自殺の記録
(死にたい…)
朝、目覚めて、僕は真っ先にそう思った。
そう思うのに理由なんてない。
ただ、生きてるのがかったるかった。
全てが面倒くさかった。
自分の意思とは無関係に生まれ、自分の意思とは無関係に教育を受けさせられ、生きるために仕事をして、国に税金を納める。
そこから外れれば「違う」人間と見なされ、迫害される。一体どうしてこう、この世は生き辛いんだろう。
僕は生まれてこのかた、「式」とか「会」と付く行事は全て嫌いだった。
何故人間は、やたらとこの手の行事を作り上げ、祝うのだろう。僕にとっては煩わしい以外の何者でもないのに…。
しかし、今ふと思ったのだが、「会」と名が付く行事より「式」の方が断然嫌いな行事が多い気がする。
今思いつくものを挙げるだけでも結婚式、葬式、入学式、卒業式、成人式…と、煩わしいものばかりじゃないか。
なんでこんなものが存在するのか僕には甚だ疑問である。
そんなものに時間を割きたくない、面倒なだけだ…とウダウダ言ってても仕方ないので、僕はそういったものから一切身を引くため、極力親しい人を持たないようにした。
すると、確かに人間関係上の煩わしさは消えた。
これは自分が望んでいたものだから、良いのだが…とんでもないワガママを言わせてもらうと、これはこれで寂しかった…。
誤解しないで欲しいのだが「だから、会だの式だの付くイベントに俺を誘え」とか、そういう事ではない。未だに大勢の人が集まるイベントは嫌いだ。
しかし、そうは言っても、単純に私生活で誰とも話さないというのは、結構寂しい。
これを読んでいる方は「じゃあ、結局お前はどうしたいのだ」と言われるだろう。まったくもってその通りだ。
僕も逆の立場ならそう思うだろう。
つまり、だ。
僕が望んでいる状態というのは、
ある程度の人との関わりを持ちつつ、それでいて人が集まるイベントごとには参加しない…という姿勢が一番望ましい。
これは、別に難しい事ではない(ハズだ)。
こんな程度の事をこなしている人はいくらでもいるだろう。
…しかし、悲しいかな、僕にはその少数の友人を作るという事も、中々出来ないのだ。
これは、本当に困ったことである。
僕は趣味とか嗜好が逸脱しているタイプではないし(音楽、読書が趣味)、見た目も、まぁ、良くはないが、至って普通だと思う。
…となると、自分の態度、性格というものが問題なのではないだろうかと、思われるのだ。
僕は、昔「メタリカ」というへヴィ・メタル・バンドのギタリスト、カーク・ハメットが好きで、彼の表情などを昔良く真似ていた。
彼は、眉間にしわをよせる写真が多く、それが当時の僕にはシブく見えたのだ。
んで、その表情を真似ていたら、眉間のしわが消えなくなってしまったのだ。
それ以来、僕は怒っていないときでも、怒っているかのような誤解を人に与えてしまうことになった。
・・・これは大変、損である。
常に怒っているような表情の人に、人が近づくとも思えない。
・・・いやぁ、こうやって思い返すと、我ながら、すごく損してる気がしてきた。
かといって、僕は「さわやか」な人とかになりたくなかった(オイオイ!お前はどうしたいんだ?)。
僕はニルヴァーナのカート・コベインみたいになりたかったのだ!
ダーティで、アンニュイ。ナイーヴでありながらヴァイオレンス感溢れる彼みたいになりたかった。
世間では笑顔、明るい人柄が尊ばれるが、僕はそんなものから距離を置きたかったのだ!
しかし、そんな姿勢を貫き通した結果、類は友を呼ぶはずなのに、同類すらよってこず、同類が寄って来ないのだから、当然普通の人も寄ってこないので、結果、ロンリーという事になってしまうのだ。
そして、この日々の打開策も見出せない僕は(もういっその事、死のうか…)と、考えた。
生きていても一ミリも楽しくないし、得るものもない。
これじゃあ、生の無駄遣いだ。
僕なんざ、生きている資格はない。
そんな自責の念の駆られるようになると、僕は決まってインターネットで検索バーに「自殺」と入れ、世の中に蔓延っている様々な「負」の話しを見ては、自らの「願望」を慰めるのだった。
真剣に問う。
生きるとは何ぞや?
ハッキリ言って、この問いに答えは無い。存在しないのだ。
そして、こんな問いを発し続けている奴は暇人扱いされるだろうが、そんな事は「あって」(笑 実際暇だからこんなどーでもいい問いが頭に浮かぶのだ。
暇という事は、余裕があるとも言える。
余裕があると、色んな現象が軽く見える。
そして(こんな問いしてる俺って凄くね?)的な悦に浸ることも増えてくる。
この問いは必死に生きようとしている人には、ザ・ベスト・オブ・無意味と言ってもいい話しであり、この問いについて、真剣に考えている先人は、今から見るとちょっと異常だと思う。
しかし、だからと言って、僕が検索バーに「自殺」の文字を入力するのをやめる、ということもなかった。
僕は単に時間を浪費するのが好きなだけの、正真正銘の怠け者なのかもしれない。