第百十六章 人の在りし未来
目を開けると、そこには二ノ宮の顔があった。
「セイイチ………」
まだ生きているのだと実感出来たのは胸の痛みで、上半身を抱き起こした二ノ宮の温もりも伝わっている。
不自然な熱気に気付いて辺りを見ると、炎が視界の大半を占めていた。
「……………私………青薔薇に………」
胸に突き刺さっている茨を見て、負けた事を思い出す。
「もう終わったんだ」
爆発により火災と崩壊を始めた研究所。それが自分達の勝利である事は明確だった。
二ノ宮の言葉で安心した。
「…………………きっと助かりませんね………」
胸から溢れる血液。ガーディアンでなければ即死だろう。
「せめて……あなただけでも………逃げて………」
リオは二ノ宮の手を、出来るだけ強く握った。覚えていてほしいと願って。
しかし二ノ宮は首を横に振り、
「お前を残して行けるわけないだろ」
逃げる事を拒んだ。
「お前やロザリアのいない世界なんて、俺にはなんの価値もない」
リオの白い肌を血が赤く染め、死を悟るその姿は、ロザリアの最後と重なる。
「ここで一緒に果てよう」
そう言って微笑む顔が誰よりも愛しい。
「………バカな人。でも………嬉しい」
涙が滲む。
その時、二ノ宮の首元が光った。
「その指輪………」
幼いリオとの約束を込めた指輪が、綺麗に手入れされ首から下がっていた。
「まだ持っていたんだ……」
「離れてても、お前との絆を感じる事が出来る魔法のアイテムだからな」
優しくリオの髪を指で愛撫する。
「でも私のは青薔薇に………」
淋しそうな表情をしたリオの手を取り、左の薬指にはめてやる。リオは無邪気に笑顔を見せた。
サイズの合わない指輪でも、リオにとっては意味がある。
「もう離れる事はない。ずっと一緒だ」
二ノ宮は永遠を誓う。
長い年月を生きて来たリオ。幸せになりたいと必死になってやっと手に入れた幸せが、命の尽きる瞬間。それでも十分だった。
神は二人を見届けたのか、地震が起き建物が揺れる。研究所も、その役目を終える時が来たのだ。
「行こう。ロザリアが待ってる」
「あの日あの冬に、あなたに逢えてよかった………」
リオは二ノ宮に唇をあずける。
二人の唇は、あの世に旅立つまで片時も離れなかった。
少女は恋をして、大人になる事を望んだ。叶わぬ望みに奇跡を起こして少女は大人になった。だがそれは多分、誰もが通る道。
早く大人になりたいと願った時期があって………
大人にならなくてもいいと思った時期もあって………
気がつけばいつの間にか大人にっていて………
それも悪くないと思い始め、やがて大人になった事を自覚する。
現在の自分が、どれだけの『自分』を犠牲にして成り立っているのか、振り返る道がある事を知る。
人は心の成長が出来る唯一の生き物。だからこそ、思い出無くして前には進めない。
振り返る道があった事。二人にとっては、それが一番の幸せだったのかもしれない。
「石田さん!避難しましょう!」
正之が石田を急かす。
研究所が突如、爆発を始め火災を招き、崩壊を余儀なくしている。戻る気配の無い真音達を待つ事に、正之は躊躇っているのだ。
「まだだ。まだ時間はある。ギリギリまで待つんだ」
一度は助けに研究所内部まで踏み込んだものの、奥まで入る事は叶わなかった。想像以上に広く、下手に捜索をすれば戻れなくなる可能性の方が高い。諦めるしかなかった。
「俺達は結局、何も出来なかった。なら、せめて待ってやるしかないじゃないか」
帰る場所を作ってやる。無力に嘆くより、何が必要か考える。
今となっては大切な友人達。また笑顔が見たいと思うのは当然だった。
「あれは……!」
見つめていた先から人が歩いて来る。正之が気付いて乗り出した。
「ジル………!?」
石田は目を疑った。フランスの病院にいるはずのジルの姿があったからだ。
しかしよく見れば四人しかいない。身体も大分傷を負っているのが伺える。
石田は正之にタンカを持って来るよう指示してジル達に駆け寄った。
「みんな………生きてたか」
なんとも気の利かないセリフではあると思ったが、他に言葉が見つからなかった。
「ジル……君も来てたのか」
「まあね。いいとこだけ持ってかれたくないから」
強がりか、無理な笑顔に見えた。
「如月君達はどうした?」
「ダージリンが助けに行った。すぐに戻って来ると思う」
トーマスが力なく返答したのは、帰って来る事実を掴むまで安心出来ないからだ。
「二ノ宮達は?あの銀髪のガーディアンとオリオンマンは?」
一人一人の安否を石田は確認する。だが答えはなかった。
「まさか…………」
まさか死んだとは思えなかった。誰より強かった者達が帰還せず、実力的に不安だった者達が帰還する。これが意味するところを、石田は必死に心の中で否定していた。
「石田さん」
「君も無事でなによりだ」
美紀を見て言った。
「言いにくいんですが、この島の地下に核があるらしいんです」
「な………なんだって……?核が………?」
石田はまだ爆発を繰り返す研究所を見た。そして地鳴りが始まる。
「地震?」
ジルが言うと、
「………爆発が地下に向かってるんじゃ?」
エメラが嫌な事を口にした。
「だとしたらここにいたら危険だ」
石田はその核が爆発する術が無い事に気付く。どれだけの規模のものなのかは推測は難しいが、島は吹き飛ばしてしまうだろう。
「みんな一先ず艦に乗るんだ!」
「嫌よ」
「ジル!」
「仲間がまだ戻って来てないのよ?私達だけ戻れるわけないじゃない」
「だからと言ってここに置いておくわけにはいかない!如月君達は俺が待つから!」
「戻る可能性を捨てようとしてるんでしょ」
「そんな事は思ってない!」
「だったらここに居させてよ!」
ジルの強い意志は、生死を共にした者だけの血よりも濃い繋がり。
「ジル!あれ見て!」
エメラが荒れた空を見上げる。
炎に照らされて飛んで来たのはダージリンだ。
「ダージリン!」
ジルの顔から陰りが消える。
ダージリンは石田達の前に降り立つ。その隣には真音がいた。腕をダージリンの肩に回して。
「真音!」
いち早くトーマスが近寄る。上半身は裸で、刃物傷が生々しく見えていた。
「真音は気を失っている」
ダージリンは真音をトーマスに委ねる。
同時に、地鳴りが絶頂を迎える。
「核爆弾が起動している。早く脱出しないと」
ダージリンは真音から聞いた情報を石田に伝える。
「わかった。みんな早く艦へ!」
「でもまだ二ノ宮達が戻ってないわ!」
島には二ノ宮達も一緒に来たのだ、エメラとて無視はしたくなかった。
石田は苦しい判断をしなければならない。地鳴りが尋常じゃないのは、最悪な事が起きる前触れ。研究所に戻って二ノ宮達を捜す時間はない。
目をつむり、両方の拳を強く握る。
「諦めよう」
「オッサン………本気か?二ノ宮はあんたの親友なんだろ?」
石田も心を殺した事くらいはトーマスにもわかるが、納得は出来ない。
「これだけの地鳴りだ。核が爆発するまで時間はわずか。なのに戻る可能性の無い人間を待つ事は…………」
石田は全員に背を向ける。震える背中がその意味を伝えていた。
「行くぞ」
艦から正之が何人か引き連れて駆けて来るのを見て石田は決断した。
石田はトーマスから真音を引き受け、抱き抱えなるべく早く走る。
「ダージリン?」
しかしダージリンは立ったままだった。ジルが声をかけるが、少し間を開けてこう言った。
「楽しかった」
ジルだけじゃなく、全員が立ち止まってダージリンを見つめる。
「あんた………何言ってんの?」
「ジル、こんな私でもあなたは愛してくれた。傷を負った身体で目を覚まさせてもくれた。あなたはやっぱり私のお姉さん」
「そんなのは後にしなさい。感謝の気持ちならいくらでも後で聞いてあげるから」
おどけてはいるが、ダージリンの不可解な言動に言葉が弱々しくなる。
「みんなが戻る前に核は爆発する。この大きな振動はその前兆」
「何が言いたいんだ?」
トーマスが口を挟む。おそらくジルはわかってしまっている。ダージリンが何を言おうとしてるのか。だから代わりに聞くしかなかった。
こうしてる間にも核は爆発までのタイムリミットをカウントしている。とにかく時間がない。
「私がヒヒイロノカネを使って核の爆発を抑える」
「バ………バカ言ってんじゃないわよ。無理に決まってるじゃない………」
ジルの顔が青ざめていく。
「前にメビウスに聞いた事がある。ヒヒイロノカネは強いエネルギーを中和出来ると。メビウスが青薔薇とやって見せた力と力の融合がその一つ。私がドームシールドを展開して核のエネルギーを封じる」
淡々と説明するダージリンだが、そんな事が可能かどうかなんてジル達には関係ない。要するに犠牲になると言ってるのだ。
「ダメだ。ダージリン、君も一緒に戻るんだ!」
そんな事を石田も許すわけにはいかない。
しかし、意見を聞く間もなく、ダージリンが説明した通りにシャボン玉のようなシールドを展開させる。
「ちょ………ダージリン!!」
ジルがシールドを叩く。見た目を無視した硬さで、鈍い音がする。
「成功するかはわからない。だからなるべく遠くへ」
ダージリンは石田に言った。理解してもらうのなら石田しかいないのだろう。
その深意を、石田は理解してしまった。
「すまない」
犠牲になるダージリンに胸を痛めた。
自分にしてやれる事は、嫌な役目を担う事。ダージリンの犠牲を無駄には出来ない。
「後ろを振り向くな!全員全速力で走るんだ!」
石田が言うと、トーマス、エメラ、美紀は走り出した。
「ジル!」
「嫌よ!せっかくダージリンが正気に戻ったのに!」
まだシールド越しにダージリンを見つめて訴える。
「お願いだからバカな真似はやめてよ………お願いだから…………」
ジルが泣き崩れる。シールドの向こう側でダージリンもしゃがみ、
「私………みんなが好き。だから助けたい」
ジルを説得する。
「だからって………」
「わかって。生きてほしいの。みんなにも……あなたにも」
「ダージリン………」
二人がやり取りをしてると、正之が三人ほど人を連れて戻って来る。
「正之、核が爆発する。すぐに戻るぞ!」
「核……?まだそんなもんが………」
「それと、彼女を連れて行け」
ジルを強制的に連れて行くしかないと思った。
正之は状況がいまいち飲み込めていなかったが、核が爆発する事を聞かされてそれどころでもなかった。
白人の兵士は正之に指示されてジルを連れて行く。
「離して!!お願いだから離してってば!!」
どんなにあがいても、二人の軍人に両脇を抑えられては、ジルに成す術はない。
「俺達も行こう」
「あ………彼女は?」
正之はダージリンの事を尋ねた。
「彼女の顔を忘れるな。俺達は彼女に救われる」
石田と正之も走る。
轟音が鳴り響き、地割れが起きる。
「ありがとう」
楽しかった思い出と、ミルクまで殺した罪を抱きしめ、ダージリンは核による光が外に漏れないようにシールドを黒く染めた。
それが確認出来たのは、全員が艦に乗ってからだった。
「離してよ!ダージリンがまだ島にいるのよ!!」
艦が動き出す。それでもジルはダージリンの元へ急ごうとする。
「光を見るなっ!音が止むまで目を閉じろ!!」
そう言った石田は、ジルの目を手で防いだ。
「手をどけて!!ダージリンが………ダージリンが……………」
ジルの気持ちはよくわかる。二ノ宮とリオ、オリオンマンがまだいるのだ。生きていなかったとしても、亡きがらだけは引き上げたかった。
轟音と共に海が激しく揺れる。
核が爆発したのだ。
「ダージリン…………ダージリ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ンッ!!!!!!!」
ジルの涙が枯れる事はなかった。