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第八十話 商談



 フレモリ家の先々代は、王国東部で麻と大青の栽培で財を成した豪農であった。

 先代からは王都に居を移し、現地で生産した農作物の卸から販売までを手掛けるようになる。

 加えて豊富な資金力を背景に、他の地方からの布素材の買い占めにも着手した。 


 瞬く間に布地市場を掌握したフレモリ商会は、商品の価格調整を徹底的に行い財を堅実に積み上げていく。

 そこで留まらなかった先代は、さらに商売を推し進め加工業にまで手を伸ばし始める。

 元より市場を専有され喉元を押さえられていた王都の毛織物組合は、その進出を受け入れざるを得なかった。

 そして今代の当主ラッシールは、毛織物組合の代表を務めるほどの躍進となる。


 いまや王家御用達の仕立て職人を何人も抱え、名店と聞こえ高いフレモリ高級服飾本店。

 その応接室で、フレモリ家の四代目を継ぐはずのオルマールは頭を悩ませていた。


 白晶石のテーブルに置かれた木綿の布切れ。

 これはどこにでもある、ありふれた品だ。

 問題は、そこから顔を覗かせる一束の絹糸であった。


 幼少時から店に出入りしていたオルマールは、これまで様々な商材に触れる機会があった。

 おかげでたいていの品は、目をつむっていても素材の名前どころか、おおよその産地まで当てられる自信がある。


 この糸も手触りから、すぐに絹の生糸であることは分かった。

 だが、そこから先が分からない。


 柔らかくしっとりとした感触から、それなりの品質は伝わってくる。

 伸び具合も申し分ない。それに何よりも、節の少なさが素晴らしい。

 撚り糸にする際に、これは大きな利点となる。


 あとは絹にとっての最上級の見どころ、光沢の度合いであるが……。

 両目を閉じたまま値踏みしていたオルマールは、恐る恐る片方の目蓋を持ち上げる。

 そして目の前の客人たちに気付かれぬよう、心の中で大きく溜め息を吐いた。


 

 何度見返しても目に映るのは、闇夜のような黒であった。 



 最初はてっきり、染めた品だと思った。

 黒斑石、黒檀炭、押し黒花と、絹糸を黒く染める方法はそれなりにある。

 

 だがこの糸は、それらとは明らかに一線を画していた。

 黒染めの絹糸は、その最大の売りである光沢を打ち消してしまう場合が多い。

 有りていに言えば、濁ってしまうのだ。


 しかし目の前のこれは生糸の状態でありながらも、すい込まれるような黒色を保ち、なおかつハッキリと光沢が確認できている。

 そうなると考えられるのは、新たな染の方法を試したのか。

 いや、それにしては、染めムラが全く見当たらない。


 だとすれば、これは元より黒い絹糸であると……。

 そこまで考えて、オルマールはゴクリと生唾を飲み込んだ。

 それから敢えて、幾度目かの同じ言葉を口にする。


「あの、…………これは一体どこで?」

「それは何度も言わせて頂きましたが、俺たちも詳しくは知らないのです」


 やや強張った顔つきで、オルマールの対面に座る男性が答える。

 幅広の肩幅を包むのは、粗製品の麻の上着だ。

 剥き出しの二の腕は筋張っており、とても職人の手には見えない。

 それに擦り切れた爪と、日に焼けた肌。間違いなく農夫だろう。


 オルマールは、男性の傍らに座る女性へ問いかけの視線を向けた。

 白い木綿の祭服姿の妙齢の婦人は、困ったように目を伏せる。

 その表情から察するに、彼女の方は本当にご存じないようだ。


 農夫に創聖教の教母の珍しい取り合わせも、客人たちの素性を余計不明にしていた。

 二人の正体を掴みあぐねるオルマールの態度に、ゾーゲンと名乗った男性は業を煮やしたのか、せっつくように声を上げた。


「それで、この糸は買い取って頂けるんでしょうか?」

「ええ、それはもちろん」

「い、いかほどで?」

「金一枚といったとこでしょうな」


 オルマールの提示した額に、たちまち男性は安堵した顔になった。

 この査定額はフレモリ商会の算盤を預かる身として、オルマールが純粋に算出した見積りである。

 無論、布売買について全く無知な二人を騙すことは、客商売に長けた四代目からすればとても容易い行為だ。


 だがそれによって得られる利は、たった最初の一度きりである。

 商売とは長く続ける方が、最終的に多く儲かる仕組みになっているのだ。


 取引には誠実であれ。

 これは強引なやり方で名を鳴らした先代、オルマールの祖父が定めた家訓である。

 祖父は敵が多かったせいで、あまり良い晩年を送ることができなかった。

 だからこそ、この言葉を子孫へ残したのだろう。


「ありがとうございます。では、是非それで!」 

「お待ち下さい、ゾーゲン様。この金額はあくまでも見込み額なのです」

「見込み額?」

「はい、この糸を精練し商品として編み上げて、それを売り払った金額を想定しての買い取り値段となっております」

「はぁ、そうなんですか」

「ええ、そうなんです。確かにこの絹糸は希少な価値があると断言できます。ところでソーゲン様、絹糸にとって最大の敵は何だと思われますか?」

「……すみません、俺はとんと無学なもので」

「えっと、変色しやすいでしたっけ」

「よくご存じで、シュラー様。その通り、絹糸は日の光を長く浴びると、黄変と呼ばれる色の変化が起きてしまいます」


 ゾーゲンの方はピンと来なかったようだが、流石は教母とはいえ女性であるシュラーは即座に気付いたようだ。


「だとしたら、この黒い絹糸だと……」

「ええ、まだ試したわけではありませんが、かなり期待は持てると言えますね」

「おお、なるほど、それが見込み額ということですな」

「残念ですが、お話はまだ終わっておりませぬよ、ゾーゲン様。さてそれを踏まえて、考えてみてください。この糸の量で、果たしてどれほどの物が作れると思われますか?」


 オルマールの言葉に、二人はようやく話の要点に気付いたようだ。


「さらに言わせて頂くと、この糸の最大の利点は材質よりも美しい見た目にあると思われます。ですが、これっぽっちで作れるのは精々、リボンかハンカチが精一杯。それではとてもじゃありませんが、この素材の魅力を引き出すにはほど遠いと思われます」 

「言われてみれば、その通りですな」

「ええ、この糸で商売をしようとするならば、もっともっと多くの量が必要となってくるのです。それはつまるところ、継続的な供給がなければ、大金を積む気にはなれないということに繋がりますね」


 黙り込んだ二人に向けて、オルマールは再び同じ問いを発した。


「それでこの糸は、どこで手に入れた物なのでしょうか?」


 喉に何かが詰まったような表情を見せるゾーゲンと、それを心配そうに見守るシュラー。

 だが後ひと押しに言葉を重ねようとしたオルマールに、ゾーゲンはきっぱりと首を横に振ってみせた。


「それは絶対に明かせません。申し訳ないが、見込み額ではなくただの買い取りとしてはいくらでしょうか?」

「そうですね、純粋な価値だけを考えるなら銀三十が精一杯ですね」


 その言葉に、ゾーゲンは呻き声を上げて頭を抱えてみせる。

 本当にこの男性は、商売には不向きなようだ。

 

 だが、その態度でオルマールは確信した。

 養蚕農家にとても見えない二人組ゆえ、偶然拾ったこの希少品を持ち込んだという可能性はかなり高かった。

 しかし、女性の方はともかく、このゾーゲンという男性は明らかに糸の入手先を知っているようだ。


 ならばとばかりに、オルマールは切り札を出した。


「そうそう、仲立ちしてくれた行商人にお聞きしましたが、何でも騎士様へと紹介状をご所望だとか。当家にもやんごとなきお客様が大勢おられまして、是非、お力添えになれるかと」

「おお、それはそれは。実はダンド様とグラッド様というお方を探しておるのです」

「なんと、かの高名なファルガス兄弟様ですか」


 ファルガス家の当主といえば、先の黒鬼戦役で紅白の猛火という名を馳せた有名な兄弟騎士だ。


「それでしたら、ええ、ご紹介できると思いますが」

「ああ、ありがとうございます。これで何とかなるぞ」

「ただその前に、面会のご理由をお聞かせ願えますか。何分、忙しいお方ですので、そうやすやすとお約束を取り付けるわけにまいりません」


 またも黙って顔を見合わせた二人だが、観念したのかとうとうオルマールに理由を話してくれた。

 やはりこちらの手の内をある程度晒して、信頼を得ていたのが良かったのだろう。


 男爵とのやりとりを聞き終えたオルマールは、呆れたように首を横に振った。


「その計画にはかなり無理がありますね。正直、あまりお勧めは出来兼ねます」

「そうなんですか?」

「ええ、確かに国境となる土地は、開拓が認められれば所有が許される場合もありますが、土地の調査と登記には最低でも半年はかかりますよ」

「そんな! 来月には税の取り立てがあるっていうのに……」

「さらにですが、ノルヴィート男爵様とファルガス家は主従契約にあります。あまり表立って主と揉め事を起こすような真似は、引き受けて下さらないかと」


 がっくりと気を落とすゾーゲンの様子に、オルマールはあえてにこやかな笑みを浮かべる。


「でも御安心下さい、ゾーゲン様。当方に良き提案がございます」

「おお! どのようなお話でしょうか?」

「まず男爵様へ地代ですが、これは小麦袋で支払ってしまいましょう」

「大丈夫なんでしょうか? そんなことをすれば、次からもっと請求されるのでは……」

「その次ですが、地代の取り立ては年に一度と王国法で定められております。つまりこの先の一年間は、男爵様はあなた方の土地に手出しできないということになりますね。そこが私たちの狙い目です」


 さり気なく自分を含めながら、オルマールは教会の祭服を着込んだ女性へ顔を向けた。


「村に教会はございますか? シュラー様」

「え、ええ。粗末な平屋ですが」

「それで十分です。信仰に基づく教会があり、二十名を越す信徒が存在するならば――」

「あ、もしかして!」

「ええ、王国開拓法に基づいて、教会領として申請できます。これも半年近い審査が必要となりますが、条件は十分に満たしていると思われますね。小麦袋はこちらの絹糸と引き換えに、当家でご用意させて頂きますし、書記局への申請も宜しければお手伝いさせて頂きますよ」


 オルマールの提言にシュラーは喜色を浮かべ、逆にゾーゲンは困惑した顔になった。

 

「そ、それはありがたい話ですが、その、あの方が……。いえ、こちらの話です」

「ノルヴィート男爵様を恐れていらっしゃるのでしたら、ええ、御安心下さい。当家にも、それなりの後ろ盾がございますから」


 ニッコリと商売人の笑みを浮かべながら、オルマールは再びテーブルの上の黒絹糸へ素早く目をやった。

 これが生み出す利益は、ちょっとした揉め事など簡単に収めてくれるだろう。


 だがその前に、色々と聞き出す必要がある。 

 

「ああ、宿が決まってないのでしたら、どうぞ今日は当家でごゆるりとおくつろぎ下さい。積もる旅の話でも、是非お聞かせ願いたい。いえいえ、ご遠慮など全く不要ですよ」


 

 転がり込んできた金の卵を逃すまいと、フレモリ家の若き次期当主は満面の笑みで歓迎の意を示す。

 しかしその判断が、後に彼を大変な状況へ引っ張り込むのだが、それはこの時点では予想だに出来ぬことであった。




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