第三十六章 Viva!温泉パラダイス! 〜プロローグ〜
正直、無事に帰還出来るとは思っていなかった。もちろん真音達にはそんな事は言えないが。
息をつく間もなく到着後すぐ、石田は冴子に報告に来ていた。
「以上が研究所であった出来事です」
一通り説明はした。島に滞在した時間など半日程度だし、特に語る事はない。
「ご苦労様。それにしてもレジスタンスが何もしないで退却したとなれば、また研究所に来る確率は高いわね」
その可能性はほぼ無い。とは誰も知らない。リオは目的を果たして戻って行ったのだから。
「今度は勘弁して下さいよ」
石田は真面目に取り入った。ここのところ休みなく働きっぱなしだ。いい加減疲れを隠せない。そんな石田を冴子はわかっていた。
冴子はデスクの引きだしから白い封筒を取り出して石田の前に置いた。
「これは?」
申し訳ないが、特別ボーナスにしては厚みが無い。自分で言うのもなんだが、結構な働きはしている。たかだか数枚のお札では物足りない。…………そう石田は思っていた。
「開けてみて」
冴子に言われるがまま封筒を開けて中を見る。入っていたのは………
「……………温泉………ですか?」
温泉旅館の宿泊券が七人分。
「上からのご褒美よ」
現金の方が有り難かったかもしれない。ご褒美の人数は、引き続きの任務を告げられているのだ。あの連中とずっといなければならないのなら、休暇には程遠いと言える。
ため息は出さなかったと思うが、表情には出てしまっただろう。
誰が悪いのかと言えば、察しの良すぎる自分が悪いのだ、文句は言えない。
「選定者とガーディアンのお守りをしろって事ですか………」
「あら、温泉に浸かりながら仕事だなんて最高じゃない」
「はあ…」
「まさか札束期待したの?あなたは一応公務員なんだから、そんなに都合よくボーナスなんて貰えないわよ」
わかってるから言わないでほしい。段々自分が情けなく思えてくる。
「こちらから別命あるまでゆ〜〜っくりして来ていいわ」
「へい」
「覇気が無いわねぇ………ま、せいぜい楽しむ事ね」
冴子も少しは石田に同情しているのだ。だが任務をこなすのに彼以外に任せられる人間が組織にはいない。堪えてもらわねば困る。
石田は頭を下げ冴子の部屋を出て行く。
「石田君!」
「なんでしょう?」
「お土産よろしくね!」
年甲斐もなく可愛くウインクしてみたが、
「失礼します」
愛想笑いすらなかった。
「可愛くない奴………い〜〜〜っだ!」
おもいっきり顔をしかめた。
真音達はというと、会議室のような部屋で待たされていた。
「あ〜〜〜もうっ!いつまで待たせんのよ!」
シャワーも浴びたいし、腹も減った。基本的にジルは待つという行為が大嫌いだ。好きな奴などいないだろうが、彼女は待たなきゃいけない状況であっても待てないのだ。
「ヒステリー…………シワが増える」
ダージリンにしてみれば毎度の事なのだろう、無表情な中にジルを眺めて楽しんでいるように見える。
「ほっといて!」
今ばかりはダージリンのジョークに構う気持ちのキャパはゼロだ。
「落ち着けよ。たかだか一時間だろ」
あまりのジルのキレっぷりに短気なトーマスの方が逆に冷静になる。
「一時間よ!?一時間!汚れた身体を洗いたいのよ!!私は!!」
なんとも女らしい希望ではあるが、若干十四畳程度の狭い会議室の密度は真音とトーマスを除いて四人が女性、二人が男性というわかりやすい比率になっているのに、ジルに軍配はあがらないのは…………やはりガーディアンは別物と考えるべきか。
「気を遣うほど大層な身体なのかね」
「あらトーマス、なんなら見せてあげましょうか?私身体には自信があるのよ」
「何をふざけ…………って、おいっ!」
ジルが服を脱ぎ始める。
トーマスも、そして真音も………………悲しい男の性は一人の女に釘づけだ。
「どう?よ〜く見なさい……」
ジャケットを脱ぎ、ワイシャツをはだける。黒い下着が白く豊満な二つの山を引き立たせてる。こんな時、普通なら『谷間』を強調するものだが、それは日本人のあくまで『一般常識』であり、フランス人…………が関係あるかどうかは知らないが、ジルは胸を反って強調する。するとそこは、登頂困難な山脈へと姿を変えた。
更なる演出効果に甘〜い囁きを効かせる。効果の程は言わずとも二人の顔を見れば一目瞭然。
「ジ、ジル……ふ、ふふ服着ろよ!!」
真音はかつてない衝撃と刺激にノックアウト寸前だ。
「このバカ女!わかったから胸隠せ!」
同じくトーマスも。
二人の反応がジルの気をよくしたのか、やめろと言われてもやめられない。
「そんな事言ってるけど……………目線は二人共私のバストに来てるわよ?ほうら…………食べてもいいわよ」
悪ノリは二人の血圧を急上昇させた。
トーマスは自我との戦いに明け暮れるが、煩悩には勝てず指はしっかりと視界を確保している。
真音はというと…………………………………………鼻血を出して倒れた。これを純粋と取るか情けないと取るかは、敢えて論議は避けたい。
そんな二人の戦いに冷ややかな意見を述べる者………
「呆れるわ………」
とエメラ。
「最っっっ低っ!!」
とユキ。
どんな勇敢な戦士も、敗者となれば讃える価値もなくなる。
「あっはははは!だらしないわねぇ〜。そんなんじゃ男としての成長はまだ先かしら」
ジルは機嫌を持ち直した。
「そんなジルも女としてはまだ発展途上………」
「あんたに言われたかないわよ」
今度はダージリンのボケ(ツッコミ?)に鋭敏なる反応が出来た。
そこにタイミングを合わせたように石田が入って来た。
「!!!!!??」
当然の反応を見せる。
「な……なななな………なななななな!?」
もう言葉は見失ってしまった。
ジルの抜群と言っても足りないくらいのプロポーションの前では、石田とて所詮ただの男にならざるを得ない。
「ジル、いい加減服を着て!」
ようやく注意をしたのはユキ。どうやら真音の目には映したくないらしい。
「かわいいわね、ヤキモチだったりして」
ジロッと睨まれ、観念したようだ。
何があったのか石田はまだ理解してなかったが、深く考えると頭が痛む。というか今は早く温泉に浸かりたい気分だった。
「…………まったく。何をやってるんだか」
深く考えなくても頭は痛むようだ。
「ところでさあ、私達はいつ解放してもらえるのかしら?」
服を着直してジルが聞いた。
「そ、そうだ!拘束される筋合いはないだろ」
エメラの視線を気にしつつ、トーマスが言った。
「まあ待て。悪いが君達を解放するわけには行かない」
「はあ?なんでよ?」
ジルが食ってかかる。それはそうだろう、眠れる獅子にジル達を拘束する権利はない。
「説明して下さい。納得のいくように」
真音はハンカチで鼻を押さえ立ち上がった。
トーマス同様、パートナーのユキを意識しつつなるべく話を逸らしたかった。
「眠れる獅子がなんて言おうと、私達は帰るから。行き当たりばったりの冒険には連れて行かれるわ戦いはさせられるわ、あげくの果てには墜落必至のヘリに乗せられるわ…………日本がこんなに危険な国だとは思わなかったわ」
「日本は関係ないだろう?やれやれ…………」
石田だってジルの不満はわかってる。しかしここで同情するわけにも討論する気もない。
「帰るわよ!ダージリン!」
ジルは顎を突き上げ部屋を出ようとした。その時、ヒラヒラとなびくものが視界の隅………かなり寸瞬入った。
ジルはピタリと歩みを止め、なびく『何か』を見る。
「おやおやフランス人のお姉さん、帰るんじゃなかったのかい?」
ニヤリと石田は笑って手首を振り続けてる。その手には………
「それは…………何?」
ジルはみんなを代表して聞く。
女の直感で、実に興味があるものだと疑わない。
「これはお目が高い。これはチケットです」
食いつけば主導権は石田にある。どこまでだって演技が出来る自信がある。
「チケット?ふぅん…………ま、一応聞いてあげる。何のチケットなのかしら?」
興味の無いフリは下手くそな演技にしかならない。
「おやおや、気になりますか?」
「べ、別に」
「ならあなたには関係のない話です。さ、お帰りはこちらです。お嬢さんはどうなさいます?」
ジルには出口を教え、ダージリンには選択権を与えた。
まるで三流芝居だが、これはこれで面白い。
「帰らない」
「ダ、ダージリン!!」
きっぱりと言ったダージリンに裏切りさえ感じた。
「皆様はどうなさいます?このチケットが気になりませんか?」
石田は真音と目が合うと片目を閉じて見せた。それは合図。真音もニヤリと笑い、
「気になりますねぇ。それはなんでしょうか?実に興味をそそられます」
三流芝居に参加した。
トーマスは冷ややかにため息をついたが、ユキとエメラは人造人間と言っても女性の感情・思考がある。興味は存分に湧いている。
「面白いわね。知りたいわ、何のチケットなのか」
自分を崩さないようにエメラは慎重に発した。
そしてユキも、
「ま、真音が興味があるなら私も………」
最後は超音波ほどの声量になった。
「ちょ、あんた達まで裏切るの!?」
ジルが騒ぎ出した。頃合いだろう。
「どうなさいます?ジル=アントワネット様」
「くっ…………ま、まあしょうがないわ。この子達が見たいってなら…………私も見ないわけにはいかないわ。しょ〜〜がなくね」
全然つじつまの合わない理屈だったが、そこをツッコんでも始まらない。石田は真実を語る。
「わかりました。これはですね…………」
全員の注目を浴びる。案外気持ちがいい。俳優の気持ちに触れた気がした。
「三泊四日温泉の旅のチケットでございます」
その言葉に女性陣の目がときめいた。
「温…………泉?」
一際目がときめいたのはジルだった。その瞬間、勝負は決まった。
「そう。今回はバタバタとさせた上、君達のおかげで研究所から大切な資料を持ち帰れた。そのお礼の意味も込め、組織からのささやかなプレゼントだ」
もう演技をする必要もない。
「ひとつ聞くけど………日本では『混浴』ってのがあるらしいけど…………」
どこからの知識か、エメラは『混浴』がお好みでないらしい。
「心配はいらない。今時の日本は男女別々さ。無くも無いが、今回は混浴は無いから安心してくれ」
「私も聞きたいんだけど………当然露天風呂なんでしょうね?」
ユキが腕組みをして聞く。
「もちろんだ」
ユキはしかめっつらを続けるが、既に心は温泉へ旅立った。
「ケッ。日本人ってなんでそんなに風呂が好きなんだ?」
トーマスは微塵もときめかなかった………が、エメラを見ると行くしかないのだろうと思った。
「でも石田さん、俺には学校が…………」
そう言う真音に、
「学校と両親には手回しをしておくから大丈夫。その辺は組織の得意分野だから気にするな」
それを聞けば安心だ。
「そうそう、因みにホテルじゃなくて旅館に泊まる。格式高い旅館だそうだ。料理も期待していいだろう」
そう石田が言った瞬間、
「やったあ−−−−っ!!」
ジルは喜びを声にした。
それを見て真音が笑い、ユキが笑い、エメラも微笑む。ダージリンも……多分喜んでいる。トーマスはまた、ため息をついた。
かくして七人の休日はいかなるものか…………。