第六十章 メビウス
懐かしむほどの時間が経ったわけではないが、めぐみは久しぶりに見るかつての街並みに安らぎを覚えていた。
とりわけ風情を重んじる性格はしてないし、故郷なんて言葉に特別な感情だって抱かない。なのに今日は、瞳に馴染んだ風景がやけにぐっと来る。
すれ違う学生達を摺り抜け、真音に会いに弓道場へと来ていた。
「ぶ、部長!」
一ヶ月くらいしか経ってないが、部員達はめぐみの突然の来訪に歓喜した。
「やあ。みんな励んでるかい?」
本来なら既に部外者なのだが、大分お気に入りなのか未だ私服で愛用している制服を着ている為、部員達も違和感は湧かないらしかった。
「如月はどうしたんだ?」
めぐみは真音が部長を引き受けたと思っている。後継者なんて大袈裟なものではないが、彼に継いでもらいたかった。
「如月先輩なら最近全然顔見ないよね?」
女子生徒が言うと、周りの生徒も頷く。
「じゃあ赤木が部長なのか?」
二年生はめぐみと真音と美紀の三人だけだった。真音が『部長』と呼ばれてないのなら、おのずと美紀が部長を務めているという事だ。
「はい。美紀先輩が部長をやってます」
「そうか……」
なんだか少し淋しくなる。真音の事情は知っている。きっと選定者として日々忙しくしてるのだろう。それでも、やっぱり真音に弓道部を引っ張っていてほしかった。
「鈴木………さん?」
不意に美紀が現れた。
「やあ、赤木」
美紀は意外な来客に目を丸くする。
「そんなに驚かないでくれよ。たった一ヶ月しか経ってないじゃないか」
男口調もそのまま。美紀は後輩達の目もはばからずめぐみに抱き着いた。
「あ、赤木!」
辛い事がある度に、美紀はよくめぐみに抱き着いていた。それすらも今日は心地よかった。
「ユキ!」
まさか自分の部屋に向かうのに、こんなに怒りを抱くとは思わなかった。
真音は壊れるくらい強く部屋のドアを開けた。
「ユキ!!」
真音の部屋でユキは、寝そべりながらプリンを頬張っていた。ファッション雑誌をペラペラめくりながら。
「ふぁによ(何よ)?」
「あーーーーっ!!遅かったぁーーっ!!」
しれっとしたユキの顔が真音の怒りに油を注ぐ。
「それ俺が昨日買って来たプリンだぞ!!」
授業が終わってから食べようと楽しみにしてたプリン。それも地域限定で売切ればかり。ようやく再販したのを、夕べコンビニで見つけたのだ。
味は確かなようで、ユキの満足そうな顔を見ればわかる。
「ちっさい事でいちいちうるさいなあ」
「うるさいとはなんだ!毎日毎日お菓子ばっか食いやがって!そのうちブタになるぞ!」
「ぶ………ブタ……」
「そうだ!ブタだよブ・タ!」
鼻を上に押し上げる真音を見て、姿見ミラーに映る自分を見る。
「………………………。」
心なしか、少し太ったかもと、おもむろに立ち上がり脇腹なんぞを摘んでみる。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
摘める量が増えてる気がしないでもない。
「あはははは!ほらみろ。ぶよってんじゃん!」
ああ神様。悪意の無い迂闊さほど自分を呪う事はない。
腹を抱えて笑う真音がユキの殺意に気がつくまで、ほんの数秒。気付いた時には鬼と化したユキの怒りが墜ちるのだった。
部活に少しばかり参加して久々の青春を堪能した後、めぐみは美紀と共に喫茶店に来ていた。
「そっかぁ………進展なしか」
真音と美紀の距離が気になるめぐみは、17歳らしい会話に勤しんでいる。
「し、進展とかそんなんじゃないし」
美紀の真音への気持ちなどとっくに見透かしている。それでも必死に隠すそぶりが愛らしい。
「そんな事言って、如月に女でも出来たか?」
「!!」
もうハムスターのような表情を見る為だけにからかっただけ。真音にユキがいる事は知っているのだ、勘のいいフリも難しくはない。
「ふふ。図星かあ?」
「ユ、ユキさんは如月君の彼女なんかじゃないもん!」
「ふぅん………ユキっていうんだ」
ハッと口に手を宛がうが、時既に遅し。めぐみのニヤケ顔が美紀を捉えていた。
「違うのっ!その子は……」
そしてまた口に手を宛がった。
勢いでユキがガーディアンである事を口走ってしまうところだった。
「その子は?」
反応を見てるだけで十分楽しめる。
「なんでもない」
「苦手なんだろ?私が思うに、その子は強気な性格でわがまま。自由奔放で威圧的な態度をとるんじゃないか?」
「す………すごい……どうしてわかったの?」
この辺はめぐみの想像だ。美紀が苦手な人間の性格なんて、今更おさらいするまでもなかった。
「ま、なんだね………愛は奪ってこそ価値がある。そのくらいしかアドバイスしてやれないけど、頑張って」
めぐみは時計を見て時間を確認すると、財布からお札を出す。
「今日は充実出来た。ここは私が持つ」
「え………いいよ!割り勘で!」
「ダメだよ。恋愛にはお金も必要なんだから。浮いたお金で如月にコーヒーでも買ってやりな。ついでに言えば、貸し借りも恋愛においては駆け引きの手段だ。ほどよくだけどな」
年頃とは思えないディープな恋愛感を披露すると、会計を済ませる。
「ごちそうさま」
美紀は、友人とは言え奢ってもらった礼を言うと、
「まだこっちにいるの?」
「いや、あさってには帰るんだ」
「じゃあ明日また会わない?如月君も連れて来るから」
せっかくの申し出だったが、真音には一人で会いたい。
「明日はちょっと都合が悪くて。また遊びに来るから」
残念そうな顔を速攻で見せた美紀を慰める。
「うん。また遊びに来て!」
淋しい気持ちを堪え、美紀は精一杯の笑顔で応えた。
次に会う時は、友人ではないだろう。めぐみは友人としての最後の別れを、美紀の肩を叩き微笑みで告げた。
噂の天才科学者は思った以上に若く、服装はまるでロックンローラー。額を守るようにキャップにはアルミのプレートがついていて、それを深く被り顔は見せないようにしている。プラス、サングラスもしているから尚更だ。
科学者は名前を『メビウス』と名乗っていた。だがそれは誰が聞いても偽名で、日本人の名前ではない。
「あの少年が科学者だと?」
眠れる獅子『上層部』の一人が疑念を口にした。
「まだ高校生なんじゃないか?」
「表舞台には出て来ない人物だ。常識は捨てるべきだろう」
「なんでもいいじゃないか。噂だけなら消すまでだ」
マジックミラー越しに、メビウスがガーディアンの研究資料を見る姿を眺めている。
すると、何やらメビウスが研究員を呼んで話し始める。
直ぐさまマイクのスイッチを入れ、隣の部屋で会話を聞く。
刑事ドラマで見るあれだ。
「わかりましたよ、そのヒヒイロノカネとかが使われている部位が」
いきなり飛び込んで来たメビウスの言葉に耳を傾ける。
「おそらくレントゲンやMRI、血液検査なんかでは出て来ないでしょう」
左手で机をノックし、ゴツイ指輪がカツカツ音を立てる。
「どこに使われていると推測するね?」
男性研究員は、見るからに科学者離れしたメビウスを見下すように言った。知識も経験もある自分達にわからないものが、こんな子供にわかるものかと言わんばかりに。
「脊髄ですよ」
「何?脊髄?」
「正確にはその中にある髄液ですか。ヒヒイロノカネは髄液にの中で存在してるんです」
科学と医学とは到底掛け離れているのだが、組織は別の視点からの発想が欲しかった。見落とした何かを見つけてくれれば…………そんな想いでメビウスを呼んだのだが、解答にもならない解答に研究員は鼻で笑ってしまう。
「所詮子供の浅知恵か。髄液の中にヒヒイロノカネがあるだって?くだらん。ヒヒイロノカネは未知とは言え金属だ。確かに、その資料には39℃で融解とあるが、人体の通常体温で溶けるとは思えない」
「私は意見を求められたからお答えしたまでです。この資料がなんなのかはわかりませんが、人体に何かを植え付け、かつそれが投影機器で発見出来ないのなら他に考えられる箇所はありませんね」
「ならどうして髄液だと断言出来るんだ?」
「血液検査でも見つからない。臓器でもない。まさか脳みそはいじれないでしょうし、他に人体に影響を与えられる箇所は脊髄の中。強いては髄液だと推測出来ませんかね?」
メビウスと研究員のやり取りが興味深くなってくる。いや、メビウスの発想が素晴らしい。信憑性も素人ながら高いのではと思えてくる。
「ただ、髄液にどうやって溶かしたかまではわかりません。それはそちらの仕事でしょうから、後はお任せしますよ」
メビウスはマジックミラーの方を向くと、
「スーパーマンの研究でもするつもりなんですかねぇ?ま、私には関係ありませんけど。では私は帰らせてもらいます。なにぶん忙しい身なもんで」
キャップのつばを微妙にくいっと上げ、軽く会釈を済ませメビウスは出て行った。
「髄液………ねぇ」
「彼をこのまま帰していいのか?」
公に出来ない秘密の組織なのだと知られてしまっている。
「監視は付けるさ」
「生かしておくと?」
「ヒヒイロノカネが髄液の中で存在するなんて発想、面白いじゃないか。もし彼の言う通りだったとしたら………組織に入れてもいいだろう」
「メビウス………………ただの凡人なら殺すまでだ」