第四十四章 罪人哀歌(前編)
石田とジルを迎えたのは、二十代後半から三十歳くらいの女性だった。
「突然に押しかけて申し訳ありません」
石田が丁寧に頭を下げて挨拶をすると、ジルも吊られて頭を下げた。
それを見て迎えた女性も丁寧に挨拶を返す。
「こんな山奥までお越し頂き恐縮です。私は嶋津のひ孫で香織と申します。国際警察の石田様でございますね?お待ちしておりました。そちらの外国の方は………」
正座をして深々と頭を下げる辺りは、育ちの良さを匂わせる。
「あ、ああ、ジルと言って私の付き添いです」
「そうですか。お綺麗な方ですね。さ、どうぞお上がり下さい。源次郎もお待ちです」
ジルは付き添い扱いされ不満げだったが、石田は無視した。
香織に促されて二人は家の中に上がる。
ジルは日本流にハイヒールを脱いでから。
香織は二人を連れて奥へと進む。
それほど大きい邸宅には見えなかったのだが、いざ入ってみるとそうでもない。長い廊下が続き、途中には年代物の壷が所々置かれていて、ジルが「へぇー」とか「ほう」と言った顔で眺めていた。
「源次郎さん……でしたっけ?確か140歳だとお聞きしたのですが……」
石田はかねてからの疑問を香織にぶつけた。もうじきわかる事であっても、心の準備は欲しい。
「ええ。お会いしたら驚かれると思いますよ」
しかし返って来た言葉に驚かされた。一体どういう意味で驚くと言ってるのだろうか?想像よりも若いのか?それとも想像通りにミイラに近いような果てる寸前の肉体なのか?香織の声は悪戯に明るかった。
「そういえば他の人は?」
後ろからジルが声をかける。
「ここには私と、ひい御祖父様しか住んでおりません。父と母と妹がおりますが、皆、街で暮らしております」
「香織さん……がお世話を?」
すかさず石田が聞いた。
石田は身分を偽っている。下手な事は聞けないが、何も聞かないのもこれまたおかしくなる。だから興味のない事でも聞いておく。
「はい。一人にはしておけませんので」
香織の優しい声が響く。
「(ちょっと、なんであんたが聞くのさ)」
こそこそとジルに耳打ちをされる。
「(お前は付き添いなんだから黙ってろ)」
「(なんですってえ!?)」
怒りの指針がMAXを指す瞬間、
「石田様……」
香織が立ち止まる。
「は、はい」
危うくぶつかりそうになった。
「こちらです」
香織は横を向くと、襖の前に正座をする。
「ひい御祖父様、国際警察の方がおいでになりました」
襖一枚。いよいよ140歳の生き証人との対面だ。
「……………入りなさい」
明らかに老人の声がした。
香織が両手を添えて襖を開ける。時間にすれば一秒か二秒。だがやたら長く感じた。
「どうぞ」
香織に言われ、石田は一度ジルを見る。
ジルは黙って頷き返した。
「………失礼します」
石田は静かに踏み出す。
「よく………来なすった……」
しゃがれ声が薄暗い部屋の中を浮遊する。
部屋の中は時間が止まったかのように冷たい。目の前には火鉢があるにもかかわらず。
「あなたが………」
石田は生唾を呑む。ジルも唇が乾いていくのがわかるほど…………驚いた。
そこには140歳の老人などいなかった。もちろんミイラもだ。そこには、四十歳程度の男がいる。
ただ…………顔面の半分が金属で覆われてはいるが。
「いつか………いつかこんな日が来る気がしていたよ」
人知の範囲など………たかが知れていた。
「ユキ、話があるの」
「エメラ………」
「あなたと真音、これからどうするの?」
「何?唐突に」
ガーディアンスーツは保温性能があるらしく、冬の山にいても寒さは感じない。
「真音はマスターブレーンを破壊して選定の儀を終わらせる。あなたは真音を神にしたい。進む方向がてんでんばらばらじゃない」
「余計なお世話よ」
素っ気なく返した。
今は仲間関係にあるが、本来は敵。真音は忘れているだろうが、ユキはまだエメラ達を敵だと思っている。
「そういうあなた達はどうなの?」
「さあね」
「何それ」
聞くだけ聞いておいて本人には答えがない。となればユキの態度は平行線を辿るばかりだ。
「ねぇユキ……」
「………何よ」
ユキに背を向けて歩き出す。
神妙な面持ちになったエメラについて行く。
「私達はなんなのかしら?」
「何って………ガーディアンでしょ」
「じゃあガーディアンって何?」
「エメラ、何が言いたいの?はっきり言ってくれなきゃわからないわ」
少し強い口調で言うと、エメラは、
「なら言うわ。トーマスには妹がいる。とても難病な。両親にも見捨てられ彼一人では面倒見切れない。そこで彼の国が、医療費を全面援助する代わりに、彼を利用して神に仕立て上げ、世界を牛耳ろうとしているの」
「だから?」
「だから私は悩んでる。多分トーマスも。トーマスはああ見えて優しいのよ。普段の強気な姿勢はそれを隠す為。素直じゃないのね」
ユキにはエメラが何を言いたいのか見えてこない。イライラが募り表情から余裕が消える。
「わからないわ。エメラが何を言いたいのか」
「トーマスが選定の儀を下りれば妹さんへの援助は無くなる。そしてトーマスも処分される。でもガーディアンの私が選定の儀を下りれば、トーマスが処分される事はない。そうでしょう?」
「まだわからないわね。ガーディアンが選定の儀を下りるなんて許されないわ。それに、援助が無くなっちゃうじゃない。いいの?」
「援助は無くならないわ。私が下りれば代わりのガーディアンを造るわ。そしたらそれまでトーマスは妹さんについててあげられるし、援助も続く」
「あなたはどうするの?掟破りは死罪よ」
ガーディアンが選定の儀を下りる事に関しては、特にルールにはない。想定されてないからだ。
だが任務を放棄する事は、死を持って償う羽目になる。そのくらいはエメラにだってわかっている。
「死罪………か。じゃあ改めて聞くわ、ガーディアンってなんなの?」
「どうしたのよ……エメラ」
「答えられないのね。なら私が答える。ガーディアンだって人間と変わらないわ。感情もあれば生理現象もある。無いのはメモリーだけ。どうやって生まれたのかすらわからない。でも生きてる。私達にも自分の道を選ぶ権利があってもおかしくないと思うの」
「…………らしくないわね」
ユキはエメラを睨んだ。
ユキはガーディアンである事に誇りを持っているようで、エメラの口走った主張が気に入らない。
「いつものエメラはもっとクールなのに………そんなに熱を帯びた戯言を吐くようなガーディアンじゃないじゃない………」
「あはは。知らないうちに変わったのかもね………トーマスに影響されて」
「エメラあなた………」
「どっちにしてもまだ答えが出たわけじゃないし、ちょっと話してみたかっただけ」
ユキの言葉を遮るように風が強く吹いた。
−ガーディアンにも生きる道を選ぶ権利がある−
エメラは誰かに言う事で、決意を固めたかったのかもしれない。
「道は………一つじゃない」
ダージリンがひょっこり現れた。
「ダ……ダージリン!」
一番びっくりしたのはユキだろう。何せいつの間にか横にいたのだから。
「どんな激流も、岩一つで流れが二つになる………常に選択肢は存在している」
ダージリンは指を二本立てて突き出した。どっからどうみてもピースサインにしか見えないが、彼女なりに意味はあるのだろう。でなければ、ツッコまれる事のないボケをかましたかだ。
「そうね。何かを選ぶ事でしか私達は生きられないもの」
自分にとっての幸せ。
エメラは失ったメモリーの穴を埋めたいと思っている。
大切なものを形にしたいと、かつては自分も持っていたかもしれない何かを取り戻したい………そう思っていた。