75話
パチパチと焚き木が爆ぜ、グラグラと湯が沸く。
焼けた石に肉を乗せると肉汁が爆ぜ、音と香りが食欲を刺激する。
「美味しそうですね」
「そうだな」
長いダンジョンの道程を進み、ようやく出口へ辿り着くと日は沈み夜の帳が下りていた。
今夜は月が雲に隠れて薄暗い上に、ここから街までは距離がある。
慌てる必要はない。
ここまで来て無駄なリスクを冒す必要はない。
残りの仕事は報告するだけで、日程にも余裕がある。
日が昇るまで野営する事にした。
一先ず腹ごしらえだ。
「スープのお味は如何かな」
「......薄味ですね」
「まぁ、気持ち塩を入れただけの出汁だからな。そうなるな」
「私のためだとは理解していますが、現段階でも固形物は食べられると思います」
「念のためだ。ほとんど絶食みたいな状態だったんだろ。大丈夫かどうかはこっちで判断する」
「......はい」
チビリとスープを舐めるように飲んでいく。
一気に飲み干さず、体に沁み込ますようにゆっくりと飲めと言った事を守ってくれているようだ。
特段変わった様子はない、これ位なら問題なさそうだな。
本当なら白湯から始めて果汁、出汁、流動食、温野菜などの順番で体に馴染ませていくつもりだったが、人間ではない事とかなり特殊な状況であったことを考慮して2段階飛ばしで飲ませてみた。
一応、様子を見ながらではあるが、次からは具の無い煮凝りぐらいは出してもいいだろう。
「よし、完成だ」
こちらはこちらで完成した。
今日の献立は厚切りステーキと野菜スープだ。
スープの方は食べれる野草と実を「これでもか!」と鍋に入れじっくり弱火で煮立たせたものだ。
漢方に近い闇鍋の様なもので、味は世辞にも美味いとは言えないが、現状を考えれば上々だろう。
ちなみに、このスープの上澄みを掬った物がアーシェが飲んでいるスープである。
そして今夜のメインであるステーキ。
これはダンジョン内にいた『咬噛』の肉を使っている。
道中で駆け抜けて走っているときに一番大きなものを捕獲した。
大きな口が付いたヒトデのような生き物だが、食用として食べれるうえに金属以外の物なら何でも食べて分裂し、増やせる事が出来る。
家畜化すれば食糧問題を一挙に解決してくれそうだが、いかんせん凶暴だ。
運んでいる途中にも何度も噛みついて地味に痛かった。
今でも手にうっすらと歯型が付いている。
さらに困ったことにこいつは、咬筋力だけでなく力もそこそこあり、ポーションの瓶程度なら自力で壊してしまう。
運よく道に落ちていた金属製の水筒を見つける事が出来たので、今は金属製の水筒の中で大人しくしている。
落とし主はもういないだろうから怒られる事が無いのもいい。
「食べれる事は知っていましたが、どう調理するのか知らなかったので驚きです」
「やり方が分かれば簡単だったな。まぁ、滅茶苦茶嚙まれたけど」
「無事で何よりでした」
ガミガミの調理は慣れてしまえば簡単だ。
歯を全て抜けば動かなくなり、分裂もしなくなる。
当初は悪戦苦闘した。
歯がある状態ならば切っても分裂し、潰しても即回復。
軟体生物のように柔らかいのに力強いので、何度も逃がしそうになった。
そして何より隙あらば噛みついてくるので鬱陶しかった。
一先ず鬱陶しい歯を全て抜いてみるとピクリとも動かなくなった。
もしやと思い、切ってみると分裂せずに切り分ける事が出来た。
静かにガッツポーズを取る。
これが分かればあとは楽だった。
無理矢理鉄板を口に押し込み、力業で口を閉じさせ歯を鉄板に食い込ませる。
そして一気に引き抜くと歯が綺麗に処理できた。
手間もそれほどなかったので大量のステーキ肉を確保できたのだ。
それでは実食。
「いただきます」
焼けたステーキを切り分けて、口に運ぶ。
数度の咀嚼。
肉質は思いのほか柔らかい。
味付けはシンプルに塩だけだが、可もなく不可も無くといった味だ。
食べ易くて癖が無いが、少し物足りなく感じる。
まぁ、下味の付け方次第では何とでもなりそうだな。
「お味はどうですか?」
「万人に受け入れられるって感じの味だな」
「そうですか」
「悪いが分ける事は出来ないぞ」
「えぇ、それは承知しています。私にはスープがありますので」
スープをチビリと飲む。
それを横目に、ステーキを食べ進める。
手を止めず黙々と食べ続ける。
あっさりとした味付けだからなのかペロリと食べきってしまった。
追加で増やしてみたが少しだけ物足りない。
水筒にいる一匹をまた増やしても良いが、処理をする手間を考えればそこまでする程ではないと判断する。
「......あの。少しだけ確認のため聞いていいでしょうか」
「いいぞ。なんだ?」
「人は、そんなに食べれましたか? これは、私が知らないだけでこれが通常なのですか?」
「どうだろうな。他の奴がどれぐらい食うかは知らないな。こっちは体質上たくさん食べなきゃダメだからたくさん食べてるけどな」
「......そうですか」
そういえばフレアも驚いてたな。
ズズッと最後の野菜スープも飲み切る。
「流石に......よくお食べになりましたね」
「そうか? そうだな。そうかもな」
「? 満腹ではないのですか?」
「腹5分ってところだ。満腹になると体に悪いから食べすぎないように心掛けてる」
「......そうですか」
少し引かれた様な気がする。
「あの、よければ体質について聞いてもいいですか?」
「ああ、いいよ」
何の気なしに答えようとして、少し考える。
別に言っても構わないが、それは遠回しに自分の弱点についても語ってしまう恐れがある。
だが、露骨に断ればそこから弱味があると判断される恐れもある。
どうしたものかと考えるが、疑われない程度に半分だけ話せばいいか。という結論に落ち着いた。
夜明けまで思っていたよりも時間がある。
暇潰しにもなるしな。
話す事でどういった反応を見せるのか、確認するのも悪くない。
「ちょっと変わった体質でな。人より代謝が良くて、たくさん飯を食わないといけないんだ」
「そうですか」
少し俯くと小さく口が動いている。
聞き取りずらいが小さな声で何かを呟いている。
耳を澄ませて何を言っているのか聞いてみる。
......大量に食べる。バセドウ病? いや、病気ではなく体質......尚且つ代謝が良い。代謝は副次的である可能性が......背負って貰った時の筋肉の感触。筋肉の異常発達? それが原因? ミオスタチン関連筋肉肥大でしょうか。いや......でも、筋肉量ではなく筋肉密度で考えれば.......。
こんな場所で医学用語を聞くとは思わなかった。
ていうかすごく詳しいのね。
そしてピスタチオではなかったのね。
違うとは思ってたけど何か恥ずかしい。
そして濁して説明した意味が無かった。
誤魔化すためにも話題を変える事にする。
「そういえば魔法とか使えるのか?」
「え? あ、はい。魔法ですか? 使えます。よろしければ拝見しますか?」
「見てみたい」
「了承しました。では少し失礼します」
するとき地面から大口径のカノン砲が現れた。
「如何でしょうか?」
少し自慢げだ。
「そうね。凄いけど、銃口をこっちに向けるのは止めてくれないか」
「あぁ、失礼しました。すぐに消します」
先程現れたカノン砲が地面に飲み込まれるように消えていく。
「如何でしょうか?」
「んー、そうね。凄いね」
軽く相槌をするが普通に怖かった。
この世界とは理屈が違うので仮に発砲されても無事である可能性はあるが、だからと言って銃口を向けられて落ち着けるほど肝は座っていない。
実際に大口径の砲弾に直撃して、体が粗挽き肉になった経験があるので尚更だ。
ちなみに、なぜ粗挽き肉になったのに生きているのかは自分でも分からない。
治療してくれた父さんだけが知っている。
まぁ、教えて貰ったところで理解できるとは到底思えないが。
「他には何かできるのか?」
声が震えないように努める。
「いえ、これを作るのが精一杯です。他の魔法も使えるのかどうかも分かりません」
「そう、か」
使った魔法から考えて、これはアーシェになる前のアイツと関連があると考えていいだろう。
何処まで継承されているのか分からないが、圧縮空気の魔法や氷の魔法なんかも使える可能性は高い。
出来れば氷の魔法が使えると嬉しい。
バターや氷菓子が作れるからだ。
だが、それはあまり発現して欲しくないとも思う。
「追々にね、知っていけば良いと思う。焦らなくてもいいんじゃないか」
「......はい」
変に力を身に着けられると、対処に困る。
予想外の力を身に着けば対処できない恐れがある。
こちらの身を危険にさらす可能性を上げたくはない。
アーシェは、少し俯いたように座り直す。
少し落ち込んでいるように見える。
.......。
だが、考え方によってはこちらで教えるのは悪くないかもしれない。
変に縛り付けると、こちらの知らないところで爪や牙を研ぎ、寝首を掻かれる恐れもある。
ならば、こちらで力の使い方を教えていけば、向こうの手の内は知れるし行動も把握しやすい。
それに、向こうが運よく恩を感じてくれるなら最悪は回避できる......かもしれない。
そう考えれば悪くは無いか。
「あぁ、良ければだけどね。ちょっと覚えてれば便利なこと教えようか?」
「......え、あ、はい!! 是非! お願いします」
予想よりも食いついた。
「まぁ、そこまで難しいものじゃないと思うよ。【身体強化】ってやつだ」
フレアや色んな人が使っているあれだ。
「それはどういったものですか!?」
「体が強くなる。膂力が全体的に向上する」
「おお!」
まぁ、教えると言っても魔力が無いので説得力に欠けるが、書物による知識はある。
フレアの食糧庫の隠し棚。
その小部屋に隠されたフレアの祖父と思わしき人物の書物。
「まぁ、試しにやってみるか?」
「はい!」
・・・
・・
・
夜も明け、帰路の途中。
隣で唸りながら鍛錬をしている。
「10秒全力で力んで、一気に体を弛緩させる」
んー、と小さな声で唸り、はぁー、と力を緩める。
こいつは成長期なのかすごいスピードで覚えていく。
【身体強化】はすぐに使えるようになった。
今は反復練習用の鍛錬をしている。
「この時に血が流れるような感覚が【回路】に魔力が流れている感覚らしい。より意識をすれば効率よく魔法が使えるし、【回路】自体が強くなる。らしい」
「はい!」
そして、小さく「ッん」と力を籠める声を出す。
「お、そろそろ見えて来たぞ」
遠くからでも街が見えてきた。
そして、猛スピードで何かがこちらに近づいてくるのも見えてきた。
「なんだ?」
「っん! はぁ。? どうしました?」
「なんか近づいてくる」
何事かと思い歩みを止める。
目を細めて確認すると肉食獣の様な獣人がこちらへと走り寄ってくる。
危ないので道の端に避けようとするが、こちらを逃がさないためか包囲される。
肉食動物の様なうめき声をあげながら、こちらを睨みつけている。
誰かと勘違いしている感じではない。
すぐさま何かしらの誤解があると釈明しようとするが言葉が通じない事を思い出した。
凄く不便だと思いつつ、地面に文字を書こうとした時、包囲を割って一人の獣人がこちらに近づいてくる。
「動くな!! お前には重大犯罪の容疑がかけられている。大人しく従わない場合はこの場での殺傷許可が許されている。大人しく従う方が賢明だぞ」
大きく溜息をつく。
前も似たような事があったが、今回は心当たりがいくつかある。
街へ入る前に獣人を殴って暴れた事。
住居の破壊。
ダンジョンの下調べのための重要施設の不法侵入。
重要書類の無断閲覧。
とりあえずここは大人しく従う事にする。
両手を挙げて、また大きく溜息をついた。