当に、朧は過保護ですね」



 私が苦笑しながら言うと、朧は「そうだろうか」と黙り込んでしまった。



「……朧は、本当に」



 私はそこまで言葉にすると、口を噤んだ。

 胸の辺りに痛みを感じて、息苦しく思ったからだ。



 ――ああ、なんで私がこんなことで悩まないといけないのだろう。



 一年で帰れる(・・・)ことは、喜ばしいことのはずなのに。

 一年で帰される(・・・・)ことが、なぜだか無性に悔しい。



 その瞬間、脳裏に透明感のある橙色が映し出された。同時に、ひんやりとした手の触感が蘇り、「眠れ」と優しい瞳で私を見下ろす朧の姿を思い出してしまった。途端に頰が熱くなって、軽く頭を振る。



「ああ、もう。モヤモヤする‼」

「真宵……?」



 私は、戸惑っている朧に背を向けると、「部屋に戻ります‼」とその場を後にした。



 何人かの面布衆と合流して、昏い屋敷を、私室を目指して歩く。

 すると、やけに大きな月が視界に入ってきて、思わず足を止めた。



 今日も、マヨイガの周辺は霧で烟っている。それが月の光を反射すると、途端に辺りに眩い光を反射して、幻想的な光景を作り出す。黄金色に染まった霧は、まるで雲のように月を彩り、空を美しく飾り立てている。和風建築を照らす、霧に飾られた月は、絵師が丹精込めて仕上げた日本画のようだ。



「……綺麗」



 こんな光景、他じゃなかなか見られないだろう。このマヨイガと呼ばれている場所は、恐ろしいほどに美しく――簡単に、私の心を打つ光景を見せつけてくる。ここにいれば、もっと美しい世界が垣間見られるのではないか。そんな考えが頭を過る。



「奥方様⁉ どうされました」

「……」



 その瞬間、私はその場にしゃがみ込むと、膝の間に顔を埋めた。なぜならば、自分の葛藤の原因が、見えてきたような気がしたからだ。



 ――私、きっと惹かれているんだ。



 あの化け物みたいな神様に、知らず知らずのうちに惹かれ始めている。

このマヨイガという不思議な場所に愛着を持ち始め、ここでの暮らしを居心地良く思い始めているのだ。



「信じられない」



 ――全部、全部……朧が優しいのが悪いんだ。



 一年で私を手放す癖に、優しすぎるから。私を、ひたすら甘やかしてくるから。



 まるで朧は、私を優しく包み込むシロップみたいだ。今まで自分を守ってくれていたものを失った私は、そんなどこまでも甘いシロップの中で、ゆらゆら揺れることしかできない。酸味と苦みしか持っていなかった私は、徐々にシロップの甘さに染められ始めている。



「嘘でしょ……」

「奥様? 奥様……?」



 私は頭を抱えると、心配そうに声をかけてくれる面布衆に応えることもせず、ただひたすら戸惑いの色を浮かべていた。


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