第百話 変わりゆく村
「…………何だぁ、こりゃ?」
街道橋の衛士を務めるウッパは、村の前に巡らされた木杭の高い柵に驚きの声を上げた。
前はもっと、みすぼらしく低かったはずだが……。
村の門構えも、全く変わってしまっている。
太い丸太を組み合わせた大仰な門扉が、どっしりと入り口を塞いでいるのだ。
しかも驚いたことに、門番らしき男たちまで立っている有り様ときた。
ウッパが近付くと、盾と槍を持った男は門柱から下がっていた鐘を打ち鳴らした。
すると門の横の小窓が開き、見知った村人の顔が覗く。
「お。ウッパじゃねぇか。久しぶりだな」
「ちょっとご無沙汰してたぜ。しっかし、しばらく見ねぇ間に凄いことになってんな」
半年前に軽く小銭を稼ぐつもりで、ウッパは呪いの森へ騎士たちを案内した。
だがそこで恐ろしい骨に襲われ、愛用の盾をなくす羽目になったのだ。
おかげで盾を買い直すこととなり、しばらく村を訪れる余裕もなかったのである。
「しかも門番まで雇ってるなんてな……」
見慣れない黒い鎧を纏った門番を、ウッパはマジマジと見つめる。
顔全体を覆う兜のせいで表情は見えないが、鐘を鳴らした後、微動だにせず正面を向く姿はかなりの手練であると窺える。
「ああ、ええっと、うちも色々あったんでね。ま、入ってくれ」
物々しい音とともに開かれた門をくぐり抜けたウッパは、眼前に広がる光景に思わず呻き声を漏らした。
かつてそこにあったのは、ちっぽけな寒村であった。
それは確かに変わってはいない。
だが要所要所が、眼を見張るほどに変化していたのだ。
まず門を入ってすぐ。
そこにあったのは、大きな上屋であった。
屋根の下にはズラリと馬車が並んでおり、荷物を抱えた下働きの男どもが忙しそうに出入りしている。
奥の方には馬屋まであり、つながれた馬たちが大人しく水を飲む姿まで見える。
これまでは精々、豚が二、三匹いただけだったのに……。
ここに来るまでの道にやたらと轍の跡があったことを思い起こしながら、ウッパは恐る恐る通りに足を踏み入れる。
そして大きく口を開けた。
通りの向こうからやってくるのは、材木を大量に載せた荷車であった。
それもいささか驚きではあるが、問題はそこではない。
問題は荷車を引いてる存在である。
車輪を軋ませながら近付いて来るのは、巨大な猪だったのだ。
しかも額に馬鹿でかい角まで生えている。
唖然とした顔のウッパの前で、ゆっくりと荷車は進路を変え横道へ消えていった。
「ど、どうなってやがんだ……」
キョロキョロと辺りを見回してみたが、皆平然とした顔で通りを行き来している。
その様子に違和感を覚えながらも、ウッパは通い慣れた村の宿屋へ足を向けた。
中央の広場に足を踏み入れた瞬間、ようやく引っ掛かっていた疑問の正体にウッパは気付く。
明らかに人が多いのだ。
広場のそこかしこに、歩き回ったり談笑する人々の姿が見える。
見慣れた顔もあれば、見知らぬ顔もあった。
以前のこの場所は暗く寂れ、まれに通りかかる村人も沈みがちな顔付きだったとウッパは記憶している。
だが今は、それが嘘のように明るく楽しげな表情だ。
ガヤガヤと響いてくる声も、活気に満ちて騒がしい。
「ここって、本当にあのはぐれ村なのかよ……」
落ち着きなく広場を眺めるウッパだが、すぐに新たな変化に感づく。
真っ先に気づいたのは煙であった。
川の方角にモクモクと黒煙が吹き上がっている。
一瞬、火事かと疑ったが、アッチの方には鍛冶屋があったことをウッパは辛うじて思い出す。
しかし、あんな太い煙が上がるほどの炉はなかったと思ったが……。
次いで気付いたのは、村長の家の変わり様だった。
建物自体に変化はないのだが、その家の前には長椅子が設けられ上等な身なりの男たちが座っている。
しばらく眺めていると不意に扉が開き、小綺麗な格好をした太った男が顔を出した。
似合わない帽子をかぶっているが、それが豚飼いのダルトンだとウッパはすぐに気付く。
ダルトンは村長の家から出てきた男と固く握手を交わしたあと、にこやかに送り出した。
そして長椅子で待っていた男の一人を、家の中へと誘い入れる。
「あれって、どうみても商人だよな……。なんで村長の家に押しかけてんだ?」
しかもそこら辺のちんけな行商人ではなく、格好からして商会に勤めているような連中だ。
状況が全く理解できないまま振り向いたウッパは、またも小さく呻き声を上げた。
彼が覚えているのは、教会と呼ぶには少々お粗末過ぎる平屋である。
しかしウッパの眼に飛込んできたのは、小振りだが立派な鐘塔を備えた二階建ての建築物であった。
幻覚でも見せられたような気持ちになりながら、こわごわとウッパは建物へ足を踏み入れる。
そして店内の様子に、またも言葉を失った。
明り取りの窓から入ってくる光で、部屋の中は隅々まで明るい。
広くなったホールには磨き上げられたテーブルがズラリと並び、その多くは客で埋め尽くされてる。
酒場特有のすえた臭いは欠片もなく、芳しい花の香りに混じって美味そうな匂いが厨房から漂っていた。
入る場所を間違えたかと尻込みしかけたウッパに、白と黒の給仕服を着こなした二人組の少女が軽い足取りで近付いてくる。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
「あ、お前らはあの双子か! 一体全体どうなってんだ?」
ウッパの問い掛けに、双子の少女は同時に首を傾けた。
「うーん、あ、もしかして橋のおじさん?」
「ホントだ、おじさんだ」
「な、何か雰囲気が変わってないか、お前ら」
そっくりな顔付きのせいで見知った子どもたちだと判断はできたのだが、その変わりっぷりにウッパは言葉を詰まらせた。
こいつらってもっと貧相で、血色も悪かったような……。
「今日のおすすめは、兎骨のシチューセットだよ」
「ほっぺたが落ちちゃうくらいだよ、おじさん」
その言葉と胃袋を刺激する匂いに負けたウッパは、質問の答えを諦めてテーブルにつく。
「じゃあ、そのシチューセットを頼む」
「飲み物はどーする?」
「蜂蜜酒と葡萄酒と黒麦酒があるよ」
「…………前は薄い麦酒しかなかったぞ。じゃあ、黒麦酒を頼む」
「えっと銅貨十枚だよ」
「ほらよ」
財布を取り出し支払いを済ませたウッパは、小さくため息を吐いた。
この村に何かがあったことは間違いない。
だがその原因は橋の衛士でしかないウッパには、想像の範囲外であった。
「おまたせー」
「美味しく召し上がれ、おじさん」
運ばれてきたのは大ぶりの皿いっぱいのシチューと、黒パン。
それと手の平ほどの皿に盛られた丸芋の薄揚げ。
飲み物は素焼きのコップに、なみなみと注がれた黒い麦酒だ。
黒い堅パンをちぎり、湯気の上がるシチューに浸して一口頬張る。
そのままモグモグと噛み締めたあと、ジョッキを持ち上げて麦酒をグイッと呷る。
喉奥へ一気に流し込んだあと、ウッパは大きく鼻から息を吐いた。
「…………なんだ……これ。滅茶苦茶、美味いぞ!」
これが銅貨十枚で食えるのか。
街道橋から丸一日かけてロックデルの宿場町まで足を伸ばしても、その値段では絶対にありつけそうにない味だと断言できる。
塩の効いた芋の薄揚げをつまみながら、ウッパは思わず呟いた。
「わざわざ、ロックデルまで行っていたのが馬鹿らしくなるな……」
もはや村が変わった原因なぞどうでも良くなってきた男は、大きく持ち上げた酒杯を深々と傾けた。
はぐれ村の川に橋が出来る噂がノルヴィート男爵の耳に届くのは、それからもうしばらく後の話である。