第十六話 匂いの正体
ポッカリと大口を開ける吾輩たちを尻目に、骨は平然と部屋の中へ入ってきた。
その瞬間、骨の左手から派手に火の粉が飛び散る。
骨は燃え上がる己の腕を気にする素振りもなく、スタスタと部屋を横切っていく。
発せられた熱で空気が爆ぜる音だけが、やけに大きく響いて聞こえた。
棺に近寄った骨は、左手に掴んでいた火の塊をためらうことなく投げ入れる。
眩しい光を放っていたブツが棺に消えると、部屋は瞬く間に薄暗がりと静けさを取り戻した。
といっても、まだ骨の腕はブスブスとくすぶっていはいたが。
一仕事やり終えた骨は、何も語らず踵を返す。
ちろちろと残り火に覆われた左手をそのままに颯爽と部屋を出て行く骨を、吾輩たちはただただ無言で見送った。
骨の足音が探知外に消えたのをきっかけに、ようやく吾輩と五十三番は深く溜息を吐く。
もっとも呼吸は出来ないので、吐く振りだけだが。
「も、燃えてましたね」
「ああ、燃えてたな」
「倒した?」
「どうだろう、何かを倒したようだが……吾輩にはアレが、火のついた松明にしか見えなかったが」
「何か虫っぽかったですね。翅が見えましたし」
「そうなのか?」
「倒す!」
「まあ棺に消えた時点で、アレが生き物だったのは間違いないだろう。となると、手掛かりは……」
「増えてますね、文字」
五十三番の指摘に、急いで棺の側面へ視線を移す。
上から見ていくと、臭気選別の下に確かに文字が追加されていた。
えっと『火の精霊憑き』。
なんだこれ?
「言葉通りだと考えると、火の精霊というものが取り憑いていたのか……?」
「なんでしょうね? 火の精霊って」
「倒す?」
「相手は火だからな。棍棒で倒すのは、かなり難しいと思うぞ」
常識に照らし合わせてみても、あの火の勢いの中で生きていられる生き物は思いつかない。
となると、熱に非常に強い組織で体を覆っているとかか。
つまり火がついても大丈夫な状態こそが、火の精霊憑きと言えるのではないだろうか。
「いや、それだと炎熱耐性との違いが分からんな」
この炎熱耐性というのは、先ほど気が付いたら棺に浮かんでいたものだ。
時間的に骨があの燃えていた生き物を、運んできた際に習得したんだろうな。
「精霊憑きの響きからして、もうちょっと火全般を扱える能力な気がしません? そう、例えば、狙った相手を燃やせるとか?」
「発火能力か。その場合は何をどう燃やしてるんだ?」
「えっと、ああ! そう、精霊が燃えるんですよ、きっと」
なんとも曖昧な話だ。
その精霊と言う代物が、点火源であり支燃物の役割を果たしてくれるのだろうか。
「ま、論ずるよりも、実験したほうが理解は早いな。幸いここには、燃えて困るものもないし」
だいたいこういうのはイメージを強く持ってとかが、定番なはずだ。
全身から火が噴き出す姿を想像しつつ、懸命に念じてみる。
うむむむむむむ、燃えろ!
うーむむ、燃えろ燃えろ!
うんむ、燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ!!
………………なんだか、ちょっぴり暖かくなったような気がするな。
「ふぅ、どうだ? 何か変化はあったか?」
「我に宿りし赤き精霊の息吹よ、渦巻く力となりて、今こそ我が手に顕現せん! 出でよ、炎の矢!」
なんだそれ。
あとなんだ、その奇天烈なポーズは。
「うにににに、倒す!!」
こっちは可愛いな。
だが二人とも、全く変化はないようだ。
「うわ、凄いですよ、ロクちゃん」
「お、火が出たのか?!」
「いえ、火は出てませんが、影が凄く伸びました」
「そっちかよ!」
どうやら、火の精霊はお留守のようだ。
折角久しぶりの新能力獲得であったが、ちょっとがっかりした結果に終わってしまったな。
そして二日後、骨がまたも腕を燃やして戻ってきた。
手にはしっかりと、火を吐く生き物が握られている。
流石に二回目なので、最初の時のような驚きはなくじっくり観察出来た。
首元をガッシリと掴まれたソレは、ブブブブと小刻みに四枚の翅を震わせていた。
透明に近い翅が揺れるごとに、舞い上がった火の粉が骨の腕に纏わりつく。
長く伸びた腹部に、巨大な複眼。
全身が真っ赤に染まったその生き物は、身近に何度か見たことのある昆虫――トンボであった。
ただし大きさは、翅を含めると優に大人のニの腕に届きそうなほどある。
顎の一噛みで、指くらいなら簡単に食い千切られそうだ。
改めて見ると、燃え上がっているのはトンボの翅部分だけだった。
胴体や足部分には、火は燃え移っていない。
なるほど、あの透明な翅に何か仕組みがあるんだな。なんとも不思議な生き物だ。
吾輩たちが見守る中、骨はいつものように火を吹くトンボを棺へ投げ入れる。
命数は2か。コウモリと同じとは意外だな。
一仕事終えた骨は休む気配を少しも見せず、すぐに部屋を後にした。
足音が聞こえなくなってから、吾輩は存分に安堵の歯ぎしりを奏でる。
「ふう、良かったぁぁ」
「結局、何かを焼いた匂いの正体は、火を吹くトンボってオチでしたか」
「倒した!」
火を使う存在なんて人しかあり得ないと思い込んでいたから、今回は良い意味で期待を裏切られたな。
てっきり洞窟近くに、誰かがやってきたのかとばかり。
かつて人間だった経験から判断すると、吾輩たちは非常に厄介な存在だと思う。
もし生活圏のそばで、生き物たちを黙々と回収する連中がいたら、真っ先に排除を考えるだろう。
そして以前に比べ強くはなりつつあるが、今、人の集団と接触すれば、駆逐されるのはこちら側で間違いない。
せめて吾輩たちが身動きできれば、話は変わってくるのだが。
ま、杞憂だったようなので、もうしばらくは焦らずに済みそうだな。
それからさらに一日後、またも部屋に近付いてくる熱源を吾輩の感覚が捉える。
どうやら、骨がまたあの燃えるトンボを捕らえたようだ。
この時の吾輩は、火元が安全だったと明らかになったことで、完全に気が緩んでいた。
だから気配の数と大きさの違いに、全く気付けていなかった。
部屋に向かってくる気配は三つ。
その全てが、骨とほぼ同じ程の大きさであった。
いつもの規則正しい足音とは別人のような乱雑な響きに、ようやくそこで吾輩は異変を悟る。
だがすでに侵入者は、すぐそこまで迫っていた。
赤々と燃え立つ灯りが照らし出したのは、薄汚い革鎧に身を包んだ男たちの姿であった。