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七つの創作神話による習作  作者: 竹中芳視
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 美醜というものはたいそう主観に左右されるものでありまして、仮令たとい希世の傾城と謳わるる美女であろうともそれを好まぬものの眼鏡にかかってしまえばほんの有触れた美形ていどに落ちてしまうことも少なくありません。否それは人のみならず、花のように誰の目にも明らかに麗しいものですら、やれ或る人の桜を好ましいと云う傍で或る人が薔薇を愛でるように、何らかで傑出することの難しいものでございます。若し或る文化という平均化された感覚の中で取り立てられることがあろうとも、それゆえ異なる文化の中に入ればしばしば凡百に零落れてしまうことが珍しくありません。

 比類なき美というものはそうしてみると極めて稀なものでございますが、敢えて一つ月を例にあげて見るとすれば、異論のある方は居られますまい。星とも日の光とも異な艶やかなる天体は、雲居の彼方にまた紺碧の蒼穹に、縦令たとい憂いの霞みを帯びようとも穢れを知らず輝くのでございます。世界のあらゆる場所を探せども、月を汚いと呼ばわる者はおられないのではありますまいか。

 しかし嘗てその月が一人の女人であったと申せば、疑わしきこと限りないことでございましょう。人の美醜ほど主観や文化に左右されるものもありますまい、なればまさに人の美は月の対極にあるものと云えます。なれど顧申せば、月のような女人をすなわち究極の麗人とすることも叶うのでございます。そして古の御世に、その究極の麗人はたしかにこの地上のものであられました。

 その麗人は、ある男の妻でございました。男は居並ぶ者のない力の持主で、あるとき麗人を見初めるや否や膂力にものを言わせまして無理強いに娶ったのでありました。地上のあらゆるものを支配する力を持った男は、しかしひとたびその妻の前に出でますと、その心の全てを預けてしまったのでございます。妻の歓心を得るためでしたらば五万の民をも薙ぎ倒し、妻の笑顔のためでしたらば国の一つや二つも平気で滅ぼし、男はいつも妻の足下に跪拝するのでありました。酒色も女色も妻の与える快楽には遠く及ばぬものと、男は強く執心しておりました。

 麗人の美は、森羅万象を惹きつけるものでありました。世の男は彼女を一目見んと夫に挑みましては、塵芥の如く薙ぎ払われました。世の女は彼女の美に焦がれ、その身を近付けんと腐心した挙句に絶望したものでした。虫や鳥に至る迄、麗人の美を讃えんと世界中から参じ来るほどでございました。しかし麗人はそれを愉しむことはありませんでした。なぜならば、己の美がひどく脆く儚いものであることを彼女自身が誰よりもよく弁ていたために他なりません。その身を蝕む老いや病ばかりは彼女の美にもたじろぐことなく訪れるもので、夫の権威を以てしても退けることの叶うものではございませんでした。完璧であればあるほどその美貌は、僅かな瑕疵によって損われてしまうものでございます。憂いすら万物を魅了なさいます麗人は、その佳顔かんばせの裡に深い憂いを秘め続けておりました。

 処が或る時、麗人はその夫から不老不死の妙薬を得ましたことを告げられたのでございました。夫はその薬を夫婦で分かち合い、妻の美貌を永遠に賛美したいと述べました。二人で久遠の時を睦まじく過ごせばどれほど楽しかろう、と歌うように語る夫にくらい笑みを向け、麗人はそっと手を差し出しました。乞われるままに妙薬を差し出した夫が次に目にしたのは、一息で妙薬を干します妻の姿でありました。

 触れるもの全てを支配する麗人の力は、まさしくその美そのものでありました。麗人はその美貌ひとつを武器に、これまでも万物を足下に平伏せしめましたのでございます。その力を永遠のものとして抱き締め、麗人は忽ちその姿を月に変えて中天へと昇って参りました。後に残されたのは空の薬瓶と呆然と立ち竦みます彼女の夫ばかり。地上で最も強い力を持つと謳われましたはずの男は、そのまま驚きと悲しみの余り哀れその場で息絶えたのでございます。

 僭越ながらも、どうぞ哀れな男をおしのび頂けたらと存じます。そのあらゆる力を揮いやっとの思いで独占しましたはずの麗人の美は、今や地上に住まうもの全ての存じますところでございますから。

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