第四十三話 戦略的撤退
吾輩の叫びと同時に、皆は三方向に別れて逃げ始める。
追いかけてくる芋虫に背を向けて七歩目。
右足首に衝撃を感じると同時に、足が地面に引っついて動かなくなった。
く、粘糸を飛ばしてきたか。
咄嗟に膝の関節を外して、脛骨ごと置き去りする。
三叉棒を杖代わりに走りながら、背後の音を懸命に聞き取る。
こんな時、反響定位なら、振り返らなくても音の像が浮かぶので便利だ。
吾輩についてくる芋虫は六匹か。
一匹ならともかく、この数だと当然勝ち目はない。
まあ、ハナっからどうにか出来るとは思ってないが。
そう、今の吾輩がやるべきことは、出来るだけ他の二体が逃げる時間を稼ぐことだ。
と、キリッと言ってみたが、即座にもう片方の足もベチャッと粘糸まみれにされた。
あらま。
これ以上の逃走は無理そうなので、頭骨を外して目星をつけておいた草むらにポーンと投げ込む。
その直後、頭を失った吾輩の体に芋虫どもが襲いかかった。
一斉に伸し掛かった虫たちは、容赦なく吾輩の体を地面に引き倒し、踏みつけ細かな破片に砕いていく。
ああ、なんと勿体ないことを。
追いつかれて数秒、後に残ったのは、見事にバラバラにされた元胴体の姿であった。
吾輩の体を蹂躙して満足したのか、芋虫たちはゾロゾロと花園へ引き返していく。
頭部まで襲われなかったことに、吾輩は安堵の歯音を漏らした。
運が良かったというか、これってもしかして賭運の効果か?
草むらに転がったまましばらく待っていると、いきなり視界を覗き見される感覚が走る。
これ、いつまで立っても慣れないな。
「おーい、ここだ、ここ」
「お待たせしました、吾輩先輩」
草むらをかき分けて姿を現したのは、三叉棒を手にした五十三番であった。
吾輩の荷物を回収しながら、視界共有で探してくれていたようだ。
五十三番は吾輩を抱き上げると、木々の間をすり抜けて静かに歩き出した。
どこにも破損箇所はないようで、吾輩はホッと歯音を鳴らす。
「無事、逃げられたか」
「吾輩先輩が大声を出して、派手に引きつけてくれたおかげですよ。おかげで僕の方は一匹だけでしたので、奥へ引っ張って何とか狙い撃ちで倒せました」
「ロクちゃんはどうした?」
「二匹相手に奮闘して、少しやられましたが無事ですよ」
「それは何よりだ。お、すまん、そこに足だけ残ってるのも拾っといてくれ」
途中で脱ぎ捨てた足首も回収してもらう。
「は~い、ご苦労様でしたね、先輩」
「ちょっと嬉しそうだな、お前」
なんだか返事が軽いぞ。
「いえ、普段はしっかり者の吾輩先輩が、頭だけの無防備な姿になっているのはちょっと可愛いなぁと」
「気持ち悪いことを抜かすな。そもそも、吾輩は頭だけの状態のほうが多い気がするぞ」
「それもそうですね。それと先ほどは、本当にありがとうございました。僕がいつもやらかしてばかりですみません」
「前にも言ったが気にするな。同意した時点で、何が起こっても受け入れる覚悟はある。それに今回は、芋虫どもの習性を見抜けなかった吾輩のミスだから、余計気にすることはない」
「……ありがとうございます、吾輩先輩」
花園に近づかないよう迂回したせいで、少し時間がかかったが最初の場所にようやく戻る。
吾輩らに気がついたロクちゃんが、座り込んだままブンブンと手を振ってきた。
「倒す!」
「うむ、見事に倒されてこのザマだ。うーん、ロクちゃんも結構やられてるな」
ロクちゃんは左足が太腿からなくなり、右肩と肋骨のあたりが黒い糸まみれになっている。
「これじゃ狩りは無理だな。今日は引き上げるか」
「あの芋虫たちが連鎖して襲ってくる限り、ここは厳しそうですね」
「そうだな。その辺りは黒棺様に芋虫の能力を判定してもらってから、また改めて考えるしかないな」
「倒す!」
芋虫という単語に反応したのか、ロクちゃんが地面に転がる三匹を指差した。
二匹は頭部が崩れて完全に死んでいたが、残り一匹はほぼ無傷のままである。
「お、もしかして生きてるのか?」
「それ、ロクちゃんが噛み付いて、痺れ毒で仕留めたヤツですね」
「それは素晴らしい。こいつら、毒が効くのか」
新しい生き物を四匹も狩れた時点で、今回の遠征は成功の部類に入れても良いんじゃなかろうか。
うんうんと頷く吾輩の頭を、ロクちゃんが撫でてくれる。
「倒す?」
「ロクちゃんも、ありがとうって言ってますよ」
「そうか。吾輩も皆が無事で嬉しいぞ」
と、和んでいる場合でもないな。
「まずはロクちゃんを歩けるようにしとこう。五十三番、カゴを取ってくれ」
「はい、どうぞ。吾輩先輩」
「カゴの背もたれの部分が、大腿骨だったはずだ。外してロクちゃんにつけてやってくれ」
今回のカゴが重かったのは、このせいである。
あらかじめ予備の腕や足の骨を組み込んで、作っておいたのだ。
もっとも大量に引っこ抜くと、カゴが崩れてしまう欠点があるが。
「吾輩の荷物はカゴに入れて、芋虫は担いで戻れるか。三叉棒が意外とかさばるな……。よし、吾輩を棒の先に刺して、うん、これで良い」
「なんだか討ち取られた人みたいになってますよ、吾輩先輩」
「気にするな。それじゃあ戻ろうか。帰り道は面倒な相手に出会わないよう、くれぐれも注意してくれよ」
慎重に警戒して進んだため、特に何事もなく洞窟まで戻ることができた。
留守番のネズミたちから接近した者はなしとの報告を受けながら、新しい胴体にくっつけて貰ってようやく一息吐く。
回収して貰った右足首は少し指が欠けていたので、つけ直して末端再生で治すことにした。
実はもう、完全に揃っている予備胴体はあと三つだけなのだ。
今は出来るだけ節約しないとな。
そして期待の黒芋虫の能力は『危険伝播』。
「かえって混乱しそうな能力ですね……」
「まあ、襲撃を受けても、素早く対応できるのは有利かもしれないな」
意外な場面で役に立つ可能性もあるので、ハズレ能力とも言い難い。
「とりあえず芋虫の能力は判明したが、これといった対処法は思いつかんな」
「数が多いのは良いんですが、能力的にも命数的にも、そんなに魅力はない感じですね」
「そうだな。新しい技能や耐性が出てくるまでは、あの花園へ行くのは保留しておくか」
今回は情報が集まっただけでも、前進できたとすべきだな。
さて、出掛けるとするか。
「吾輩先輩、どちらへ?」
「拾ったネズミの餌を、芋虫に追いかけられた時にばら撒いてしまったんだ。ちょっと何か摘んでこようかと」
「分かりました。お気をつけて」
可愛い配下たちを飢えさせるのは、忍びないからな。
それにこいつらは、もっともっと増えてもらう必要もあるし。




