第百六章 セピアの純情(中編)
クリスマスイヴに迷子に話し掛けるなんて、俺も人が良すぎだ。
ま、予定も無かったし、夜でも人目を惹く銀色の髪が珍しかったからつい。
「なんでこんな時に熱心に仕事なんかしてんだよ」
交番まで連れて来たはいいが、パトロール中の札が置いてあるだけだった。
備え付けの黒いアナログの電話を取ると、呼び出し音だけが延々と流れる。
「市民を守る気はあんのか?」
愚痴をこぼしても仕方ない。警官が戻るまで近くのファーストフード店にでも入ってるか。腹も減ったし。
「え〜と…………日本語わかるかい?キャンユースピークジャパニーズ?」
発音も何も無い英語を使ったが、少女は首を傾げてる。やっぱりダメか………英語の成績はよかったんだが。
「リオ」
「ん?」
「私の名前です」
「………………………。」
なんとまあ………。
よく見ればとびきりの美人になる顔立ちだ。銀色の髪もどうやら自毛のようだし。
「おいしいか?」
チーズバーガーにテリヤキバーガー、ポテトとシェイクがLサイズで、サラダとアップルパイまで食べる様は圧巻だ。
「はい」
とても綺麗な声で返事してくれた。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は二ノ宮。二ノ宮誠一。26歳だ」
「ニノミヤ………」
くりっとした瞳になぜか心が捕われる。
言っておくが、断じて不純はない。
「そんなに日本語が上手なのに、日本が初めてだなんてびっくりだよ」
「勉強………したんです。本を読むくらいしか楽しみがないので」
なんともしっかりした口調だ。育ちがいいのかもしれない。言われてみれば、賢い顔じゃないか。いや、『賢そう』な顔というのが正しい表現か。
「毎日、本しか読んでないなんて言うんじゃないだろうな?」
「……………………。」
毎日、本しか読まなくて何が悪い。とでも言いたげに見つめられる。
「そ、そっか………まあ、ほら、本をたくさん読んで勉強するのは大切だから。うん、いっぱい読んだ方がいい」
人にはそれぞれテリトリーがある。あんまり踏み込まない方がいいな。
「それより、お父さんとかお母さんは?」
一向に交番に警官が戻る気配はないし、警察署に直接行った方が早いだろう。なにせ、かれこれ一時間はこうしてる。いつまでも見知らぬ未成年といるのはマズイ。
「いません」
「いないって………でも帰るところはあるだろ?警察が嫌ならそこまで送るから」
「ありません」
「いや………あ、あのなぁ」
「もう少し…………もう少しだけ一緒にいてもらえませんか?」
「………何かあったのか?」
「………………ダメ……でしょうか?」
わけあり………か。これまた面倒だ。だけど………なんだろう?俺と同じにおいがする。孤独感独特のにおい。
俺は少し考えた。時間は19時。後一時間くらいなら付き合ってやってもいいか。孤独の辛さはよく知ってるつもりだ。初めての日本で、淋しい気持ちで帰ってもらうのもなんだしな。
「よし。わかった。一時間だ。一時間だけおもいっきり遊ぼう」
大人びたリオの顔が、幼い少女の顔になって可愛い笑顔を見せてくれた。
「ありがとうございます!」
丁寧に頭まで下げるとは………日本の勉強をかなりしてるんだろうな。
「ただし一時間きっかりだ。いいな?」
「はい!」
そう言うと、時間が勿体ないと言わんばかりに店を出る。
「おい!ここはセルフだぞ!」
聞こえるわけがない。ショウウインドウの向こうから手招きしてるくらいだ、聞く耳はもたないな。
あれからたった一時間とは言え、濃密な時間を過ごせたんじゃないだろうか?特に何かしたわけではないんだが、リオは見るもの全てに歓喜を示し、それはお伽話の主人公のようだった。
でも、お伽話には終わりが来る。
「さ、約束だ。帰ろうか」
リオは俯く。俺の約束を反古にしてしまおうか考えてるのか?
交番に警官が戻っていた。後は俺の出番はない。
「リオ………」
俺のコートに縋り付く。どんな環境で暮らしてるかは知らないが、よほど息苦しい生活をしてるんだろう。出来る事なら助けてやりたい。でもそれが可能な力は残念ながらない。
「また………きっとまた会える」
宛のない無責任な言葉だった。
「ホント?また会える?」
敬語はいつの間にか消え、そこにはどこにでもいる普通の女の子がいた。
「会えるよ。リオが会いたいと思ってくれてるならきっと」
「うん」
涙を拭き、リオは笑った。
「じゃあ行こうか」
「待って」
そう言ってリオは指差した。そこはアクセサリーショップ。女子高生などが行くような安めのアクセサリーが売っている店だ。
「なんか欲しいのか?」
リオは頷くと、俺を引っ張って行く。
「これ」
そしてシルバーの指輪を俺にねだる。
「…………こんなのがいいのか?」
「プロミスリング」
ああ、なるほど。
「いいよ。買ってあげる」
俺はそれを『二つ』取り、店員に渡すと小さな紙袋にリボンをつけてもらった。
「一日早いけど、メリークリスマス………リオ」
「つけて」
なんと、リオは左手を突き出し、付けろと言う。マセてるのはどこの国の女の子も一緒か。
俺は紙袋から指輪を取り出して、リオの薬指にはめた。
「これでいいかい?」
「うん。エヘヘ……」
エンゲージリングとは違うんだが…………まあいいか。
リオは左手を夜空に掲げてニヤニヤしてる。たかだか300円の指輪なのに。
「ありがとう」
「どう致しまして」
「じゃあ、行くね」
「俺も連れ添うよ」
「ううん。私一人で大丈夫」
さっきまでの泣き虫なリオはいなかった。
「そうか。なら俺はここから見てるよ」
「うん」
何かを吹っ切ったように横断歩道を歩いて行く。
また会おうと約束した。でもいつか忘れて行くんだろう。リオの記憶から。
思春期の少女はこれからいくらでもいい出会いがある。俺は思い出の片隅で彼女を見守れればそれでいい。
「元気でな」
警官に話し掛けるリオは、交番に入る前に俺を見てまた微笑んだ。
あどけない笑顔が、どうか曇る事のないように。こんな世の中だ、俺には祈ってやるくらいしか出来ない。
思い出がいつしか暗褐色に変わってしまっても、この気持ちだけは透き通っていてほしい。