養蜂場
多くの人は重厚な独特の羽音に一瞬身構えさせられるが、実際のところ飛んでいるのはミツバチだった。こちらから手出しをしなければ何と言うことはなかった。そして、その一匹が花に留まり、忙しない様子で蜜を集めていた。ここは、ある養蜂場だった。自然に囲まれ、木々や花畑が周辺に見られた。そして沢山のミツバチが飛びまわっていた。とはいっても、ただハチミツを作っているだけ、というわけではなかった。ハチミツを精製するための工場もあれば、研究所もあった。そこではミツバチの生態や、ハチミツの生産性向上に向けたミツバチの品種改良など多種の研究を行なっていた。
研究室のある一室で博士とその助手がデータを整理しながら話をしていた。
「品種改良のAグループのミツバチではハチミツの生産量が若干増えていますね」
数値をグラフにして比較していた助手が言った。
「そうだな。もう少し経過を観察しよう」
しばらくするとAグループのハチミツは増え始めた。
「実験は成功だな。生産量に明らかな向上が見られるぞ」
博士は嬉々とした様子で言った。
しかしながら、万事上手くいくということは多くなかった。
「うーん。味がどうもな」
博士は一人首をかしげていた。それを見た助手は声をかけた。
「博士どういたしました?」
「ああ、例のAグループのミツバチが作ったハチミツだが、どうにも味が今一つな気がしてな」
「それなら、私にも味見させてくださいよ」
「ああ構わんよ。だからと言って沢山は取るなよ。まだ成分分析も途中だから」
「分かってますよ」
それから助手は、蜂蜜を指先にちょっと付けると舐めてみた。
「確かに、ちょっと味気ない気がしますね」
「まったくだ。量が増えても質が落ちのではシャレにならんな。もう少し様子を見よう」
それから博士は、研究所の他のメンバーにも味見をさせてみたが、大多数の人も「あまりおいしくないね」という意見が多かった。ただ、別の研究室の一人が「私はこの味が気に入った」といって残っていた瓶ごと持って行ってしまった。
数日経ったある日、その瓶ごとハチミツを持って行った研究員が倒れて、病院に担ぎ込まれる騒ぎが起きたのだった。
「博士!もしかして彼が倒れたのは、あのハチミツが原因では有りませんよね」
「まさか!そんなわけないよ。聞いた話では、ただの過労だよ。ここしばらく徹夜続きだったらしいからね。それに、そういった点は徹底的に検査しているし、動物実験もしているけど何の問題も見つかっていない。心配はいらないよ」
「博士!大変です。」
「どうしたんだね?」
「Bグループのミツバチたちがいなくなってます」
「何だって!」
養蜂箱を見に行くと確かにほとんどのミツバチたちが姿を消していた。女王蜂と一握りの働き蜂が残っているだけだった。
「どう言うことだ?」
「ミツバチの集団失踪…ですよね」
「信じられない!ここの花畑では農薬も使っていないし、電磁波なんかの影響も最小限になるようにしているというのに…」
博士は驚きの声を上げた。
「調査をしなければなりませんね」
しかし、原因ははっきりしなかった。
助手がいつものルーチンワークで養蜂箱をチェックしてみて回っているときだった。
ミツバチの死骸が落ちているのを見つけたのだった。しかもそれは無残にも身体がバラバラになっていた。周囲をよく見ると似たような死骸が幾つか転がっていた。
「なんだか気味が悪いな。ともかく博士に報告しないとな…」
助手は呟き、それらの一つを慎重に手に取ると袋に入れた。そして足早にその場を後にした。さっそく研究室に戻ると助手は言った。
「博士!これを見てくださいよ。さっき見つけたんです」
そして持ちかえったミツバチの死骸を取出して見せた。
「何だこれは、ただの死骸じゃないか」
「博士、これが大量にあったんですよ」
そうして博士と助手は現場に向かってみた。しかし、博士は養蜂箱の周囲を観察しながら言った。
「何処にミツバチの死骸があるんだ?」
「おかしいな…さっきはここら辺に沢山あったんですよ」
博士は今一度あたりを見渡して、
「たぶん疲れているんだな。少し休みたまえ」
とだけ言った。
それからしばらくは目立った異常も無く、日々が過ぎていった。蜂蜜の方も味は問題では無くなっていた。そんなある日、いつものように養蜂箱を観察して回る博士と助手だった。Aグループの養蜂箱を開けて見ているときだった。
「痛!」
博士が小さな叫び声を上げた。
「どうしました?博士?」
「さ、刺されたぞ!」
防護服を着ているのだから、ミツバチに刺されることはありそうもなかった。
「気のせいでは有りませんか?」
「確かに刺されたぞ。痛いな、まったく」
辺りをブンブンと威嚇するような音を立ててミツバチが飛んでいた。
「うわっ!服の中にミツバチがいる!くそ、どっから入りこんだ」
しばらくしないうちに周囲に沢山のミツバチが集まってきた。
「まったく、とりあえず戻ろう。痛!」
博士が吐き捨てるように言って、帰ろうとした時、周囲に沢山のミツバチが集まってきた。そして博士にまとわりつき始めた。
「なんなんだ!一体、わっ!中にハチが、たくさん入って来たぞ!」
博士は落ち着きを失って、周りのミツバチを追い払おうと手足を振り回し始めたが、ミツバチはどんどんやって来て博士を防護服の上から覆いつくしてしまった。
「た、助けてくれ!ミツバチに襲われている!」
助手は恐怖のあまり、その場から走り出した。
「待ってくれ!置いていくな!」
博士は悲痛な叫び声を上げたが、その場に倒れこんでしまった。まさか博士の研究が、ミツバチの性質を凶暴なものに変えてしまったのではないか。助手は一瞬そんなことを思った。そして、後ろも振り返らずにその場から逃げだした。
だが、ハチの大群は彼のすぐ後ろに迫っていた。