第四話 爬虫類、襲来
思わず大きいと断言してしまったが、よく考えるとそうでもなかった。
今の吾輩は頭しかない。
それでつい余計な威圧感を、感じ取ってしまったようだ。
トカゲの長さと太さは、ちょうど成人男性の脚一本ほどだった。
いや、やっぱりそこそこあるな。
それに体長は骨たちの半分以下でも、その機敏な動きっぷりは倍以上の素早さがある。
部屋に入ってきたトカゲは、そのまま部屋の中央まであっという間に移動した。
そして棺にぴったり身を寄せるようにして動きを止めた。
たぶん岩か何かと勘違いしてるのだろう。
そのままトカゲは静かになる。
まずい。
これは非常にまずい。
吾輩らが生き物を見つける手段は音と熱だ。
だがこうやってジッとされると、音ではすぐに探知できない。
そして体温の方だが、どうもこのトカゲの体はあまり熱を発しないのか、ほとんど気配がしない。
しかも出入り口からだと、棺が邪魔して余計に気付き難い状況だ。
吾輩の頭骨が、遠くから響いてくる物音を捉える。
その音は規則正しいリズムで、こちらへ近付いていた。
熱源も一緒に移動してくる気配から、またも新たにコウモリを仕留めたようだ。
先ほど、真正面に近い角度で捉えたトカゲの頭部。
瘤のように膨らんだ構造となっていた。
間違いない。
こいつが今まで、吾輩のお仲間たちを屠ってきた頭突き使いだ。
足音は、もうすぐそこまで近付いている。
あと数秒で、部屋に着いてしまうだろう。
トカゲの狙いはおそらく、骨たちが集めているコウモリだ。
不用意に棺に近付いた瞬間、足首に突進されたら一瞬で勝負がつく。
……これまでの吾輩は、ただ眺めているだけだった。
仲間たちが頑張っている姿を横耳に、何も出来ないと諦めていた。
首しかないので、仕方がないと自分に言い聞かせてきた。
だが違う。
今の吾輩にも、やれることがある。
開けれたのなら、きっと閉じることも出来るはずだ。
頑張れ、吾輩!
部屋の出入り口に、足音が到達する。
そのまま無造作に踏む込んできた瞬間、吾輩は自分の顎に気合の限り力を込めた。
――ガチン!
上と下の歯がぶつかり、小さく澄んだ音が鳴り響く。
その音に、部屋に入ってきた五十三番目は、驚いたように足を止めた。
よし、成功した!
実は吾輩、反響定位で音が視えてビックリした時から、口が開けっ放しだったのだ。
何度か閉めようとしたのだが、どうしようもならず……。
でも必死になれば、何とかなるものだな。
五十三番目の気が引けたので、急いで顎を何度も開け閉めする。
一度出来てしまえば、意外と簡単だった。
カチカチカチと顎を鳴らす吾輩に、五十三番目は不思議そうに顔を向ける。
それから部屋の中へ、静かに向き直った。
さっきまでとは違う慎重な足取りで、五十三番目は棺へ向けて歩き出す。
その右手がすぐに動かせそうな位置に持ち上がっていたのを、吾輩はしっかり聞き届けていた。
そして棺まであと数歩のところで、五十三番目の足が止まった。
どうやら棺の影に潜む熱源に気付いたようだ。
無事、警告を理解してくれた様子に、吾輩は失った胸をホッと撫で下ろした。
とはいえ、まだ何も始まってはいない。
ざっと聴察した限り、骨たちがトカゲに勝てない理由は単純だ。
位置が低すぎるのだ。
天井付近を飛ぶコウモリは、立った姿勢の骨が棍棒を持つとちょうど良い高さに収まる。
だが地面すれすれを素早く移動するトカゲには、遅い棍棒の振り下ろしでは当たらないのだろう。
それにコウモリの場合、一撃を外したところで問題はない。
どこかに飛び去っていくだけである。
ところがトカゲはそうもいかない。
一撃で仕留めなければ、容赦なく反撃してくるシーンが浮かんでくる。
しかーし、五十三番目の武器は飛び道具だ。
近付かず一方的に攻撃できる分、勝負の行方は分からない。
骨が近付いて来ないことに気付いたのか、トカゲは軽く首を持ち上げた。
鼻の穴を、小さくひくつかせる音が伝わってくる。
睨み合う一体と一匹。
先に動いたのは五十三番目だった。
軽やかに手首を捻る鮮やかな下手投げで、手の内の骨つぶてを投げつける。
素早く身をよじるトカゲ。
飛んできた骨つぶては的から外れ、棺に当たって跳ね返った。
くっ、外したか!
体を捻った動作が、そのまま前進へと繋がる。
左右に体を揺らしながら、トカゲは瞬く間に距離を詰めた。
近付いてくるトカゲに対し、五十三番目は腰を落として迎え撃つ。
だがその手には、もう武器はない。
ヤバイぞ、おい!
万事休すと思われたその時、五十三番目は地面に右手をついた。
そのまま土をすくって、トカゲに投げつける。
バラバラと降り注ぐ土くれに、トカゲは眼をギョロリと回して後退った。
その一瞬を五十三番目は、しっかり聞き取っていた。
腕を大きく回し、今度は力強く何かを投げつける。
そうか、土をすくい上げた時に、地面に落ちていた骨を拾っていたのか。
土煙に紛れた骨つぶてが、トカゲへ真っ直ぐに飛んでいく。
鈍い衝突音が、部屋中に響き渡った。
近距離から頭部に思いっきり骨をぶつけられたトカゲは、あっさりと仰向けにひっくり返る。
おお?
おおおおおお。
やった……。
おい、やっつけたぞ!
カチカチカチカチ。
見事な動きでトカゲを仕留めた五十三番目に、惜しみない拍歯を贈る。
あのトカゲの魂数はいくつだろうか?
新しい能力もあるだろうか?
わくわく感で、ついつい顎が小刻みに震えてしまう。
そんな吾輩の様子をどこ吹く風とばかりに、五十三番目はしゃがみこんでトカゲを拾い上げようとした。
その瞬間、五十三番目の膝から下が消え失せた。
一呼吸遅れて、鋭い打撃音と何かが割れたような音が響き渡る。
続いて糸が切れたように、五十三番目の体が地面に倒れ込む振動が伝わってきた。
な、なんだ?!
何が起こった?
つい今しがたまで、トカゲは腹を出して死にかけ状態だったはずだ。
しかし今のアイツは四つん這いに戻って、吾輩らをギョロギョロした眼で睨み付けている。
その長い尻尾がグルンと弧を描き、地面に激しく打ち付けられた。
伝わってくる振動が、棺の文字を浮かび上がらせる。
――『尻尾払い 段階0』。
やられた!
あれは振りだったのか。
ダメージを受けた芝居をして、不用心に近付いた骨の足を尻尾で薙ぎ払ったということか。
膝から下を失くした五十三番目は、地面に倒れ込んだまま動けないようだ。
何とか距離を取ろうと、半分になった脚で足掻いている。
そこに容赦なくトカゲが突っ込んだ。
初めて間近で聞いたが、頭突きは半端ない威力だった。
枯れ枝のように、腰骨がベキベキとへし折られる音が聞こえてくる。
痛々しい音と共に、骨の体は宙を舞った。
壁に叩きつけられた五十三番目から、破片がバラバラと飛び散る。
壁際にうずくまる五十三番目の酷い有り様に、吾輩は言葉を失う。
数々のコウモリを仕留めてきた右手は、肘から折れたのか半分の長さになっていた。
衝撃をまともに受けた下半身は原型を失い、地面に刺さった背骨が辛うじて倒れるのを防いでいる感じだ。
だがそんな状態になっても、五十三番目はまだ戦おうとしていた。
近付いてくるトカゲに顔を持ち上げ、空っぽの眼窩で睨みつける。
もっともトカゲの興味は、もう骨には向けられていない。
その眼が見据えていたのは、五十三番が頑なに放そうとしなかった左手のコウモリだった。
最後の抵抗なのか、五十三番目がコウモリを握ったまま左手を持ち上げる。
腕の動き合わせて、トカゲの足にも力が入る。
再び睨み合う一体と一匹。
固唾を呑んで聞き耳を立てる首だけの吾輩。
それは魂を集める本能がさせたのか、それとも冷静な計算の上だったのか――。
骨の左手が大きく振り下ろされた。
美しい放物線を描きながら、コウモリは宙を飛んでいく。
その行方は――。
棺の中へ消えるコウモリ。
追いかけるトカゲ。
そのまま棺に飛び込むマヌケなトカゲの姿を、吾輩は口をあんぐり開けて聞いていた。