90話
洞窟内。
血を止めるために白墨家万能傷薬を塗ってからどれ程経っただろうか。
気絶していたとはいえ、そこまで飢えてない事を考えると1日は経ってないだろう。
目を動かし傷を確認する。
綺麗に治っている。剥きたての茹で玉子のようにツルツルだ。
視線に気が付きそちらを見ると、アーシェと目が合った。
どうやらアーシェは目を覚ます間、ずっと護衛をしていてくれたようだ。
何が攻撃となるか分からなかったので、起こす事も相成りませんでした。と答える声がすこし震えていた。
表情が変わらないので分かりづらいが、心配をしてくれていたようだ。
悪い事をした。事前に伝えておけばよかったな。
しょんぼりしているアーシェに、充分尽くしてくれた事を伝える。
体を動かし問題がない事を確かめる。
動けないというわけではないので、洞窟の外へ出て街を目指す。
しかし、割と距離があったため一旦野宿をして一夜を過ごす。
結果、到着したのは翌日の夕方ごろだった。
何やら街が騒がしい。
取り敢えず近くにいる酔っ払いを捕まえて話を聞くと、ダンジョン攻略は全部終わり、勇者の力によって歴史的犯罪者の討伐されたようで、今はその祝いと労いを兼ねてみんなが騒いでいみたいだ。
その酔っぱらいは、嬉々として勇者がどのような活躍をしてどのように立ち向かったのか、その時一緒に居ただのを事細かく聞かされてうんざりしたが、一応解決したようで何よりだ。
「体調は大丈夫ですか? シヒロ様」
「良くはないかな」
「よろしければ、私の肩を使いますか? それとも杖代わりを出しましょうか」
にょっきりと対戦車ライフルを地面から生やす。
「そこまでは大丈夫。気持ちだけもらう」
良くないとは言ったが、体の状態は最高だと言っていい。
頭はやけに冴えわたり、五感は鋭敏に研ぎ澄まされている。
集中すれば遠くの人の足音さえ聞き分ける事ができ、目に映る景色はやたらゆっくりと動いて見える。
前を歩く人に集中すれば、歩く動作から骨格が浮かび上がり、それに連なる腱や筋肉まで透けて見えてしまいそうである。
体は異常に軽く、驚くほど充実している。
今なら妹や弟に全勝できそうなほどだ。
だが、それは決して良いとは言えない。これは異常の分類である。
死の間際の集中力と火事場の馬鹿力が常に発揮しているようなものだ。
この状態が続けば脳がオーバーヒートするか、異様な代謝によっての餓死かのどちらかになってしまう。
財布を確かめてみる。
タヌキの件で結構持っている。一日の食事分ぐらいはあるだろう。
「とりあえず、先に飯を食うか」
「了解しました」
この状態が落ち着くまで、あまり動かずに栄養補給と行こう。
・・・
・・
・
祭りのような状態で、飯屋に困る事は無い。
祝い事と言う事もあって飲食店は勿論、出店がそこら中に出ていて、食欲を駆り立てるようないい香りが広がっている。
それに抗う必要もないので、片っ端から食べ進め、金が尽きるペースで食べていた。
しかし一向に腹が膨れない。
食べた端から消化、吸収、代謝が行われている気分だ。
これでは本当にお金が無くなるので、無料で食べられるチャレンジメニュー切り替える。
面倒ではあるが、出禁にならないように何件も梯子をしているが、何度も満腹になるほどの量を詰め込んでいるのに食い足りない。
どれ程食べ回ったのかを考えるのが億劫になってきたころに、ようやく食欲が落ち着いてきた。
余計なカロリーを消費しないように、腰を据えて食事を食べながらアーシェと話していると、何やら殺気立った人物が近づいてくる。
ガタリとアーシェが席を立つ。
落ち着け、いいから座ってろ。余計な事しなくていい。
「承知しました」
席に座る。
そして、殺気立っている男はこちらのテーブルの前に立つと、ドン! と酒瓶をテーブルに乗せる。
こちらを凝視するかのように睨みつけ、奥歯が割れんばかりに噛みしめている。
瞳孔は開きっぱなしである。
何か恨みでも買うようなことをしただろうか。
男が気を落ち着かせるためか、大きく深呼吸をすると空いたグラスに酒瓶を傾けてお酒を注いだ。
そしてそれを呑むように促す。
良い人かな。
「テメェが何で俺を怒らせたのかも理由はわかる。助けられたことも分かってる。お前がいなければ死んでいたことも理解しているつもりだ」
何やら憤怒の形相で愁傷な事を言っている。
コントだろうか。だが、笑ってはいけない雰囲気だ。
「これはせめてもの礼だ」
そう言って今にも殴りかかってきそうな雰囲気を漂わせながら酒を置いて店を出ていった。
思い出した。あの時の気持ち悪いゴーレムを倒した人達の一人か。
一番死にそうではあった人だが、歩けるまでに回復していたようだ。
そういえば、死なせないように喝を入れていたが、よくよく考えれば一発ぐらいは殴られても仕方ないと思えるぐらいにはひどい事を言っていたような気がする。
それでも手を出さず手土産を持ってお礼を言いにきてくれたのだから、結構義理堅い人なんだな。
グラスに注がれた酒の匂いを嗅ぐ。
樽と香辛料、ナッツような香ばしさと果物特有の酸味のある香り。
ワインに近いのかな?
毒は入ってなさそうである。
チビリと舐めてみる。
「どうですか?」
「ちょっと度数が高いけど、良い酒だな。高いだろうに」
毒は入ってない。
最終確認で収納袋にも入れてみるが、全て入った。
毒の混入は無し。
マジでか、本当に良い人なんだなあの人。
折角なので、アーシェとハクシにも振る舞い、頂いた酒を楽しんでいると、また同じような雰囲気を漂わせている人が来店した。
「あんたに用がある」
そう言って、手土産であろう酒を持参して、礼を言ってから退出していった。
すると、打合せでもしたかのように順繰りに一人ずつやってきては、礼と土産を持参して来てくれた。
最終的にあの時の全員が来てくれたのではないだろうか。
それにしては、少し多い気もするが気にすることでは無いか。
皆、一様に殺意を抱く程度には怒っていたようだが、毒などの混入一切無し。
良い人達である。
礼を言われて貰った酒を気分よく飲む。感謝されて飲む酒は美味い。
ついつい手が伸び、そこそこ気持ちがよくなってきた。
今日はこれで最後にするかと、一本開ける。
ウイスキーのような酒だ。
これも美味しい。惜しむようにチビチビと飲んでいたが、別の飲み方でも飲んでみたくなってきた。水割りにするかカクテルにするか悩んでいると、それを察知したのかアーシェが氷を作ってグラスに入れた。
ロックか......それも良いな。気が利くじゃないか。
冷えた酒を一気に煽る。
美味い.......あ?
疑問がよぎる。
こいつ何時の間に氷なんか作れるようになったんだ?
酔いが一気にさめる。
力を隠していた? でも今見せたのは何故だ? 酔っていたから油断をした?
クマや訳の分からない生き物が使っていた魔法。
使い方次第では凶悪になりうる力を隠していた。
確証はないが事実だけを見るなら反旗の兆候。命を守る約束を破ったのである。
酔った振りを続け、観察する。
表情と顔色が変わらないので何とも判断しにくいが、少し強張っている様に感じる。
油断した事による失態を悔いているのだろうか。
......。
表面上はにこやかに接し、氷を提供したアーシェを褒めるフリをしながら頭を撫でる。
だが、本当の目的は顔の横についている仮面に触れる事。
これで裏切りの兆候があったのなら、一切の躊躇はしない。
こちらの考えも読まれてしまうだろうが、仮面に触れている状態なら行動に移されるよりも早く仕留められる。少し寂しくはあるがそんな感情は二の次である。
己が命を守るため。
何も無いならそれでいい。本当に裏切っていたのなら、それは何時頃からだ? 裏切りの兆候は少なくとも感じ取れなかった。
そんな事を考えながら仮面に触れると、いつもと違う感覚に襲われる。
鮮明な映像が目に浮かんだ。
アーシェと氷の魔法に関する映像と現状のアーシェの感情が流れ込んでくる。
撫でられた嬉しさと強烈な.......。
「ここでするな!!」
急いでアーシェを抱きかかえ、外に連れだす。
そして、堰を切ったかのようにケロケロと吐き出すアーシェの背をさする。
「すみ、すみません」
「仕方ないって。そういえば初めてだもんな。酒飲んでたらこういう事もある。これも一つの経験だと思って気にするな。それに酒の限界量を知れたんだから悪い事ばかりじゃない。分かってると思うが、これ以上は飲むなよ」
「い、いえ、それもそうなんですが、私の事を上手く伝えられておらず......申しわけ」
一時中断していた続きが始まった。
背を撫でつつ、すべて吐き出し終えてから口をゆすがせる。
「あぁ、アレはこっちが悪い。話してたのに聞いてなかったみたいだな」
隠してはおらず、キチンとこちらに話していた。氷の魔法が使えるようになったと嬉しそうに話していたが、こっちは話半分で聞いていなかったのだ。
その映像が仮面を通して流れて来た。
「はぁ、はぁ......あと、先程の事で分かりましたが、お互いに知りたい事が記憶として見れるようになっていますね......うっぷ。仮面を通して記憶を......」
「大体分かってる。落ち着いてからでいいから、な? ほら水飲んで」
「すみません。次回からはこのような」
水を飲むと、くったりと動かなくなってしてしまう。
アーシェを肩に担いで、店に戻る。
今の所は白でいいだろう。
◇◆◇ アーシェ=カーメィナ
今日も今日とてアーシェです。
私は今とてもとてもご機嫌です。醜悪な顔をして近づいてくる人たちを許せるほどに寛容になってます。
なぜなら、シヒロ様と一緒にお酒をいただいているからです。
あぁ、極上の甘露。いえ、シヒロ様から貰った物なら水ですら特級品になります。
この幸せを忘れないように、噛みしめるようにお酒を飲みます。
あぁ、美味しいです。
それにしても、知識としては知っていましたが経験してみると存外フワフワしますね。
予想よりも度数が高いせいなのかもしれません。
キュッと一気に煽る。
お腹がポワリと温かくなり、花が咲いたように感じます。
おぉ、不思議な感じがします。
楽しくなってきたので、クピクピと勢いよく飲みます。
良い飲みっぷりだな、と褒められてさらに調子が上がります。
ちなみにこの世界でのお酒に関する年齢制限はありません。
魔力が全てのこの世界では、飲めると判断できるなら赤子ですら飲めます。
つまり、生後間もない私ですら飲めるのです。ふぅー! 楽しくなってきました。
どれぐらい経ったのか分かりませんが、酔いが良くない方へと回り始めました。
少し気持ち悪いです。
ですが流石はシヒロ様。お酒が強いというよりも正しく容量を守った飲み方をされている。
かなりの経験者であることが伺えます。
なるほど、合間に水を飲むのがコツなのでしょうね。もう少し早く知りたかったです。
今さら効果があるかは分かりませんが、氷を口に含むと楽になる気がしたので氷を生成します。
しかし酩酊状態ゆえに手から滑り落ちてグラスにナイスインしてしまいます。
シヒロ様はそれに礼を言うと、お酒を注ぎロック割にするようです。
役に立てて嬉しいですが、お酒を見ると気持ち悪くなってきました。
魔力によって酩酊を抑える方法があるはずなのですが、頭がグワングワンしてきて考えが纏まりません。
すると、何やらシヒロ様がにこやかな顔でこちらを手招きしています。
頭を撫でてくれるようです。
ご褒美? 天国かな? 生まれて間もないですが、人生の絶頂にいます。
嬉しすぎて、このまま死んでしまうかもしれません。
この気持ち悪い酩酊も中和されていくような......そんなことを考えているとシヒロ様の手が仮面に触れてしまいます。
流れてくる強烈な疑心と微かな悲しみの感情。そして、見慣れない記憶の映像が脳内に映し出されます。
どうやら氷の魔法が使えるようになったことで、こちらの方もレベルが上がったようです。
まるで事前に知っていた事を思い出したかのように力の内容が理解できてしまいます。
発現の切っ掛けは仮面に触れる事。
そして、その時に考えたキーワードがピックアップされて互いの記憶を実体験のように経験できる。
今回ピックアップされたキーワードは、シヒロ様が『裏切りの兆候』であり、私が『気持ち悪い』という単語が選ばれたようです。シヒロ様は私の氷の魔法についての事柄を見て、私はシヒロ様にとっての気持ち悪いと感じた記憶が見えてしまいます。
それは失礼にあたると思い、見たくないと思っていても私の意思に反して流れてきてしまいます。
それは、むせ返るほどの光景。
目の前で解体される子供、むせ返るほどの泥土と死臭、血と肉と臓物の雨。
五感で感じる全ての嫌悪感が脳髄に捩じり込んでくる。
胃がせりあがってきます。
そして、一番強烈な映像が脳内を駆け巡ります。
うっそうと茂る森林の中、止血のために縛った腕が壊死を起こしている。
群がるハエ、湧くウジ。
飢えと渇きが限界に達していたようで、躊躇しながらも壊死したそれに齧りつ......。
あ、限界です。
それと同時にシヒロ様の声が聞こえ、外へと連れ出されます。
胃が裏返る経験をしました。
強烈。二度と経験したくないと思えるほどの記憶。
実際に経験したわけではないのに、鼻の奥に泥と肉の混ざった匂いがこびり付き、自分の腕が少しづつ腐っていく光景が目に焼き付いている。
皮膚の下をウジが動き回っている感触が残り、罵倒と悲鳴が耳の奥で木霊している。
これは気持ち悪いとか、そんなレベルではありません。
地獄です。
これ以上は心が耐えられないと体が判断したのか、ゆっくりと感覚が閉じていき、意識が遠のいていきます。
フィクションよりも嘘のようで、だからこそ鮮明な真実であったのでしょう。
こんな事が出来る人も、そこから生き残れる人も異常である。
初めて会ったあの時とは別に、シヒロ様が怖いと感じた。
あぁ、だけど、だからこそ、私はそれ以上に......。