第五十話 卵奪取クエスト 後編
雨が降り続く中、川の様子を見に出かけた吾輩たち。
そこで出くわしたのは、崖の上で死闘を繰り広げる大亀と灰色狼どもの姿だった。
産卵中のため体力を大きく消耗した大亀。
それに対し、仲間を呼び寄せて集団で取り囲む狼の群れ。
だが狩られる側だったはずの亀が、その背中に秘めていた武器を開放した瞬間、攻防は一気に逆転した。
放たれる棘の嵐の前に、狼たちは次々と傷つき倒れていく。
しかし狼たちも甘くはない。
亀の武器、土を固めて飛ばす棘の弱点を見抜いていたのだ。
棘を無駄撃ちさせたことで亀の腹の下にあった乾いた土は失われ、残ったのはぬかるんだ地面のみ。
泥の塊しか撃ち出せなくなった亀に、ここぞとばかりに狼どもが一斉攻撃を仕掛ける。
そんな二者の隙を突いて、卵にあとちょっとまで迫ったロクちゃん。
亀と狼と骨たちの状勢は、二転三転と目まぐるしく変化していく。
そして今。
満を持して五十三番が立ち上がった。
「…………なんですか、それ?」
「今までの流れを、分かりやすく整理してみたのだよ」
「みたのだよじゃないですよ。なんで僕に期待してるんですか? 作戦の立案は吾輩先輩の仕事でしょ」
「そうは言うがな、正直厳しいぞ。ロクちゃんがあそこまで近付けたのは凄いが、その後の退路がサッパリだ。大きな卵を抱えたまま、あの空き地をどう横断しろと?」
あんな目立つ卵と同伴しての隠密行動は不可能だ。
絶対途中で、どちらかに気付かれるのは間違いない。
ならば見つかる前提で弓で援護といっても、六本しかない矢じゃ最大限に上手く行って六匹の足止めが限度。
狼の数は半分にも減らせないし、亀に矢を撃ったところで言葉通りの無駄骨だ。
せめて共倒れになってくれれば、まだ勝機があったのだが、それも無理な願いに――。
「おい、何かおかしくないか?」
「そうですね。もう決着が付いてても、おかしくないはずなんですが……」
吾輩たちが頭骨を突き合わせている間に、またも空き地の情勢に変化が起きたようだ。
まず狼どもの攻撃の手が、明らかに鈍っていた。
見ると呼吸がかなり荒く、魂力も20ほどまで落ち込んでしまっている。
長い時間、雨に打たれながらの戦闘で体力を消耗したのかと思ったが、それにしても動きが悪すぎる。
そして亀。
ついさっきまで狼たちに追い立てられ、甲羅以外の場所はかなり傷を負っていたはずだ。
だが今見るとその体は泥に覆われて、流血も止まってしまっている。
狼どもの噛み付きや引っ掻きも、泥で守られた体にはあまり効果が出ていないようだ。
そうか、全てあの泥の仕業か!
高所から見下ろすと、何が起こっているかがよく分かる。
確かに雨は大亀から、乾いた堅い土の棘を奪ってしまったのかもしれない。
だが代わりに、もっと恐ろしいモノをもたらしていたのだ。
水を吸ってドロドロになった土は、大亀の甲羅に勢い良く引き寄せられては放たれる。
撒き散らされた大量の泥は、周りの地面をますます柔らかくしていく。
そしてぬかるみ過ぎた大地は、結果的に狼どもの機動力を奪ってしまったと。
吾輩たちの眼の前で、空き地の様相は見る見る間に変わり始めた。
土を吸い取られた地面が、亀を中心にゆっくりと沈下していく。
すり鉢のように傾斜が生まれ、土の多くが泥に変えられ広範囲にばら撒かれる。
少し前までは、そこは木がまばらに生えただけの空き地であった。
しかし今は――。
「まるで蟻地獄、いや泥地獄ですね」
「ここだけ森が途切れているのは奇妙だと思っていたが、実はこいつの仕業だったのか……」
角度がついた斜面に耐え切れず、根っこごと持ち上がった木が横倒しになって滑り落ちていく光景を眺めながら、吾輩たちは愚にもつかない感想を述べ合う。
いやいや、感心している場合じゃないな。
そんな状況になっても、狼どもの闘志は衰えを見せないようだった。
泥を蹴散らしながら、果敢に大亀へ挑み続けている。
けれどもすでに、今の狼たちからはかつての俊敏さは失われていた。
のっそりと首を持ち上げた泥沼の主は、そのうちの一頭をバクリと咥え込んだ。
骨ごと噛み砕くゾッとする咀嚼音を響かせながら、亀は狼をあっさりと呑み下す。
そ、草食じゃなかったのか、アイツ……。
吾輩は完璧に見誤っていたようだ。
あの亀こそが絶対的な強者であり、捕食者の側だったとは。
「不味いですよ、吾輩先輩。このままじゃロクちゃんも泥のせいで逃げられなく――」
「それは駄目だ!」
貴重な戦力であるロクちゃんを失うなんて、度し難い損失だぞ!
何か……。
あの泥沼から抜け出せる足場を……。
吾輩の頭骨内で、流れ込む全ての情報が目まぐるしく交差する。
大亀の動き、残った狼の数、倒木、卵の周りは無警戒、斜面の角度、勢いを増す流れ。
そして追い詰められた吾輩は、一つの答えを見つけ出した。
「よし、五十三番」
「はい、吾輩先輩」
「今から実行する作戦はかなり無茶振りだと思う。が、きっとお前ならやり遂げられると吾輩は信じている」
「ええ、任せて下さい」
コイツ、作戦の内容を聞く前に即答しやがったぞ。
たまに男前過ぎて、それはそれで腹が立つな。頼もしいから許すけど。
大まかに説明すると、察しの良い五十三番はすぐに理解してくれた。
頷きあった吾輩たちは、それぞれの配置へ急ぐ。
五十三番は卵とは逆側かつ、狼たちがよく見える位置へ。
そして吾輩は登ってきた岩場、滝の横へと移動を終える。
あとは実行にふさわしい時を待つだけだ。
と思った瞬間、狼の長が長い吠え声を上げた。
同時に狼どもが身を翻して、傾斜を駆け上がり始める。
うむ、狙い通り。
囮を使って棘を空打ちさせるほどの知能があるなら、引き際も当然心得ているはずだと踏んだのは正解だったな。
逃げ出した狼どもに向かって、亀は再び甲羅へ潜り込む。
こちらも追撃を仕掛ける気満々だな。容赦がない。
飛んでくる泥を躱そうと、狼どもは斜面の途中で足を止めて備えた。
この十秒こそが吾輩たちの作戦の要所であり、五十三番の本気の見せどころだった。
斜面の縁で身を起こし、弓を構える白い骨。
弦が続けざまに震え、渾身の矢が放たれる。
常であればその矢は、素早い狼どもにかすりもしなかっただろう。
だが物音を掻き消す雨と、不安定な足場が吾輩たちに味方した。
風を切った矢の五本中、四本が狼どもの胴や足へ命中する。
よし!
もちろん、たかが一本の矢如きで、あの大きな狼たちを仕留められるとは思っていない。
ほんの数秒だけ、その時を奪えさえ出来ればいいのだ。
矢が当たった狼たちは致命傷でないにも関わらず、その動きが突然鈍くなった。
飛来した泥は何とか避けれたものの、その場で固まってしまう。
実は五十三番は格好つけるために、矢先を噛んでいたわけではない。
鏃にたっぷりと麻痺毒を塗り付けていたのだ。
「行けぇぇぇええ! ロクちゃん」
五十三番の歯音が響き渡ると同時に、ずっと伏せていたロクちゃんが身を起こした。
矢を放ったことと叫び声のせいで、空き地の注意は五十三番に集まっている。
そんな絶好の機会を、ロクちゃんが見逃すはずもない。
卵を素早く拾い上げたロクちゃんは、そのまま亀の横をすり抜け、斜面に用意された足場へ飛び移った。
身動きが取れない狼を踏みつけ、骨は高らかに跳躍する。
続けざまに二匹目、三匹目。
剥き出しになった木の根を挟んで、四匹目に飛び移り、最後の跳躍でそのまま泥沼を無事抜け出す。
そして滝目掛けて、ロクちゃんは一目散に走り出した。
だがその場で動けるものは、もう一体いた。
痺れ毒矢を躱した狼の長である。
狼の長がまず襲いかかったのは、矢を放ち終えた五十三番であった。
咄嗟に弓を持ち上げる五十三番であるが、間に合わず六本目の矢は的はずれな方角へ飛んで川に着水する。
狼の突進をまともに受けた骨の胴体は、粉々に砕け散って地面にばら撒かれた。
五十三番を仕留めた長は、振り返って今度は卵泥棒を追いかけ始めた
走るロクちゃん。
その背後に、瞬く間に狼が追い付く。
普段であれば、もう少しまともな勝負が出来たかもしれない。
しかし重い卵を抱えたロクちゃんでは話にならない。
簡単に追いつかれ、押し倒される――はずであった。
しかしあと一歩のところで、狼は足を緩めた。
それもそのはず。
切り立った崖っぷちが、すぐそこまで迫っていたからだ。
だが骸骨は足取りを止めようとはしない。
むしろ、さらに速度を上げて突っ走る。
そしてロクちゃんは、華麗に大空へ羽ばたいた。
という訳もなく、崖から飛び出したロクちゃんは、そのまま滝壺へ真っ逆さまに落ちていく。
同時にロクちゃんは宙空で、卵を抱える腕と肩、首を除いて、残りの体を切り離した。
その状況を、ロクちゃんの視界を通してつぶさに観察していた吾輩は、釣り竿を大きく振りかぶる。
タイミングを見計らって、そい!
突き出した竿は、見事にロクちゃんの上半身、肩甲骨に引っ掛かった。
よっしゃ!
「釣ったぞぉぉおおお!」
持ってきてて良かった、大物用の竿。
ミシミシと音を立てる竿を手繰り寄せ、ロクちゃんを急いで助け出す。
卵をぎゅっと抱きしめたまま、ロクちゃんは吾輩を見上げて笑ってみせた。
そんな見つめ合う吾輩たちの横を、矢と矢筈に結んだ投擲紐の先を咥えた五十三番の頭骨が何も言わぬまま滝壺へ落ちていった。
あ、すまん!




