第四十七話 上流探訪
話に聞いていた通り、翌日から雨が降り始めた。
次の日も小雨は止まず、日中、針のような細い滴が降り注いだ。
雨から逃れるように生き物たちは姿を消し、森はひっそりとした静けさに包まれてしまう。
狩りを諦めた吾輩たちは、洞窟の入口に水が入ってこないよう盛り土をして、室内作業に切り替えることにした。
やるべきことは、色々と溜まっているしな。
三日目も雨は続き、四日目には逆に雨足が強まってきた。
そしてとうとう、ロクちゃんが外に出たいと駄々をこね始めた。
やはり、ずっと洞窟の中で過ごすのは無理だったか。
「どうだろう、この機会に調査へ行かないか?」
「外出は大賛成ですが、何を調べるんですか?」
「倒す! 倒す!」
「そりゃ、もちろん森の奥だ。出来れば火山がある近辺を見てみたいが、あの黒樹林の壁を超えるのは無理だろう」
「この雨だと余計に厳しいでしょうね。それを言い出すってことは、他にあてがあるんですね」
「倒す! 倒す! 倒す!!」
「ああ、川の岸を遡って行くのはどうだろうか。ちょうど、どれほど水量が増えているかも見れるしな」
「なるほど岩場なら、まだ歩きやすいかもしれませんね」
「倒すーーーー!」
「よし、決定だな。では各自、準備して入り口に集合だ。今回は調査が主体なので、軽装を心掛けるように」
幸いにもこの三日間の集中作業で骨の組み立てと修復が進み、予備の体は五体まで数を戻せている。
予備の手足もそれなりに増えて、少しくらいの破損であれば何とかなる見通しだ。
それでも、わざわざ視界と足場の悪い雨の中へ出掛けるのは、あまり合理的とは言えないだろう。
だが吾輩もこの三日の間、ずっと我慢していたのだ。
降り続く雨のせいで、大量の水が森へもたらされた。
当然、森の水が集まる川も、今まで見たことがないほどの有り様になっているに違いない。
そんな大変な状況なのに、手をこまねいて見てるだけとは歯痒すぎるではないか。
まあ、神経が通ってないので、本当に痒いとかは全く感じてないが。
「……………………何ですか? それ」
「うむ。釣り竿四号だ」
「だから何ですか?」
「川の水かさが増してる場合、いつもと違った当たりが来やすいんだ。大物対策に太いのを選んでみたのだよ」
「みたのだよじゃないですよ。また新しいの作ったんですか? それよりも弓をもっと作って下さいよ!」
「まあまあ、落ち着け。大丈夫、お前たちの竿もちゃんと準備してやったぞ」
後ろ手に持っていた釣り竿五号と六号を差し出してやる。
え、なんで叩き落とすんだ。
酷い。
結局、釣り装備は吾輩だけになった。
折角、苦労して骨を削って釣り針も作ったのにな。
強度を保つためにどうしても太くなってしまうのを、ギリギリまで見極めた逸品だ。
小さいが返しもちゃんも作ってある。
まさにこれこそ、骨身を削るというやつだぞ、フン。
カゴは重いので、今回は置いていくことにした。
代わりに背負い袋と腰袋にして、ついでに手斧を下げておく。
服も水を吸うと邪魔になるので脱いでおこう。流石にこの雨では、剣歯猫にも出会わないだろうし。
ロクちゃんは愛用の黒曜石のナイフと鉈。いつも通りである。
五十三番は今日は弓で行くらしい。
一応、使い慣れた投石紐も腰に巻いている。
あと樹皮を太めに剥がして、折りたたむ感じで作った矢筒も背負っている。
矢数は六本だ。回収して使うよう、言い聞かせてある。
「では気を取り直して、出発だ!」
「倒す!」
水滴がけぶる森の中は、普段と比べ空気がやけに重く感じた
葉に当たる雫の音がうるさいため、忍び足もせずグイグイと進む。
ただ水を吸った下草が足に絡むせいか、かなり歩き難いな。
頭骨に雨粒が当たるたびに、反響定位が反応して風景が浮かび上がるため、何かを見落とす確率が減ったのは良かったが。
辿り着いた川は、思った以上に荒れていた。
いつもの川原も増水の影響で、かなり水が押し寄せている。
ふと見ると石のかまどの上に、たくさんの小石が積んであった。
あの幼子たちの仕業だろう。
気を取り直して、上流へ足を向ける。
しばらく進むと、じょじょに両岸に大きな岩が目立つようになった。
雨に濡れた緑の苔が、鮮やかな彩りとなって上部を覆っている。
さらに進むと、ゴロゴロとした石ばかりとなって足場が悪くなってきた。
岩もますます数を増し、流れ込む水流とぶつかって白い飛沫を上げている。
この辺りにはトカゲが多いらしいが、今は何の気配も感じ取れない。
いや水流に潜む気配なら、ビンビンに感じ取れてはいるのだが……。
ここで竿を取り出すほど、空気の読めない吾輩ではない。
まずは調査を終えてからでも、遅くないはずだ。
川は泥濁りというほどでもないが、流れが早いので落ちるとかなり危険である。
竿の垂らしやすい場所をチェックしながら、吾輩たちは黙々と歩き続けた。
どうやら吾輩は川面ばかり注目していて、さっぱり気付けていなかったようだ。
前の二体が立ち止まった気配で顔を上げると、不意に眼前に展開された景色に思わず歯音が漏れた。
険しい岩場は、一息に高さを増していた。
見上げるほどの位置、崖となって吾輩たちの行く手を阻んでいる。
見所は、その頂上から落ちてくる水流であった。
左右の岩壁にぶつかり白い泡を泡立てながら、太い水の流れが真っ直ぐに落ちてくる。
頭を叩く水音のせいで聞き落としていたが、気がつくと地響きに近い音が鳴り響いていた。
同時に弾かれた水けむりが、霧のように周囲を満たしている。
それは余りにも見事な風景であった。
「…………おお、凄いな。滝だぞ!」
「今頃、気付いたんですか?!」
「――――倒す」
歯音を掛け合っていた吾輩たちを、急にロクちゃんが制止した。
そのまま、指をスイっと持ち上げる。
何事かと思って視線を上げた吾輩の眼に、崖の縁に立つ何かの影が映る。
四本の脚を持つシルエット。
獣のようだが、この距離をしても明らかに剣歯猫よりも大きいと分かる。
しかも一体ではなかった。
少なくとも三体は確認できる。
そぼ降る雨の中、獣たちは崖の上から下界を睥睨していた。
不意にその内の一匹が、首を持ち上げ高らかな咆哮を放つ。
空気を震わせる遠吠え。
それは長く長く尾を引いて響き渡った。
「…………狼ですか?」
「そのようだな。だが大きさが異常過ぎる。頭の高さが、吾輩たちの胸元まであるぞ」
「この距離だと命数がよく見えませんね。どうします?」
「どうって、そりゃ――」
「倒す!」
小さな歯音を立てたロクちゃんが、岩場へ飛びつきそのまま勢いをつけて登り始めた。
顔を見合わせた吾輩たちは、苦笑いを浮かべなら後に続く。
――そりゃ、ここまで来たら行くしかないだろうな。




