第十章 レジスタンス
『警察』という文字だけ見れば、どこか権威を感じる。文字だけで存在感を示すのだから、考案した人はそこまでイメージしたのかもしれない。
しかし、警察というところは犯罪を犯してなくても来たいとは思わないものだ。
正面玄関をくぐり、中へ入ると思いの他広いロビーに右往左往してしまう。窓口はいくつかあるものの、どこで聞けばいいのか迷っているとスーツを着た若い青年に話し掛けられた。
「どうかしたかい?」
短髪の凛々しい青年は、爽やかな声を発した。
「あ………え〜っと、警察の人ですか?」
「ああそうだよ。何か事件にでも巻き込まれた?」
「いえ、そういうわけでは。石田って刑事さんに会いたくて………」
とにもかくにも、早く用件を済ませたい。落ち着かないのだ。
「石田さんの知り合い?」
「知り合いっていうか……まあそんな感じです」
「名前は?」
「如月真音っていいます」
「如月君か。石田さんは今出てて、今日は戻るかわかんないなあ。急用?」
「いいえ、急ぎじゃないんで………また来ますとお伝えください」
一礼して素早く出る。
どうも雰囲気に馴染めない。
「警察なんて初めて来たよ」
ディボルトを解いてユキにぼやく。
「悪い事してないんなら別に神経質にならなくてもいいじゃない」
「そうだけどさあ………」
ユキの言う事はもっともなのだが、すんなり割り切れるのなら苦労はしない。
「で、納得した?」
そもそも、こんな苦労を強いられたのはユキが石田を信用出来ないと言い出したからだ。
「まぁね………」
それでもまだしっくり来ないらしいが、実際に警察の人は石田を知っていた。これで納得してもらえないのなら後は勝手にやってもらうしかない。
「何が納得出来ないんだよ?」
「ん〜………何がってのはないんだけど、タイミングがね」
なんだかんだと歩きながら話してると、前からフラフラしながら歩いて来る女がいた。
真音とユキは避けようとして目を疑った。
「ガーディアン!?」
真音が叫んだ。見覚えのあるユキとは色違いの戦闘スーツ。緑を主とするその戦闘スーツは確か…………
「エメラ!」
ユキがその名を呼んだ。
真音は倒れそうになるエメラを受け止める。
「酷い傷だ…………大丈夫か?しっかりしろ!」
「…………あなたは…………如月真音………」
真音の手がエメラの血で赤く染まる。
「ユキ!家へ運ぼう!手を貸してくれ!」
そう言ったが、ユキの反応は冷たかった。いや、彼女からすれば至極真っ当な意見だったのかもしれない。
「チャンスよ………」
「え?」
「今のエメラなら何の苦労もなく倒せるわ。ヒヒイロノカネを手に入れるチャンスよ、真音」
耳を疑った。血まみれのエメラにとどめを刺せと言う。
「な、何言ってるんだ……彼女は怪我してるんだぞ!」
「だからチャンスだって言ってるのよ!こんな形でガーディアンを倒せるなんて奇跡に近いわ」
真音は立ち上がってユキの頬を張った。
「本気で言ってんのか?」
普段見せない恐い顔で睨まれる。
「何するのよ。あなたは選定者よ、ガーディアンからヒヒイロノカネを奪うのが使命じゃない」
ユキも冷静に対処する。
自分の言い分が正しいと思うからだ。
「最低だな」
真音はエメラを背負い込む。
「…………殺さ………ないの?」
この前会った時のきついイメージのエメラはいなかった。
「喋るな。話は後だ」
目立つのはわかっていても、他に運ぶ手立てはなく、まして近くには警察暑。よくはわからないが、避けた方がいいような気がする。
病院もしかり。
「真音!」
タクシーを止め乗り込む真音を引き止めようとしたが、無視されたまま行ってしまった。
「何よ………」
苛立つ気持ちは確かにあるのに、なぜかそれをごまかすように淋しい気持ちもあった。ひょっとしたら逆なのだろうか。ユキの胸に小さな穴が開いたようだった。
「いいのぉ〜?」
「何がだ?」
「エメラ逃がしちゃったよ?」
「あの傷では遠くまでは逃げられん。助けを求める事もしないだろう」
ガーネイアと李奨劉はトーマスとエメラを襲撃した後、日本の夜の街を堪能すべく歩いていた。
「トーマスはどうするん?」
「人質だ。生きているとわかれば、ガーディアンなら選定者を見殺しにはしないはず」
「でもでもぉ〜、エメラは冷徹女だよ?使えないとわかったらトーマスなんかポイってしちゃうよ?」
「その時はその時。始末すればいい」
李奨劉は合理的な考えの持ち主のようで、利用価値があるのならあえて捨てる事はしないようだ。
「なぁなぁ〜、日本の街は綺麗なぁ〜」
無邪気に走り回るガーネイアは、傍から見れば兄と妹にしか見えない。
「造り物だろ、興味ないな」
「リーは真面目過ぎるんよ。もっと気楽にウキウキすればいいにゃん」
「首尾一貫性のない言葉遣いはやめろ」
「むぅ………」
ぶすくれて立ち木の下に行き頬を膨らませる。
「……ハァ。わかったよ、ケーキ買ってやるから機嫌直せ」
本当に機嫌を損ねる前に機嫌を取らないと、面倒が避けられない状態になる。
「ホントぉ〜?」
もう顔は笑っている。
そんなガーネイアが李は憎めない。
「本当だ」
「むふぅ〜〜〜〜そんじゃね、チョコと、イチゴと、チーズと、そいからそいから……」
「ケーキ屋に行ってから決めればいいだろ」
「ガーネイアはケーキ萌えなのぉ、だから待ち切れないんよ」
二度目のため息をついた。
騒ぐガーネイアに手を掴まれ引っ張られる。
夜の街が似合わない歳の二人。彼らの笑顔が曇らない事を祈る者など、どこにもいない。
傷は浅く、病院に駆け込むほどではなかった。
エメラの身体を濡れたタオルで真音は拭ってやった。
恥ずかしがるエメラだったが、至って真剣な真音はなんでエメラが恥ずかしがるのかまで考えなかった。
真音のベッドに寝かされると、安心したのかあっという間に眠りについた。
「真音…………」
ユキがいた。エメラの手当てをした痕跡にまた苛立ちと淋しさが訪れる。
「たいしたことなかったよ。逃げて来るのに体力を使い果たしたんだろう」
「どうして手当てなんか……………」
「静かにしろよ。話なら外で聞く。俺も言いたい事あるし」
そう言ってユキを押しのけ先に行く。
いつもと違う真音の態度に対処出来ない。困惑を抱いたまま、言われるがままに外へ出る。
二人は何も言わず近くの河原まで歩いた。真音の家からはそう遠くない。十分な散歩コースだ。
「真音、私にはわからない。エメラは敵なのよ?助ける必要はなかったわ」
「結果的に傷はたいしたことなかったけど、あんなフラフラの状態でいた彼女をほっとくなんて俺には出来ない」
肌寒さが気にならないくらい二人は感情を抑えている。会話に集中というより、価値観の違いをぶつけ合う事のしんどさが本音だろう。
「傷が癒えればエメラはまた真音を狙うわよ?殺るなら……」
「よくそんな事が言えるな」
「だって………!!」
「お前この前言ったじゃないか、死にたくないって。死ぬのを恐がるくせに人を殺せって言うのかよ!!」
感情を抑える時は、大体爆発寸前の時が多い。
いつもはユキが真音の上を行くのだが、今回は真音も引き下がれない。
「エメラは人じゃないわ!ガーディアン………人造人間なの!あなたは選定者なんだから、ガーディアンからヒヒイロノカネを奪わなきゃ!!」
「ふざけんな!選定者だかなんだかわかんねーけど、そんなもん勝手に誰かが決めただけじゃないか!!神になる為?ハン……笑わせんな。俺は神様になりたいなんて思わねーよ!普通でいい。お前が来てから俺の生活めちゃくちゃだよ。もううんざりだ!どっかに消えてくれ!」
自分でも信じられないくらい声を荒げた。溜まっていたフラストレーションを微塵も残さないくらい吐き出すように。
しかし、言い終わってしまえば少し言い過ぎたような罪悪感も残り、ゆっくりユキを見ると、
「ユキ…………」
ユキは泣いていた。
「ごめんなさい。私はガーディアンだから、選定者を導く事でしか生きる道を見出だせないの。真音が私を必要としてないのはわかったから…………」
「いや………あのさ……」
「私が他の選定者に殺られれば、真音が狙われる事はないから。前に命ある限り選定の儀から逃れられないって言ったけど、選定者だけ残っても本当は問題ないの。真音に覚悟をしてもらう為に少し大袈裟に言っただけ。だから安心して」
それは決別の意志だった。
「もう………邪魔はしないから………」
止まらない涙を拭きながら、ユキは一目散に走り去った。
「ユキ!!」
涙は女の武器などと、皮肉る余裕すらないほどストレートな衝撃を受けた。
追えないのは、まだ真音が大人への階段を登れていないから。ユキの涙の意味すら理解出来ていなかった。
「我々の目的は選定者とガーディアンを抹殺し、選定の儀を終わらせる事。神は我々の中から選べばよい」
暗闇に顔が隠れた男の中年はそう言った。
「君に望むのは六人の選定者と六人のガーディアンの抹殺そのもの。そしてヒヒイロノカネを集めマスターブレーンの場所を突き止めて欲しい。」
もう一人の中年の男が言った。
五芒星を形取るテーブルに計五人の男の中年が座っている。
軍隊の上層部の人間のような制服を着込んで、葉巻をぷかぷかとさせている。
日本人だけでなく、他国の者もいる。
彼らを前に話を聞いているのは若い少女。
「心得てます。必ずや選定者とガーディアンを抹殺しヒヒイロノカネを持ち帰りましょう」
暗闇で少女の顔も見えていない。歳を判断出来るのは、少女が学生服を着ているからに外ならない。
「頼んだよ、我々レジスタンスの星よ」