第百六章 セピアの純情(前編)
暗い場所が好きなわけじゃない。でもここにいるのは、少しでもアイツから離れていたいから。サビたにおいと無常感が蔓延する。ここしか私が安らぐ場所はなかった。
研究所へ連れて来られてもう何十年にもなる。とっくにおばあちゃんになってるくらい年月は過ぎてるのに、私はまだ15歳のまま。
「リオ?どこにいるんだ?」
聞きたくない声が今日も私を探してる。でも逆らえるだけの勇気もなければ力もない。だって、逆らえば殺されてしまうもの。
「こんなところにいたのか」
ガラクタ置場。研究設備の余った部品なんかが転がるこの場所が、私の居場所。
しゃがみ込んでカチャカチャとガラクタをいじる私に、博士は不機嫌そうに言った。
「支度をするんだ。出かけるぞ」
「…………?」
研究所は孤島にある。そこから一歩も外に出た事はないのに…………何事?
「日本に行く。僕の故郷だ」
「私…………も?」
「そうだ。用事があるんだよ。お前にも外の世界を見せるいい機会だと思ってね。ここに来た時よりもずっとずっと進歩した世界だ、優秀な知能には刺激が必要だしね」
博士が私を傍に置くのは、私がヒヒイロノカネの副作用に負けないただ一人だから。ヒヒイロノカネが何かはわからないけど、背中に注射する事で歳をとらない肉体になり、超能力が身につく不思議な薬だと博士は言ってた。そしてもうひとつの理由は、IQ320という人間離れした高い知能を持ってるから。
「青………薔薇は?」
青薔薇。博士が溺愛する女。青薔薇と私と他に何人かの少女達を、博士はガーディアンと、誰だか知らない大人達に説明してたのを聞いた事がある。
「青薔薇は体調が優れなくてね、お留守番だよ」
私は青薔薇が嫌い。ヒステリックで口は悪いし、気に入らないとすぐに私を打つ。博士はヒヒイロノカネが上手く浸透してないとか言って庇うけど、嫌いなものは嫌い。あの青い髪も眉もまつげも瞳もなにもかも。
「さ、行こう」
どうやら行くのは私だけらしい。もっとも、青薔薇以外のガーディアンと会った事はないから、私の中では私と青薔薇しか研究所にいないのと同じだけど。
「はい」
博士も嫌いだけど、外に出られるのは嬉しい。何十年も毎日、本だけじゃ飽きちゃうもの。
いろんなものを見て来ようと思った。これを逃したらいつ、島から出られるかわからないし。
(日本……………)
私の小さな胸が、何十年ぶりかにドキドキしていたのを覚えている。
正確には、研究所に来てから既に九十五年が経っていた。つまり私は110歳。おばあちゃんどころか死んでてもおかしくない。
日本に来たのは初めてだった。夜だと言うのにキラキラ明るくて、お星様が遊びに来たみたい。
街は白く染まり、若い男の人と女の人が腕を組んで歩く姿が印象的。
どうして夜をわざわざ明るくしてるのか、博士に聞いてみようと思ったんだけど、あいにく私は今、迷子になっている。
平静は装っているけど、内心は不安がいっぱい。ていうか、怖い。
突然、大きなラッパの音が響き、驚いて濡れたアスファルトに尻餅をついてしまう。
「バカヤローッ!危ねーだろっ!!」
戦車みたいに大きな車の窓から、不精髭を携えたおじさんに怒鳴られた。
車はすぐに発進してどっかに行った。
濡れたお尻がやけに冷え、迷子の孤独と怒鳴られたショックで泣き出しそうだ。
「大丈夫かい?」
涙が顔を覗かせた時だった、優しい声がして私を起こしてくれた男の人がいた。
「あ〜あ、せっかくの洋服がびしょびしょだな。気をつけなよ、自分勝手な奴が多い街だからな」
夜なのに青いサングラスをかけたその人が笑顔を見せたら、不思議と涙が止まらなくなった。
「ぐす…………ひっく………」
「え?お、おい………」
最後に声を上げて泣いたのは、研究所に連れて来られる時、知らない男達に誘拐されて以来だった。
「ち、ちょっと待てって!な?な?」
どうしていいかわからないのは、私と同じみたいだった。