1~8
0.
暑い。
太陽がじりじりと上から照るつける。そして下の方からも反射した熱かなんかがきて熱い。うざい。もう帰りてぇ……。
それから人の視線がアツい。街中そこらを歩いてる人がこちらに気づいてギョッとした表情で俺を見るのが鬱陶しい、目障りだ、早く消えてほしい。
こんな俺ですら暑いんだ。物理的にも精神的にも俺の下にいる人は可哀想だな、なんてことを考えて地面の方に目を向けるとその人も丁度同じタイミングで俺を見上げていた。その人は暑そうに息を荒げていて額には玉みたいな汗を浮かべている。まるで犬だな。夏場の犬にその姿はよく似ている。
というか犬だった。
頭の上には茶色の犬耳がピンとついていてお尻の方にもふさふさの尻尾がついている。そして瞳は雨の中打ち捨てられた子犬みたくわずかに潤んでいる。
「ね、ねぇこれ本当に捜査と関係あるの?」
下からそんな情けない声が聞こえてくるので爽やかな笑顔でそれに返す。
「大いに関係ありますよ。それと先輩、今は犬になりきってください。犬は人間様の言葉、喋りませんよね?」
「え、えぇっ!? 鳴き声まで真似しなきゃいけないの!?」
「もちろん。ペットはご主人様の言うことは聞かなきゃダメですからね? ほら早く」
彼女の首についているリードをちょうちょいと引っ張るとううーと泣きそうな声で抗議するが先程同様にこやかな笑顔で一蹴。すると小さな声で、
「わん、わん」
鳴いた。可愛いー。その恥ずかしがってる顔がたまらないね! と心の中でいいねボタンを連打してしまう。当然そんな表情をされるとこちらも我慢ができなくなってしまうから--
「誰が二回で止めていいって言いました? もっとですよ、さんはい」
「うぅ……わんわん、わん」
こんなに虐めたくなる気持ちが芽生えちゃうのは仕方ないことだよね?
いやぁ人の弱みにつけ込んでやりたいことが何でもできるっていうのはいいことだよね!
そんなクズみたいなことを考えて先輩を散歩させて、失礼先輩と散歩を楽しんでいると犬が、おっと先輩がこちらを振り返った。
「お手」
「……わん」
ついでだからこんな芸も教え込んじゃおう。
次はどんな芸を教え込もうかなんて考えてると「あ、あのークロくん」と下から声。
「なんですか駄けーー先輩」
「今駄犬って言った!?」
「気のせいですって。で、どうしたんです? 何か見つかりました?」
ネタでこんな格好させてるのに何か発見があったのだろうか、そう思って訊ねると彼女はあははと誤魔化すような笑みを浮かべた。
「あ、あたしお化粧直しに行きたくなっちゃったかなーって」
「はぁ? 犬が化粧なんてする訳……」
待てよ? この人今も化粧ほとんどしてないのに化粧直し……?
そうかわかったぞ! お花摘みか。完璧に理解した。
「そういうことですか」
「え、じゃあ行っていい? ちょっと行ってくーー」
「ステイ」
「……わん」
プルプルと小刻みに震える先輩を待機させて視線を巡らすと……あった。
「先輩、あそこの物陰なんてどうですか? 丁度いい感じに死角になってますし、地面が土なのでやってもすぐ植物さんたちが吸収してくれるので大丈夫だと思うんですけど」
「も、物陰!? なんで……?」
「いや犬にはご大層な設備なんていらないんじゃないかなぁって」
つまりはこう言いたかった。
ーーあそこでやってこい、と。
そのことを理解したのか先輩は目の端の方に涙をためる。お、泣くか、泣いちゃいます? 是非とも録画の準備をしておかなくちゃーー
「……く」
「く?」
「クロくんの馬鹿ぁ! 人でなし! 一生ニート! クロくんなんて一生部屋に閉じこもって誰にも見つけてもらえずに孤独死すればいいんだよッ!」
うわーんと泣きながら走り去っていく子供みたいな先輩を見送ってしみじみと呟いた。
いやはやなんて言うかなーー
「さいっこうのオモチャですよ、先輩」
1.
世界はある一つの災害によって形を変えてしまった。
それは罪を犯した人間への懲罰。あるいは新たな時代の幕開けを知らせる夜明け前の鐘の音。
ーー災禍の聖誕祭
人はこの禍をそう呼んだ。誰がそう呼び始めたのかは分からない。ただ誰かがそう呼び始めて、いつしかそれがアレを指す言葉になったのだ。
カラミティークリスマスによって街は崩壊して、たくさんの人死にが出て、既存の秩序もメチャクチャに凌辱された。そしてというべきかなんというべきか、これは地球規模の厄災だった。危険度で言えば恐竜たちが絶滅したものに次ぐほどのものだとかなんとか。これによって地球はほぼ荒野になって、人々は自分たちが作った檻の中に閉じこもらざるをえなくなった。そこには国家もなにも存在しない。ただ無数の枠組みだけが人間の存在を示すものとなったのだ。
こんなことをいきなり話したらあなた達はずいぶん不自由かなと思うかもしれない。
ただ、人類は被害ばかり被った訳では無いんだよ?
能力保持者
災禍の聖誕祭を語る上ではこの存在なしに語ることはまずできないと思う。
災禍の聖誕祭の最中に今までの人類には考えられない――一昔前で言う"超能力"を持った人が現れ始めたのだ。この力は復興というか事態が収束するのが遅れるくらいに人々に衝撃を与えたの。
最初の頃はこうした能力保持者は気味悪がられて差別とかあったりしたものだけど――それはもう昔の話。ある機関のおかげでそうしたものはなくなって、今となっては彼らの存在なしではあたしたちの生活は成り立たないくらいだ。
……当然、こんな力を手にした人の中には悪用しようって考える人も少なからずいる。
でも、シティの中は存外平和なものだ。
カラミティークリスマスの時あたしはまだ小さかったから旧時代の都市のことはよく覚えてないけど、たぶん今のシティとあんまり変わらないものだと思う。周りの人を見ても特に思うことはなく、といったように生活している。まるでカラミティークリスマスそのものがなかったかのような態度だ。物事は月日が経てば色褪せ、薄れゆく。今回もその例に漏れず、ということなんだろう。
「それにしても当事者意識がなさすぎだよ」
一応は世界中の人が被害者だっていうのに。
パッと歩行者用の信号が青に変わったのであたしは歩き始める。向かう先はあたしの職場だ。
後ろから他の歩行者にせっつかれる。あたしは人よりちょっと、ほんのちょっと身長が低いからこうした人の群の中では溺れてしまう。あたしはそれでも懸命に歩いた。ここら一帯はこの時間スクランブル交差点なので余計に迷いやすく、溺れやすい。方向感覚が狂いそうだ。
人だかりが陰になってあたしの周りを覆う。その陰が、黒い闇がカラミティークリスマスのの時のことを彷彿とさせてしまいあたしは思わず下を向いた。
ーー大丈夫。怖くない、怖くないから。
だけどそれも一瞬。あたしは心の中でそう呟いて上を向いた。
そこで気付く。目の前、ほんの数センチ先には男の人の胸。
さっきの一瞬がこの事態を招いたのだ。
ドン、という音がしてあたしは尻餅をついてしまった。いたた……あ~バックの中に入ってたものが色々出ちゃってる。
「大丈夫ですか?」
再び目の前に意識を向けると先程の男の人がしゃがみこんであたしの方を見ていた。
「あ、あの、だいじょび、です」
しまった、噛んでしまった。けれどその男の人は気付いた風もなく「良かった。すいません、僕の不注意で」と謝ってきた。
よく見ると男の人はまだ年若い青年だった。中性的な顔立ちであくまで平均的な体つきで黒髪、おまけに黒い眼鏡をかけている。どこにでもいそうで一瞬で顔を忘れてしまいそうな没個性的な青年だ。
周りの人が苛立たしげにあたしたちを見ているがそんなことはどうでもいい。あたしの意識はその青年にすべて注がれていたのだ。
はぁーイケメン。
他の人から見たらなんてことはないのかもしれないがあたしにとっては超ドストライクだ。かっこいいなぁ。これで性格も穏やかなんだから言うことはない。将来はこんなイケメンと結婚したいなぁ、家は海辺の一軒家で、子供は男の子と女の子の二人ほしいなぁ、それからそれからーー
「あ、あの落としたものはこれだけですか?」
妄想を膨らませていると青年がバックからこぼれたものを拾ってあたしに渡してくれた。こんな気遣いもできるのかぁ、ますます結婚したいなぁ……。
「すいません、お手数をかけてしまって。お仕事頑張ってくださいね」
それだけ言って青年はまた雑踏の中に帰って行ってしまった。残念、結構いい男の子だったのになぁ。
ま、今日一番にこんなイケメンに会ったのなら今日はついてるかも!
時計を確認して青ざめる。仕事が始まるまであと少ししかない!
あたしは走ってその場から立ち去った。
2.
あたしが、ナル=ロスチャイルドが働いてる職場はちょっと特殊だ。
そう、なんていったって正義のヒーローをやる職場なんだから!
……すいません、今ちょっと、少しだけ嘘ついちゃいました。
ずばり言うとあたしの職場はスフィアシティ治安維持組織ーー通称“公安”ーーだ。そう言ってしまえば旧時代の警察なんてのと変わらない。この街、スフィアシティに住んでいる人たちの平和と安全を守る、それがあたしたちワーダーの仕事なのだ。
市民の平和を守るのは自分たちだという誇りがあるのか今日もみんな一生懸命仕事に励んでいる。偉いなぁ、みんな今日も頑張って!
それで、あたしはというと
「はぁ……ナルちゃんねぇ」
目の前の大きな男の人が溜め息をついたので意識はこちらに戻る。その男の人は手元の紙に目を通して頭を悩ませてるみたいだ。
「これで今月何回目の始末書?」
「え、えと9回目……になりますかね。あはは」
「今回も減給よん。もうナルちゃんのお給料は今月100ゲルトちょっとしか残ってないわ!」
「えぇっ!? それじゃあジュースも買えないじゃないですか!」
あたしどうやって生活すればいいんですか! と抗議すると男の人はだぁってぇと机にしなだれかかった。体重のせいで机がギシギシと軋みを上げているが気にしないことにする。
「ナルちゃんはこの仕事何年目?」
「う、二年目、です」
「それで解決した事件の数は?」
「………………ゼロ、です」
そうよねぇと男の人は大仰に肩を竦めて見せた。
「同期の中じゃダントツで最下位よん」
「う」
「歴代の中でも最下位。就職二年目で解決数ゼロはまずいわよん。ナルちゃんももう新人じゃないんだから」
「う、う」
この男の人の言いたいことはよくわかる。つまりはさっさと成果を上げろということなのだろう。
あたしだって頑張ってる、頑張ってるけどこの社会結果を出せなきゃ意味がない。結果こそがあたしたち自身の価値を示す値札なのだから。価値のない人間に社会は場所を与えてはくれない。
あたしが落胆してるのを見て男の人も気まずげにでもぅと言った。
「私だってあなたみたいな可愛い子がいなくなっちゃうのは心苦しいのん! 頑張ってナルちゃん、とにかく結果を出しなさい。どんな些細なことでもいいから、ね?」
うふん、と星が出そうな勢いでウィンクするその人にすいません頑張りますと一礼してその場を後にした。心の中は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
3.
あたしは落ち込んでるときよくこのトイレに来る。何でかは良く分からないけどついつい足を運んでしまうのだ。きっとあんまり人が来ないからかもしれない。
今日も例に漏れず誰もいない……って思ったら先客がいた。
「あ、シノアさん」
「こんにちはナルさん」
真っ白な髪の毛を後ろで一つに束ねていてフレームの細い眼鏡をかけているいかにも仕事ができる女性みたいな格好の人がそこには立っていた。そのシノアさんの怜悧な眼差しが鏡を通してあたしに向けられる。
……どうしようこれじゃあ落ち着かない。
うーん普通にお手洗いしてシノアさんが無くなるのを待とうかななんて考えていると驚いたことにシノアさんが口を開いた。
「聞きましたよ。今月9回目の始末書のこと」
「へ? あ、あはは……すいません役に立たなくて」
そんなあたしの謝罪を気にも止めず彼女は言葉を続けた。
「このままだと、少しまずいことになるかもしれません」
「ま、まずいことって……?」
不穏な発言を耳にしてそうオウム返しをしてしまう。なんとなくだがその“マズいこと"の中身が分かってしまったからだ。
シノアさんは少し目を伏せてから
「ナルさんは、このままいくとクビになるかもしれません」
「く、クビ……」
つまりは免職、収入がなくなってしまう。
「この2年間で解決した事件の数が0なのは少々マズいです。いつ上層部が使えない人間は不要と言ってクビにするかわかりません」
「そう、ですよね」
当然だ。使えない人間は必要ない。組織だってチャリティーではないのだ。能力がない人間に割くお金はない。そんなことはわかってる。
あたしは唇を浅く噛んだ。
頭では理解できてる。でも悔しい。このまま何もできないでクビになるのは悔しいのだ。頑張って、努力してやっとワーダーになれたのにそんなのは嫌だ。
どうにかしなきゃいけない。でもどうやって? 今のままだと何も成し得ないのはあたしが一番わかってる。あたしはどうするべきなんだろうと考える。しかしいくら考えたっていい案は浮かびそうにない。
「ナルさんは……まだ仕事を辞める気はありませんか? ……いえ、今のは言葉足らずでしたね、まだ続けたいって思っていますか?」
「っ……はい、まだあたしは続けたいです」
一瞬シノアさんの言葉にドキッとさせられるがその真意を知ってそう返す。言葉だけじゃ、態度だけじゃ何とでも言える、そう切り返されるのを承知の上で。
しかしシノアさんは態度だけのあたしをバカにしないで1つの提案を口にした。
「ナルさん。ある男に自分の命運を賭けてみる気はありませんか?」
「ある、男?」
誰だろうか。シノアさんはええと頷いた。
「名前はクロム=ハーミット、3年前にワーダーになった少年です」
「……3年前ってそれじゃああたしなんかよりずっとベテランじゃないですか。……でも、少年?」
「はい。確か今年で18歳だったと思います」
つまり15歳の頃からワーダーをしていたということだろうか。一体どういう事情があってそんな年からワーダーをしているのだろう。けどその前にーー
「そんな少年ウチにいるんですか?」
「2年前、丁度ナルさんが入って来るときから休職しています。だからナルさんが知らないのも無理はありませんね」
「え、えと……今も休職してる人があたしの力になってくれんるんでしぃうか」
突然シノアさんは手に持っていたスマートコンピューターーー通称スマコンーーをあたしに見せた。そこにはたくさんの細かい文字が羅列された文書。あたしも一度は見たことがある。この組織の職務規程だ。
「休職の延長は最長2年までです。つまりこのまま休み続けるとクロム=ハーミットもクビになってしまいます。私たちも彼に何度もこのままだとクビになると警告を出しているのですが一向に来る気配がありません。来なければクビになって今みたいな生活ができなくなるのに、です」
「か、彼はなんて言って延長し続けてるんですか?」
何でしたっけとシノアさんは一瞬思案したがやがてあぁとつまらないことを思い出したと言いたげに口を開いた。
「「まだ産気づいてるからそっちには顔を出したくても出せない」とかなんとか」
「さ、産気!? そのクロムさんには奥さんがいるってことですか?」
「いえ、本人は独身で、身寄りもありません」
「えっと……男、ですよね」
「正真正銘男です」
……ふざけてる。
そのクロムという子は一体何を考えてそんなことを言ってるんだろうか。理解ができない。
「私たちも彼の妄言に付き合う程暇じゃないです。ということでナルさんにはその自称"眠れる獅子"を起こしに行ってほしいんです。これも任務ですので、査定には考慮されます。行くだけで結構です。続けるのか辞めるのかは彼自身の問題ですので」
行くだけで任務完了になるんだったら行かないわけがない。クビの憂き目にかかってるあたしなら……尚更だ。
「性格は今言った通り最低で最悪ですが腕は確か。ナルさんが起こしてくれたらこちらからナルさんを手伝うように命令を出すこともできます」
どうですか悪い話じゃないと思いますけど、と訪ねるシノアさん。
辞めたくないなら、頼るしかない。その彼を、クロム=ハーミットって子を。
とらあえずはポイントを稼ぐたあたしはゆっくり頷いてその任務を請け負った。
4.
「ここ、かな」
シノアさんからスマコンに送られてきた彼の住所を見てなんとか辿り着いた。まぁ辿り着いたと言っても彼は社宅に住んでいたので大して迷うことはなかったけれど。
一体どんな人が出てくるんだろう、僅かに不安に思いながら取り付けてあったインターホンを押した。ピーンポーンという間抜けな音が外に、おそらく中にも響いた。それからしばらくの沈黙。あたしの息をする音だけが耳に届いた。
ちょっと経ってインターホンからぶつっという内と外を繋ぐノイズ。
「……宅急便は頼んでないはずだけど」
聞こえてきたのは少年の声。これがクロム=ハーミットのものだとしたら若干18歳より若く聞こえる。
「あの! あたしはーー」
「襟章は見えてる。ワーダーだろ? それにしても……随分とちんまいな。なんだ、あそこはガキのお使いも斡旋してるのか?」
「こ……! 子供じゃないもん!?」
「あぁハイハイこんな所まで来れて偉いでちゅねー。ママとパパには内緒で来ちゃったのかなー? お菓子あげるから大人しく帰るんだぞー?」
そんなバカにするような口調にカチンときてしまう。思わず口から出てしまった。
「あたしはこれでも22です! あなたより年上だよ、クロム=ハーミットくん!」
「年上だからなんだっていうんだよ。だから偉いのか? ……ん? おい今22って言ったか? 嘘だろ……」
馬鹿にする、というより呆れたと言いたげにインターホンの向こうからため息が聞こえた。むっ、まだ信用されてない。
「さては信じてない?」
「信じろって方が難しいでしょ」
う、うぅ……そうだよ。今まで何回子供と間違われたことか。そんなの慣れっこ! 慣れっこだよ! それに、あたしがオトナな女だって証明するものも買ってきた!
あたしはバックの中からあるもの(、、、、)を取り出した。
それはーー
「か、缶ビール!?」
向こうの少年は呆れを通り越して素っ頓狂な声を上げた。前後関係が見えないと言いたいようだ。そう、あたしが持ってるのは缶ビール。なけなしの今月の生活費でさっき買ったものだ。
「あたしだって20をこえてるからこんな物も買えるし……え、えっちな本だって買えるもん!」
「恥ずかしがるくらいなら言うなよ……てか女がそんな本買ってどうすんだよ……」
あくまでたとえ話! あたしは買ったこと無いもん! ていうか……え、えっちなこととか嫌いだし。
収まりが着かなくなったあたしは手に持っていた缶ビールについているプルタブに指をかけて引き起こした。プシュッという小気味いい音がして飲み口が出来た。
ええいままよ!
ギュッと目をつむって一気にビールを流し込む。いつもなら絶対にしないやけ飲み。当然だがすぐに口の中に独特の苦味が広がる。
しかし味わうことはせずゴク、ゴクと喉を鳴らしていつもよりずっと速いペースで飲み干した。顔が赤くなってきた気がするし頭もクラクラして……あれ? めがまわる。
「お、おい! 」
てにもっていた缶ビールがひとりでにてからおちていく。まてー缶ビールー逃がさんぞー。
「あんた……さては馬鹿だろ。馬鹿でチビなんて救えなすぎる」
ふと機械越しだった声が頭上から聞こえた。
上を向くとボヤけた視界の中に男の子の顔。それがあきれたようにこちらをみていた。
あきらかにばかにされてる……あたしはちびじゃないもん! りっぱな22歳でりっぱなレディだもん! いくらあたしごのみのイケメンさんだからってちょうしにのるなー!
じゅうりょくにたえられなくなったまぶたがゆっくりおちる。あたしのめのまえがまっくらになった。おやすみゅ。
× × ×
目眩のする頭を軽く押さえつけて僕はその小柄な少女(本人は22歳と言い張っていた)を見た。
「なんなんだよ一体」
なんでこんなことになってる。
おかしい。今日も元気に部屋に閉じこもってアニメ見てゲームしようと思ってたのに(人はこれをニートと呼ぶ)いきなりこんな人がやってくるし、スマコンのメールアプリにはシノアさんからのいつもの"早く仕事に復帰するよう"というメールが送られてくるし。なんなんだよ。なんて日だって叫びたい気分だよ。心が叫びたがってるし、そもそもこの人の名前を僕はまだ知らな……って? ……あぁ。
「今朝僕にぶつかってきたやつか」
今朝珍しく外出したときにぶつかったチビもワーダーの襟章をつけてた。
あまりにも興味が湧かなかったので顔は詳しく覚えてないが確かこんな顔だったはずだ、多分。ぶつかってさえ来なければ目もくれなかったろう。
と、そんなことよりも。
「……どうしたもんか」
眼下のすやすやとこっちが苛つくくらい幸せそうな顔で眠っている少女(?)のことを考えた。突然やってきていきなり缶ビール飲んで自爆したわけだけど……これどうしたらいい?
ここら一帯は治安がいいから放置してても別に何ともないだろうが万が一ということもあり得る。もしそうなってしまったら別に仲良くはないが寝覚めが悪い。見る限りワーダーが所持を許されている制圧用特種銃火器の所持もしていないようだ。公私を分けるのは大変(僕的に)ポイントは高いのだが公私混同を避けるのと平和ボケは意味がまるで異なる。この鞄の中にちゃっかり入ってたら満点なのだがーー
無言で鞄の中を漁る。
「はい0点」
中にはワーダーライセンスとスマコン、ケータイとゲルトカードーークレジットカードみたいなものだ。最近は紙や硬貨を使わずに支払いはこれだけで済ます。財布兼通帳兼ICカードみたいなものだーーしか入ってなかった。やる気あるのか?
まぁとりあえず護身できそうなものは何一つ持ってない。
ホントに迷惑な話だ。うちの中に適当に放り込んでおくか。
溜息を一つついて少女(?)の両脇に手を挟んで、いわゆる抱っこの体勢で家の中に連れ込んだ。これ端から見たら結構やばい構図だよなと思いながら。
突然ポケットの中のケータイが揺れる。この自称ワーダーを部屋に入れながら取り出すと見知らぬ番号が液晶パネルに映っていた。
「はいもしもし……ってなんだシノアさんか」
「贈り物は無事届きましたか?」
「贈り物ってな……だいたいこのチビ、なんで僕の所に来たんです? いつもみたいにメールでいいでしょ」
すると電話越しで事務的な声。「メールを送ってもどうせ見なかったことにしますよね」と、確かにその通りだ。
「まぁこんなん送られても行かないんですけどね。これどこに返品したらいいですか?」
「こちらに返してくれたら結構です」
「わかりました。ダンボール詰めにして本部のほうに送っときますね」
「いえ……生きた人間を郵送されるのは困るんですが」
「冗談ですよ、冗談」と適当抜かしてシノアさんにそれじゃ、と切ろうとしたら電話口から待ったの声。
「いいんですか、クロム=ハーミット執行官。このままじゃ本当にクビになってしまいますよ」
「クビになったらどっかほかの職を探しますよ、若いんだから働き口はいっぱいあるでしょ」
「……裏切る気、ですか」
聞こえてきた声は先程のものより少しばかり冷え切った物だった。裏切る……ね。
「そもそも忠誠なんて誓ってませんよ」
「あなたが仕事をしなくなると他の人にしわ寄せが来るんですよ……その意味は、わかってますよね」
その言葉に含みがあるのを感じ言葉に詰まった。
「そう……ですよね。いや、そりゃそうだ。コロナも、頑張ってますか」
「えぇ、あなたのぶんまで」
「無理はするなって言っといてください」
それじゃと今度こそ切ろうとしたとこでシノアさんの声が聞こえた。
「クロムさんは逃げるんですか」
「っ」
弾かれたように反射で通話を切ってしまった。それ以上は聞きたくなかった。
「何言ってるのか、全然分かんないですよ。ただ僕は危ない仕事がしたくないだけ、ですから」
呻くようにそう吐き捨てる。誰もそんな弁明はお望みではないのに。
「あんたも……辞めればいいのにな、こんな仕事。割に合わなすぎる」
すぅすぅと穏やかな寝息を立てる彼女に向かいそう声を掛けるが当然返事はない。聞きたくもない。
まぁ僕が気にすることじゃないのかもな。自分で気付けない人間は死んでいく。大事なことは自分を客観的に評価できる能力だ。自分を英雄と勘違いする人間は早死にするし、自分を過小評価する人間は満足な力を発揮できずに死ぬ。この仕事に就いてるなら遅かれ早かれ死ぬんだから。ただ僕が見てないところで死んでくれるならそれでいい。そう思うことにしよう。
「さて。今日も怠けるか! 時間は有限だからな」
今日もアニメ見て掲示板巡回してゲームしてとやることがいっぱいだ。
そうして僕はヘッドホンを頭にかけて外界の情報を遮断した。
× × ×
理由は分からない。けど唐突に目が開いた。天井があたしの視界の中に入る。暗い、電気がついてないみたいだ。閉め切ったカーテンからは僅かに光が漏れている。……今は何時?
「やっとお目覚めか」
そう声がしてそちらに目を向けるとヘッドホンを頭に掛けてパソコンを見ていた少年がいた。
「あ、あれ……? あたしのバッグと上着は――」
「バッグは足元、上着はシワがつかないようにハンガーに掛けてるぞ」
「ど、どうもアリガトウゴザイマス」
そこで少年はやっていた|ピコピコ(、、、、)を一時的にやめてこちらに振り返った。その顔は、シノアさんに渡された資料で見た通りだった。
「あ、あの……クロムくん、だよね」
「え、何?」
頭にかけていたヘッドホンを首にかけ直してもう一度尋ねる少年にあたしは「クロムくんだよね」と問い直した。
「普通分かるだろ……ん、あぁ|初対面(、、、)か。初めまして、クロム=ハーミットです。二度と会うことはないでしょうけど」
「とりあえず運んでくれてありがとうございます」
丁寧にベッドまで、と言うと「別に、あそこで放置して拉致られたら寝覚め悪いだけだから」と素っ気なく言われた。……根は案外良い人なのかもしれない。
「今根は案外良い人かもって思ったろ」
「オ、オモッテナイヨ?」
「顔に出てるぞ」
「嘘!」
「ウソ」
顔をペタペタと触って確認しているとそんな声が飛んできた。騙すなんてひどい。いくらあたし好みのイケメンさんだからって言っていいことと悪いことがあるよ。ん……あたし好みのイケメンさん……? ってあ!!
「今朝会ったイケメンさんだ!」
「あやっと気付いた。……は? てかイケメンさんってどこの誰だよ。どう見ても凡庸な顔だろ……」
「あれー……でも今朝の時と性格全然違う……」
「話聞いてねぇなこいつ。あんな人当たり良さそうな性格が素な訳ないだろ。あんな歯が浮く台詞いっつも言えるかっての」
そんな……あたしの今朝見たあの王子は幻想だったのか……やっぱ世の中ってこんな人ばっかなのかな、あたしなんだかイヤになってきたよ。
「そ、そんなにがっかりすることなのか……」
そうだよ! あたしが妄想した時間返して!
そういったあたしの憤慨を目の前の青年は馬鹿だなぁとだけ一蹴した。
「……で、なんの用? 生憎こっちは忙しいんだけど?」
「あ……あの! あたしはシノアさんからここに来るよう言われて! それでここに来たの!」
「あぁそう。で? 用事は済んだみたいだけど」
あれ? あたしってここに来るだけが目的なんだっけ。
「あたしってじゃあ帰っていいの?」
「はいどうぞシノアさんからの言伝いただきましたこの件については僕個人として真摯に受け止めて慎重に冷静に対応していきたいと思いますのでその旨をシノアさんにお伝えいただければ」
「は、はい。分かりました。ではあたしはこれで――」
って……ん? なにか大事なことを忘れてるような――
「って違う! そうじゃなくて!」
「なんだよいきなり……うっさいな」
「クロムくん! いきなりだけどあたしに力を貸してください!」
頭下げることなんて慣れてる。ぴったり90度の礼をしてお願いするとクロムくんは僅かに引いた。
「はぁ? 随分いきなりだな」
「お願い! あたしには時間が無いの!」
自分でも呆れるくらい身勝手なお願いだ。当然クロムくんは眉をひそめた。
「穏やかじゃないな。時間がない、手短になら聞いてもいいぞ」
さっきまで握っていた|ピコピコ(、、、、)のコントローラーを置いて体ごとこちらに向けた。
偉そう。
だけど形振り構ってられない。あたしは訳を説明する。それから暫くして、あたしの話を全て聴き終わった後にクロムくんは話の要旨を掻い摘んであたしに聞き返した。
「つまりあれか? アンタが無能なせいでクビになりそう。でもクビになんてなりたくないから僕を頼りに来たってこと? 僕は何でも屋でも貴方のおしりふきでもない訳だが」
「いきなりで失礼なのは分かってる! でも――」
「待て落ち着け慌てるな。感情に任せるとロクなことにならないぞ」
「そ、そうだよね。落ち着けあたし……スー、ハー、スー、ハー」
そんなあたしの態度を見てかクロムくんは呆れたように溜め息をついた。
「なぁ、一つだけ聞くぞ……そんなんでワーダーやってけるのか?」
突然の真剣な話にびっくりして少年の方を向いた。
「あんたも、それに僕もワーダーが向いてるとは思えない」
シノアさんから頼りになると言われた人がそんなことを言うなんて信じられなかった。それに、とクロムくんは会話を繋いだ。
「さっきはなにも知らないふりをしたけど、シノアさんから有る程度の事情は聞いてる、あんた相当な落ちこぼれみたいじゃないか。辞めるいいきっかけだと僕は思うけど。なぁ教えてくれよ、なんであんたはワーダーっていうものに固執する」
眼鏡越しの少年の瞳があたしを射抜く。
ここでどんな理屈をこねたところでどうせボロが出る。だってあたしはそういう人間だから。自分がおっちょこちょいだっていうのは昔から知ってることだ。
だからあたしは正直に、自分が考えてることを口にした。
「あたしは……人を笑顔にさせる人になりたい。そしてワーダーになって街の人の平和を守ることが、それに繋がるって信じてるーーだから」
あたしは顔を上げ、クロムくんを見つめた。彼の瞳とあたしのものが交錯する。その瞳は「それで終わりか、もう他に言うことはないか?」と言いたいようにも見えた。
「だから……あたしに力を貸して下さい。クロム=ハーミットくん」
あたしはそう頭を下げて少年にお願いをする。
「そうか」
少年は小さく呟いて後ろに体を傾け壁にもたれかかった。そして眼を伏せて何かを考えるように小さくブツブツと何かを呟いた。その言葉は先程あたしを罵倒してた時とは信じられないくらいか細くてあたしにはなんて言ったか聞き取れない。
部屋の主が黙っていて居心地が悪かったからあたしは少し身じろぎをした。
「答えを……聞かせてくれますか?」
できるなら答えは聞きたくない。拒絶されるかもしれないから、あたしが信じている物を否定されてしまうかもしれないから。
それでもあたしは訊ねた。立ち止まったままじゃいられないから。とりあえずはこのクビという憂き目を何としてでも回避しなければいけないから。
知らず知らずのうちに上目遣いで少年を見てしまう。クロムくんはそんなあたしを見てからにっこり笑って、それからこう言った。
「お断りします」
その言葉を聞いてつい顔が綻んでしまう。
「ありがとう! じゃあーーえ?」
「お断りします」
クロムくんは机に置いてあったジュースを一口飲んでから「出口はあちらです」とドアの方を指差した。
ちょ、ちょっと待ってよ。
「なんで! せっかく頭下げてお願いしたのに!」
「なんでも頭を下げればいいってものじゃない」
クロムくんはにべもなくそう言いきって「早く出てけ」と視線で訴えてくる。手は完全にコントローラーを握り直していた。それはもうなにも話すことは無いという意思表示。
「今のって完全に手伝ってくれる流れだったよね!?」
「知るかそんなの。そんな甘っちょろい流れが見たいんだったら漫画か小説でも読んでろ」
うぅまだ諦めれない。
「クロムくん、何か欲しいものとかない? そ、それ買ってあげるからーー」
「ない。てか子供を誘拐する犯罪者の台詞だろ、それ。犯罪の模倣練習か?」
「う、それは……してほしいこととかも……?」
「だから、ない」
駄目だ、とりつく島もない。
だ、だったら。
「あ、あの……じゃあ……じゃあさ!」
「興味ない」
「早いよ!? まだ何も言ってないじゃん!」
「どうせ”今晩セッーーしてあげるから言うこと聞いてー”とかでしょ? いらんっつーの、幼女に発情なんかするかよ、自分の体型見てから言えよ。こちとら年中発情期の獣じゃねぇんだよ」
「その発言はどうかと思う!!」
「じゃあアレか? 抱くとか重なるとかか?」
「そっちじゃなくて! それにもっと言い方があるでしょ!? まぐわうとか! 盛りあうとか!!」
「おいそれ以上はやめろ僕が言ったより酷くなってる」
クロムくんの言葉で急に恥ずかしくなってあたしは顔を逸らした。
ていうか聞き捨てならないこと聞いたんですけど。
「よ、幼女じゃ、ないもん」
「? じゃああれか? 一昔前に流行ったロリババーー」
「ババアじゃないもん! まだ22だよ!?」
なんて失礼な少年なんだろう。あたしが気にしてることばかり言ってくれちゃって……
当の少年は眼鏡を外してとにかく、と口に出した。
「アンタに協力する気は微塵も起きないんでさっさと帰って下さい」
今日はこれ以上は無理かも。
粘りすぎて少年の気を悪くしてしまうと困難な物がより困難になってしまう。
こういうときはおとなしく引いておくのが吉だ。あたしはベッドから立ち上がってドアノブに手をかけた。
「えっと今日のことはゴメンナサイ。……ま、また来るから! それまでに考えておいて!」
「何度も来んな。気は変わんないから。……あぁ、あとそれと」
クロムくんの声を聞き流して出て行こうとしたら呼び止められた。
「それでも一応ワーダーなんだろ? なら制圧用特殊銃火器ぐらいは肌身離さず持っておけ……行くあてのない花嫁修行をする気がないんならな」
一々一言多いな、この子は。
あたしは最大限の嫌味を込めて「また来るからね!ニートくん!」と叫んで扉をバタンと閉めた。
その時浮かべてたクロムくんの苦々しげな顔を見て少しだけ胸がすく思い。へへん、自分が言われて嫌なら人に悪口なんて言っちゃダメなんだよ!
5.
× × ×
あの日から毎日家に来られてる。ただただ迷惑なんだが。こうなるともう我慢比べだ。僕は譲る気は無いし、向こうも僕が協力するというまで毎日来るだろう。いや、来て欲しくはないんだが。
「クロムくん! 今日も来たよ!」
「いい加減にしてくださいよ。今日で何日目ですか」
「15日目!」
「はぁ飽きないねぇ。こんなことしてる暇があったら仕事のひとつでもすればいいのに」
彼女が何一つ出来ないと知っての言葉……ていうか煽りだ。彼女はそんな皮肉に気づいてないのか
「言ったでしょ? なりふり構わないって。あたし、絶対に諦めないから!」
という始末。救えないな。救えない馬鹿さ加減だ。
イライラを通り越してもはや呆れる具合。もういっそのことさっさと協力してここに来ないようにしてもらった方が早いんじゃないか?
そんな訳あるか。僕が折れてどうする。僕は自分の生活を守る……守るためならなんだってしてやるぞ。
ということで最低限の話だけしてあとは無視だ。最初の頃は律儀に(渋々ながらだが)家に入れていたが1週間ぐらいして家に入れるのが面倒になってそれ以来ずっとインターホン越しに相手するだけになっていた。
僕はため息をついてパソコンの前に座り直し止めていたゲームの続きをする。
Cr:おまたせ
Pの頭:あいよ。もう狩り終わってるぜ
Cr:マジかよ。僕の取り分は?
Pの頭:働いた人間に適正な量を、だな
ふざけんな。それじゃあほとんどお前が総取りじゃないか。
僅かに半ギレになりながら僕とゲームの中で狩りに出かけていた"Pの頭"にチャットで怒りをぶつける。
Cr:悪質なセールスに捕まってたんだからそれぐらい許せよ
Pの頭:でも働いてたのはほとんど俺だぜ?
ぐ、ぐうの音も出ない。
あんの野郎……! あのワーダーが来さえしなければ僕が全部総取りしてPの頭を煽ってやったのに……!
だが覆水盆に返らず。もうほとんどの素材をアイツがインベントリに収めたあとだ。今度また何かの理由につけてくればいいだけの話、と自分を落ち着かせた。
そこでふと思い。キーボードに文字を打ち込む。それはなんでもない短文だ。
Cr:なぁ
Pの頭:あ? なんだよ
Cr:自称22歳の見た目幼女ってお前的にどう?
Pの頭:は??? またお得意のモーソーの類か?
Cr:まぁそんなもん
すると直ぐに答えが返ってきた。
Pの頭:SNEG?
死ね。なんでも下半身に直結させるな。エロとゲームのことしか考えてないだろこのクズニート……! とりあえず働け! (ブーメラン)
Pの頭:おいおい合法ロリなんて最高のシチュだろー? 良さがわかってるからそういう話をして俺と分かり合おうとしてるんだよな?
Cr:オールレンジ性癖を持ってるお前と一緒にすんな
残念ながら良さというものは全く理解できない。現在進行形で迷惑を被ってる最中だ。むしろ殺意というか憎悪というか……負の方向だよな間違いなく。
興味を覚えておもむろにカタカタ音を鳴らしてキーボードに文字を打ち込んだ。
Cr:それが実在するならどうする?
Pの頭:非実在青少女の話だろ? デブで汚いニートのお前の前に現れる訳ないだろうし
Cr:おい誰がデブで汚いだ撤回しろ。あとニートはお互い様だろうが
Pの頭:俺はニートじゃなぇあるよ?
Cr:動揺すんなよ。語尾が乱れてるぞ
はぁーこれだよ。こんな時間を無意味に殺してる時が1番楽しいんだよ。それを働かせようなんて……間違ってるよなぁ?
あぁ話がズレてる。脳死だから考えがひたすら右から左に流れていくな。
Cr:で、どうすんだよ。そんなきゃわいい合法ロリが突然現れてあたしに力を貸してくださいーなんて言ったら
きゃわいいなんて心にないことを打ち込んで仏頂面になっていると返信が返ってくる。
Pの頭:どこのライトノベルだよ。読みすぎて頭までおかしくなっちゃったか……あぁ元々だったな。可哀想に……ただまぁアレじゃね? 美少女に助け求められたらできる限り応えたいよな。男の本懐だろ
Cr:はいそこうっさい……あーそういうもんかね
Pの頭:最近のトレンドは"クール系"らしいがね俺はそう思うよ
誰も昨今のラノベの流行なんて聞いてない。それに誰が頭がおかしいだ、お前に言われたくない。
椅子に深く座り体重を背もたれに預けた。
コイツは断らない、か。
チラリ、と玄関の方を一目見る。どうせ今日も座り込みだろ。ホント暇なヤツ。望み薄な僕を頼るより他の頼りになるやつを探せばいいのに。無駄なことするなぁ。無駄なことしかしないから仕事が出来ないんだろうけど。
そんなことはどうでもいい。僕は僕のやりたいことをするだけだ。アイツがクビになろうがなんだろうが僕には何の関係もない。知ったことじゃない。
とりあえず僕は自分のキャラを動かしてPの頭に持っていた片手剣で今日攻撃を叩き込んだ。
Pの頭:おい!!!!なにすんだよ!!!!
すぐに奴からチャットが飛んでくるが……なんだろうな、多分ただの八つ当たりだろ。
それから怒涛のように罵詈雑言の嵐がチャットに書き込まれていくがそれすら気にせず僕はさっさと自分のキャラを進めてその場から離れていく。Pの頭とは長い間の付き合いだからこんなことしても大丈夫なのだ。知らない人には絶対やるなよ。
今日も僕はゲームやらなんやらで時間を殺していく。それが自分の中でどこか間違ってるって気付いていても。もう、働きたくなんてない。僕はあんなのもう経験したくない。
6.
どれぐらいの時が経っただろうが。こんな感じでニートしてると時間の感覚が狂う……がそれさえ慣れたものだ。
閉じきったカーテンの奥から赤い光が漏れ出すのを見た。もう夕方みたいだ。こうして一日がまた終わっていく。据え置きのパソコンの時計を見れば時刻は6時を示していた。
「っ……あああ肩こった」
さすがに長時間座っていて疲れた。何かに熱中していない時に脳が体の異常を告げる。都合がいいというかなんというかだな。
立ち上がって肩をぐるりと回す。こんなので疲れとか痛みが和らぐのだから不思議な話だ。
「さあてとそろそろ帰ったかな」
眼鏡を外して瞼の上から眼球を揉んでいると電話が掛かってきた。あ? こんな時間に誰からだ?
「はいもしもし」
「クロムさんっそちらにナルさんはいますか!?」
なんだシノアさんか。出て損したな。どうせ催促の電話だろ?
……? 今なんて?
「はぁナルってあのチビのワーダーのことですよね。どうせまだ座り込みでもしてるんじゃないですか?」
「彼女は外に出た時必ず本部に帰ってくるとボードに書いています!それは今回もそうです」
「……だったら今本部に向かってる最中なんじゃないですか」
「なら!! どうして制圧用特殊銃火器の位置情報がそこから1ミリも動いてないんですか!?」
心臓が1回、大きく跳ねた。
違う。
否定する。
そんな訳ない。
もう一度だけ否定。
僕は眼鏡をかけ直してゆっくりと玄関の方へ向かった。
「ははっ、やだなぁ。ただ眠りこけてるだけかもしれませんよ?」
自分で言っておかしいと思う。この15日間。何も気にしない訳ではなかった。あの人は、僕がどれだけ無視しても、家に上げなくなっても絶対に居眠りなんてことはしてなかった。根が真面目なんだろう、ずっと黙って過去の事件の資料を読んでいた。
だからこそ頭が、いや勘が告げる。事の重大さを。
心臓が早鐘を打つ。手が震える。ドアを開けたくない。この現実から目を逸らしたくて仕方がない。
やめろ、もう見たくない。
だけど、僕はドアノブを握っていた。頭の中とは裏腹に手は独立してゆっくりとだがノブを回していく。
瞬きが許されない、その瞬間を、結果を刮目しろと頭の内から誰かが囁いていた。黙れよ。なんで赤の他人の僕がこんな思いしなくちゃいけない。おかしいじゃないか。どうでもいい人間のはずなのになんで僕はこんな――――
「…………ぁ」
結果は一瞬。僕が一目見ただけで決着が着いた。
僕の目の前に落ちているバッグ。それは誰のものだったのか。落ちている制圧用特殊銃火器と状況から考えれば大した話じゃない。それは紛うことなく彼女のものだ。
――因果は廻るってね、クロム。
「クロムさん!? 応答してください! クロムさん!?」
耳元に当ててるはずの電話からの声が遠く聞こえる。足元がぐらりと揺らいだ。目の焦点が定まらない。身体中から汗が吹き出す。
(また……また、僕は…………救えなか――――は?)
(…………巫山戯るな)
――そうそう、そうだよ、あぁそうだとも。
まだ、終わってない。ゲームはまだ、続いてる。
「ッ」
すぐに家の中に引き返してパソコンの前に陣取った。
「答えてください!! クロムさん!!」
いちいち耳に当てているのも面倒臭い。ケータイの設定を弄ってハンズフリーの状態にして机の上に投げ出した。
「誘拐されてた」
「そんな……! ッすぐにワーダーを……!」
「そんなことして何になるんだよ、場所も分からないってのに」
「では――」
「僕が行きますよ」
急いでパソコンのキーボードを駆り、とあるアプリを開く。それだけで蜘蛛の糸が繋がった瞬間が見えた。少しだけ落ち着く。
「行く……ってどうやってですか! 位置情報も分からないんですよ!? 手当り次第しかないじゃないですか!」
「発信機」
それだけ言うと電話口の向こうで息を呑む気配。気付いただけて何より。説明する手間が省ける。
「でも、一体いつ……?」
「初日」
答えは至って簡単。最初からだ。
「シノアさんから話を聞いた時気になったんですよ。一体どんな生態してたら2年間実績がゼロになるのか。だから僕はあの人と会う日、朝出かけて発信機を買いに行った」
それが、あのスクランブル交差点で僕とあの人が出会った最初の時。
「貴方に踊らされたみたいで癪でしたけどね。まぁいい暇つぶしにはなるかなって思ったんですよ」
シノアさんはあの人が来る1日前にメールを寄越した。初めからこの人は僕のところに来させるように決めていたのだ。それが最も効率がいいやり方。僕を仕事に復帰させ、あの人を救済することを同時並行できる冴えたやり方。
「発信機はバッグの中と上着に1つずつ。彼女が外回りにバッグを持っていかないことも想定した入れ方で」
入れるタイミングがかなりシビアだったが彼女がビールを飲んで勝手に自爆したおかげで全ての条件はクリアされた。荷物をまとめるふりをしてバッグの中に、シワがつかないようにと気を使うふりをして上着に。
「……結局、毎日来られたせいで結局ほとんど何もわからなかったですけど。退屈しのぎにもならないし……おまけにこんなボーナスステージ発生なんて聞いてないですよ」
もしかして、と言葉を繋いだ。
「これも予想通りですか?」
「そんな馬鹿な」
否定の言葉はすぐに返ってきた。想定外……ほんとにそうか? この人はありとあらゆる可能性を想定してる。そんな人が弾き出せない未来が存在するのか……?
まぁ、いい。
「で、クロムさん。結果は?」
「待ってくださいよ。ここは……あぁ廃倉庫か。"デウス"にマーキングされてた場所のひとつですね。ここは"目"も何も無い」
連れ込むには絶好のスポットだ。
「じゃあ行ってきますわ。ま、すぐにぱぱぱっとやって終わりでしょうけど」
「ま、待ってください!! ホントに一人で行くつもりですか? 人数が多かったらどうするつもりなんですか!?」
あぁ……全部の可能性を見る人はそういう考え方もするんだ。視野が広すぎるのも問題だな。有り得ない可能性を潰せないんだから。
「人は少人数。そうだな……10人はいないかなって思いますけど」
「なっ――!! なんでそんなことが言えるんですか!」
お約束のセリフだ。パソコンの電源を閉じて、仕事着を――不格好で季節外れな灰色のダッフルコートを着込む。もう着たくなんてなかったけど。仕方がない。
「復帰、するんでしょ? だったらこの位1人で出来ないとね」
僕の言葉にシノアさんが言葉を詰まらせる。
「それでもっ! 理由になってません! 多かったら――」
「多くないですよ」
はっきりと断言。昔からこういうことには鼻が利くのだ。なんたって――――
「僕が犯罪者なら、そんなことしないからですよ」
7.
自前のバイクを走らせながらふと頭の中で電卓を弾いていた。今回で取れる皮算用。どう結果を持ってくかを。
別に、こんなことする人間は大した能力を持ってない。狡猾な力を持つ人間が杜撰な計画を立てる訳が無いのだ。だから今回のミッションは良くて難易度B-、下手したらCとかC-とかその位。受注した瞬間に終わったようなものだ。だから終わったあとのことを考えてもいいだろう。
久々だな、いけるか?
自分自身にそう問い掛けるがふと自分のしたことに笑った。この長い休暇で随分とナイーブになったものだな。昔ならこの程度、どうってことなかったのに。
「それだけ平和ボケしたってことかね」
平和なのは良きことなり、と目的地の廃倉庫が見えてきた。そこでとりあえず僕はある程度の距離を離した場所でバイクを停めた。勿論僕が来たと気付かせないためだ。
腰の左側のホルスターにはスマコンを、右のものには制圧用特殊銃火器を突っ込んでいる。準備は万端。
「……よし、行くか」
おふざけは一切無し。顔から笑みを消して僕は目の前の倉庫を見上げた。
目的は人質の安全な救出。それが最優先だ。
「だからバレないように行ってまずは確保」
それから殲滅すればいい。
裏口裏口……っと。ここかな?
無骨で錆びた金属の扉を音を立てないようにゆっくり開くと――――
「あ?」
「あ、ども」
目の前に人質と複数人の人間。あっれー? こっちって裏口じゃないのー? と扉に貼り付けられた貼り紙をよく見ると『正面玄関。御用の方はこちらから』と書かれていた。巫山戯んな! 犯罪者なんだからどっちが正面とか裏口だとかそんなの律儀に守るなよ!
「お取り込み中すいませんでした。では失礼しましたー」
「いや助けてよ!?」
そんなあどけない少女の叫び声が倉庫の中から響いた。えぇ……でも奇襲アドが……は? もう気づかれてるから関係ない? どこが、まだ誰も気づいてなかったでしょ!
とりあえず当初の目的を見失ってなかった僕はしぶしぶドアをくぐってあの人を助けに――――と危ない。待ち伏せしていきなり切りかかるなよ物騒だな。どんな教育受けてんだ?
とりあえずはいつの間にか手に持っていた大型のサバイバルナイフでそれを防いだ。男の顔が驚きに染まる。生まれた思考の空白は一瞬ですら十分。刃を斜めにそらしてそれを受け流す。抵抗させない。狙いは男の右手首にある太い血管。瞬きはしない。流水のように流れるナイフの軌跡を目で追って――――捉えた。
「はいごくろーさん」
そのまま腹を蹴り飛ばす。冗談みたいに溢れ出た血が放物線状に舞った。僕にはかからないけどね。
「さてと」
会話の切り出しは滑らか。僕は笑みを浮かべて周囲を見渡した。はいはい数は6。で今僕がやった奴を含めれば総数は7……扉を開ける前と数は変わってないからここにいるのは本当に7だろうな。予想通り、感覚が鈍ってないようで何より…………あぁ、ムカつく、吐き気がする。
いや、やめよう。そんな私的な感情はどうだっていい。僕は変わらない笑顔でこう宣言した。
「大人しくそこの人を返してください」
数人の視線が一人の男に向かった。了解、あれがここのリーダー格ね。
じゃあ――――
アイツ以外は何人殺してもいいって訳だ。
あ、言っておくけどすぐに殺すって訳じゃないよ。要するに……返答次第ってこと。蛮族じゃないからさ、敵対しない人間は無闇矢鱈と殺さないよ。そういう時は必要最低限でいい。
「降伏してくれませんか? 仕事が減って大変助かるんですけど」
その男に向けて言葉を投げかけると「はっ」と鼻でせせら笑った。あーこれ絶対断る流れじゃん僕知ってる。どっかのマンガかアニメで見た。
「お前頭悪いのか? お前は1人、こっちには後6人いる」
知ってた。
ていうか今の僕の手際を評価してくれないのは結構心にくるね……久々の割にはいい動き出来てたのにそれを一顧だにしないとは。もうこの程度は当たり前の時代?
それに、と男は付け加えた。この流れ……もう言わなくていいよーどうせ人質がーとかだろー? 未来視の能力は持ってないはずだけど……は!? ひたすらネトゲしてて新しい能力に目覚めたとか!?
……………………な訳ないか。
「それに、こっちにはこいつがいるんだぜ?」
爪先で示して見せたのは人質。やっぱり。もういいって。あんた、喋る度に僕の中で評価が下がってるぞ。
「じゃあ交渉は決裂ということで」
「…………やる気か?」
決裂っつってんだからそれ以外ないだろ。
くるりと手の中でサバイバルナイフを回して構えた。一応、形だけは、ね? 口で言って分からないっぽいから形で見せてあげないと。
「あ、そうそう」
「?」
「一瞬で終わるから」
その後男がどんな反応を見せたのか分からない。それより早く僕が走り出したから。
左、状況についていけてないノロマから。そんなんで本当にやっていけてたのか? 余計な抵抗をされたら面倒だ。一撃で、楽にする。首、厳密に言えば頸動脈だが、それを掻っ切った。残り5。リーダー格は残しとくから残り4かね。
すぐさまその死体となった男の後ろ側に回り込んで首根っこを掴む。これで汚れないし、何より即席の盾だ。この状態で突っ込ませてもらう。
近くにいた刃物を持つ男に向かって突進を敢行した。刃物は、どう頑張ったって|盾(、)を貫くことは不可能。刃を突き立てたなら死んで硬くなった人間の筋肉が挟み、それを阻むから。
あーあ振ってきた。悪手なのに。分かってないのかそれとも切羽詰まってるのか……どっちもか?
でも、そんなことどうでもいい。
罠にかかった獲物を見逃すほど甘くなんてない。今のところ全部が計画通りだ。僕は盾の奥で笑った。盾を手放してするりと脇から出る。目が合ったね? どうもこんばんは。
はい、残り3。
脇腹から正中線にかけて切り込んでナイフを引き――おい、引き抜けないんだけど。力入れすぎじゃない? 僕がやったみたいに筋肉で絞めるなよ。いや、錯乱して体が思い通りに動いてないの? ま、いいか。
膝蹴りをナイフの柄に叩き込みさらに体の深くに入れ込みその勢いを利用して戦線を一旦離脱。
さて、そろそろ人質の救出にでも。
人質の近くに1人いたな。そいつを――走り出す。
(おっと、逃亡兵かー?)
視界の端。この倉庫から逃げ出そうとする奴を目が捕らえた。ねぇ、逃げられると面倒なんですけど。
軸を合わせて、狙いはつけた。ナイフを――今度は投擲に適した小ぶりなものだ――を投げつける。正鵠無比、放ったナイフは正確に奴の足のふくらはぎ――腱に刺さった。それでそちらを気にするのはやめ。絶叫が耳朶を打つだけ。目は、次の獲物に向かっていた。……残り2?
1人は目の前、もう1人は――くそ微妙に遠いな。左側の少し離れた所。
投擲用のナイフを宙に放つ。ゆっくりと放物線上に投げられたナイフを見ながら側転、バク転、捻りを入れてナイフの柄を蹴りつけて遠くの敵に飛ばす。あぁ、あの軌道なら間違いなく当たる。それで終わりだ。
じゃあ最後のキミ。ナイフで――――なんて思ってない?
両足、左手で地面に着地。それから右のホルスターから制圧用特殊銃火器を引き抜いてすぐさま構えて頭めがけて撃ち込む。全てがスローモーション。男に特殊な製造法で作られた非殺傷麻痺弾が当たり男が昏倒するまでがワンセット。ターゲット、残り0。戦闘終了。
人質が無事なのでSランは確定か?
くるくると手の中で制圧用特殊銃火器を回してから再びホルスターの中に戻す。それからペタリと座り込んでしまっている彼女に手を差し伸べた。
「……大丈夫ですか?」
「あ、あ……ありが、と」
はいどういたしまして。お礼が言える子は偉いねー出来れば誘拐なんてされないのがベストなんだけど。それは言っちゃいけないお約束かな?
「さーてと、残りはあんた1人なんだけど」
「な……なんッ……なんなんだよッお前ぇ!!」
まぁまぁ腰が抜けたみたいで声だけ威勢がいいこと。楽しい尋問タイムになりそうだ。
と、いやいやそれは僕の仕事じゃないよ? これで僕の分は終わり。後は|この人(、、、)の仕事。
「はいこれ」
頭の上に疑問符を浮かべた彼女に「鈍いな」と内心イラつくが顔には出さず「これで撃ってください」と目の前のアレを見てそう言った。
「ど、どうして? クロくんが――」
「こっちにはこっちの考えがあるんですよ。いいから早く」
僕の視線を逃れるためか辺りを見渡し――何かに気付いた。
「く、クロくん」
「は?何ですか」
「……………………殺し、ちゃったの?」
は?
僕も一緒になって辺りを見渡し転がった数人を見て
「あー死んじゃった人もいるみたいですね」
とそう報告していた。
「なんで……? なんで殺しちゃったの……?」
さっきから質問ばっかりだなこの人は。
「向こうだって殺しに来てるんだ。お互い様でしょ。それに"ワーダー憲章"には公務執行妨害はその場のワーダーに一任すると明記されてる……当然後で本当にそれが正しかったのかは"デウス"に裁定されるでしょうが幸か不幸かここには"目"がない。"デウス"による裁定がなされないならここにいる証人によって僕の正しさは証明される」
つまり。
貴方が何も言わなかったなら僕は無罪になるってこと。
当然、この人が何を喚いてもシノアさんがそれを握りつぶすだろうが。向こうから頼んできたんだ、それぐらいのことはするべきだ。
さてと、こんな感じで納得してくれるといいんだけど……あぁ分かってる。その顔は納得できないって顔だ。
「そんなの……そんなの! 理由になってないよ。だってワーダーは正義の味方でしょ? 正義の味方が人を殺しちゃうなんて――」
「貴方は、1つ勘違いしてる」
そうだな。ずっと心の中に刺さってた棘だ。それをこの場で聞けたことには感謝すべきかな? そこでちゃっかり逃げようとしてる奴にはさ!
何回目かの投擲。何千回、何万回……もしかしたらそれ以上の回数してきたその動作はもう的を見ないでも当てるぐらいの技量になっている。投げたナイフは男の大腿部に深く突き刺さり男の絶叫。醜いし見苦しいったらありゃしないからそちらは見ない。しかし彼女を怯えさせるには十分だったようで彼女は肩を震わせた。
「正義の味方? 笑わせんな。この仕事が……街の治安を維持するための装置がそんなキレイなわけないだろ」
「それでも! あたしは!」
「そんなんだから何も出来ないんだろうが!!」
聞き分けのないガキを相手してるみたいでとうとう僕の我慢も限界に達した。
「は? ワーダーが正義の味方? あたしはそうなりたい? あぁ結構だ。だったらなればいいアンタの好きにすればいい。でもどうだ!? アンタはそんな何の役にも立たない信条を掲げてこの2年何してきた!! 気付けよ、2年間何も出来なかったのはそんな綺麗事ばっか吐いてたからだって!! なんの信条も持たずにただ仕事をする奴より厄介なんだよ! そんな口先だけの奴は!」
幼子のような彼女は聞きたくないとばかりに両手で耳を塞ぐ。が僕は手で無理やりそれを引き剥がす。小柄な彼女が僕を見上げて瞳の中の僕と目が合った。この人には僕はどんな風に見えてるんだろうな。人殺し? 悪魔か? なんでもいい。僕を頼ったからにはそんな甘いことは絶対に言わせない。
熱は吐き出されたことで少し収まった。僕は少しだけ冷静な声で「撃て」と短く命令した。
「こいつを撃てば今回の件は丸く収まる。他でもないアンタが、撃て」
手に力を入れてしまいそうになるが華奢な彼女の手首を握ってることを思い出し、やめる。
「別にこれを撃ったからってそいつが死ぬわけじゃない。知ってるだろ? これの中身は非殺傷弾だ」
お互いの吐息が聞こえるぐらいの距離で僕達は見つめ合う。でもそれは決して甘い雰囲気を織り成してる訳じゃない。
「それでも……怖い。人を撃つのが…………怖いよ」
ポツリ、と少女から出た言葉。甘い。僕が知ってるワーダは……ってそういうのはやめるか。
ため息をつく。埒が明かない。求められるのは妥協点か。
瞬時に考え、僕は提案。
「目を閉じろ」
「え?」
「いいから。あんまり煩わせるな」
短く突き放すように言って彼女を従わせる。それから後ろに回り込んで制圧用特殊銃火器をその手に握らせた。
「く、クロくん……?」
「アンタは自分で撃とうとするから変な罪悪感に捕われる。だったら僕がその責任を全部背負ってやればいい」
生憎なことにその手の責任なんてことには無頓着だからな。
僕は少女の腕越しに男に狙いをつけ「引き金に指をかけろ」と耳元で彼女に囁いた。その言葉で細くしなやかな指がトリガーにかかる。
「いいか、アンタは、僕に、やれって言われたからやるんだ」
言葉を節ずつに区切って馬鹿でもわかりやすいように言い聞かせる。
僕は指を彼女のものにかぶせトリガーを押し込んだ。
全ては一瞬。
パシュンと間の抜けた音が鳴って非殺傷の麻痺弾が男に突き刺さった。そして声が聞こえなくなるまで数秒もかからない。この弾丸に使われてる薬は即効性だ。
随分と呆気ない幕引きだったな。
「ほら終わったぞ」
さっさと子供のような彼女から体を離して自分を見下ろす。うん、汚れはついてないな。
遠くでサイレンが聞こえた。シノアさんが遣いを寄越したらしいな。まぁ……事後処理はその人たちに任せるか。
ぺたんと座り込んだ彼女を傍目に僕は声を出した。
「良かったな。これでまた1つ街の平和が救われたぞ。正義の味方のおかげでな」
皮肉のきいた台詞。
「ワーダーっていうのはこういうことをするモンだ。自分の身の丈に合わない理想を抱き続けるってなら……そのうち溺れるぞ」
倉庫を出るために歩を外に向けて進める。その場で俯いている新米ワーダーがどんな表情をしてるかは見えないし、そもそも興味が無い。ただ少し関わることになったから助言をするだけだ。
「しばらく考えてみろ。これからどうするか、自分にそれができるのか。どうせ今夜は眠れないだろ」
それじゃあお疲れ様。
そう言い残して僕は倉庫をあとにした。
8.
事後処理は他のワーダーに任せる……っと言ったが全部任せたら僕が1人で終わらせたことになりかねない。それは都合が悪いのだ。そのために嫌われ役をかったってのに。
という訳で少しは僕も手伝わなくてはいけない。
「…………それもこれで終わりっと」
パソコンで作成した文書をメールに添付してシノアさんに送る。
さて、寝るか。慣らしてからにしろって話だがそれを言ってもしょうがない。事件は人を待たないなんてよく言ったものだ。
床に倒れてそのまま目を瞑ろうとしたらーーピーンポーンーーインターホンが鳴った。……もう嫌な予感しかしないんだけど。
関係ない。寝る。僕は寝るぞ。何も聞こえないふりをしてやり過ごす。再びインターホンが鳴った。五月蝿い無視だ無視。
3回目、4回目、5回目6回目7かーーーー
「うるせぇよ!!??」
なんの嫌がらせだ!? イタズラにしても悪質すぎるだろうが!!
扉を開けてドアの目の前にいた人にそう叫ぶ。
「あ、あの!! おはよう!! クロくん!!」
「……………………オハヨウゴザイマスサヨナラ」
ここ15日ほど見てきたいつもの光景。相手したくなかったので扉を閉めようとしたらドアに足を挟んできやがった。
「何の用ですか。こっちは眠いんですけど」
「まだ、あたしのお願い、聞いてもらってないから」
…………? あー……確か手伝え? だったか? 昨日の誘拐が印象深すぎてすっかり忘れてたぞ。
「その件なら……っとメールだ」
そしてその瞬間冷や汗が背中を伝った。いや有りうるのか? 最悪だ。虫の知らせ? 悪寒? 何でもいい、嫌な予感再びだ。
シノアさんからのメール。予想的中。
天を仰ぎたくなる気持ちを抑えてメールアプリを開いた。
その内容を流し読んでーーーー
「…………嘘だろ」
何かの暗号かと思って色々な方法でその手紙を読んでみるが種も仕掛けもないーーつまり本文通りってか?
「く、クロくん!? どうしたの!?」
心配そうに僕の顔を覗き込んで、それから興味本位で僕のスマコンを覗き込んだ先輩の顔が嬉しそうに震えた。
そこには
『本日付で執行官クロム=ハーミットを同職ナル=ロスチャイルドの部下とし、その職務の補佐を命じる』
とのこと。
(……子供のお守りかよ)
絶望した表情で彼女を見ると彼女は満面の笑みを浮かべていた。ムカつく顔だ。人が見たら愛らしいと思えても今の僕には悪魔にしか見えない。悪魔祓いだ、今すぐエクソシストでも呼べ。それか塩まけ塩。
100歩、1000歩、いや1万歩譲って働くのはいいだろう……でもこれだけは勘弁だ。冗談よしてくれ。
「これは……ノーカンでしょ」
「もんどーむよー! これから宜しくね、クロくん?」
最悪だ。
僕の袖を引っ張りながら「ねぇ早く仕事に行こうよ!」と僕を急かすこの人を見下ろしながらしばらく考える。
この人が仕事があまりに出来なさすぎるから僕がテコ入れしろってことでしょ? だったらやるしか、ない…のか? ……やるぞ、安寧を手に入れるためにやる……やってやるぞ。介護だろうが養殖だろうが。この人にポイントを稼がせてクビの憂き目を晴らす、そしてコンビを解消させる!
だったらうかうかなんてしてられない。さっさとやって早急に終わらせる。
「……ホントに?」
「ホント!」
でもいまいち信じたくないから2度聞きしてしまうもそれを笑顔で跳ね除けられる。こうなったらこの人はもう無敵だな。
「ハァーーーーーーーーーーーー」
「溜め息が長いよ!?」
ため息をついて終われるんなら呼吸レベルでそうするのだが……生憎そうでも無いらしい。
「じゃあーーいきますか先輩?」
僕の先輩呼びに目を瞬せる。それから「はわぁ」と目を輝かせた。この人の喜び方、まるで人生で1番の日と言わんばかりだな。
「あ、それと……ね、クロくん」
「今度はなんですか」
「あ、あ……あの、ね! その…………家賃が払えなくてもう少しで追い出されそうだからあたしをここに泊めてください!」
「はいはい……………………は?」
思考停止。
今、なんて言った?
「泊めてください!」
「2度も言うな! はあぁあぁああぁあぁぁああぁぁぁ!!??」
今度こそ巫山戯るなと言わんばかりの僕の叫び声が辺りに響き渡った。
やっぱ働くってクソだ!!
9.
ワーダーたちの巣……言い方が悪いな、本部ワーダーハウス。そこに行くと僕を見かけた人の何人かが僕のことを訝しげな目で見る。おいそこのお前ら見世物じゃないから散れ散れ。とりあえず足早に歩いて人の目にあまりつかないようにする。
ワーダーハウスの6階。そこが僕と先輩が所属する部署があるところだ。そこまでエレベーターで登るとすぐにそこのドンが僕にウィンクしてきた。
「あらぁクロムちゃん、お久しぶりかしら?」
「久々です。大人しく棺桶に入ってる訳にもいかなくなったんでね」
「それはいいわぁ。貴方みたいな美少年が私より早く死んじゃったら私こそ死んでも死にきれないわん」
相変わらずだなこの人も、と苦笑。僕のこと美少年とかイケメンとか呼ぶの流行ってるのか? 最近になって突然言われ始めたんだけど。
とりあえずこの形式の口上は必要か?
「長らくの休暇失礼しました。執行官クロム=ハーミット復帰しました。これからは指示通りロスチャイルド執行官の補佐を務めます……ってことでいいですか?」
「はい、逃げないでくださいね」
部長の後ろに控えていたシノアさんがそう口を開いた。ははは、この人……
「仕事の選別はロスチャイルド執行官にお任せしてもよろしいのでしょうか」
「それはお2人で決めてください」
チッ丸投げかよ。まぁ子供のお守りじゃないからな……自分で考えろってことだ。
「復帰早々外回りで大丈夫かしら?」
「僕は外回りしか出来ませんから」
「それは頼もしい。では休んだ分より多くの仕事をしていただきましょう」
この人、僕が仕事に来た途端容赦なさすぎでは?
とりあえずは言わなきゃ伝わらないこの現代社会、言いたいことは言っておくのが吉。
「その件ですがシノア執行官。昨日の件はメール通りに」
「受理しました。委細承知しています」
なら良かった。手間かけただけの戦果は期待していいのかな?
シノアさんがこちらに目を合わせる。
「先輩、先に斡旋所に行って選んでてくれませんか? いいですか、無理なく、簡単なものを、ですよ」
「それはわかったけど……クロくんは?」
「積もる話もあるってことですよ」
それだけで何かを理解してくれたのか「後でぜったい来てよ!」とだけ言い残して先輩は部署を出ていった。さて、で? 積もる話ってなんですかね?
「で? 散々言い訳して休んだ落とし前、どうつけてくれるのん? あ、そうだ今度食事にでも行きましょうよ。いいとこ見つけたのよん?」
「……別の若い男を今度紹介しますよ」
「あら、人身御供だなんて悪い子。随分変わっちゃったのねぇ。前は何だかんだ言って付き合ってくれたっていうのに」
「この時期の2年なんて男が変わるには十分な時間でしょ? "男子3日会わざれば刮目して見よ"なんて言葉あるぐらいですし」
それもそうねぇ、と部長が頷く。やっぱり男子(?)共通の話題みたいだ。
さて、そろそろ世間話もここまでに、と言いたげにシノアさんが口を開いた。
「では昨日の件ですが」
「はぁ」
「あれで良かったのですか?」
「とりあえずはクビの憂き目を晴らす、それが僕の任務でしょう?」
それはそうですが、とシノアさんが押し黙る。
「でもクロムちゃんバレたらどうするつもりー?」
「バレませんよ、"目"がない、あそこには僕達しかいない、それに分かってるのはここにいる部長たちだけなんですから」
暗に黙っているように脅す。それを部長は肩をすくめるだけで流した。
「相変わらずのやり方ねぇ」
「分かってて僕に一任するんでしょう?」
「それもそうだけど」
僕がやり方を変えないのを分かってて寄越す人の方がよっぽど悪いと思うけどね。
「あぁそうそう」
思い出したように話をシノアさんに振る。
「見ました? 保護されたあとの彼女」
「えぇ」
「で? 昨日の今日なんですけど」
「……つまり?」
はぐらかしてるのか? いや単に僕の言葉が足りなかっただけか。
「元気ありすぎなんですよ、彼女」
「そうでしょうか」
「はい。昨日目の前でやむを得ずとはいえ人を殺して、彼女の正義を否定した人間に対する態度じゃないってことですよ、あれは」
そう、僕に対して一定の理解を示したような態度だ。いつも通り明るく振る舞う。どんな神経してるんだか、それともーー
「つまりクロムちゃんはあれ? なにか転機があったんじゃないかって言いたいの?」
部長の言葉を黙って受け取る。そしてそれは僕自身がシノアさんに向けた詰問でもあった。
「話の流れから推測すると私が何かした、と?」
「……どうですか?」
「ご冗談を。彼女自身でなにか思うところがあったのではないですか」
「それこそタチの悪い冗談ですね。あぁいう人間は自分の信じたことを疑わない。それを真っ向から否定した人間に前と同じように接すること、できます? 残念ながら僕には到底」
「それができるのが彼女だった、それだけでは?」
「有り得ない!」
僕の叫びがフロア内に木霊した。やってからしまったと思う。辺りを見渡すが幸人の影はなかった。良かった。少し反省してから続ける。
「僕だってまがりなりにもワーダーだ。人を見る目には自信がある。その勘が言ってるんですよ、あの人はそんなんじゃないって。部長だって知ってるでしょ僕の眼は」
「クロムちゃんの考えすぎじゃないかしらん」
「ッそんなことーー」
「なにをムキになってるのん?」
息が詰まる。
「クロムちゃん、貴方だって全能じゃない。それにブランク、あったんでしょ? ならその勘は鈍っててとーぜん、ね?」
「ですけど」
「認めたくないの? 彼女のこと」
「そッ…………えぇ、そうかも、しれないです」
僕が彼女に厳しいのは多分……いや、もう考えない。
そうだ、僕はなんでこんなにムキになってたんだ。単純な話じゃないか。これさえ聞ければそれでいい。そしてそれが僕の満足いく答えならば。
1回深く深呼吸。それから1つ訊ねた。
「あの人、先輩にあの事、話してないですよね。だったら|俺(、)はーー」
「心配しなくてもそれは無いわ。そうでしょ? シノアちゃん」
「はい。何に誓ってもそれは約束出来ます」
そうか。
目を瞑り、起こしかけた激情を水面下に沈める。
「なら良かったです! 僕の考えすぎみたいでしたね」
「ゲームのし過ぎで怒りっぽくなっちゃった?」
「……かもしれないですね」
ゲームも程々に、との部長の言葉に僕は苦笑を返す。
「ていうかいいですか? 絶対にあのことは言わないでくださいよ」
「わかってるわよー」
自分でも思うけど恐ろしい程に切り替えが早い。それは多分"その事"を聞かれて失望されたくないから。その変に意固地なプライドだけは守り通したいなんて僕自身思ってるからか?
僕は笑って「先輩のところに行ってきますね。変なもの頼まれても困りますから」と言い残してその場を後にした。
「はぁ、働くって大変だな」
それからエレベーターに入りぽつりと呟いた。中には誰もいない、これ位の愚痴は許されるだろ。
しばらくするとポーンと軽い電子音がエレベーター内に響いて扉が開く。目的地の2階みたいだ。
「おにーちゃん」
「……コロナ、久しぶり」
表情が顔に出てない少女が僕を見上げる。とりあえずはエレベーターから降りて歩くと僕の隣に追従するように少女が付いてきた。
「復帰したにゃん?」
にゃん、なんておかしな語尾を使うのは相変わらずのようだな。まぁ、これは僕とアイツのおふざけのせいだが。
「まぁ、そろそろ貯金が底をついてきたしな。これ以上サボると生活できなくなる」
「そう」
この子はあれか? 前に比べて輪をかけて無口になってないか? それとも単純に僕と話したくないだけか。
「じゃあ仕事してくる。久々だからゆっくり目にな」
その場から離れようと適当な口実を口にすると少女はこちら側を向いた。
「聞いたにゃん。あの"無戦果"のロスチャイルド執行官と組むって」
"無戦果"か。そんな渾名までついてるのか、あの人。
「それが仕事だからな。何でもするって訳よ。コロナはあの人と組んだことあるのか?」
「何回か。あの人、ホントに仕事できないにゃん」
「知ってるよ。それも織り込み済みだ。計画もちゃんと考えてある」
「やっぱり……おにーちゃんは凄いにゃん。今まで誰もできなかったことをやろうとしてるなんて」
まるで人類初の偉業に取り掛かるみたいな言い草だな。あとそんなに褒めるな、ゲーム以外でそんなこと言われると照れる。
「また、おにーちゃんと組んで仕事したい……にゃん」
今語尾が後付っぽくなったぞ。
「仕事したいなんてお前も物好きだな。それも僕なんかと」
「おにーちゃんなら、安心して任せられるにゃん」
そんなもんかね、と肩を竦めてみせると初めてコロナが表情らしいものを浮かべる。
そこで気づく。あぁ彼女が僕を嫌ってるんじゃないなって。僕が彼女に負い目を感じるから、多分そんなことを感じるんだろう。
「コロナ、あのさーー」
「あっいたいた! おーい!」
水を差す聞きなれた声。振り返ると我らが愛すべき先輩がこちらに手を振って走ってきた。
「遅いよクロくん。もうお仕事決めちゃったよ?」
「…………いいところで、」
「? 何か言った?」
「いいえ、何も」
先輩がいる前じゃ話したかったことも切り出せない。適当に世間話を振るかとコロナの方を見るがそこにはもう彼女の姿はなかった。逃げたのか……?
まぁまたいつか話す機会はあるか、と気持ちを切り替えて僕の様子に小首を傾げている先輩に「で、なんの仕事を取ったんですか?」と訊ねると先輩は誇らしげに「じゃじゃーん」と言って自分のスマコンを見せた。何、見ろってか?
「えーとなになに……、……………………は? 違法ドラッグバイヤーの検挙? 難易度は……おいA+ってなんだ」
「凄いよね! これを解決出来たら当分はクビになんてならないよ! それにお金もいっぱい貰えるだろうし……」
……あぁそうかい。そうかよ、分かったよ。どうして誰もこの人を介護できないのか。この人が勝手に身の丈に合わない仕事を持ってくるからかよ。
「詳しく見せてください」
キャンセルできるならやりたい。文面に穴が空くんじゃないかってぐらい睨みつけたがキャンセルについての詳細はどこにも書いてなかった。それはつまり達成するか失敗するかの二択。そして失敗したなら頭上のギロチンは加速度を増す。
……コイツ、自分の今の状況分かってるのか? 分かってないだろうなぁ。
「失敗して先輩がクビになっても僕知りませんからね」
「え、それってどういうこと」
「なんでもないですよ。せいぜい自分でしたことの責任は自分で持ってくださーーなんですかその目」
クビの2文字を伝えただけで捨てられた小動物のような顔をしてこっちを見上げるな。なにか悪いことした気になるだろうが。
「うぅうクロくん…………クロくんあたしの補佐なんでしょ!? なんとかしてよぉ」
そしてこの堂々たる丸投げっぷり。上司に向いてるよこの人。それにちょっとしたことだが可愛いからな、世間は許すだろうーーーーだが僕は許すかな。
「先輩」
「うぅ……なに、クロくん」
僕は先輩に優しく語りかけて淡い期待を持たせてから思いっ切りデコピンをかました。
「いたっ!? うぇえ何するの! クロくん!!」
「何するのも何もあるか!! 何してくれてんだアンタは!?」
なんで僕の足をこんなに引っ張るの? なにか恨みでもあるのか?
「いいですか! よく聞いてくださいよ、これ失敗したら先輩の輝かしい経歴の末席に加わるんですよ! それがどういうことか分かりますか、え!?」
「……クビが、近づいちゃう……」
はい、正解!!
もはや呆れを通り越して哀れみしか浮かばない。なんでこんな人がワーダーなんかになれたんだ? 完全に頭がついてこれてないんだよなぁ。
「で、でもクロくんだからA+の仕事なんて簡単なんだよね、ね?」
「……分かってます? 僕まだ復帰したてなんですけど。体鈍ってるんですけど?」
え? 詰んでね? 先輩が覚醒でもしないと無理でね? そんなこと絶対ないから終わってね?
この人が辞めさせられようがどうだっていいんだけど道連れに僕の経歴を汚すのやめてほしい。
溜息をつきたい気持ちを押し殺してなんとか言葉を吐く。
「……………………分かりました。もう行きましょう」
「あぅ、え、それってどうするの?」
「僕一人でやります」
「でもそしたらーー」
「先輩は後ろで見ててください。それで僕のやり方を学んでください」
上手くいけば先輩がクビにならないで済むし僕と別れても自分一人でやってけるでしょ。