第二十九話 出会い、再び
緊張で頚椎を軽く強張らせながら、吾輩は仄暗い木立の奥へと進んでいく。
三体とも足音を消しているせいで、森の中は恐ろしいほどに静かだ。
下生えを揺らしながら進むこと数十歩。
左右に頭を向けながら先頭を歩いていたロクちゃんが、不意に立ち止まり棍棒を持つ手をサッと持ち上げた。
即座に五十三番が足を止め、吾輩へ向けて手を突き出してきた。
む、止まれという合図だろうか。
なんか格好良いが、吾輩にも前もって教えておいてほしかったぞ。
五十三番は動きを止めたロクちゃんに追いつくと、その肩越しから前方を確認し始めた。
そして大きく頷くと振り返って、吾輩に手招きしてきた。
「見て下さい、吾輩先輩」
「どれどれって、なんだアレは……」
二体に追いついた吾輩の目に飛び込んできたのは、木の根元を覆う巨大な灰色の繭であった。
高さは優に吾輩たちの身長の倍以上、横幅は骨二つ並んでもまだ余裕がありそうだ。
「さっきまでのとは、全く大きさが違いますね」
「ああ、あれだけ大きいと、逆に不自然すぎて獲物が避けるんじゃないか」
明らかに、この蜘蛛の巣は目立ちすぎていた。
「そうじゃないのも居るみたいですが…………」
「そんな間抜けな生き物が、そうそう居るのか?」
五十三番の視線の先を顔を向けると、巣の端っこのほうに白い枝のような物が絡まっているのが見えた。
しかも一つではなく、よくよく見るとかなりの数が巣から突き出している。
むむむ、なんだか凄く駄目な予感がするぞ。
「あれって、まさか……人の骨?」
「ええ、間違いなく僕たちのお仲間ですね」
骨ぇぇぇぇえええ!!
何してんだよ、あいつら。
どう見ても怪しすぎて、近寄る気になれんだろ!
信じて見送った仲間たちのあまりの末路に、吾輩はがっくりと肩甲骨を落とす。
「いや待て、普通の人間が巣にかかった可能性がまだ残って――」
「普通の人間ならまず近寄りませんって、アレに。まして、こんな森深くまで入ってくるような人間なら余計にありえません」
冷静な見解をありがとう。
まあ、そうだな。
「逆に骨なら突っ込んでしまうのが分かりますよ、ほら、あの気配」
「倒す!」
いつもより小さめの歯音で、ロクちゃんも返事をする。
音で気付かれないように用心しているのか。
確かに目の前の巣からは、大量の気配が溢れ出していた。
先ほど逃げ出した子蜘蛛たちが、この中に逃げ込んだと考えて間違いないだろう。
「まあ骨の話は脇に置いといて、あの巣の大きさだと当然居るだろうな、親蜘蛛が」
「迂闊に近付けませんね」
蜘蛛の粘糸攻撃を直に食らったことがあるだけに、五十三番は慎重な姿勢のようだ。
「あの粘糸は、そんな遠くまでは飛ばしてこないだろう。投石棒の射程なら一方的に攻撃できないか?」
「木が邪魔で、まっすぐ狙えるような場所がないですね。森の外までおびき出そうにも、逆にもっと奥へ逃げそうですし」
「そうか。盾のような物があれば、強引に接近できるんだが……」
「倒す!」
吾輩の呟きに、ロクちゃんが威勢よく棍棒を持ち上げる。
「飛んでくる粘糸を全て叩き落とす気か、ロクちゃん。それは無謀すぎないか?」
「いえ、囮になって貰えるなら十分行ける気がします。やってみますか?」
勝算は十分ではないと思うが、折角のやる気に水を差すのもどうだろう。
それに失敗したところで、頭部さえ回収できれば体のスペアはまだまだあるしな。
「まずは試してみて、どうなるかを知っておくほうが重要か。替えがきく骨ならではの戦い方だな」
やってみることになった。
ロクちゃんは木陰を利用して、目標の近くまで接近しておく。
五十三番は直線で狙えるギリギリの範囲で、投擲棒を構える。
そして吾輩はいつでも逃げ出せるよう、一番後ろで待機した。
「行きますよ!」
空気を切り裂く音と共に、先端の網に石を乗せた木の枝が垂直に振り下ろされた。
凄まじい勢いで飛ぶ石が、灰色の繭の根本へ突き刺さる。
勢いのついた石は、蜘蛛の糸を巻き込んで巣に中々の風穴を開けた。
同時に糸の塊の裂け目から、大きな影が飛び出してくる。
幹に取り付いたそれは、全身に子蜘蛛をびっしりと張り付かせた親蜘蛛の姿であった。
一瞬、食われているのかと思ったが、どうも子がしがみついて親を守っているようだ。
親蜘蛛が姿を現すと同時に、ロクちゃんが木陰から飛び出す。
動く物に反応したのか、木に貼り付いたまま親蜘蛛が腹部を持ち上げ白い糸の塊を吹き付けた。
一つ、続けて二つ。
ロクちゃんの左手が捉えきれぬ速さで振り下ろされ、最初の粘糸を叩き落とす。
そのまま滑るように体を地面スレスレまで近付けて、残りの二つを鮮やかに躱す。
「上手い!」
そこへ再装填を終えた五十三番の投擲棒が、再び振り下ろされた。
鋭い響きを放ちながら宙を貫く小石は、蜘蛛の胴体へ吸い込まれるように命中する。
親蜘蛛はビクリと身を震わせると、子蜘蛛をバラバラと落としながら幹の後ろへと回り込んでしまった。
チッ、子蜘蛛が邪魔で致命傷にならなかったか。
「移動します!」
今の位置からでは蜘蛛が狙えないと判断したのか、五十三番が足元のカゴから石を一掴みして前に出る。
視線を戻すと木の根元まで接近したロクちゃんだが、子蜘蛛の群れに足元から襲われ苦戦しているようだ。
棍棒で叩き潰してはいるが、数が多いので膝辺りまで纏わりつかれている。
そこに幹の後ろから腹部だけを突き出した蜘蛛が、新たな粘糸を発射した。
ベチョリと子蜘蛛ごと地面に縫い付けられるロクちゃん。
即座にナイフでネバネバを切り裂きにかかるが、蜘蛛はさらに腹部を揺らす。
追加で飛んできた糸の束を、ロクちゃんは動ける上半身だけで回避しながら連続で叩き落としてみせる。
やるな、ロクちゃん!
「倒す!!」
まるで雄叫びのように、ロクちゃんは歯を強く打ち合わせた。
その挑発に誘われたのか、隠れていた幹の後ろから蜘蛛がわずかに顔を覗かせる。
動けない獲物を前に油断したのだろうか。
だがその一瞬を待ち構えていたのは、目の前の骨ではなかった。
いつの間にか木の横まで回り込んでいた五十三番が、大きく投擲棒を振りかぶる様が吾輩の目に映る。
満身の力を込めて投げられた石は、蜘蛛の頭部を軽々と吹き飛ばした。
「いかん、下がれ!」
咄嗟に上げた吾輩の声に、五十三番は身を翻す。
その瞬間、飛んできた糸の塊が五十三番が寸前まで居た場所へ広がった。
蜘蛛の巣の裂け目から姿を現したのは、新たな親蜘蛛であった。
その眼の一つが欠けているのを、吾輩はしかと見届ける。
左右に顔を動かして、ロクちゃんと五十三番を睨みつける蜘蛛。
緊迫した空気が、二体と一匹の間に流れる。
その雰囲気を吾輩の投げた石斧が、あっさりとぶち壊した。
流石に投げ当て熟練度があっても、重心の取りにくい石斧では難しかったようだ。
的を外れた斧は、蜘蛛の体をかすりもせず背後の蜘蛛の巣へ突っ込む。
滅茶苦茶に引き裂かれた巣をチラリと見上げた蜘蛛は、背中に子蜘蛛を乗せたまま大きく飛び上がった。
近くの枝にしがみついた蜘蛛は、腹を曲げて遠くの木へ糸を発射する。
くっつけた糸を手繰り寄せながら、七つ目の蜘蛛は瞬く間に木々の奥へと消え去ってしまった。
「おい、大丈夫か?」
「逃げられちゃいましたね」
「倒す!」
「いや今のは難しいと思うぞ。ロクちゃんは限界が近かったし、五十三番は距離を詰めすぎだ」
あの距離では、連続で石を投げられない五十三番が圧倒的に不利だった。
そしてロクちゃんの方は、棍棒で粘糸を受けすぎて綿アメのようになってしまっている。
これ以上撃ち込まれたら、避けきるのは難しいだろう。
だからこそ、あえて吾輩の存在を匂わせて追い払ったのだ。
「ありがとうございます、吾輩先輩」
「倒す!」
「うむ、親蜘蛛も一匹仕留めたし、戦果としては十分だ。それにこれ以上は、もうカゴに入らんしな」
「それもそうですね」
皆で笑いながら、蜘蛛の巣を解体する。
中から出てきたのは、干からびたゴミのような物体と十数本の骨だけであった。
親蜘蛛の死体はロクちゃんが担ぎ、骨は五十三番が抱えて戻ることにする。
吾輩はカゴの底に木の皮を敷き、まだ生きてる子蜘蛛を入れて、その上から死んだ子蜘蛛を無理やり詰め直してみた。
これは早く帰らないと、カゴが抜けてしまう気がするぞ。
「ところで吾輩先輩、どうしてもう一匹いるって分かったんですか?」
「それは親蜘蛛だからな。二匹いる可能性が高いなと思っていた」
「ああ、言われてみればそうですね」
「……もしかしたらだが、あの逃げた親蜘蛛、骨が巣に絡むので洞窟まで文句を言いに来たのかもしれんな」
吾輩の思い付きに、五十三番とロクちゃんは黙って首を横に振った。
「ないか」
「ないですね」
「倒す!」
「ああ、次は倒そうな」
そんな馬鹿話をしつつ帰路を歩く吾輩たちであるが、あと少しで洞窟というところで異変に気づく。
「何か臭いません?」
「うむ、臭いな」
「って、吾輩先輩、アレ!」
五十三番が指差す先に見えたのは、洞窟の方角から立ち昇る白い煙であった。




