第七十二章 スプラッシュ
「またしばらく帰って来れないけど、我慢してくれよな」
日本へ戻る前にトーマスとエメラはリンダの元を訪れていた。
「うん。私は大丈夫。お兄ちゃんこそ淋しくなっても我慢してね………あっ、エメラさんがいるから淋しくないか」
「リ、リンダ〜、お前はぁ〜!」
「エヘヘ。ごめんなさい」
じゃれるのもつかの間だった。だがトーマスにとっても、リンダにとっても、十分な休息になった。次に会う時まで、元気でいてくれたならそれだけでいい。二人はそう思った。
「トーマス、時間よ」
エメラが壁に掛かってある時計を見て言った。
「わかった。じゃあな、リンダ」
リンダの頭を最後に撫でた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「…………エメラさんと仲良くね」
リンダの言葉に顔を赤くする二人だったが、互いに顔を見合わすと否定する気も起きなかった。
「じゃあ行くよ」
トーマスは最愛の妹を残し、再び日本へと戻る。
チャーター機が真音達を乗せる為に着陸する。眠れる獅子の所有物だろう。
「気分はどうだ?」
二ノ宮に言われ真音は、
「緊張してます」
普通の言葉を返した。それ以外を思い付かない。いつかはレジスタンスを倒す。そう志したはずなのに、今は重圧を知る結果となっている。
「それでいい。敵地に着くまで大事に抱いてろ」
どういう意味かはわからない。でも二ノ宮が言うのであればそうすべきなのであろう。
「二ノ宮さんも緊張してるんですか?」
「俺か?まさかだろ。今更だよ。だがお前は緊張してた方がいい」
「どうしてです?」
「戦いに慣れてないからな。少し臆病なくらいがちょうどいい」
恐れを知らないというのは自慢にはならない。恐れを知ってこそ自らを知る事となる。
「如月君」
二ノ宮の言葉を記憶しようとしていると石田がやって来た。
「石田さん」
「そろそろ出発だそうだ。大丈夫かい?」
レジスタンスのアジトへ行くと決まってから何かと案じてくれてる。
「はい。二ノ宮さんもいますし」
そう真音が言うと、石田は二ノ宮を見た。と言うよりも睨んだと言った方が正しい。
「二ノ宮………如月君はお前とは違う。必ず生きて帰せ」
「フッ……俺とは違う?いいや、みんな同じだよ。俺も真音も……お前もな」
「ケッ。お前のそういう見透かしたような言い方は気にいらねーな」
「なあに、俺はただ与えられた宿命がそれぞれにあると言っただけだ」
「言ってろ」
どっから見ても喧嘩しそうな雰囲気なのに、二ノ宮だけは微笑んでた。その雰囲気を楽しんでいるかのように。
親友。だからこそ二人にしかわからない想いがある。
「用意が出来たみたいだな」
二ノ宮が歩いて来る冴子を見て言った。
冴子は厳しい表情で三人の前に立つと、
「出発の時間よ。準備は?」
「俺達は大丈夫ですけど、ユキとロザリアが……」
真音が周りを見渡すも、ユキとロザリアが見当たらない。
冴子は二ノ宮の方を見る。
「すぐ来るよ」
二ノ宮はそう告げると、ちょっとだけ真剣な表情を見せた。
「セイイチは本当は嬉しいの。みんなと一緒にいられるのが。でもそういう表現はしないんだって。別れが辛くなるから」
空港の中の喫茶店にいた。
ロザリアはチョコパフェをもぐもぐと頬張りながら言った。
一方、ユキはクラブサンドとトマトジュース、マロンケーキを広げて庭園を作っていた。
「なんで私にそんな説明するの?」
全くもってユキが二ノ宮に興味を持つ事などありえない。だからそんな説明をされては迷惑なのだ。大体、ロザリアが付き纏うので機嫌もあまりよろしくはない。
「別に。あなたが何も話さないから」
「なんで私に付き纏うの?私は一人で食事したかったのに」
「一人より二人の方が美味しいよ」
「一人の方がいい時もあるの」
言い合いはしてても、食べる事はやめない。やめたくないのだ。そんなユキの姿をじっと見つめる。
「な、なに?」
あまりに見られるので困惑してしまう。
「なんでもない」
「あんまり見られると監視されてるみたいで嫌なんだけど」
「そ。ところでさあ、ユキは本当に記憶がないの?」
「今度は何よ?」
「ううん。記憶があるのは私とメロウだけなのかと思って。私も全部はあるわけじゃないけどね」
繋ぎの会話なのか、特にユキに答えは求めなかった。
「あっ!チャーター機だ!」
ロザリアが自分達が乗るチャーター機だとわかったのは、尾翼にライオンのマークがあったから。眠れる獅子のマークなのだろうが眠ってはいない。ただ、ロザリアには眠そうなライオンには見えた。
「行くよユキ。ここは私がおごってあげる」
「えっ?ま、待ってよ!」
伝票を取りレジに走り出すロザリア。ユキは残ったトマトジュースを一気飲みした。
ユキとロザリアがやって来ると、選手壮行会をやるわけでもないので、すぐにチャーター機に乗り込んだ。
「それじゃあ行ってきます!」
エンジン音に負けないように真音は大きい声で石田と冴子に言った。
「死ぬなよ!生きて帰って来るんだ!」
石田は自分が行ってやれないもどかしさにイラつきながらも、真音を激励した。
「はいっ!」
真音は出兵する兵士のように、右手を額に持って行って敬礼した。何をしに行くのかわかっていないのではと石田は不安になる。
石田の不安は余所に、チャーター機のドアが閉まり離陸する為に滑走路へと向かう。
「祈りましょう………また生きて会えると」
二ノ宮は一日でカタがつくと言った。実際にレジスタンスを壊滅させ、次に連絡がとれるまでは二、三日かかる。冴子は全てを二ノ宮と真音達に託した。
「死ぬなよ………絶対に」
石田もまた、死地へ向かう四人を想っていた。
天秤は計る命を探していた。