78話
牢獄とは思えない内装と厚遇に、捕らわれの身であることを忘れそうな夜中頃。
近づいてくる巡回の足音だけがここが牢獄であることを教えてくれる。
余りにもチグハグな対応に、気味の悪さが残っている。
良い思いをさせてから罰を下すつもりなのだろうか。
まぁ、どんな事があろうとも、ここから出ようと思えば何時でも出れる。
こっそり脱出する事も、力づくで正面から出る事も可能である。
ただ、何時でも出られるなら、少しの間はここにいてもいいかもしれない。
こちらもあまり急いで動きたくない事情がある。
不意にズキリと膝が鈍く痛む。
これだ。
この原因不明の体調不良の様子を見たいのだ。
あまり意味はないと思いつつも膝をさする。
痛むはずのない箇所に痛み、水底にいるのではと思うほど体に圧迫感を感じる。
そして、どういう訳だか神経が研ぎ澄まされていくような感覚のせいで眠れない。
体調はよくない。
なのに、自身をコントロール出来ないほど気が高ぶっている。
攻撃的に興奮さえしている気さえする。
経験したことがない状態に不安を覚える。
いっそ鎮静剤でも飲めれば解決できそうではあるが、生半可な薬では効果がない。
過去に大量の薬を長期間に摂取したせいなのか毒にも薬にも耐性が出来てしまい効果が薄い。
我が家特性の薬ではないと効果がないほどだ。
その薬の入った荷物は盗まれている。
「せめて、巻物があれば分かったかもしれないんだがな」
こういう事を見越して、父さんは何か書き残しているかもしれない。
ただ、それも薬と一緒に魔王様(詐欺師)に持っていかれてしまった。
必要な時に必要なものが無い。
歯痒く思うがよくある事だと割り切ることにする。
「眠れませんか?」
アーシェが心配そうにこちらへ向かってくる。
「大丈夫。もう寝るよ」
眠れはしないだろうが、横になるぐらいはした方が良いだろう。
ベッドに腰かけようとすると、ベッドが大きな悲鳴をあげて崩壊した。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。今日はもうだめだな。床で寝る」
体のバランスまで崩れてきているのだろうか。
普段できていたことまで出来なくなってきている。
弁償しないといけないよな。
現実的な新たな不安から視線を逸らすように軽く肩を回し、首を捻る。
関節が締め上げられているかのように重く感じ、可動が鈍く感じる。
無理に動かそうとすると、ギィ......ギィ......と体から軋むような音が
「ん?」
「どうしましたか?」
「いや、なんか体とは違うところから軋むような」
突然白い物体が目の前に現れ顔に衝突する。
「ギィ!!!」
それは見覚えのある生き物だった。
魔王(詐欺師)に攫われたものだと思っていた非常食。
空飛ぶ白い蛇。
ハクシである。
「おぉ、生きて......って、おい。止めろ鬱陶しい。分かったから離れろ」
尻尾を器用に頭に巻き付け、キスの連打を浴びせてくる。
なんか一回りほど大きくなったな。
「あぁ、嬉しいよ。こっちも会えて嬉しい。だから一旦離れろ」
頭から離そうとするが、信じられない力を発揮して引きはがす事が出来ない。
一通りキスに満足したのか、顔に体を擦り始める。
綺麗に生えそろった白い鱗がすべすべとしており、嫌な感じはしないがマーキングされている気がして微妙な気持ちになる。
「あの、それは?」
「あぁ、まぁ、正直何かは分からないがハクシって名付けた白い蛇だ」
「そう、なのですか。私には東洋のドラゴン、龍のように思えます」
「そんな良いもんじゃ......」
ジッとよく見る。
特徴的な下顎の髭。
爬虫類とは思えないような歯列。
そして空中を泳ぐように飛んでいる。
「龍だったのか?」
「ギィ?」
何? と首を傾げる。
その反応も久しぶりに感じる。
「まぁ、何でもいいか」
下顎の髭を撫でるとくすぐったいのか身悶えるように体を動かし、楽しそうに笑っている。
ふと、尻尾の先端に袋が結び付けているのに気が付く。
これって。
その袋に触れると突然しゃべり始めた。
『ひどいよ!!』
こっちも懐かしい。
ルテルである。
収納袋を盗まれた事への文句と怒りをあらわにする。
それに関しては全面的に、こちが悪いので素直に謝罪した。
できれば、巻物や薬が入っている収納ポーチの方が有難かったと言うのは、内緒にしておこう。
『今回のような事が起きないように気を付ける事! 罰として収納袋に入っている大半の食料は食べました。ごちそうさまです。美味しかったです。よし! 言いたいことも言えたし、この話はこれでお終い。今後は気を付けてね』
「あいよ」
まぁ、食糧に関しては別にいい。
食べるなら食べると言えばいいと言っていたし、伝えようにも伝える事が出来ない状況を作ってしまったのだ。仕方がないと割り切れる。
『まぁ、正直相手が悪かったっていう事は否定できないんだけどね。アレは仕方がないと僕も思うよ』
「盗まれてから気が付いたからな。間抜けだったよ」
『いや、こっちも盗難防止に備えはしていたんだよ。ある一定以上の距離が離れると自動で戻ってくるようになってるんだけど、まさか強引な力業で打ち破って超長距離を一瞬のうちに移動されるんだから成すすべがないよ』
「......へぇ」
『まぁ、僕が本気を出せば問題ないんだけど干渉することは原則できないからね。悔しいけど対策も打てない。君に頑張ってもらうしかないんだよ』
悩ましく唸るルテルに対し、こちらも別の理由で唸る。
「ルテル」
『ん? なに?』
「それは普通の一般人は無理だけど、多少知識があったり専門家なら可能か?」
『まっさかぁ。無理だよ。せめて勇者や転生者以上じゃないと無理』
「そうか......仮にだけど、魔王とかならいけるか?」
『まぁ、ピンキリだけどね。無理ではないかな』
マジか。
あの子供みたいな見た目と言動で噂の勇者ではないだろう。
つまり、本物の魔王様だったのか。
いや、可能性は低いが転生者である可能性も残っている。
どちらにせよ何で人の物盗ったんだよ。
『どうしたの?』
「何でもない。あぁ、さっきのお詫びじゃないが何かリクエストがあったら好きな料理を作るぞ」
『本当!? やったぁ。んーそう言われると悩むなぁ。肉料理にするか魚料理にするか。それともデザートにするか。軽食も悩ましい.......』
本気で悩んでいるようで唸り声しか聞こえなくなる。
「あのぅ」
アーシェがまた不安そうにこちらを見ている。
「差し出がましいと思いますが、誰と話しているのですか?」
その疑問に一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに納得した。
そういえばルテルの声は自分以外聞こえないんだったな。
知らない者から見れば、延々と独り言を言っているように見えるだろう。
心の病気と心配されてもおかしくない状況だ。
だが、どう説明したらいいだろうか。
しばし考えこむ。
「この袋は送受信機みたいなものなんだ。向こうの声は自分以外は聞こえない仕様になっているらしい」
「なるほど。心の問題では無かったんですね。よかったです」
本当に心の病だと思っていたらしい。
『あれ? 突然どうしたの? 何もない空間で独り言は怖いよ。僕に会えなくて心病んじゃった?』
イラっとしたが収納袋を盗られた不甲斐なさと寛容さをもって、ここは我慢する事にする。
しかしルテルでも見えないのか。
もしかしたらルテルには見えるのではないかと思ったが、こいつのソレは相当だな。
アーシェに頭を撫でられているハクシは何やら違和感があるのか、妙にソワソワとしている。
こいつも相当だな。
ルテルさえ感じられない何かしらを感じ取ってるハクシ。
アーシェの特異性が異常なのか、ハクシが凄いのか、恐らく両方だろう。
しかし、両者とも認知する方法が互いにない場合どう説明すれば伝わるか思案する。
「冗談じゃなくて、本気でわからなんだよな? ルテル」
『......分からないよ。一応、君を起点に感知してるんだけど......でも言われてみれば違和感があるような無いような』
「ギィ?」
アーシェにスリスリと背中を撫でられているハクシが忙しなく視線を動かしている。
んー、こちらを起点にか。
上手くいくかどうか分からないが試して見るか。
アーシェの頭に付いている仮面に視線を動かす。
軽く手招きをすると、こちらの意図を理解したのか差し出すかのように頭を垂れる。
頭についている仮面を取る。
『うわぁ!!』
「ギィ!!」
おぉ、気が付いた。
『......っえ。これは』
言葉が出ないルテル。
隠れようとするが、以前より大きくなったため頭に隠れる事が出来ず、ターバンのように巻き付いて威嚇するハクシ。
中々に良いリアクションだ。
巻き付いたハクシを解いていると、ルテルが乾いた笑い声をあげる。
『.......はは。何それ。それ一体何なの?』
「分からん。こっちも知りたい。ただ、敵対はしないそうだ」
『それを信じたの?』
「まあな。約束を破ればどうなるかは説明している。そして確実にそうするように努めるさ」
そういい静かにアーシェに視線を飛ばす。
ルテルの声はアーシェには届かない。
だが、こちらのセリフでどんなことを話しているかは伝わるだろう。
臆病ゆえの念押し。
釘を刺す。
だが、上手く伝わっていないようだ。
仮面からアーシェの照れているような感情が流れてくる。
『ハァ。まぁ君が決めた事ならとやかくいう事は無いよ。くれぐれも気を付けてねって、しまった!!』
「どうした?」
『悠長に話してる場合じゃなかった。時間がない! えっと、何から話せばいいのか......あぁ!! 要点だけ!! リクエストは肉料理! 濃い目の味付けで沢山欲しい! できればデザートもどっさり欲しい。あと、調理パンの追加も欲しい無くなりそう。それと次に話しかけるまでここで待機して欲しいな。理由は......あぁ、時間がない。僕の落し物は確かにこの近くにある。場所は』
途切れるように声が消えた。
リクエストだけしっかり伝えて、肝心な場所を言えていない。
まぁ、らしいと言えばらしい。
アーシェに向かって手招きをして、頭に仮面を貼り付ける。
「諸事情で暫くはこの国で厄介になることにした。何か都合が悪いとかあるか?」
「ありません。微力ですがお手伝いさせていただきます」
そういい、深々と頭を下げる。
先程のドタバタで変に力が抜けたせいか眠気に誘われる。
ハクシは定位置だと言わんばかりに腕に巻き付いている。
「眠くなったから寝る。変なことするなよ」
「承知しました」
夜の静寂が戻ってくる。
巡回の足音だけが廊下に響く。
◇◆◇ ???
ここは世界的犯罪者カザキリが造り出した人工ダンジョン。
その奥深くに隔離された場所。
そこはダンジョンマスターのみが入れる緊急避難部屋があった。
その部屋にダンジョンマスターでは無い者が涙を流していた。
「おぉ......おぉ!!! なんと素晴らしい!!」
感涙の涙を流し、感嘆の声をあげる。
「枠をはみ出す愚物。ですが!! その愚かさに自ら自覚し愚鈍である事を認め、絶命の道を選んだ」
体を小さく震わせ、感極まる。
「私は!! 評価します!! あなたが取ったその尊い行動に!! 勇気に!! 称賛に値します!! 素晴らしい事です。貴方のように他の者も見習ってほしいものです」
零れる涙を拭わずに、一心不乱に称賛の拍手を送る。
「さらに、素晴らしいのは要注意人物の甘言に惑わされなかったという事」
機材に付いた血痕を一瞥する。
「高評価です。本来ならカットするところですが、あなたの英断を称してこのまま朽ち果てる事を許します」
うんうん、と頷きながら顔を拭う。
「ただ、あなたが枠を超える事になった生物創造の実験体は何処に行ったのでしょうか」
確かに感じた枠を超えた独特な気配がすっかりと消え去っている。
自壊して消滅したのだろうか。
それならそれで構わないが、姿形を変えて気配を消している可能性もある。
「何処に居ようと関係ありませんけどね」
呼吸を整え、大きく息を吸い、天を仰ぐように叫んだ。
「カット!!!」
しかし、それで何かが変わった気配はない。
「ふむ、本当にいないようですね。所詮は継接ぎの紛い物ですかね。ですが、主人もろとも絶命の道を選ぶとはすばらしい」
ギョロリと眼球を動かし、何もない空間の一点を見る。
「あぁ、ですがそうなると、別の物がはみ出す事になってしまいますね。ですがいいでしょう。本来であるならあなたの仕事ですが、私が骨を折りましょう」
突如として目の前の空間に切れ目が入る。
それがゆっくりと開くと別の空間に繋がっていた。
特に気にする素振りも無く、悠然と歩を進める。
繋がっていた場所は、鎧と武器が無数に転がる場所。
金属の墓場。
その影に隠れるように動く生き物がいた。
「あなたたちはダメですね。自ら絶命の道を選べるほどの知性はありません。ゆえに、管理されていれば枠内でしたが、その管理者が死んでしまった場合は枠からはみ出る事になります。カットします」
金属の陰からワラワラとガミガミが姿を現す。
痩せ細ったポールハンガーのような者に狙いを定め、飛び掛かろうとする。
「カット!!!!」
絶叫にも似た声が辺りに木霊する。
大量にいたガミガミが一瞬のうちに消え去った。
姿を見せず死角に隠れていたもの。
飛び掛かったもの。
離れた場所にいたもの。
この場にいる一切のガミガミがこの世から消え去った。
「ふむ。予定よりだいぶ早く済みましたね。このまま歩いて戻りたいところですが、注意人物が近くにいるようですし、枠を超えないよう警告だけでもしていきますか」
ゆっくりと歩きながら進んでいると、不意にその歩みを止めた。
何処を見ているか分からない焦点で虚空を見つめる。
「なるほど。なるほど。わかりました。終わり次第にすぐに向かいますよ」
まるで誰かと会話しているかのようである。
「ふむ......ほう。注意人物の追加ですか。......フレア=レイ=ブライトネス。アベル=エル=キングストン。両方とも現地の人間ですね。えぇ、分かりました。十分に気を付けますよ」
「こちらからも一つ。枠を超えた転生者のカザキリの死亡を確認。リストから消しておいてください。そして要注意人物であるハヴィナルとの接触も確認しましたが逃げられたようです。まぁ、ハヴィナルの方は枠を超えていないようなので対象外です。追う気はありません」
続く言葉にひどく不快感を込めた顔をする。
「......よくありませんね。要警戒人物の追加ですか」