第十八話 初めての対人戦
こみ上げてくる笑いを懸命に我慢しながら、吾輩は歯を限界まで食いしばった。
新しい器官から流れ込んでくるはずの情報の濁流に備える。
…………こないな。
感覚系能力の実装はなかったのか。
棺をつぶさに眺めたい欲求に耐えながら、吾輩は急いで状況を確認する。
現在、部屋の中央には小男と子供の二人。
こちらは部屋に入ってきたばかりの骨が一体。
右手に骨棍棒、左手には瀕死のトカゲをぶら下げている。
あとは逆さまで役立たずな吾輩と、飛び道具をこっそり構え直す五十三番。
首だけのロクちゃんは、吾輩の合図からずっと棺の影でウニャウニャと唸っている。
床に落ちた松明が燃え上がっているせいで、部屋の中は十二分に明るい。
暗闇でも平気というアドバンテージはなくなった今、どこまで骨の動きが通用するかは全く不明だ。
(加勢するのは、機をよく見てからだぞ、五十三番)
(分かってますよ 吾輩先輩。それよりもロクちゃんが――)
五十三番の言葉を遮るように、小男が思い掛けない行動に出る。
布をかぶせた子供を、骨に向かっていきなり突き飛ばしたのだ。
当然、骨の棍棒は、無防備な子供に振り下ろされる。
鈍い音が響き、頭部をしたたかに殴られた子供は地面に倒れ込んだ。
同時に子供を囮にした小男は、いつの間にか腰の短剣を抜き骨の側面へ回り込んでいた。
水平に素早く往復した短剣が、骨の首をいとも簡単に刎ね上げる。
一呼吸遅れて、頭を失った骨はあっさりと崩れ落ちた。
おいおいおい、瞬殺かよ!
ここまで力の差があるのか……。
確かに子供を前に出されたら、そっちに気が取られるのは仕方ないが、それを差し引いても速度が違い過ぎた。
地面に落ちた骨の頭を踏んづけて粉々に砕きながら、小男は苛立たしげに声を荒げる。
「糞! やっぱり罠か。近くに屍使いが居るぞ、ボンゴ!」
お仲間の魂がとっくに消化済みだということに、小男はまだ気付いてはいないようだ。
とはいえ、時間を稼いだところで打開策なぞ――。
小男の怒号に応えるように、棺の陰から人影が立ち上がる。
えっ、何だ?
その瞬間、吾輩の横からボキリと骨が外れた音が響き、次いで白い骨が宙を飛んだ。
飛んで来た上腕骨を受け止めたのは、首を斜めに傾けた新たな骸骨であった。
先を尖らせた骨を握りしめた骸骨は、関節を軋ませながら小男と対峙する。
(ま、まさか?!)
(ええ、ロクちゃんが、この土壇場でやってくれましたよ!)
興奮した歯音を上げる五十三番の右腕は、肩の付け根から綺麗さっぱりなくなってしまっていた。
復活したロクちゃんに、右手を武器として投げ与えたのか。
男前だな、五十三番。
ロクちゃんの首元は、頭骨の付け根から伸びる灰色の影に覆われている。
なるほど、魂力で強引に首と胴体をくっつけているようだ。
動くたびに頭が左右にグラグラと揺れる様は、見ててかなり危なっかしい
それでもロクちゃんが、身体を取り戻した事実には変わりない。
こんな状況じゃなければ、全力で祝福するのだが。
「おい、ボンゴ! いつまでそこに隠れてるつもりだ、さっさと出てこい!」
焦った声を上げながら、小男は地面に倒れていた子供を引き起こした。
う、さっきの子供囮作戦をまたやる気か。
(ロクちゃん、子供は無視だ。無視して、男を狙うんだ!)
(倒す! 倒す! 倒す! 倒す! 倒す! 倒す! 倒す!)
ガチンガチンを歯を噛み合わせるロクちゃんには、吾輩の言葉は全く届いてないようだ。
これは困ったな。
四度目の舌打ちをした小男が、子供をロクちゃんへ向けて激しく押し出した。
そのまま回り込もうとした男は、寸前で踏み出した足を持ち上げる。
小男の脛があった場所を、骨の剣がギリギリで通り過ぎた。
惜しい!
しゃがみ込んで鋭い一撃を放ったロクちゃんは、深追いせず即座に下がって距離を取った。
床に倒れ込んだ子供には一瞥もくれない。
おお、流石はネズミやコウモリを、歯牙にも掛けなかったロクちゃんだ。
子供とロクちゃんを交互に見やった小男は、腰を落として短剣を構え直す。
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで刃が突き出された。
狙いはロクちゃんの右手首だ。
くるりとロクちゃんの手首が返り、骨の剣が短剣の刃を弾き落とす。
あの速度に、ついて行けるのか。
鈍い音を響き、小男は大きくよろめいた。
よし、力では負けていないぞ。
顔色を変えた小男は、体を小刻みに揺らしながら攻撃の回転を上げる。
派手に斬りつける動きでロクちゃんの骨剣を誘い込み、その合間を縫うように鋭い突きで確実に急所を狙い出す。
対してロクちゃんは相打ちなら確実に打ち勝てるほどに一撃は重いのだが、手数は明らかに小男を下回っている。
くっ、武器がもう一本あれば、二つ持ちで何とかなったろうに。
防戦一方となりだしたロクちゃんの体が、あっという間に短剣で削り取られていく。
それでもなかなか致命傷とならないのは、たぶん刺突耐性のおかげだろうな。
ふう、上がってて良かった。
と、逃避している場合ではないな。
このままでは遠からず、吾輩の大切な仲間であるロクちゃんが骨くずの山へ戻ってしまう。
それは、断じて許される行為ではないぞ、人間!
吾輩の内部を灼き尽くすかのような、熱い感情がふつふつと込み上げてくる。
(おい、もう一本の手も渡してやれ、五十三番)
(無茶言わないでくださいよ。左手で左手を投げるなんて、そんな器用な真似は出来ませんよ)
五十三番も尖らせた肋骨を構えてはいるのだが、中々割り込むタイミングを図れてないようだ。
うむむむむむ、吾輩も何か出来ること、出来ることは――。
棺の近くに、先ほど首を失ったばかりの骨の体が見える。
だがロクちゃんのように影を伸ばす特訓を全くしてこなかったので、今の吾輩には遠すぎて届かない。
あとは燃え盛る床の松明と、コウモリの糞の山だけか…………。
苛立つ気持ちで火を睨み付けていると、奇妙な感覚が伝わってきた。
そう、まるで床の火が、吾輩の内で煮えたぎる感情そのもののような。
仲間が壊されそうな事態なのに、何一つ手助け出来ない役立たずな吾輩。
我が物顔で洞窟を荒らされ、大事な棺が奪われそうだというのに抵抗もできない吾輩。
ずっとずっと逆さまのままで、ただただ見ているだけの吾輩。
――ああ、この理不尽な世界め!!
轟々と怒りが燃え盛り、それに呼応するように眼前の火が一段と吹き上がる。
まるで吾輩の感情に、火が同調するかのように。
……もしかして、これが火の精霊憑きの能力か?!
そうと分かれば――燃え上がれ、吾輩!
気合を込めた瞬間、床の火は一気に倍の高さまで勢いを増した。
よし、コツは掴めたぞ。骨だけに!
これなら、何とかなるかもしれん。
(奴をあそこに追い込むぞ。吾輩が合図したら――)
(任せて下さい、吾輩先輩)
(倒す!)
小男が踏み出しながら、短剣を鋭く振り下ろす。
が、唐突に刃は宙で軌道を変えた。
叩き落とそうとしたロクちゃんの骨剣が空を切り、巧みにフェイントをかけた小男の短剣はその無防備な喉元へ伸びる。
首が刎ねられるかと思えた瞬間、ロクちゃんの頭骨が真後ろに大きく仰け反った。
動きに引っ張られた首の骨があり得ない角度まで曲がり、小男の刃は空を切る。
おお、首が完全にくっ付いてなかったせいで助かったのか。
紙一重で短剣を躱したロクちゃんは、そのまま上体を前に進める。
膝を曲げ地面スレスレまで身を低くしながら、横殴りに骨剣を振るう。
しかしそのしゃがみ払いの動きは、すでに見せてしまっていた。
余裕の表情を浮かべる小男は、ひょいと足を上げて攻撃をいなす。
今だ!
ガツンと歯を噛み合わせながら、吾輩は小男へ向けて怒りを爆発させた。
燃え上がった炎は線と化して、真っ直ぐ男の足元へ走る。
吾輩の歯音に振り向いた小男は、咄嗟に地面を蹴って飛び上がった。
火線を避けて棺の縁へ飛び乗る小男。
そこへ五十三番の放った渾身の投げ骨刃が襲う。
だが小男は、さらに軽々と宙を舞った。
投げ骨刃から逃れた小男は、棺の端っこへ華麗に着地する。
――よし!
そここそが吾輩の狙っていた――こんな有り様となった始まりの場所だ。
棺の端はコウモリの糞で真黒に汚れていた。
吾輩たちの連続攻撃を鮮やかに回避しきった小男は、その糞の上にもろに足をつく。
そして思いっきり足を滑らせた――吾輩の時と同じように。
違ったのは吾輩は棺の外に転んだが、男は内側へ向かっていった点である。
大きく目を見開いた小男だが、寸前で棺の縁に掴まり落下をぎりぎり逃れる。
――く、駄目か。
次の瞬間、なぜか五十三番の外した肋骨の刃が、くるくると回転しながら宙を一周りして戻ってきた。
そのまま小男の手に、ザクっと突き刺さる。
「えっ?!」
痛みで思わす指を放した小男は、驚きの表情を貼り付けたまま棺の中へ落ちていった。