第三十九章 ダージリンの一日Part2
「ちょっと、ダージリン知らない?」
夕べのケガで真音もトーマスも寝込んでいた。そこへ図々しくもノックひとつせずにジルがやって来た。
「さあ?今日はまだ見てないな」
二人に代わり石田が答えた。
「そう。どこ行ったのかしら、あの子?」
ダージリンはミルクの散歩をしていた。太陽も顔を出し、散歩には絶好の日だ。
ミルクも初めての雪景色に喜びを隠せないでいる。
「ワン!」
リードが限界になるまで前に出ると、振り返ってダージリンを呼ぶように鳴く。
「ミルク…………元気でなにより」
こんなにはしゃぐミルクは見たことがない。連れて来てよかったと心底思っていた。
温泉街は観光客で賑わい、日々の疲れを癒しに来た人々でごった返している。
ダージリンは温泉街から離れ、『自然公園』と称された………ようするに何も無い、ただ散歩道だけがある公園へと進路を変えた。
ほんの数分歩いていると、道の真ん中に仁王立ちする少女がいた。
「ワン!ワン!」
どけと言わんばかりにミルクが吠えると、少女が振り向いた。
「……………なんなのです?」
腰に手を当て、何が不満なのか聞きたくなるくらい無愛想な顔をしている。
「……………邪魔」
「!!」
ダージリンは決して悪意を持って言ったわけではない。ちゃんとした通訳がいれば「そこを通してもらっていいですか?」と、謙虚に訳されたはずである。
「そんな事言われる覚えはないのです!」
人差し指でビシッとダージリンに突き出す。
「人に指差す…………無礼講」
「な、何を言ってるのです?」
ダージリンは「無礼者」と言いたかったのだろうが、今は相方がいなくてツッコまれる事はない。
「なのです………変な喋り方。親の顔が見たい」
ああ………まるで悪気は欠片もないのだが………。
「チッ………いちいち頭に来る奴なのです。誰かさんにそっくりなのです。大体お前こそ変な格好なのです!センスが無いのです!」
ダージリンの着ているガーディアンスーツを言っているのだ。
「あなたも………変な髪型」
少女は左側だけ頭の上からテールを作っている。笑いこそしないが、ダージリンにはそれが面白いらしい。
「な………!」
少女は大変お気に入りだけにショックを受けた。
そんなダージリンと少女のやり取りを聞き付けて、若い女性が三人やって来る。
「どーしたの景子〜?ケンカ?」
「はるかさん……」
少女は景子という名前らしい。
「わあ!かわいい〜〜〜!」
はるかと呼ばれた若い女性はミルクに飛び付く。
「景子ちゃん、何かありましたの?」
栗色の長い髪をふわりとさせた女性が騒ぎの原因を尋ねる。
「純さん………変なオカッパ女に絡まれたのです」
特に媚びる性格ではないのだが、ダージリンを言い負かす自信が無いので救いを求めるしかない。とにかくダージリンを黙らせたいようだ。
そんな景子の心を読んだのかもう一人が、
「絡まれたって………あんたそんなタマじゃないでしょ」
ロングブーツにミニスカート、タートルネックにダウンジャケットまで黒でキメた女性が言った。
「葵ちゃん!ほらほら!真っ白でふかふかでキャワイイ〜〜!」
その黒を好む女性を、はるかは葵と呼んだ。
「ワン!」
景子にはベロも出さなかったミルクも、はるかにはとことん懐いている。
「あなたのワンちゃん?」
犬如きで騒ぎたくはないが、葵とて可愛いものには目がない。だからダージリン経由でミルクに辿り着こうとしている。
「名前はミルク」
ミルクが愛されるのは悪い気はしない。ダージリンが葵に名前を教える。
「ミルクちゃんって言うの?ふふ〜ん、牛乳みたいに真っ白だもんね。純ちゃん、ほらかわいいよぅ〜〜」
はるかはミルクにぞっこん中である。
そんなはるかを見てると、ダージリンへの一矢にはならないと景子は知り、
「どうせ雑種なのです」
純をたきつける。お嬢様の純が何に反応するかは知り尽くしていた。
「雑種?それはいけませんわ」
純がつかつかと前に出て来る。
「あなた、このミルクとか言う犬は、犬種はなんですの?」
犬種と言われても、拾ったようなもの。例え血統書付きだったとしてもわかるわけがない。
「…………不明」
ダージリンはなぜそんな事を聞かれるのかわからなかった。
「んまっ!やっぱり雑種ですのね?二人共、血統書の無い犬にかまける時間はありませんわよ!」
いつの間にか溶け込んでいる葵にも言った。
景子は純が予想通りのアクションを起こしたので満足だった。
「別にいいじゃん雑種でも。そりゃ純ちゃんは血統のいい家庭で育ったでしょーけど」
はるかが口先を尖らせた。
「犬もいいわね。総帥に言って買ってもらおうか」
葵も犬種にはこだわらないらしい。
「何をおっしゃいますの葵さん!総帥にはもっと孤高な感じ…………そう、シベリアンハスキーなんかよろしいんじゃなくて?」
「え〜〜、チワワかミニチュアダックスがいい〜!」
はるかが駄々をこねた。
「私も小型でいいかな。シベリアンハスキーはデカすぎて可愛くないし、デカイのは世話が面倒臭い」
葵もはるかに賛成だ。
「これだから庶民は困りますわ。シベリアンハスキーのあの誇り高い…………」
「わかったわかったって。総帥に聞いてからにしましょ」
純の面倒臭い部分のスイッチを入れてしまったと、葵は自分を責めた。そもそも、純のどこにそのスイッチがあるかわからないから面倒臭い。
「総帥ならば絶対にシベリアンハスキー………もしくはシェパードをお選びになりますわ!」
純は自信満々に言った。
はるかは相変わらずミルクから離れないでいる。ダージリンは葵と純を不思議そうに眺めている。景子は……………
「頭が痛いのです」
人を使うのがこんなに難しいとは思ってなかった。
すると、今度はショートカットの大人っぽい女性がやって来た。
「貴女達、集合時間過ぎてるのに何やってるの」
コートのポケットに手を入れて颯爽と現れた女性は呆れ気味に言った。
「那奈さん!いいとこにおいで下さいましたわ」
純はニヤリとした。ここで那奈を味方に付ければと算段してるのだ。
「何よ?みんな待ってるんだから早くして」
「実は何の犬種を飼うかでもめてますの。お二人はチワワだのミニチュアだの言ってますが、わたくしは総帥にはシベリアンハスキーかシェパードがお似合いだと思いますの」
「貴女達………犬飼うつもりなの?」
那奈を取り込もうとする人物がもう一人。
「ほらほら!那奈さんも見て!ミルクって言うの!かわいいでしょぉ〜」
語尾がだらし無くなるのは、ミルクのかわいさにはるかが勝てないから。
「あらほんと。真っ白で可愛いわね」
那奈も犬は好きだ。ミルクを撫でてやる。
「那奈さんは絶〜〜〜〜対チワワかミニチュアダックスだよねぇ〜?」
「そうねぇ…………可愛ければなんでもいいわ。特に犬種にはこだわらないし」
はるかが純を見てしてやったりの顔をした。
「じゃあさ、総帥に相談する時に…………」
「ダメよ」
「へ?」
那奈はすくっと立ち上がり、
「前に私も聞いた事あるのよ、屋敷に犬一匹くらい飼いませんかって」
はるかだけでなく、純も葵も景子も、一応ダージリンも聞いている。
「それで総帥は何て?」
葵が聞く。
「そしたらね…………『お前達だけで手一杯だよ』って言われた」
その言葉を聞いた瞬間、希望は絶望へと変わった。那奈が笑ってるのは、そう言われた時に一本取られたと思ったからだろう。
「さて、帰りますか」
葵が言うと、純とはるかもため息をつきながらも同意を見せた。
「また会えるといいねミルク」
葵はミルクを撫でてさよならを告げる。
「うぅ……バイバイ、ミルクちゃん」
はるかは最後に頬擦りをした。
「わたくしは諦めませんわ!総帥をなんとしてでも説得して見せますわ!」
何の火が点いたのか…………純は戦場へ行くかのように帰って行った。
「なんだかうちのメンバーが迷惑かけたみたいね」
那奈がダージリンに詫びる。事情は知らないまでも、あのメンバーが何をしてたのかは想像出来るからだ。
「気にしない…………ミルクも喜んでた」
「ふふ。そう言ってもらえるとありがたいわ」
那奈もミルクを撫でる。こんな時でもないと動物に触れ合う機会がない。
「それじゃ」
「…………それじゃ」
ダージリンも那奈を真似た。
みんな帰り、ダージリンも旅館に戻ろうとする。
「お前!」
景子を忘れていた。
「今日は見逃すのです!でも次は負けないのです!」
そう言って走り去った。
「………………?」
何度考えてもなんで勝ち負けの話になるのか理解出来なかった。
が、変な人種に会ったものだと感心もしていた。
「ミルク…………楽しかった?」
「ワン!」
立ち止まって後ろを見る。もう誰もいないが、
「…………頑張って」
なぜかそう言った。
旅館の裏にミルクを繋ぐと、ダージリンは正面口に周り中へ入る。
「あんたどこ行ってたの!」
ジルが売店から現れた。
周囲の注目がジルに集まる。もちろん容姿が綺麗な事もあるが、なによりフランス人のジルがイントネーションひとつ間違わずに日本語で叫んだ事に驚いたのだ。
「ミルクと散歩」
「散歩って………半日も?」
コクリと首をもたげた。
「今度から一言言ってから行きなさい」
心配してたのだ。
「ジル…………心配した」
「べ、別にしてないわよ」
「嘘は泥棒の始まり………」
「こういう時に使う言葉じゃないの!」
ダージリンのこめかみをぐりぐりする。
「………ったく、世話のやける。楽しかった?」
ダージリンはまた頷いた。
「そ。ならよかったわね」
あまり人間らしくないダージリンが、人間らしい行動や感情を抱く事に反対するわけがない。もっと刺激を受けて、ユキやエメラのように『普通』であってくれればと思う。
「戻るわよ、みんなでお昼食べに行くから」
ダージリンはまだあの変な人種を思い出していた。実に愉快な。
「ジル………」
「んん〜?」
「私達はまだ若手」
「は?」
「下積みが足りない」
「またわけのわからない事を……」
景子達との出会いは、ダージリンにとっては大切な思い出になるだろう。