第七十八章 R
冴子は眠れる獅子の上層部に申し立てをしていた。相変わらず十人、雁首並べて『重役椅子』に踏ん反り返っている。いつもなら萎縮してしまうところだが、今日の冴子は違っていた。
「もう一度言ってみたまえ、中川君」
「今すぐ二ノ宮達の援護を国連に要請して下さい」
「出来ん相談だ」
「なぜです?レジスタンス壊滅は眠れる獅子の本懐ではありませんか。なぜ選定者とガーディアンだけに行かせるんですか?今が攻め時のはずです!」
「本懐…………か。残念だが君の申し立ては却下する。レジスタンスを相手に戦うという事は戦争をすると言う事だ。心配せずとも第6選定者達が片付けてくれる。彼らは人間とは思えない力を持っている。任せておけばいい」
「納得出来ません。命を賭けて戦う彼らを放っておくんですか?レジスタンス壊滅をしないのなら、眠れる獅子は何の為に存在してるんですか!」
「身の程を弁えたまえ。組織には組織の考えがある。君に組織の存在意義を語られる言われはない」
「仮に彼らに万が一の事があったらどうなさるおつもりですか?」
「その時はその時だよ」
その一言で腹は決まった。
「わかりました。なら私が自ら国連に交渉します」
「バカな。君ごときが相手にされるわけないだろう」
「そうでしょうか?まがりなりにも眠れる獅子の本部を取り仕切る者です。話くらいは聞いてもらえると思いますが?」
「何を話すのだね?国連が部隊を派遣するには相当理由がなければならない。レジスタンスは眠れる獅子の管轄。我々が無用だと言えばそれまでだ」
「相当理由はあります。知ってるんです、組織がこの前死んだガーディアンからヒヒイロノカネを取り出して研究をしてる事。この話を持って行けば国連も黙ってはないでしょう」
「我々を脅すのかね?」
「以前にお約束して頂いたと記憶していますが?ガーディアンを人間として扱ってくださると。それは死人であっても同様にして頂きたいのです。とにかく、組織としての目的を果たしてもらいたいんです。それでも結果としてそうなるのなら……」
「わかった。レジスタンスへ向かった如月真音達の援護を国連へ要請する。即刻に」
「よろしくお願いします」
冴子は信用していなかった。もう何度も懇願した事だ。だが一向に聞き入れてもらっていない。それどころか、益々ひどくなっていっている。百年前の人造人間研究所で行われていた事が、眠れる獅子でも行われているのだ、見過ごす事など冴子には出来なかった。
深々と頭を下げ部屋から出て行く。そんな冴子を見て、彼女が国連に全てをぶちまける事を十人の幹部達は見越していた。
「時期だな」
「仕方あるまい」
「どうする?」
「決まっている。殺るんだ」
「ガーディアンの研究をしている事を知れた以上、生かしておくわけにはいかない」
「中川冴子…………惜しい人物だった」
時間は真夜中。冴子はまだ本部にいた。
眠れる獅子はレジスタンス壊滅が仕事。それが成し遂げられれば解体されるのは明白………と言うのはカッコつけすぎで、それを承知でみんなここにやって来たのだ。
上層部がガーディアンの研究を始めたのは、解体後に権力を失わない為。つまり、現在はどんな国際機関よりも権力がある。それはレジスタンス壊滅まで続くが、壊滅が成し遂げられて解体を言い渡された時、その時にガーディアンの研究を報告する。おそらくある程度の成果は出ている。だとすれば組織の縮小は免れないだろうが、解体は免れる。そうなれば国際機関として胸を張れる事も出来る。
とにかく未知の研究だ。成果のが出ている研究をしているのであればその地位は黙っていても高くなる。数ある国際機関のトップに君臨する事も夢ではないのだ。
冴子は機密資料をディスクに入れ持ち出していた。もちろんそれはガーディアン・ガールに関するもの。国連に提出するつもりだ。
IDパスをレコーダーに通し幹部エリアから一般エリアに出る。真夜中であっても常駐している者はいるのだが、廊下ですれ違う事はない。ただ一人エレベーターに乗り込もうとした時、背中に何かが押し当てられた。
「そのままエレベーターの中へ」
男の声だった。マスクをしているのか、声がこもっている。冴子は言われた通りに黙ってエレベーターに乗り込んだ。
「随分早かったわね」
男は自分を殺しに来たのだとわかった。
「すいませんね。これも仕事なもので」
「マスクを取ったら?そんなもので身分は隠せないわよ………斎藤君」
冴子は振り返った。銃口が目の前にあり、それを構えた身体つきのいい男。
男はマスクを取った。
「よくわかりましたね、本部長」
わからないわけがない。そもそも眠れる獅子はあちこちで活躍するスパイの集団。寄せ集めとは言えプロのスパイ達だ(素人のスパイなどいないだろうが)。そんな輩をまとめていたのが冴子だ。部下達の癖、口調、イントネーション、生活習慣まで熟知している。マスクをしてるくらいでは冴子を欺く事は不可能だ。
「普段は冴えないのは演技?」
普段の正之とは違う顔。プロの顔がある。
「そんな器用じゃないッス。まあスパイ活動が目的で入って来たわけじゃないんで、多少演技はしましたが」
正之は屋上へのボタンを押す。エレベーターは素直なまでに滑らかに動き出す。
「あなたには警戒してたのに…………バカね、私」
「俺をですか?なんかヘマしましたっけ?」
ヘマをした記憶はない。暗殺が仕事なのだから暗殺をするまでは特に怪しい行動などありえない。
「いいえ。ただ、あなたは他の連中とは違ったから。なんて言うか…………スパイなんて陰気な仕事をしてる人間特有の臭いがしないのよ。逆を言えば、あなたには別の臭いがあった」
エレベーターは屋上へ着き扉を開ける。
正之は開放ボタンを押しながら、冴子に外へ出るように促す。
「続きをどうぞ」
そう言って、今度は冴子の後頭部に銃口を当て前に進ませる。
「あなたからはサビの臭いがしたのよ」
「サビ?」
「血の臭いね」
「へぇ。毎日シャワーは浴びてますし、そうそう殺しはしてないんですけどねぇ……」
「そういうのはその人の雰囲気に纏わり付くのよ。その人が『仕事』を離れない限りは永遠に続くもの。ああ、でも一つだけヘマしてたわ………」
「一つだけ?」
「石田君に嶋津氏の事を尋ねられたでしょ?」
「ああ………嶋津氏の家に行った時の事ですね?」
「そう。その時あなた『普通のお爺さん』って言ったそうじゃない。そんなわけないわ。顔半分が金属で覆われていたのよ?あれを見て普通なんて言える人間はいない。だから考えたの、あなたがそう言った理由を」
冴子はフェンス際まで追いやられた。銃口は変わらず後頭部にある。
「その理由………是非聞きたいですね」
カチッと音がした。安全装置を下げたのか………それともオートマチックじゃないのかもしれない。いずれにせよ命を狙う音だ。
「あの時、あなたは『仕事』をしてた。殺しではなく監視ね。おそらく石田君の。監視対象の石田君に気付かれまいと、普段の自分を装う事にだけ気が行って、そんな単純な事を出来なかった。甘かったわね」
「恐れ入ります。まさかそんなところをツッコれるとは…………石田さんも気付いてるんでしょうか?」
「ええ。だからあなたの出身を調べたわ。一応、警視庁特務課ってなってるけど、そこは主に情報処理が仕事。斎藤君みたいな体育会系が入る部署ではないもの、嘘だとわかるわ」
「なるほど。『上』が言うように殺すには惜しい。では今度は俺から一つだけ。組織に逆らって何をしようってんです?」
「正義を貫くのよ。私が私でいられるように………」
冴子は覚悟を決める。
「さあ、やりなさい。恨みはしないから安心して」
目を閉じ、撃たれるのを待つ。
「正義…………なら俺も俺の正義を貫きます。短い間でしたけど、お世話になりました」
正之は引き金を弾いた。