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第五十二話 こっそり善行



 龍の雨季に入って五日目。

 雨足は依然止まらず、弱くなったり強くなったりを繰り返しながら降り続いている。

 そろそろ、慣れを通り越して飽きが来ている有り様だ。


「おお、凄いことになってるな」

「本当ですねぇ…………」

「どうした? 五十三番」

「いや本当にあそこから無事抜け出せたって、かなり凄いことのような気がしてきました」

「何を今更。ロクちゃん、頑張ったよな」

「倒す!」

「うんうん、今日は思う存分倒していいぞ」

「たおーす!」


 一晩経っての崖の上は、別世界のように様変わりしていた。

 平地だった場所に巨大なすり鉢状の穴が生まれ、波なみと溜まった泥にポツポツと雨が降り注いでいる。


 窪地のど真ん中に鎮座しているのは、泥にまみれた小山、棘亀だ。

 じっとしていると、本当に大きな岩にしか見えないな。


 亀の卵や狼の死骸は泥に埋まってしまったのか、それらしいものは見当たらない。

 生きた狼の方も、影も形もない。綺麗に撤退してしまったようだ。

 またいつか会える気がしてならないが。


「残念ですね。狼の死体」

「どのみち、この泥地獄の中に入る気はしないから、これで良かったと思うぞ」

「僕は生きてる方に会いたかったですけどね。ちょっと真正面から、やりあってみたかったり」

「体の予備が残り少ないんだから、今は勘弁してくれ」


 さてゾロゾロと崖の上に再びやって来た吾輩たちの目的は、亀見物ではない。

 この雨のせいで少々、やんちゃが過ぎる川をどうにかしてやろうかと思ったのだ。


 正直、そんなことをしてる暇があるのかと問われそうだが、総命数が一気に100も増えて気持ち的にかなり余裕ができたからと答えておこう。 

 うん、ただの気まぐれである。

 決して吾輩の配下たちの村が困っているとかが、理由ではないとだけ言っておく。


「この辺りの土がかなり弱いですね」


 早速、鑑定を使って地面を調べていた五十三番が、かなり良い場所を見つけ出す。


「先に掘り進めておいてくれ。吾輩はロクちゃんと森へ行ってくる」

「はい、お気をつけて」


 窪地を迂回して、川沿いに歩きながら森に近付く。

 黒い木々の立ち並ぶ空間には、ほぼ生き物の気配はなかった。

 雨のせいで小さな鳥たちまでもが、巣に閉じこもってしまっているようだ。


 森の奥から流れてくる川は、かなりの勢いがあった。

 これなら十分に行けそうだな。


「よし、ロクちゃん。まずこの木から始めようか」


 比較的細い木を選んで指差すと、大きく頷いたロクちゃんは担いでいた両手斧を大きく振りかぶった。

 幹を穿つ鈍い音が、森の中にこだまする。


「そうそう、川へ向かう方向に受け口の切込みを入れるんだ。で、反対側に追い口の切込みを入れて」


 鑑定を無意識に使っているのか、ロクちゃんは瞬く間に木を削り倒していく。

 しかし両手斧熟練度の最初の出番が、まさか伐採になるとはな。


 切込み口が完成したので、背後から体重をかけるとメキメキと音を立てながら木は川へ倒れ込んだ。

 少しだけ留まってみせたが流れに抗えず、木はゆっくりと下流へ向けて動き始める。


「うん、良い感じだ。この調子で頼むぞ、ロクちゃん」

「倒す! 倒す! 倒す!」


 がむしゃらに斧を振り回し始めたロクちゃんを置いて、五十三番の側へ戻るとこちらも作業が順調に進んでいた。

 川から窪地へ向かう大きな溝が、かなり掘り進められている。


「よし、吾輩も手伝うぞ」

「お願いします。土が柔らかいので、鍬でもサクサク刺さりますね」

「そうなのか? ならば――」


 土に手を当てて気持ちを集中させる。

 おお、なんだこれ!

 ニュルニュルと動かせるぞ。洞窟の土に比べると段違いだ。


 なるほど水を含んで柔らかくなったので、可動性が上がっているのか。

 これなら簡単に穴が作れそうだな。


 雨がパラつくなか、黙々と吾輩たちは作業をすすめる。

 川から窪地までは二十歩ほどであるが、昼も半ば過ぎた頃には水路はあと少しを残して完成していた。


 ロクちゃんが切り倒してくれた木も、上手い具合に滝口手前の川床に引っ掛かった一本があったようで、それに後続の木が連鎖的に詰まって良い感じに積み上がり始めている。


「川が溢れそうになってますよ、吾輩先輩」

「おおっと、勝手に流れ出されるのは不味いな。よし、そろそろ開通するか」

「僕はロクちゃんを呼んできますね」

「うむ。頼んだぞ」


 二体が戻ってくるのを待って、川と溝の間の土を慎重に動かす。

 繋がった瞬間、水はたちまち渦を巻きながら、勢い良く水路へなだれ込んできた。

 そのまま窪地へ一気に流れ込み、泥と混じり始める。

 

「おお、良い感じで亀が水に飲まれていくぞ」

「動かないということは、水中でもある程度、平気なんでしょうか」

「まあ亀だしな……。今回の吾輩の作戦は、見通しが甘かったようだ。すまなかったな」

「いえ、気にしないでください」

「倒す!」


 実は二体には、これは水攻めで亀を溺れさせる作戦だと伝えてあった。

 本当の理由を打ち明ければ良いのだが、人助けだと気恥ずかしくて言い出せなかったのだ。

 うむ、吾輩の名誉に関わるからな。


 すでに亀は甲羅を半分ほど残して水没していたが、窪地いっぱいに水が貯まるのはもう少し時間が掛かるだろう。

 龍の雨季は七日間続くそうだが、あと二日ならこれで何とかなりそうだな。


「この溜池のおかげで、集落の被害はかなり防げそうですね。うんうん、良かったですね、吾輩先輩」 

「倒す?」

「たまには倒さないのも良いんだよ、ロクちゃん」


 う、バレてたか。



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