第七十六話 依頼
吾輩を取り巻く環境は予想のつかない状況へと動きつつある気もしたが、さりとて出来ることはいつもと同じである。
まずは思ったよりも盾の出来が良かったので、さらなる守備力増強を狙い甲殻集めに出掛けることにした。
日が落ちるのを待って、黒樹林へ。
少し離れた場所で盛大に焚き火を燃やしておいてから、食事中の甲虫を一匹仕留める。
前回と同様、虫が仰向けになって、翅を鳴らすのを見届ける。
「はい、来ましたよ。守備隊、盾を構えろ」
五十三番の号令に、下僕骨どもが一斉に黒い盾を持ち上げた。
間を置かずして、黒い甲虫の群れが木々の間から飛び出してくる。
初見は不意打ちだったため散々な目にあったが、分かってしまえばそう怖くはない。
タイタスを先頭に、その背後を円盾を持った二体の骨が守る。
少し下がった場所では、五十三番が甲虫の柔らかな下腹部を狙って痺れ矢を射続けていた。
万が一、甲虫が飛んできた場合に備え、その周囲を四体の小盾を持つ骨が守っている。
タイタスと五十三番の間を、自在に動き回っているのはロクちゃんだ。
小鬼の剣を思うがままに振り回し、次々と甲虫どもを叩き落として弱らせていく。
そして吾輩の役割は、火の守り番である。
激しく燃える火に、虫たちは引き寄せられるように飛込んでこようとする。
それを寸前で、土の壁で食い止め捕獲しているのだ。
あの赤い服の小鬼のように、どこにでも自由に壁を出せれば良いのだが、まだまだ吾輩は未熟である。
確かに熟練度自体は、魂を捧げた者から引き継ぐことは出来る。
だが技のほうは、なぜか零段階からのスタートとなるのだ。
自分で使用して高めていくモノでなければ、技として成り立たないということであろうか。
そんな訳で、今のところ吾輩の地壁は、杖で触れる範囲のみ有効。
かつ高さは頑張っても精々首元まで、横幅も両肩程度が限界なのである。
それでも守りとしては十分なようで、黒い甲虫どもを食い止める分には活躍出来ていた。
たまに貫通されたり、間に合わなかったり、出す場所がずれててかすりもしない時もあったが。
「種が分かれば、結構楽ですよね」
「芋虫の時もそうだったな。最初さえ乗り切れば、あとは何とかなるもんだ」
狩りの成果は生きた甲虫が二十七匹、少し焦げてしまったのが三匹と、前回と比べると大幅アップである。
こちらの損傷は当たり負けした下僕骨に多少ヒビが入ったくらいで、逆にタイタスなんかは魂力を吸い取って完全に小鬼戦の傷が癒えたほどであった。
甲殻だけひん剥いて黒棺様に捧げ終えてから、五十三番を連れて少し森の中を歩く。
狙いは、樹木の枝間を自由に飛び回るカラスどもだ。
実は羽耳族の子供を見て閃いたのだ。
吾輩にも同じように、事前に警告を発してくれる存在があれば便利ではないかと。
一応、洞窟の周辺にはネズミ警戒網が引かれてはいるのだが、あれはあくまでも不意の侵入者に対する備えでしかない。
出来れば移動した先で、広い範囲をカバーしてくれる配下がいればと考えたのだ。
夜が明ける前の生き物たちが活気づく時間帯。
白い桃が鈴なりの木の枝に、二羽の若いカラスを見つけた。
かなりの距離があったにも関わらず、五十三番が綺麗に一羽を痺れ矢で射落とす。
もしかしてつがいだったのか、もう一羽が地面に落ちたカラスの周りを心配げに飛び回る。
それをあっさりと射抜く五十三番。
うむ、弓の熟練度が上がっているのが、ありありとわかる腕前になってきたな。
捕まえたカラスどもは、羽耳族の子供が入っていた鉄の檻に回収する。
ついでに白桃も何個か収穫しておく。
「名前をどうしようか」
「番号じゃないんですか?」
「そうだな、一号と二号でいいか」
「懐きそうですか? 頭が良さそうなんで、すぐに逃げだすような気もしますが」
「どうだろうな。ま、やってみないと分からんよ」
動物を調教してて、感じたことは二つ。
一つ目は食い意地が張ってるのは、意外と餌付けで簡単に懐かせることが出来る点。
ネズミどもは脅かしてから、餌を与えたら簡単にいいなりになったしな。
二つ目は頭が良いのは、理解が早く上下関係を敷きやすい点。
敵わない逆らえば危険な相手だと即座に感じ取るのか、従順な態度をすぐに見せるので躾しやすい。
人間なんかは、特にこの特徴が顕著だった。
逆に頭が悪いのは、調教は難しい。
虫なんて何か考えているか、さっぱりだしな。
それと頭は良いが、性格が荒いのも難しいだろうな。
剣歯猫や灰色狼辺りは、素直に従うとはあまり思えない。
一角猪も同様ではあるが、その辺りはちょっと考えていることがある。
さて、カラスはどっちに入るのだろうかと、考えつつ洞窟に戻る。
午前中は自由時間だ。
腹が満ちたタイタスは鉄の檻を興味深そうに眺め、ロクちゃんは起き出した羽耳族の子供に白桃を与えている。
吾輩は下僕骨たちに約束の鉄鉱石を川原に運ばせながら、材木の伐採を五十三番に手伝ってもらうことにした。
「斧借りますよ、おっさん」
「ああ、このカラス、もう名前つけたのか?」
「吾輩先輩が一号、二号とか言ってましたよ」
「そりゃ酷い。俺がマシなのをつけてやるか」
余計なお世話である。
ま、命名権なぞ気にする吾輩ではないしな。好きに呼べばいいだろう。
五十三番の部隊には上流で木を切ってもらい、川の流れを利用して下流まで運んでもらう。
そこから川原で一度回収して、丸太にして乾燥させておく。
落とした枝は燃料として村へ。
丸太の一部は、洞窟に運ぶ予定だ。
いつの間にか太陽が昇り切っていたのか、朝の仕事を終えた子供たちが川原へやってきた。
「骨さん、こんにちわ!」
「こんにちわ! 骨さん」
「こにちわ!」
元気に挨拶してきたのは双子のサーサとビービ、アルの弟ニルである。
嬉しそうに走り寄ってくると、吾輩の脛をペタペタと触りながらよじ登ってきた。
白桃を差し出してやると、目の色を変えて齧り付き始める。
この桃は甘みが大変強いので、最初に食わせた時は夢中になりすぎて大変だったな。
「こんにちわ、御使い様。ご機嫌いかがですか?」
「お師匠様、こんにちわです」
ニコニコと笑みを浮かべながら、ちびっ子たちを抱える吾輩を見つめるロナ。
その横には相変わらず、やや緊張した表情のアルが付き添うように立っている。
「今日は木がいっぱいですね。え、村のために? いつもいつも本当に…………ありがとうございます」
「そう言えば昨夜、父が凄く感謝してましたよ。村を救ってくれた英雄様だって」
ふむ、結果的にそうなっているだけなのだが、わざわざ感謝の言葉を否定しても仕方ないしな。
二人にも白桃を差し出してやる。
嬉しそうに桃の皮を剥いて口に含みつつ、ロナが話しかけてくる。
「御使い様は、いつだって本当に私たちを助けてくれるのですね。私がさらわれた時も、犬に襲われた時も……。それに私だけじゃなく、川の水を堰き止めて村まで救って頂いたり」
「もしかしてと思ったのですが、噂の盗賊が消えたのも、お師匠様の仕業だったりします?」
それも結果的に、砦を爆破したのは吾輩たちのせいであるので首を縦に振っておく。
吾輩の返答に、二人は顔を見合わせて大きく頷いていた。
「あれ? 剣の骨さんだ!」
不意に双子の一人が声を上げたので、視線を向けるとなぜかロクちゃんが川原に居た。
頭の上には、怯えてしがみつく羽耳族の子供を乗せている。
「初めまして、えーと、剣の御使い様」
ロクちゃんの腰に二振りの鞘が下がっているので、なるほど剣の御使い様か。
……………………吾輩も杖を持ってくるべきだったか。
すたすたと近付いてきたロクちゃんは、羽耳族の子供を下ろすとそっと子供たちの側へと近づける。
おお、一緒に遊ばせてやろうという魂胆か。
……成長したな、ロクちゃん。
「こんにちわ、あなたお名前なんていうの?」
「私はサーサ、こっちはビービていうのよ」
「ギャッ! ギャヤ」
「ギャーちゃんね。えっと、桃食べる?」
「ギャギャ!」
「ぼ、ぼくの桃……」
ふむ、子供同士というのは、意外と相性が良いようだな。
桃を取り上げられて泣きそうな顔になったニルに新しい桃を渡してやる。
「この子、どうされたんですか? まさか、私みたいにさらわれていたのを助けて?!」
説明が面倒なので頷いておく。
「……随分と体が汚れてますね。服もこれだけしかないんですか? お師匠様」
今、洞窟にある服は、猫除けの服と赤い貫頭衣だけだったのだ。
両方ともブカブカだったので裾を踏んで転ぶくらいなら、ここのままで良いかとおもったんだが。
面倒なので、この子たちに少し世話をさせるのも良いかもしれんな。
ロクちゃんのほうをチラリと見ると、よく分からない表情をしていた。
とりあえずアルが替えの服を、家まで取りに戻ってくれることになった。
ロナの家には、余ってる服はないらしい。
そういえば、いつも同じ服装をしてたな。
待ってる間、時間潰しに地面を動かして、川の側に浅い穴を作り水を引き込んでおく。
端材を燃やした焚き火に石を入れて熱した後、即席の水たまりに放り込んで水を温める。
出来上がった簡易風呂で洗うように指示すると、ロナが手際よく羽耳族の子供のボロ布を脱がせてくれた。
そのまま抱き抱えて、脅かさないようにゆっくりと湯に子供を浸す。
最初は怯えていた子供だったが、温かいお湯が気持ちいことにすぐに気付いたのか、呆けた顔になってなすがままになっていた。
ロナにゆっくりと手で擦りながら体を洗ってもらうと、子供はくすぐったいのがギャギャと掠れた声で笑い始める。
その様子が気に入ったのか、風呂の傍らに座り込んたロクちゃんがじっと二人の様子を眺めていた。
お湯が真っ黒に濁ってきたので、急いでもう一つ横に風呂を作ってやる。
するとなぜか双子たちも寄ってきて、一緒に服を脱ぎ始めた。
羽耳族の子供みたいに、温かいお湯に入りたくて仕方がなかったようだ。
「こんな風にお湯に入るなんて、初めて知りました」
何と、風呂に入る習慣はないのか?
「えっと、体を清めるのは、お湯で絞った布で体を拭くくらいですね」
ああ、燃料があまりないんだったな。
あの村では風呂は贅沢そのものか。
のんびりと穏やかな風に吹かれながら、川原風呂を楽しむ子供たち。
それを見守る二体の骨と少女。
なんとも不思議な光景だ。
ロナのためにもう少し大きな風呂でも作ってやろうかと考えていると、ちょうど小さな子供服を手にしたアルが戻ってきた。
「お、お待たせしました、お師匠様」
うむ、お使いご苦労だったな。
ところで、それは誰だ?
吾輩の問いかける視線に気付いたのか、アルの後ろに立っていた人物が軽く頭を下げた。
そのままジッと吾輩とロクちゃんへ、不躾な視線を寄越してくる。
しばしの沈黙の後、その人物、くしゃくしゃの皺だらけの顔をした老婆はゆっくりと口を開いた。
「初めまして、骨の方々。わしの名前はエイサンと申します。あなた方に少々、お頼みしたいことがありましてのう」




