86話
ガミガミを捕まえた場所。金属の墓場。
そこで髪のように細く黒い何かにハクシが噛みつくと、空間が裂けて謎の場所へと繋がった。
アーシェ曰く、そこからガミガミが逃げたとなれば、あらゆる生物は絶滅する可能性があるそうだ。
この金属製の水筒に入った生物は、思っていたよりも危険性が高い事を認識を改めつつ、今後の方針を決める。
流石に絶滅は不味いので、何かしらの行動はとるつもりである。
勿論、避けれるリスクは避けたいが、ある程度のリスクなら負うのもやぶさかではない。
しかし、こちらだけが一方的にリスクを負って、見返りが無いというのは納得できない。
ということで、通常業務である荷物の受け渡しをするついでに、共にリスクを背負ってくれる優秀な人材を見繕いたい。
拠点に到着してすぐに行動へ移る。
荷物の確認印を貰いつつ、目ぼしい人材はいないか目星をつけていると、一際目立つ集団に視線がいく。
うわぁ。
そこには、できれば会いたくないと思っていた軍人の集団がいた。
出来れば会いたくないトップ3の一つであり、勇者と遭遇してしまえばコンプリートしてしまう。
目立たないように距離を取ろうと思ったが、これは見方を変えれば良い出会いなのではないだろうか。
統率が取れており、戦いのプロでもある。優秀な人材に間違いない。
それに軍人と言う肩書もいい。
仮に死んでも心が痛まない。
これ以上ない人材である。
それならばさっそく行動に移る。
荷物を受け渡した人に謎の空間がある事を伝える。
それも、可能な限り最悪の事を想定させるような雰囲気で話す。
「そいつは......確認しないといけないな」
「もしかしたら、緊急用の脱出口かもしれませんもんね。そう考えると一定以上の戦力はあり、統率が取れる人が動いてくれるといいかもしれませんね」
「うーむ。少し上の方へ伝える。その時に具体的な場所を教えてくれないか」
「それは勿論。協力は惜しみません」
そして、ここの拠点の責任者へと話が伝わり、そのまま責任者が軍人達へと接触している事を確認する。
上手くいきそうである。
順調に事が進んでいる。
・・・
・・
・
順調に事は進んでいるはずだった。
狙った通りに軍人が力を貸してくれるようであり、嬉しい事に追加の部隊まで協力してくれることになった。
人数は小隊位はいる。
囮が増えたと喜んでいたが、この増員こそが誤算の始まりでもあった。
追加で来たのは別動隊ではなく、本隊の一部。
正確に言えば、一番偉い人と精鋭がわざわざ来てくれたのだ。
なんで?
まぁ、百歩譲って来てくれた事はいい。そんな偉い奴が何故前線に居るんだとか、わざわざ危険な場所にご足労かけなくていいだろうとか思わなくも無いが、そこまではいい。人間と獣人の考え方の違いだと言われれば何も言えないので、その点はいい。
問題なのは、その偉い人物と言うのが取調室で激怒していた獣人であることだ。
流石に部下がいる手前、感情的にならないように振る舞っているのだろうが、真っ赤に熱せられた鉄瓶の如く怒りが煮え滾っているのを肌で感じる。
そして、こちらの事情を何かしらで伝わっているのか一部の部下も同じような視線でこちらを見ており、それ以外の者はこちらを見ると怒りが爆発すると判断したのか意図してこちらを見ないように振る舞っている。
針のむしろである。
何時ぞやの冒険者ギルドの対応に比べれば幾分もマシな対応ではあるが、喜べる程でもない。
悪感情を背中に浴びてむず痒くて仕方がない。
雰囲気を和めるために話しかけるべきかと思ったが、余計な事はしない方がよさそうだと諦める。
ひたすら痛い視線と沈黙が延々と続く中、ようやく目的の場所へと到着した。
「えっと......着きました。ここがその場所ですね」
......。
無視である。
だが、そこは軍人。思う事はあっても引き受けた仕事はきちんとしてくれるようだ。
中への探索手順と作戦を確かめ合い、最終準備を整えている。
その会話の輪に自分は入っていない事から、こちらの仕事はここまでだと判断しているのだろうか。
まぁ、ここで拠点に戻れと言われても困るので戻る振りをして様子を伺うつもりだ。
そうなると、一人で探索する可能性が高くなるので、軍人達には正確な情報を死ぬ気で取ってきてほしい。手足の2~3本は無くす覚悟で行ってもらえば......って、アーシェは何をしてるのだろうか。
先程から軍人の隙間を縫うように動いている。
目を細めてよく見てみると、尻を撫でまわしたり、揉みしだいている。
本当に何をしてるんだ。
少し呆れていると不意に、バシッと肩を叩かる。
そちらの方を向くと、屈強な軍人が顎を使っての指示を出す。
先頭に立って囮になれと言う事だろう。
うへぇ。
そういえば、獣人の国では劣人種の扱いはこんな感じであると言っていたな。
弱いものは虐げられる。それ自体に悪意はない。それが正しいとされている国であり、種族としての特徴でもある。
その特徴はここの人間とは異なり劣人種だから虐げているわけではなく、弱いから虐げられるのだ。
実力主義の名の元で平等である。
まぁ、こちらを弱いと判断されているのは喜ばしい事ではないが、ある意味で都合がいい。
囮で前に行くということは、誰よりも早く異変を察知できるし後ろを肉壁が守ってくれる。
仮に前方に何かあれば適当な奴を掴んで投げ込んでみればいい。
臨機応変に対応しよう。
「シヒロ様。ミッションコンプリートです」
アーシェが戻ってきた。
何のミッションをしていたのだろうか。
「流石は軍人。形と肉付きのいいお尻をしていました。特にあの白い女の獣人は格別なお尻でしたね」
手をワキワキさせながら聞いていもいない情報を語りだす。
取り敢えず、中に入るみたいだけど付いてくるか?
「もちろん、私も同行します。何処へと繋がっているか分かりませんが、微力ながらも私の知識が活かせるかもしれません。私でないとできない事もあると思いますので是非お供させてください」
言葉だけを聞くと、とても心強く感じるのだが視線はこちらの尻の方へと向けられている。
......行くぞ。
アーシェを先頭に謎の空間へ足を踏み入れる。
ん?
入って早々だが、なんか変な臭いがする。
嗅ぎなれない重く甘い匂いと、酒精の様な頭が痺れるような感覚。
だが、どこかで嗅いだ匂いに近いような気がする。
アーシェ。この匂いみたいなのには心当たりはあるか?
「いえ、私の記憶では該当するモノはありません」
んー、となると何だろうか。
嗅いだことがあるのは確実なんだが。
「ご思案中に申し訳ありませんが、もう一つ伝えなくてはならない事があります」
なんだ?
「ここはダンジョンではありません。このような場所に心当たりがありません」
そうか。適当に言ったつもりだったけど本当に脱出口だったのか。
「いえ、それも怪しいかと思います。絶対とは言い切れませんがこのような場所へ繋がる物を作ったという知識がありません」
おいおい、それが本当なら面倒な事になりそうだな。
切っ掛けはハクシではあるが、アレを作り出したのは別の誰かである可能性が......
小声での会話を中断させるかのように、背中に何かがぶつかった。
早く行けとせっつかれたのだろうかと振り向くと、顔のすぐ横をガチン!! と音を立てて噛みつく獣人の姿があった。
先程までの人間に近い姿から、獣に近い姿になっている。
見た目はイヌ科のそれに近く、凶悪な牙をむき出しながら涎を垂らし、唸り声をあげ、瞳孔が開いた目でこちらを睨みつけている。
次手で動かれる前に、素早く袖と襟を掴んで遠くへ投げ飛ばす。
しかし獣人特有の柔らかさと体感の強さから、空中で姿勢を整え綺麗に着地した。
その睨みつける双眸からは、理性が吹き飛んでいることを容易に感じさせた。
正常な状態ではなさそうだ。
危険な薬でもやっているかのような異常な興奮状態が伺える。
周りも随分と騒がしい事に気が付き軽く見まわすと、他の者も同様に近くにいる味方を襲っているようだ。こちらへの怒りが限界を超えてしまったという事では無さそうである。
では、何故こうなったのか。この環境下で異常をきたした者と平常な者の差は何だろうかと注意深く観察していると、先程投げ飛ばした獣人が大声をあげながら襲い掛かってくる。
一先ずは無力化させてからゆっくり考えよう、そう考えて振り返る。
「あ?」
そこにはアーシェが立っていた。
何でそこに居る? 何故そんなことをしている?
襲い掛かる獣人から、こちらを守るように立ちふさがっていた。
アーシェは他の者からは知覚できないが、幽霊と違って実在している。
攻撃を受ければ当然ダメージも受ける。
もし攻撃を受けたらアーシェはどうなる? 魔法も使えるし、意味の分からない生き物であるから対処位は出来るだろう。怪我はすれど最悪と言うほどのことまでは起きないだろう。放って置いても平気だとは思う。
だが、万が一......いや、大事なのはそこではない。
この状況が何よりも駄目なのだ。
その光景は、心傷を抉りだすには充分すぎた。
襲い掛かる軍人を前に、女性が命を投げ出して守るかのような光景。
アーシェの服を無理矢理引っ張り、後ろへ放り投げる。
間が抜けたような声が尾を引いて遠ざかる。
その瞬間、獣人に腕を噛みつかれた。
獣人はその牙をより深く突き立てるために顔を激しく揺さぶる。
だが、その動きはすぐに止まった。
その牙はどんなに揺さぶっても深く突き立てるどころか、皮膚すら裂くことが出来ず、むしろ膨張する筋肉に押し返されるほどである。
互いの双眸が交錯する。
すると獣人の様子が目に見えて変化した。
興奮により逆立っていた毛はみるみると萎びれていき、目から闘争心の火が消えうせた。
荒立つ感情が本能によって塗りつぶされていく。
死の恐怖が熱病の様な興奮を鎮静化させていく。
......軍人が。
噛みつかれていない手で獣人の首を掴む。
その指は獣人の牙に比べれば頼りなく、肉へ食い込ませるほど爪も長くない。
到底、脅威にはなりえないはずであった。この世界の人間でならば。
その指は噛みつく獣人の牙よりも奥深く首へと埋没した。
神経の圧迫かそれとも別の理由か、獣人の体が震えだす。
語らずとも、獣人はこれから己が身に何が起こるのかを理解した。
硬い首の骨に指先が触れたその瞬間。鼓膜をつんざく様な大きな音が洞穴に木霊した。
それは狼の遠吠えのような音であった。
思う事があったのか、首から手がゆっくりと離れる。
「注目!! 正気に戻った者や動けるものは興奮状態の者を外へ連れ出せ。その際の攻撃は不問とする」
白い獣人の女がこちらへと近づいてくる。
そして、噛みついている獣人の腹を蹴飛ばし無力化させた。
「ふん。無事だったか。運が良いな。お前にはこのまま先導してもらう。準備が整うまで待機していろ」
気絶した獣人を肩に担ぎ、興奮状態の者を次々に鎮静化させていく。
狼の遠吠えを聞いたせいか、変に緊張して冷静になれた。
一呼吸置き、腰を下ろす。
何やってんだか。
襲い来る自己嫌悪。
当事者たちはずっと前に死んでいるし、仮に生きていたとしても何の言い訳にもならないただの八つ当たりである。
ましてや人間では無い獣人であり、そもそもが別の世界である。
先程の獣人には、はた迷惑この上なかっただろう。
まぁ、向こうに全くの非が無いというわけではない。
向こうから襲ってきたので正当防衛だ。
互いに怪我をしてないのでセーフでいいだろう。
「あの、シヒロ様」
アーシェが駆け寄ってくる。
「先程は差しでがましいことをしてしまい申し訳ありませんでした」
頭を下げるアーシェだが、顔を仮面で隠している。
合わせる顔が無いという意思表示だろうか。
「いや、まぁ、助けようとしたんだろ? なら問題ない。それより急に引っ張って悪かったな」
「いえ、それは構いません。何でしたらいつでも好きなタイミングで引っ張ってください」
頭をぶつけたのだろうか。
「正直、助けてくれたことに驚いて。びっくりして。良かったです」
言動が変だ。
「アーシェ」
「はい」
「仮面を取れ」
「はい」
素早い動きで仮面を顔の横に装着する。
表情に変化はないが若干の紅潮が見れる。
瞳孔も少し開いてる感じがしており、興奮している様に見える。
先程の言動も鑑みると、アーシェも何かしらの影響を受けている可能性がある。
「アーシェ」
「はい、何でも言ってください。先程の汚名を返上します!」
「お前はここに残れ」
「はい......っえ。あ、はい.......え?」
動転している。
ゆっくりと腰を上げ、飲み込めていないであろう答えをもう一度答える。
「ここに残れ」
「ご、ご無体な」