第八十八話 破邪の光線
赤い舌のような炎は、瞬く間に壁を舐め上げた。
熱気と黒煙を放ちながら、建物は燃え立つ火に包まれていく。
これは思った以上に、火の回りが早いな。
「おう、よく燃えてるな」
振り向くとタイタスが、先ほどの盗賊どもをズルズルと引っ張ってくるところだった。
気を失った二人を足元に投げ出すと、肩に盾を引っ掛けた姿勢で大きな骨は腕組みをする。
「で、吾輩さん、どうするつもりなんだ?」
盗賊から魂力を吸い取って腹が満ちたのか、今すぐにでも帰りたそうな口ぶりだ。
「当然、助けるぞ。大事な魂どもだ」
「そうか。少しくらいなら手伝ってやってもいいぞ」
「なら、アレを止めてくれ。ここで死なれては、手助けした意味がないからな」
吾輩が視線を動かした先に居たのは、燃え上がる建物に何とか近寄ろうとする村長の姿だった。
懸命に手を伸ばしてはいるが、火の勢いが強すぎてどうにもならないようだ。
建物の内部からも、外が燃えているのに気付いたのか悲鳴や怒声が漏れ聞こえ始めていた。
ガタガタと扉が揺れている様が見えるが、前に置かれた荷車が邪魔して開きそうな気配はない。
ついに業を煮やしたのか、村長は入り口を塞ぐ荷車目掛けて飛びかかろうと腰を落とす。
地面を蹴る寸前、タイタスの長い腕が村長の首根っこを引っ掴んだ。
両手を建物に向けて伸ばしたまま、村長は安全圏である吾輩の足元へ引き摺られてくる。
その眉毛は焦げ、手や顔のアチコチには火ぶくれが浮かんでいた。
首根っこを掴むタイタスの手にしがみつきながら、村長は吾輩へ向けて縋るような声を上げる。
「骨王様、お願いです。どうぞ、御力を……、皆を助けて下さい…………」
うむ、この状況で、まず己の身をさし出したその姿勢は素晴らしい。
だが、お前の生命は、お前だけの物ではないぞ。
無闇に投げ打つのは許さぬ。
吾輩の仕草が通じたのか、村長は唇を噛みながら頭を垂れた。
よし、少しは落ち着いたようだな。
「さて、それでは火を消すとするか」
「どうやってだ? 水でもぶっ掛けるか?」
「この近くには水はなさそうだぞ。川まではやや距離がありそうだし」
周りの空気を嗅いでみたが、水の匂いらしきものは近くになかった。
代わりに嗅ぎ慣れた血の臭いを、村長が発していることに気付く。
盗賊の頭ともみ合った際に、短剣で怪我をしたようだ。
あれは中々に勇気のある行為だった。
つい今しがた代わりが居ると言ってしまったが、我が身を顧みず他人に対しここまで行動できる男なぞ早々居ないな。
軽んじた発言を恥じておこう。
すまなかった、ゾーゲン村長。
「じゃあ、樽か何かで水を汲んでくれば良いか? 骨どもで渡して行けば間に合うだろ」
「いや、よく考えれば油に水をかけるのは、危険だった気がするぞ」
「言われてみればそうだな。なら吾輩さんお得意の精霊で何とかならねーか?」
「それが出来れば、話は早いんだが……」
こういう時に、火の精霊は本当に厄介なのだ。
前にも少し話したが、土の精霊は基本的にたいていの地面に居て、命令を下せば忠実に実行してくれる。
ただ融通がきかず、細かい部分まで指示する必要があるが。
逆に火の精霊は、普段は姿を見せない。
だが熱や煙を感じ取ると、一斉に集まってくるのだ。
そして我先にと火に飛込んで消えていく。
まだ数が少ないうちは何とか制御できるのだが、ここまで燃え上がってしまうと今の吾輩では手骨のうちようがない。
次から次へと集まってきて、どうしようもなくなってしまう。
まあ分かりやすくイメージで語れば、土の精霊が堅物なおっさんだとすれば、火の精霊は後先考えない子供のようなものだ。
数が増え過ぎるとまとまりさえなくなって、止めろと命令しても聞き耳持たずの状態と化す。
「それじゃ、土の精霊を使うのはどうだ? て、ここ石畳か」
「うむ、それは先刻承知済みだ。………………いや、そうか運べば良いのか!」
タイタスの樽で水を運ぶといっていたアイデアに、吾輩は思いがけず打開策を見い出す。
これなら何とかなりそうだな。
村長、危険なので、壁から下がるよう村人たちに伝えてくれ。
「分かりました。おい! 今から火を消すから、部屋の奥へ行け!」
村長の言葉に建物の内から聞こえてきた声が一旦収まり、次いで大勢の気配が遠ざかったのが確認できる。
よし、下僕骨どもよ着いて来い。
広場の石畳が終わっている場所まで、骨を連れて行き一列に並べる。
そして手を地面につけて――。
グイッと細い土の柱を引き出す。
六体の骨の数だけ、土柱を続けざまに作っていく。
強度は持ち上げても崩れないギリギリの堅さで、しかしガチガチにはしない。
どんな時でも望めば、注文通りに答えてくれる土の精霊は本当に素晴らしいな。
「よし! 土槍構え! 目標はあの建物。撃て!」
一斉に土の柱をもぎ取った下僕骨たちは、ピッタリと揃った動きで土の槍をつがえた投擲棒を振り抜いた。
宙を飛んだ土の塊たちは、燃え盛る壁にぶつかると派手に飛び散る。
うん、柔らかめにしといてよかった。
よし、次だ。
立て続けに土を掛けていくと、火の勢いは明らかに弱まってくる。
あとは、これだけあれば十分だな。
まだ燃えくすぶる建物に近付いた吾輩は、急いで壁の下に積み上がった土たちを杖で突く。
素直に地面から盛り上がってくれた土どもは、建物の壁を覆いながら火の精霊を追い出していく。
こうなれば、もう簡単だ。
残った火の精霊の影響を下げながら、丁寧に土を被せて鎮火していく。
完全に火事を消し止めたことを確認した吾輩は、待ち構えていたタイタスに頷いた。
大きな骨は扉を封じていた荷車を、軽々と持ち上げて脇へ運ぶ。
扉が開け放たれたことで、中に居た人間どもが恐る恐る顔を覗かせた。
誰かがもう安全だと叫んだせいで、次から次へと溢れるように飛び出してくる。
そして、立ち並ぶ吾輩たちの姿に息を呑んだ。
言葉を失い動きを止める村人たち。
ここで迂闊な真似をすれば、大混乱を引き起こすだろう。
じっと互いに見つめ合う中、人ごみの後ろの方で声が上がった。
「すみません、通して頂けますが。子供たちを出来るだけ早く外にお願いします」
落ち着いた女性の声に、呆然としていた村人たちがノロノロと動き出す。
二つに別れた人だかりの奥から姿を見せたのは、白い服の女性だった。
頭には薄衣のベールを被っており、他の人間どもとは明らかに雰囲気が違う。
背後に大勢の子供を引き連れていた女性は、村人どもが足を止めた原因である吾輩たちにようやく気付いたようだ。
一瞬大きく目を見開いたかと思ったら、女性は素早く両手を交差させて十字を作った。
「聖なる光よ、悪しき魂の穢れを、速やかに冥府へと導きたまえ!」
同時にその腕から、眩い光が放たれる。
な、なんだ?!
吾輩の体が融けていくぞ!
頭骨の内部に、懐かしいシーンが続けざまに浮かんでは消えていく。
片目を失った蜘蛛が逃げ、犬を相手にロクちゃんが大奮闘したかと思ったら、大柄な男が燃える骨に驚いて棺に飛込んだ。
やっとのことで体を取り戻した吾輩だが、猫に砕かれ、首だけで拉致され、砦が大爆発を起こす。
芋虫が襲ってきたかと思えば、亀の棘がばら撒かれ、灰色狼が長い遠吠えを上げた。
そして棺から巨大な骨が立ち上がり――不味いぞ、かなり最近の出来事になってきた!
「止めて、お母さん!」
「骨さんをイジメないで!」
「イジメちゃダメェェ!」
唐突にロナと双子の声が響き、吾輩を包んでいた光が消え失せる。
い、今のは本当に危なかった。
……ふぅ、走馬灯が前より長くて助かったぞ。




