第八十二話 兎狩り
龍の雨季の終わりは、夏の始まりらしい。
雲が少ないのっぺりとした青色の空を見上げると、ちょっぴりだが日差しが強くなっていた。
おかげで、頭頂眼が少しだけ見えにくい。
日焼けや熱中症の心配がいらない吾輩たちであるが、意外なところで不便さが出るものだな。
のん気にそんなことを考えながら歩くこと五百十二歩。
目的地である小高い丘の上に到着する。
丘の上からぐるりと見渡してみると、北の方角には黒い影のような森とその向こうに連なる低い山々が見えた。
東の方角は、草に覆われた低い丘たちがうねうねと続く光景が広がっている。
南は起伏が平坦になっていき、遠くの方に道っぽい線が確認できた。
西は吾輩たちの洞窟なので省略。
吾輩たちの他に動く物といえば、風にそよぐ草くらい物静かな風景だ。
生き物の気配も、ほとんど感じ取れない。
地面の下に何かいそうだなと、薄っすら伝わってくる程度である。
「さて、諸君。今日はこの地に潜む兎どもを狩り出すぞ」
「本当に居るんですか? 兎」
「巣穴があるから、居るとは思うんだがな。うーん、たぶん居るだろう。気配が何となくするし」
「なんだかハッキリしねぇな、吾輩さんよ」
相手が小動物だと知らされて、タイタスの機嫌はちょっと悪い。
あといつもなら、ここでロクちゃんの威勢のいい宣言が入るはずなのだが……。
「ギャッギャオ!」
「たおーす!」
「ギャギャギャ!」
「たおーす!」
肝心の斥候兼攻撃手は、元気に走り回る羽耳族の子供を追いかけるのに夢中になっているようだ。
今日は兎相手では危険も少なかろうと同行を許可したのだが、すっかりはしゃいでしまっているな。
むむ、これではまるでピクニックじゃないか。
「気が抜けすぎているぞ! 諸君」
「なあ、ゴーさん、灰色狼でも狩りにいかねぇか?」
「兎をいじめるよりかは面白そうですが、おっさんと二人きりは勘弁してほしいですね」
「まてまて、兎狩りだって意外と楽しいかもしれんぞ。それに話に聞くと、かなり強いらしいからな、兎」
吾輩の常識の中では兎といえば逃げ回るだけの小動物というイメージだが、やはり黒腐りの森の傍らでは常識外が当たり前なようだ。
この角付き兎は追い詰めると、その強靭な脚力を活かして決死の体当たりを仕掛けてくるらしい。
普通であれば打ち身が出来るかどうかの威力であるが、硬い瘤のような角のせいで人間どもには洒落にならない怪我になってしまうのだとか。
「そんなわけで、油断をせずに行こう」
「張り切る吾輩先輩も可愛いですね」
「あまり気が進まねぇが、小腹も減ったことだし、ちょっとだけなら付きやってやるぜ」
「倒す!」
「ギャオス!」
取り敢えず子供は、下僕骨に命じて少し離れた場所で遊ばせることにする。
ついでに他の骨たちも下がらせた吾輩は、一体で丘の上に陣取る。
「では、いくぞー」
「はーい」
巣穴の前で弓を構えて待機する五十三番の返事に、吾輩は手にしていた杖を大きく持ち上げた。
――地段波!
ここ数日の地均し作業のおかげで、威力はさらに増している。
ドゴンと派手な音を発して、丘の天辺に杖を中心としてすり鉢状の穴が生まれた。
同時に地面の中へと、激しい振動が伝わっていく。
次の瞬間、潜んでいた気配が一斉に溢れ出した。
丘のアチコチに隠されていた穴から、茶色い影が次々と飛び出してくる。
同時に硬い響きも、次々と鳴り渡った。
高く跳ねた兎たちを、下僕骨たちが盾で受け止めた音だ。
骨たちを突き飛ばしたり、その足元をすり抜けた兎たちは、瞬く間に草むらへ姿を消していく。
うう、勿体ない。
「首尾はどうだ?」
「二匹、射止めましたが……、弓は強すぎて駄目ですね」
五十三番の矢は、兎の体を貫いてしまっていた。
こういう弱い相手だと、弓矢で生け捕るのは難し過ぎるか。
「ロクちゃんは?」
「倒した!」
「おお、えらいぞ!」
ちゃんと刃の腹部分でぶっ叩いたあたり、流石としか言いようがない。
しかも二匹も。
「タイタスはどうだ?」
「ああ、何か盾に勝手にぶつかって気絶してやがるな」
両耳を掴んで、グッタリした兎を持ち上げてみせる。
命数は1、魂力も2か。
ま、数が多いので、集めたらそこそこにはなるだろう。
近寄って見せてもらったが、本当にただの兎だった。
額の部分が少しだけ盛り上がってはいるが、角と呼ぶにはやや無理があるような。
「守備隊の成果は?」
「飛び掛かってきたのは盾でしのげましたけど、全部逃げられましたね。あの速さには対応できませんよ」
「網のようなものでもあれば良いんだが……。おお、そうだ!」
思いついたことがあるので、下僕骨に洞窟に兎を持っていかせる他にもう一つ命令を与える。
しばらく待つと、円盾を持った骨を連れて戻って来てくれた。
「まだそのままで置いといて良かったな」
「なるほど、粘糸を使うんですね」
この二体が持つ円盾は、先日の花園の芋虫狩りでネバネバの糸を大量に受け止めたまま放置してあったのだ。
村長が戻ってきたら盾ごと渡そうと考えていたのだが、これなら上手くいくんじゃなかろうか。
「よし、次はあっちの丘でやるぞ」
「さっき、かなり逃げられましたし、やり方少し変えませんか?」
「そうだな、先に余計な巣穴を塞いでおくか。と言っても、その穴をどうやって見つけるかが問題だな」
草に覆われた起伏の多い場所で小さな巣穴を見つけるのは、骨の山から耳小骨を探すようなものだ。
悩む吾輩たちを前に、ロクちゃんが子供を空高く放り投げ遊んでいる。
無邪気に遊ぶ子供たちには、欠片も悩みがなさそうだな。
どうしようかと思いながら一体と一人を眺めていると、草むらを転げ回っていたロクちゃんが急にしゃがみ込んだ。
どうやら巣穴に足を取られたらしい。
「倒す!」
「ふふ、巣穴は倒すのは無理だぞ、ロクちゃん」
急に声を上げたロクちゃんに、子供が驚いたように顔を左右に振って羽毛の付いた耳をフワフワと動かした。
よく分からない構造だが、あの羽根のおかげでかなり鋭く音が聞き分けられるらしい。
「あ、もしかして、今の動きって……」
「どうした? 五十三番」
「ちょっと思いついたことがありまして。おーい、ロクちゃん、もう一回その穴に向かって叫んでみてくれるかい」
「倒す!」
またも離れた場所に座っていた羽耳族の子供は、びっくりした顔でアチコチを見回す。
「ひょっとしてだが、巣穴の中に響いた音まで聞き分けているのか?」
「あの動きは、そうだと思いますよ。この辺りかな。お、ありました」
「こっちの方も見ていたな」
目星をつけた場所を探すと、意外と簡単に巣穴は見つかった。
「おお、これは便利だな」
杖をついて穴を念入り埋めながら、子供の反応を確かめつつ次の穴を探す。
ある程度、塞げたようなので、残した穴の前に粘着盾を持たせた骨を待機させ、またも地面を揺らしてみた。
今度は同じ巣穴から、兎どもが固まって飛び出してくる
そしてぶつかった盾にベッタリとへばりついて、ジタバタと暴れ始めた。
足元をすり抜けようとした奴は、ロクちゃんの剣と五十三番の投げた石が仕留める。
「おお、さっきと比べると大漁だな」
「ちょっと盾から剥がすのが大変ですけどね」
「そうだな。粘糸も勿体ないし、タイタスが片っ端から盾で弾いた方が良いか」
「仕方ねぇな。……腹が一杯になるまでなら、付き合ってやっても良いぜ」
そんなわけで、結局、夕方近くまでじっくりと兎を狩ることが出来た。
ちなみに瘤兎だが、縄張り意識が強いことを利用して、ネズミを使った囮釣りが有効だと後に判明した。
このやり方だと下僕骨だけでも捕獲が出来るので、今後はかなり期待できそうである。




