87話
「ここに残れ」
「ご、ご無体な」
変な言葉を知っているな。
「もう一度チャンスをください。きっと役に立って見せます」
食い下がる。
正直、このままアーシェを連れて行って興奮状態が悪化し、先程の獣人のように襲われてはたまらない。
アーシェは獣人よりはるかに怖い存在である。出来ればこの場を動かないでいて欲しいのだが、待機すること自体がアーシェにとってストレスになりそうだ。
命令して無理にでも待機させる事は出来るだろうが、ストレスが爆発しては元も子もない。
下手をすれば、そのまま殺しに来るかもしれない。
アーシェが自ら望んで待機してくれるような状況へ持っていかなくてはならない。
やるか。
「アーシェ」
「はい」
「アーシェ。アーシェ」
「はい。はい」
「お前には、いや、お前にしかできない大事な役目を任せたいと思っている」
「は、はい!」
ピシッと背筋が伸びる。
「ついさっきの獣人の姿を見ただろう? とてもではないが後ろを任せるには実力不足だと思う」
「その通りだと思います」
「できるのなら後ろの安全を守りつつ、こちらの退路を確保してくれる人が居てくれるととても助かる」
「なるほど」
「さらに危機が迫った時に、誰にも悟られずに危機を伝える手段があり、ある程度の実力の持ち主であればいう事は無い。加えて大事な役割を命懸けで全うしてくれる人物なら最高だ」
「はい! 私以外に誰にも遂行できないと判断します」
「頼まれてくれるか?」
「拝命されました」
一応ダメ押しもしておこう。
「万が一の事も考えて、この大事な毛皮のコートも預けよう。割と頑丈で身を守ってくれるはずだ。戻ってくるまで預かってくれるか?」
「はい!」
フワリとクマの毛皮のコートをアーシェに羽織らせる。
嬉しさ爆発、と言った感じで鼻息荒く対物ライフルを地面から生やすとブンブンと振り回す。
アーシェの方は大丈夫そうだ。
丁度そのタイミングで軍人の人が戻ってきた。
「行くぞ。先頭を進め」
「はい」
・・・
・・
・
当初の人数から幾人かが脱落しながらも作戦の変更は無く、奥へと進んでいく。
だが、奥へと進むたびに人数は減少していく。
その原因は、味方であるはずの軍の獣人達が先程と同じように興奮状態に陥って襲い掛かり、返り討ちにして強制的に隊列から外れていったからだ。
気が付けば半数以上がリタイア。
こちらはガミガミ撲滅のために進まなくてはいけないが、向こうは軍としては成り立っていないだろう。
一応、引き返すように意見具申と言う形を取って提案するも、すべて却下である。
何の成果も得られず撤退と言う事に恥と感じているのか、意固地になっているのか退くべき時に退けないのは指揮官としてどうだろうかと思うが、種族が違えば考え方も違うのだろう。
波風は立てたくないので黙って従う事にする。
チラリと指揮官に視線を移す。
割と傷だらけである。
襲い掛かってきた部下たちの大半は指揮官を狙っていた。
被害を最小限に抑えようとしていたが、多勢に無勢と言う事もあり無傷とはいかなかった。
弱味を見せたくないという意味でも引けなくなっているのかもしれない。
そして、さらに奥へと進む。
とうとう襲い掛かってくる者はいなくなってしまった。
軍としては最後の一人となってしまった指揮官も、残念な事に他の者と同様に興奮状態一歩手前となってしまう。
小さく唸りながらも辛うじて耐えられているが、限界を向かえそうである。
いざと言う時のために警戒だけはしておく。
それとも、今のうちに意識を刈り取っておいたほうがいいだろうか。いや、まだ早い。もう少し朦朧とした状態にならないと言い逃れが出来ない。見極めが大事である。
そのタイミングをまだか、まだか、と見計らっていると、気が付けば最奥まで着いてしまった。
中々の粘りと忍耐力だと感心するが、結局到達できたのは2名だけ。
軍としての体裁どころか隊伍すら組めない状態での到着である。
当初予定していた想定とは大きく異なってしまった。
大幅な修正を練り直そうとしたが、そんな考えを吹き飛ばす光景が目の前に広がっていた。
「これは......どういう状況だ?」
少し開けた奥の空間には、白いローブを着た謎の人物と端の方に半裸と全裸の人達が重なり合うように気絶している。
軍人とはいえ女性の前でこういう事を言うのは憚れるので、遠回しな表現すると聖なる行為で死屍累々と言った感じである。
イメージカラーはピンクだろう。
そして、この光景を見てようやく思い出す事が出来た。
この匂いは以前ガロンド砦でフレアと宿で泊まった時に嗅いだ匂いに非常に近い。アレをより強く濃くしたような感じである。
となると、こいつらは集団で楽しんでいたのだろうか。
こんなところで隠れてやっているという事はヤバい薬を使ってのお楽しみであろう。
それとも、あの白ローブを着た人物が教祖的な奴で信者と一緒にする儀式的な奴なのだろうか。
疑問は尽きないが、今までの異様な興奮状態はこいつらのせいであることは間違いなさそうだ。
まったく、はた迷惑である。
そして、もう一つの疑問も解決した。
ガミガミはここへは来ていない。生きた人物がいるのが証拠である。
だとしたら何処へ行ったのだろうか。
それとも誰かに全滅させられたのだろうか。
こちらに気が付いたのか、白いローブを着た人物がゆっくりと振り返り手を振っている。
一応、ガミガミについては聞いてみた方がいいか。
こちらも応えるように手を振ることにした。
「すみませんが」
声を掛けている途中で、指揮官に力強く手を引かれる。
何事かと見てみれば、顔は紅潮して呼吸は荒れており、苦しそうな表情を浮かべながらも何かを必死に伝えようとしている。
緊急であることは感じ取れた。
聞き逃さないように耳を傾ける。
必死に言葉を紡ごうとしているが、艶めかしくも荒々しい吐息が気になって聞き取りずらい。
しかし、何度も繰り返す言葉は分かった。
「魔王?」
「あ、バレちゃった」
幾重にも重なる声が聞こえた。
それと同時に指揮官が一際大きく唸り声をあげ、人の姿から獣の姿へと変化していき、大きな白狼の姿へと変貌する。
どうやら最後の何かが崩れたようだ。
おぉ、大きな狼だ。
月の光を溶かしたかのような白い毛並みに、見上げるほどの巨躯。
それを感じさせないような軽やかな動きで白いローブめがけて飛び掛かった。
白いローブの奴は何かの魔法を使おうとするが、白狼は狙いを絞らせないようにジグザグに走り周る。
そして、狙いを定めて白いローブの頭蓋をかみ砕こうと大口を開けた瞬間、黒い紐の様なものが白狼に絡みついた。
それを振りほどこうと激しく暴れ回るが、解ける気配はない。
「ここまで正気を保ってるなんて凄いじゃない。後で沢山遊びましょ」
獣人の中では相当強いであろう指揮官が一瞬で身動きが取れない状態になってしまった。
その実力から推測すると、魔王と言ったのは何かの比喩ではなく本当の事なんだろう。
ふと、豪快に笑う小さな魔王様が脳裏によぎる。
アレは詐欺師なのか本物なのか分からないが、目の前に魔王が存在していると言う事で信憑性が増してきた。
それにしても最近よく魔王と会うな。
「んふふ。それで? 何か御用かしら」
視線を白狼からこちらへと移す。
サイズの合っていないローブからは体格どころか顔すら見えないが、確かにこちらを見据えている。
幾重にも重なる声のせいで性別の判断さえできないが話し方から見れば女性のようだ。
しかし、ガロンド砦の受付嬢の例がある。容易に決めつけるのは良くない。
「.....ちょっと道を尋ねようかと思ってたんですが、どうやらお忙しいようでお邪魔しました。出来ればツレと一緒に帰りたいんですけどダメそうですか?」
「そうね。長居はしないつもりだけど暇潰しの相手ぐらいにはなって欲しいの。ただ待つのって嫌じゃない? せめて体を動かして有意義に過ごしたいの」
「あ~ですよね。分かります。では置いていきますので私はこの辺で、飽きたら適当に捨て置いてください。時間が経ったらこちらで回収しますので」
「だめよ。貴方にもいて貰わないと。ここまで来ているのに正気を保って会話が出来ているなんて凄い事よ。興味津々なの」
顔は隠れているのに、獲物を見つめる肉食獣のような視線を感じる。
今までに感じたことがない不安に駆られる。
例えるなら、何か大事なものを......命とは違った大事なものを失ってしまいそうな予感。
よし、退散だ。
この場から離れよう。
しかし、向こうはこちらを注視しており隙が無い。
さらに相手が魔王であるなら、逃走に対する対策を持っていてもおかしくない。
出来るだけ会話を促して情報を収集して、可能だと判断したらダッシュで逃げる。
「そうなんですか。でもつまらない人間ですよ。興味を抱いて貰えるのは嬉しいんですがね。そういえば誰か待っているご様子。良ければ私も協力しますよ」
「待っているのは事実だけど、私も相手が誰か分からないの。部下が言うにはここに居れば待ち人が来るという事だけ。もし来なかったらお仕置き確定ね。でもまぁ、ある程度の目星は付けてるのよ」
「ほう、ちなみに誰ですか? 知っていたら呼んできますよ」
「勇者」
本当に心当たりがあった。
これで会いたくないトップ3のコンプリートである。
いや、呼ぶ振りだけすればいいのか。
「丁度この近くにいますね。呼んできま」
言葉を遮るように、赤白い何かが通り過ぎる。
よくみれば体毛を血で濡らしながら駆ける白狼だった。
どうやらあの紐状の物を嚙み千切ったようだ。
油断していた魔王は避けることも出来ずに胴体を噛みつかれた。
しかし、グニャリと蜃気楼のように大きく揺らめくと煙のように消えてしまった。
何処に行ったのか視線を動かすと、白狼のすぐ後ろに立っている。
白狼はすぐに身を翻し反撃しようとするが、今度は黒い何かで包むように身動きを封じられた。
「あら、驚いたわ。本当に優秀ね。赤い髪の子みたい」
よしよしと、ひと撫でされるたびに闘争心が削られているのか大人しくなる。
されど、矜持だけは捨てていないのか唸り声だけはあげていた。
もう少し様子を見るか。
先程の騒動で、逃げるチャンスはあった。
だが、どうにも成功する気がしなかった。
まるで近くでこちらを値踏みするかのように見られている気がして仕方がない。
「あなたも......声だけなら大丈夫かしら?」
幾重にも聞こえていた声が一つになる。
蜂蜜のようにトロリとした甘い声。
何とも蠱惑的であり、本能を駆り立てる声だった。
近くで聞いている白狼の唸り声が小さくなる。
「ふふっ。理性を保つのに必死に耐えてるその顔素敵よ。獣人の貴方も連れて帰る事にしましょう」
声だけで判断するなら女性であろう。
魔王は女性しかいないのだろうか。
「そして、貴方は絶対に連れて帰るわ。声を聴いても平然としているのは予想外だった。もしかしたら貴方には顔も見せていいかもね」
こちらに向き直った魔王は、ゆっくりと白いローブのフードを取った。
まるで神話の絵画から出てきたような目を引くほどの美しさ。
だからこそ、ゾッとする。
全ての生き物の視線を奪いそうなその相貌に妙な嫌悪感すら抱いてしまう。
だが、その美貌とは別の意味で目を引く一品が首元に飾られていた。
てんとう虫と鳥の羽、そして木の根の様な形をしたナニか。
装飾としては何もおかしい所はないのだが、その存在自体に違和感がある。
解像度が高いと言えばいいのか、異様に画素が良いといえばいいのか。
アレはなんだ。
「素敵な装飾品ですね」
咄嗟に聞いてしまった。
その問いに対して、嬉しそうに答える。
受け答えが出来る事に喜んでいるのか。
「この洞窟にあったの。ダンジョン化しかけてたから原因は何だろうと暇で調べてたらこれを見つけたの。これが何なのか良く分からないから持って帰って詳しく調べようと思っているんだけど、今はあなたの事が知りたいわ。ますます欲しくなっちゃう」
いや、まてまて、今なんて言った? ダンジョン化しかけたって、まさか。
その時、聞きなれた声が耳に届く。
『それ僕の!』
ルテルの声はすぐに聞こえなくなった。
やっぱりか。
事情が変わった。
逃走するという選択肢の優先度がガクッと下がる。
やるべきことが二転三転していたが、これ以上の変更はないだろう。
言いたくはないが、命の恩人であるルテルのためだ。
アレを奪う事を優先する。
頭をフル回転させる。
方法として一番手っ取り早いのは力づくで奪う事。
だが、相手は訳の分からない力を持っている。
まるで幽霊のように通り抜けてしまう力。触れない魔法というものなら相性としては最悪である。
仮に上手く強奪する事が出来たとしても、目を付けられるのは必然であろう。
今はあんな態度であるが、王族の物を盗むとなれば戦争になる。
では、いったん魔王の話に乗って付いて行くのはどうだろうか。
却下。リスクが高すぎる。
相手の領地で実行するのは愚の骨頂。
現状でさえ逃げるのに躊躇しているほどなのだ。とてもではないが逃げられる自信がない。
移動中に奪うのが一番無難ではあるが、自分らがここへ来たように一瞬で移動する術があるならお手上げである。
一度退いて立て直すのが望むべき手段であるが、難しいであろう。
一連の話の内容から推測すると、魔王はこの場に留まる時間は限られている。すぐに魔族領か別の場所へ移動する気でいるのであろう。
理由は定かではないが、一度見失って改めて追うのは限りなく不可能に近い。
どうするべきか考えが纏まらない内に、魔王が動いた。
「まずはどれほどなのか、測らせてもらうわね」