第八十六章 正義の為に友を殺せるか?
レジスタンスを壊滅させ、真音達は日本へと戻って来て既に一週間経っていた。
本来なら労を労いたいところではあるが、誰もそんな気分にはなれなかった。
同級生のめぐみを手にかけた事、李とガーネイア、そしてロザリアが死んだ事。
成し遂げた偉業に比例するほどにせつない。
「なんなんだろ………この虚空な感じ」
真音はトーマスと眠れる獅子の本部屋上にいた。ふと話し始めたのは真音だった。
「あいつら………天国に逝けたかな」
真音の感情に共感はしてるが、トーマスは敢えて返事はかわした。
「石田さんが言ってた。李は国に利用されてたって。そこにレジスタンスが付け込んで……」
「知ってるよ」
「え?知ってたって………いつからだよ?あ、石田さんから電話来た時か」
「世界なんて違うのは言葉くらいだろ。どこに行っても弱い奴らばかりが喰わせ犬にされて、地位も名誉もある奴らだけがいつも笑ってやがる。悔しいよなあ…………」
「トーマス………」
「一週間。一週間以内にヒヒイロノカネを持って帰らないと妹の治療を打ち切るって、大統領様から脅されたよ」
「なんだって?それ本当なのか?一週間って………過ぎてるじゃないか!」
「ああ。さっき連絡来たよ。郊外の診療所に移したって」
トーマスはこうなる事を覚悟していたのか、あまり不安げな表情はしなかった。それはどこか吹っ切れたようにも見えた。
「なら早くアメリカに戻らないと!」
「戻ってどうすんだよ。傍にいるだけじゃリンダは治らない」
「だからって!」
「俺はマスターブレーンを破壊する。そしてガーディアン・ガールを造った博士って野郎も倒す。それが終わらないと何も始まらないんだよ」
「でも難病なんだろ?診療所なんかじゃ治療は無理だろ」
「当面の薬はある。大丈夫だ」
「大丈夫なわけ……」
「真音、俺達がやろうとしてる事は、世界を正しい道へ修正する事だ。人工の神だかなんだか知らねーけど、コンピュータなんかに振り回されてちゃ人類に未来はない。今、俺達がやらなきゃ誰がやるんだ?」
真音にはわかっていた。トーマスはリンダへの想いを抑えていると。
「二ノ宮ってオッサンもガーディアンを失った以上、戦いには参加出来ない。ジルは意識不明が続いてるし、眠れる獅子なんか宛にはならない。やれるのは俺と真音…お前しかいないんだ」
「……………薬、何日分あるんだ?」
「………………せいぜい後一週間。無くなってすぐには死ぬような病じゃねーけど、発作が出たら……アウトだな」
トーマスが言うと、真音はトーマスの胸倉を掴み、
「自分の妹だろ、アウトだなんて言うなよ!」
それは怒りとは違った。それはトーマスの覚悟に応える友の心。
「真音…………」
真音はトーマスから手を離す。
「どうしたらいいのかわからないけどさ、絶対に最後まで諦めちゃダメだ。きっと方法はあるはずだから」
「へっ………会った事もない奴の為にそこまで本気になれるんだもんな」
「当たり前だろ、友達の妹なんだから」
照れもなく『友達』と言った真音に、トーマスの方が照れてしまう。
「友達………か。悪くないな」
トーマスはその響きを噛み締めていた。
二ノ宮がロザリアを失い、選定者として戦えなくなった事は痛手ではあるが、石田はどこか安堵していた。
一方、十字架の墓標に『ROSARIA』の文字を刻み、悲痛を隠すように立ち尽くす二ノ宮は未だロザリアの死を受け入れきれていなかった。
「心中は察すよ」
石田は二ノ宮の背中を見つめている。親友であり、今は追うべき相手。それでも、その心に負った深い悲しみを前に何も気の利く事は言ってやれなかった。
「ロザリアが俺のところにやって来たのは、梅雨入りしたと実感出来た季節だった」
心中を察したのは二ノ宮も同じで、石田の想いに応えるべく語り出す。
「雨が酷い夜だった。マンションの前にずぶ濡れで立ってたよ」
「……………。」
「……………。」
赤い妙な服を着た銀髪の少女を避けてマンションに入ろうとするのだが、右へ避けると右へ、左へ避けると左へと邪魔をされる。
二人は無言のままそれを二、三度繰り返す。
「………どいてくれないかな?」
二ノ宮は優しく言ったが、銀髪の少女は首を振って断った。
「お父さんかお母さんは?風邪ひくぞ?」
二ノ宮はしゃがんで傘の中に入れてやる。
よく見れば非常に可愛い。大人になったらかなりの女になるだろう事は想像に難しくなかった。
「まいったな…………交番まで連れて行ってあげようか?」
少女はまた断った。
もじもじとしながら何か言いたそうにしているところを見ると、自分に用事があるのかもと思えてくる。ただ、見覚えがない。年齢は13〜15歳くらい。大人になっても幼さの残りそうな顔立ち。なによりも、夜の雨の中でもわかる銀色の髪。一度見たら忘れるような感じではない。
「名前は?」
とりあえず名前でも聞いてみりゃわかるかと尋ねてはみるものの、
「ロザリア」
まるで聞いた事がない。
「ひょっとして俺に用があるのかい?」
そう言うと、ロザリアは首を縦に下ろし便箋をリュックから取り出し二ノ宮に渡した。
「俺?」
渡された便箋は、薄い花柄がプリントされていて、可愛いというよりもどちらかと言えば上品な雰囲気がある。明らかに女性からの手紙だ。
『突然の手紙、失礼します。
あなたにこの手紙を渡した女の子はロザリアと言って、ガーディアン・ガールと呼ばれる特殊能力を持つ人間です。
実は今、世界は歪んだ未来へと進もうとしています。どうか、どうか世界を正す為、あなたのお力をお貸し下さい。詳しくはロザリアからお聞き下さい。
ただし、ロザリアの記憶は非常に曖昧で、必要最低限の記憶しか残してありません。もちろん私の事も忘れています。近々、私が直接お話に上がるまで、ロザリアをよろしくお願いします。
Rio 』
「………なんだこりゃ?」
意味不明な手紙に眉をひそめる。
「ねぇ……………」
するとロザリアが人間の服の袖を引っ張る。
「ん?あ、ああ、どうした?」
つぶらな瞳で何を言うのか、少し期待したのだが、
「寒い」
二人の出会いに降る雨。後に二人に訪れる悲哀の涙だと、この時に気付けるわけもなかった。
「今思えば、悲しい出会いだったのかもな」
二ノ宮は避ける事の不可能だった出会いをどこか恨んでいるようだった。
「そういえば、先日、中川本部長が殺された。殺ったのはおそらく眠れる獅子の上層部の連中が放った刺客だろう」
「そうか。彼女も死んだか」
「どうして………どうして死ななくていい人間が死に、どうして死ななきゃならないような連中がのうのうと生きてるんだ」
腹が立つのはこの世界そのもの。こんな時、誰でも思うだろう、自分が神であるなら………と。答えのない問いがもどかしかった。
「どっちにしても、もうマスターブレーンを探すのは不可能だ。お前にはもうガーディアン・ガールがいない。オリオンマン同様に単なる人間。俺達は負けたんだ。世界に」
石田は諦めを口にした。
「負けたと思うのは勝手だが、俺まで一緒にするな」
「フン……まだ何かやらかすつもりなのか?国際指名手配されてんだ、あまり派手に立ち回れないだろ。まあ、核の情報を集めるくらいだからなんか企んでるんだろうが、個人がどうにか出来るもんでもないし、やりたきゃ核の花火でもあげてみるんだな」
「お前みたいな奴を平和ボケしてるって言うんだよ」
「なんだと?誰が平和ボケしてるって?」
ようやく二ノ宮は石田と向かい合う。その表情に、石田は一瞬怯んだ。長い付き合いの中でも見た事がないほど険しい。
「眠れる獅子に入って何を見て来たんだ?世界が狂い始めてるのを見て来たんじゃなかったのか?偉そうに説教垂れる暇があるんなら、死ぬ気で人生に向き合ってみろ」
「偉そうなのはお前だろ」
「なんにせよ、負け犬に用はない。失せろ」
「テメェ………言わせておけば!」
二ノ宮の胸倉を掴み上げるが、力一杯振り払われる。
「真音達ならなんて言うだろうな?そんなにきっぱりと諦めるなんて言わないはずだ」
「………………そうか、知ってるんだな?マスターブレーンがどこにあるのか」
「ついでに言えば博士が誰なのかも知ってるよ」
「誰なんだ?言えよ」
「メビウス…………今はそう名乗ってる」
「本名は?」
「それを知る権利はお前にはない」
「またそれか。じゃあ誰にならあるってんだ」
「最後まで生き残った奴だよ」
二ノ宮はそれが誰なのか知っている。最後まで生き残る者を。
「石田、お前、俺を殺せるか?」
「な、なんだよ急に」
「正義の為に俺を殺せるかと聞いてるんだ」
「…………さあな。そん時になったら考えるさ」
「フン。そんなんじゃ到底、最後まで生き残るのは無理だな」
二ノ宮は石田を残して去る。
「俺は殺せる。自分が正義だと思ったものの為ならばな」
まだ死んでない。二ノ宮の心には未来を繋ぐ灯がまだ燻っていた。