第四十六話 予兆
夜明け前。
洞窟を出た吾輩たちの目に飛び込んできたのは、森の向こうに伸びる黒い煙だった。
「……何か燃えているのか?」
「随分と高い位置まで煙が上がってますね」
「倒す?」
「煙の発生源は確かに気になるな。よし、見に行ってみるか」
雷雨があったわけでもないので、自然発火は考えにくい。
むしろ、火吹きトンボのような謎生物の仕業だと考えるべきだろう。
もしかしたら、新たな精霊憑きの能力を手に入れるチャンスかもしれんしな。
一列縦隊で、煙の見えていた北西方面へ進む。
しかしかなり歩いてみたものの、それらしい匂いや気配は伝わってこない。
「火事とかでは、なさそうだな」
「誰かが焚き火でもしてるんでしょうか?」
「合図だとしたら、余計に気になるな。ところで方角はこっちであってるのか?」
いつの間にか、森の奥深くまで入り込んでいたようだ。
鬱蒼と茂る枝のせいで頭上がほとんど見えない。
「方角は正しいと思いますが、近寄ってる感じがしませんね」
「倒す!」
急にロクちゃんが歯音を立てると、傍にあった木に飛びついた。
まさか切り倒す気かと思っていたら、幹にしがみついたロクちゃんはそのままスルスルと木を登り始めた。
瞬く間にロクちゃんの姿は、枝の合間に消え去る。
しばらく待つとガサガサと葉を揺らしながら、白い骨が軽やかに飛び降りてきた。
「行き先はこっちで良いのか?」
「倒す!」
うん、方角は合っているようだ。
「距離はどれくらいだ?」
「……倒す!」
まだかなり遠いようだな。
「何が燃えてるか見えたかい、ロクちゃん?」
「倒す?」
見えなかったか。
「うーむ、もう少し進んでから、また木に登って確認するか。それで目処がつかないようなら諦めよう」
「分かりました。次は僕が登りますね」
「倒す!」
黙々と森の中を進む。
周囲に立ち並ぶ木々は、すでに黒い樹皮を纏い始めていた。
落ち葉に足が少しづつ埋まりだし、歩くペースが落ちてくる。
見渡す限り太い幹が連なる様に、吾輩たちはとうとう足を止めた。
「この先はヤバそうな感じだな」
「ええ、なんか明らかに雰囲気が違いますよね。重苦しいというか、何かが濃い気がします」
「倒す!」
「うん、ロクちゃんはやる気に満ちてるな。エラいぞ」
褒めると、なぜか吾輩の頭が撫でられた。
間違ってる気もするが、これはこれで良いか。
「それじゃ、ちょっと確認してきますね」
少し呆れた歯音を漏らして、五十三番が黒い幹を登り始める。
ヒュイヒョイと猿のように枝を伝って、見る見るうちに上昇していく。
いくらもしないうちに天辺に辿り着いたのか、葉をかき分ける音がピタリと消えた。
「吾輩せんぱ-い!」
「なんだー?」
「ちょっと上がってきて下さいー」
「いやだ!」
わざわざ、あんな高い場所に登る気がしれん。
それに、そんな手間をかけなくてもな。
気持ちだけ息を吸った吾輩は、樹上にいる五十三番に意識を集中させる。
遠くを見渡す骨の頭頂に、ゆっくりと自分の感覚を重ねるように――。
お、見えた。
一瞬だけを切り取って描き出した絵画のように、遥か彼方までの風景が吾輩の頭骨内に浮かび上がる。
思った以上に便利だな、視界共有。
むむ、なんだこれ?
「なんかズルいですよ、吾輩先輩」
「吾輩が見たものは、本当に合ってるのか?」
「ええ、正真正銘、僕が見た光景ですよ」
五十三番の返答に、吾輩は何も言えず黙り込んだ。
そうしてもう一度、先ほど見た景色を思い起こす。
そこには確かに煙が上がる場所が、ハッキリと映っていた。
問題はその在り方だ。
煙の正体は、火事でも生き物でなかった。
延々と立ち並ぶ樹木の向こうにあったのは、黒煙を吹き上げる小高い山の姿だった。
「…………とりあえず、知ってそうなのに聞いてみるか」
急いで洞窟に引き返した吾輩は、いつもの川原に向かう。
幸いにも、今日は子供たちが来ていた。
のん気に竿を垂らす少年の背後では、せっせと幼子たちが石で囲っただけのかまどへ焚き木を運んでいる。
剣歯猫や野犬がいるから、あまり奥へは行くなとの注意はしっかり守っているようだ。
茂みに潜って枯れ枝や落ち葉を掴むと、子供たちは素早く引き返していく。
川原へ続く道を歩く吾輩の姿に気付いたのか、子供たちは一斉に手を振ってきた。
もっともロナだけは、頑なに頭を丁寧に下げているが。
吾輩が頷くと、子供たちはすぐに作業へ戻った。
少女はアルたちが釣り上げた魚の腹を裂いて内蔵を取り出し、洗った小枝に刺してかまどの近くに突き立てる。
このかまどもそうだが、少女が使う石のまな板や黒曜石のナイフも、吾輩が作り方や使い方を教えてやったものだ。
充分に焚き木が集まったようなので、火打ち石を打ち付け精霊の力を呼び寄せる。
パチパチと火が弾け、魚の焼ける匂いが漂い出した。
脇に座り込んだ幼女たちは、ジワジワと焼き上がる川魚をうっとりとした目で眺めている。
以前に比べると、こいつらもかなりふっくらしてきたな。
こんなに頻繁に川原に来て、大人にバレないのかと思ったが、焼き魚を手土産にして黙認されている状態らしい。
それにこの辺りはまだ森の手前に近いので、なんとか許してもらっているのだとか。
魚が焼きあがる間に、煙について聞いておこうと森の上空を指差す。
察しの良いロナが、すぐに答えをくれた。
「あの煙ですか? 御使い様。あれはイグナイ様の仕業です」
聞きなれない単語が出てきたので首を傾げると、ロナは振り返って少年を呼び寄せた。
「こういうのはアルのほうが詳しいんです。村長の息子なので」
「お待たせしました、師匠。え、あの煙ですか? あれは火吹き山に棲むイグナイ様が目覚めた証ですね。あの煙が見えると、大雨が降るんです」
イグナイと呼ばれる存在があの活火山に棲んでおり、ソイツが目覚めると雨が降るというのか。
因果関係がさっぱり分からんな。
「えっとイグナイ様というのは、赤い鱗を持つ大きな龍だそうです。誰も怖くて近寄りませんから、ちゃんと見た人はいませんが。それでイグナイ様は年に一回、お目覚めになって煙を吐くのだと父から聞きました。その煙が雨雲になるので、龍の雨季って呼ばれています」
龍だと……なんだか、お伽噺じみてきたな。骨の吾輩が言うのもアレだが。
大方、休火山が活動を再開して、吹き上げた熱で上昇気流が起こり、雨を呼び寄せるとかではないか。
だが毎年、かならずこの時期に起こるのも、奇妙な偶然だ。
噴火はしないのかと、指を閉じたり開いたりの仕草をするとロナが答えてくれた。
「爆発とかはしたことないです。でも、雨が振りすぎて……川が溢れて毎年、大変なことになるんです」
「はい、畑が全部、水に浸かってしまって…………」
注意すべきは、河川の氾濫だけか。
しかし龍とは、面白い話が聞けたな。正体を確かめてみたいものだ。
「お魚、焼けたよ!」
「焼けたよ!」
年長組の悲痛な表情を気にする素振りもなく、チビたちが大きな声を張り上げる。
こいつらは眼の前の食い物が最優先だし仕方ないか。
焼きあがった魚に、小ぶりな青い果実を半分に切って絞り汁をかける。
たちまち美味そうな柑橘系の匂いが広がった。
舌のヤケドを物ともせず勢い良く焼き立ての魚に齧りつく子供たちを眺めながら、吾輩は何が出来るだろうかと考えていた。




