第七十二話 土壁の戦い
激高した叫びを上げた小鬼は、両手で握りしめた杖を地面に強く突き立てた。
途端、全方位に向けて地面が波打ち、波紋のように衝撃が広がっていく。
――長机!
咄嗟に大地に手をつき、目の前に土の塊を引き上げる。
寸前で間に合った波除けが、地面のうねりと相殺して崩れ去る。
だが土の波を避けきれなかった吾輩の背後は、エライことになっていた。
樹々がメキメキと音を立てて倒れ、下僕骨たちが次々と下敷きになっていく。
慌ててタイタスを確認すると、盾を構えたまま半ば土に埋まっていた。
吾輩よりも近い位置でぶつかった分、威力が大きかったようだ。
「この忌まわしき屍どもが! 今すぐすり潰してやる!」
またも大声を上げる赤服の小鬼。
こちらを睨む目には、憎悪と恐れの入り混じった複雑な色が見て取れた。
初対面なので確実に骨違いだと思うのだが、一体その滅びの骨とやらは何やらかしたんだ?
ここまで感情がむき出しになるって、相当アレな案件だろうに。
しかし今は推測は後回しだ。
それよりも隊長格の小鬼の頭に血が昇ったおかげで、不利だった状況に勝機が見えてきたぞ。
吾輩の下僕骨はほぼ行動不能。
タイタスはまだ動けるが、五十三番は……土に半分以上埋まっているな。
だが位置的には、何とかなりそうだな。
ロクちゃんの方は、飛び上がって土うねりをやり過ごせたか。
向こうの戦力は精霊使いが一人、通常武装の小鬼が六人。
こいつら兵士はどうしてか、精霊術の影響を受けないようなのだ。
先ほどの地面の波も、彼らを標的にせずをそのまま通り過ぎていたし。
そうなると、このまま野営地で戦うのは軽骨な考えだな。
「逃げろ! ロクちゃん」
吾輩の掛け声に、ロクちゃんはサッと身を翻し背後の森へ姿を隠す。
よし、素直で良い子だ。
「追え! 一匹残らず確実に破壊しろ! 骨一片たりとも見逃すな!」
赤い服の小鬼の命令に、槍を構えた四人が木立へ突っ込んでいく。
上が理性を失うと、下の連中は可哀想だな。吾輩も骨髄に命じておこう。
ロクちゃんが選んだ戦場は、まともな灯りもない森の中。
しかも木が多いせいで、長柄武器はかなりの不利だ。
これでもう、あっちは心配せずに済みそうだな。
さて野営地に残ったのは吾輩とタイタス、そして小鬼が三人。
何とかなりそうな状況ではあるが……。
吾輩の意志を感じ取ったのか、大きく頷いたタイタスが激しく顎を噛み合わせた。
「来やがれ! このチビ助ども――」
威嚇を放とうとしたその時、杖が再び大地に突き立てられた。
大きく地面が揺れ、またも土の波が襲ってくる。
慌てて防壁を貼ろうと地面に手をついた吾輩目掛けて、矢が続けざまに飛んできた。
机じゃ間に合わない――丸椅子、も一つ丸椅子!
盛り上がった土が間一髪で間に合い、吾輩の代わりに矢を受けとめてくれた。
その直後、押し寄せた波にぶつかって崩れ去る。
うむむむ、これは簡単に近づけんぞ。
いや近付かなくても時間を稼げればそれで良いのだが、今は出来るだけ吾輩たちに注意を引きつけておかないとな。
「吾輩が道を開く。付いてきてくれ」
土の波に押しやられて大きく下がってきたタイタスに、声を掛けて中腰のまま前に出る。
まず長机、一歩進んで丸椅子、もう一歩進んで丸椅子っと。
壁を作りながら、広場を斜めに横切るようにして焚き火へと近寄る。
矢が何度か飛んでは来たが、十分に防げているな。
む、来たか。
地面につけた手が、激しい揺れを読み取る。
ここは長机――って、何だ!
半分の高さにも土を引っ張り上げれず、勢いを殺しきれなかった波が槍と化して迫ってくる。
危ないと思った瞬間、盾を構えたタイタスが横から突っ込んできた。
寸前で盾が間に合い、派手に土砂が撒き散らされる。
「大丈夫かよ? 吾輩さん」
「すまん、助かった」
「どうした? もしかして腹が減って力が出ないのか?」
まさかと言いかけて、吾輩は直感的に気付く。
そうか、精霊が減っているのか。
いや厳密には違うな。吾輩が操れる精霊だけが減っているのだ。
「どうやらあの精霊使いの近くだと、こっちは土を操れないようだな」
「面倒ったらありゃしねぇな。あと数歩だってのに」
小うるさく飛んできた矢を弾きながら、タイタスは焚き火の側に陣取る小鬼どもをねめつける。
そんな足止めを受ける吾輩たちに向けて、またも杖が振り下ろされた。
「……ちょっと無茶だがやってみるか。あの波に合わせるぞ」
「ふっ、おもしれえな、任せとけ!」
タイタスの後ろに回り、その足元に手を付けありったけの精霊を掻き集めた。
もうすぐそこまで、波打つ地面は近付いている。
タイタスの二歩手前で、波は槍へと変化を――ここだ。
ギリギリの瞬間を見極めた吾輩は、力一杯地面を引っ張った。
同時にもっとも座りなれた馴染みの家具をイメージする。
――玉座!
土の波を吸い込んで、巨大な台座がタイタスを載せたまま持ち上がる。
おお、一発本番だが、上手く行ったぞ。
玉座の背もたれを力強く蹴っ飛ばして、巨骨は大きく宙を飛んだ。
そして地響きと共に、焚き火近くへ着地する。
そのまま斧を振りかざし、タイタスは小鬼どもへ詰め寄る。
勝ったと思われたその時、赤い服の小鬼がタンと地面を杖で叩いた。
瞬時に四枚の土壁が、タイタスを覆うように立ち上がる。
あっさりと虜となる大きな骨。
そこに即座に槍に持ち変えた小鬼どもが、背後に回り込んで壁越しに得物を突き出した。
甘い!
轟音とともに、内側から土壁を打ち破って斧が現れる。
それは正確に、二本の槍の穂先を弾き飛ばした。
吾輩が見ている限り、タイタスに死角なぞありえないのだよ。
そのまま軽やかに身を沈めたタイタスは、一体の胴を横薙ぎにする。
次いで振り回した盾の縁で、もう一体の胸を強かに殴りつけた。
「よし、後はソイツだけだ!」
振り向いたタイタスは躊躇なく、赤い服の小鬼へと挑みかかる。
だが大上段から振り下ろされた斧は、地面から迫り上がる土壁に塞がれる。
勢いのまま壁を真っ二つにして、さらに踏み込もうとしたタイタスの足元を小鬼の杖が軽く突く。
一瞬で土が動き、真下からまたも生えてきた土の壁にタイタスは再び阻まれる。
この小鬼、接近戦でもやたら強いぞ。
ならば――。
タイタスに加勢すべきと、吾輩も焚き火へと走り寄る。
その姿に気づいたのか、赤い服の小鬼は大きく杖を持ち上げた。
だが土の波を放とうと動く、その一瞬を待ち構えていた者がいた。
木立の間から、弓弦を弾く鋭い音が響き渡る。
高速で飛来した矢は、正確に小鬼の手首を貫き杖を弾き飛ばした。
驚きで目を丸くする小鬼に、タイタスの斧が勢い良く振り抜かれる。
鈍い音とともに、首が空高く舞い上がった。




