72話
◇◆◇ ???
反響する破裂音。
一斉に石が砕けるような音。
氷塊が潰れる音。
空気を切り裂く音。
その合間に聞こえてくる微かな音。
布が擦れる音。
地面を蹴る音。
荒い呼吸音。
仄暗い空間で瞬くように生じる火花がコマ送りのようにその姿を映し出す。
黒い影と白い影。
憎くもないのに2名は争っている。
一方は生き残るために、一方はより強くなるために。
しかし傍から見れば、それは争っているという印象は受けないであろう。
白い影が一方的であるからだ。
黒い影は近寄れないでいた。
少し近づいては離れ、離れてはまた少し近づくを繰り返している。
手をこまねき、攻めあぐねている様に感じさせる。
その証拠に一切攻めずにいるからだ。
それに比べて白い影は淡々と作業のように危なげなく攻め立てる。
中・遠距離から魔法やスキルを使って一方的に攻める事が出来る上に、見ただけでも頑丈だと分かる外骨格、近接でも攻撃を可能とする蛇腹剣の様な尾が3つ。
触れれば金属さえ消滅させるほどのスキルまでも持ち合わせている。
触れる事さえ許さない完全防御。
それでいてまだ全ての実力を見せているわけではない。
良いように捉えるなら堅実。
悪く捉えるなら獲物を弄って遊んでいる印象を受ける。
防戦一方の黒い影には逆転する手立ては極めて難しいだろう。
魔法使用不可。使えるスキル無し。
武器は腰に差している小太刀一本。
攻撃手段は近接のみ。
辛うじて遠くからでも当てれる方法があるとするなら物を投げる程度の事だろう。
しかし、それをする余裕はなさそうだ。
矢継ぎ早に魔法が襲う。
拾う隙すらないだろう。
勝つためには近づく以外の方法は無く。
近づくためには幾多の魔法を搔い潜り、尾の攻撃、まだ隠し持って居る手札を予想し躱さなければならない。
ジリ貧である。
結果は火を見るよりも明らかだ。
この辛うじて続いてる均衡が崩れるのはそう遠くない未来であり、決着もすぐにつくだろう。
黒い影の凄惨な結果をもって。
そう、傍から見た者であるならそう感じる。
「そう......感じるんだがな」
決定的な何かが抜けている様に感じる。
「......様子でも見て来るか。今なら大丈夫だろう」
◇◆◇
優勢。
決着がつくのも時間の問題。
だがそれは、時間を掛ければ勝てるというだけであり、決して楽なものではない。
均衡を崩さず、尚且つ逃がさないように神経を尖らせ、些細なミスすらしないようにしなけらばならない。
それだけが懸念事項だ。
しかし人の身であるなら難しい事だが、この体であるなら問題ないだろう。
楽観する気はないが流れ作業。
失敗する方が難しいと思っていた。
心の中で舌打ちをする。
最初の前提条件を間違えた。
こちらが一方的に攻撃し、相手を追い詰め、弱った所を確実に狩る。
そういう風に捉えていたが違っていた。
こちらをジッと黒い双眸が捉える。
対峙する相手からの言い知れぬ圧力が拭えない。
ただひたすら観察している。
籠に入った虫を見つめるように、安全圏から事細かく僅かな動作をも見逃さないように観察している。
それはプレッシャーから感じる独りよがりの錯覚ではない。
現に一度見せた攻撃は早くも対策され始めている。
予備動作を小さく最小限で躱し、ジリジリとこちらへ近づいてくる。
薄氷の均衡が崩れようとする。
バン!! と炸裂音が部屋に反響する。
その音とともに詰めていた距離を開けた。
唯一この攻撃に関しては過剰に反応する。
しかし、攻撃事態にダメージを与えるほどの物ではない。
案の定無傷なところが憎たらしい。
『長期戦を望む傾向が強いのに、彼自身はその長期戦に耐えうる体ではない』
受けていた報告内容。
認めるよ。前提条件が間違えていた。
こちらが追い詰めるのではなく。
追いつめて来る相手を攻撃して時間を稼ぐのだ。
攻撃は最大の防御。
無尽蔵とも思えるスタミナを駆使して相手を疲弊させる。
間違っても相手に攻める切っ掛けを与えてはいけない。
常に防がせ続け、近づけさせないようにしなければならない。
例え効果が薄いと分かっていても。
つまりは、だ。
この結論から導き出せるのは、長期戦以外の方法ではこちらが負けると言う事だ。
この最高の素材で作られた最高傑作が。
腸が煮えくり返りそうなほどの怒りと屈辱だった。
その感情の起伏を読み取ったのか、黒髪の男は今まで取らなかった行動をとる。
男は地面から突起した銃身を毟り取り、こちらへ放り投げた。
投げつけるのなら分かるが、渡すように放り投げる意味が分からなかった。
とてもダメージを与えるものではない。
魔法で吹き飛ばしてもいいが、それを目隠しに近づくのが狙いの可能性がある。
そういった戦闘データがあることを知っていた。
鬱陶しく手で払いのける。
深く深く、暗い双眸がそれをジッと見ていた。
何かを探るように何度も何度も繰り返す。
近づく代わりに拾っては放り投げ、多少の被弾を覚悟に何度も放り投げた。
男は確かめていた。
未知の生物が何を優先してそれを対処するのか。
スキルを使った場面。
魔法で弾いた時のタイミング。
手や尾で振り払う物とそうで無い物の差。
反応が過敏な箇所。または、他と比べて鈍い箇所。
銃身を握りつぶして金属片をばら撒く事により、物の大きさによる反応の違いも試していた。
そこからわかる視野の広さ。
選択の基準。
思考の偏り。
行動の癖。
そして向こうの狙いを探り当てようとしていた。
両者ともに望む長期戦。
しかしここで一方が大きく動いた。
魔法による回転率が跳ね上がる。
圧倒的な魔力量にものを言わせての力業。
それを補助するスキルによって烈火のごとく攻め立てる。
勝てると判断したわけでも、自暴自棄になったわけでも無い。
事前の打ち合わせ通り、攻め立てるタイミングになったからだ。
しかし新手は見せない。
ここは一つの通過点であり、大きな山場の一つ。
ここで決められるとは思っていない故に、見せている手札だけで畳みかける。
濃度と例えていいほどの魔法による圧倒的な物量攻撃。
流石に大きく後退し、その動きは鈍る。
しかし、それもすぐに対応し始める。
躱せるものは躱していき、当たりそうなものはクマの毛皮で防ぐ。
していることは単純だが、やってのけているだけで異常である。
衝撃だけで常人は重傷を免れないほどの威力。
しかしその双眸は揺るがなかった。
絶え間なく襲い来る魔法に一つの道筋を捕らえた。
針の穴に糸を通すように魔法の弾幕の中へ一気に駆けだす。
それを冷静に対処しようとするもその位置取りは絶妙であった。
魔法同士が対衝突する位置。
咄嗟にカバーしにくい角度。
無駄な動きが一切ない。
澱みなく貫く様な双眸に一瞬戸惑ってしまった。
少しの戸惑いが焦りを呼び、行動を鈍らせ迷いを呼んだ。
薄氷は割れた。
間合いの侵入を許してしまう。
魔法では対処できない。
それなら。
ゆらりと揺れる尾が男を狙う。
それはサソリの尾のように見えるその尾は、蛇腹剣の性質を併せ持つ。
鞭のようにしなり、剃刀の様な切れ味を持つ。
それはドラゴンの鱗ですら撫で斬りにできるほどの切れ味。
例えクマの毛皮を用いたとしても防げるものではない。
それを同時3方向へと切り込みにかか.......。
止められた。
迫る一本を正確に摘み取っていた。
まるで宙に舞う羽を摘み取るように。
そして、強引に引っ張る。
僅かにバランスを崩してしまう。
一本の尾はそのせいで大きく逸れてしまい、もう一本の尾は引っ張った尾で斬撃を防いでいた。
一息で尾の攻撃を全て捌かれる。
怪物め。
『努々油断するな。アレは魔王より厄介で鬼神と同等クラスで強い』
事ここに至って、まだ理解度が足りていなかったようだ。
......いや、認めたくなかったのだ。
そんな思考の逡巡を視界一杯に拡がるクマの毛皮が寸断した。
咄嗟の事で思考に微かな空白が生まれた。
そして顔の付近の毛皮が膨らんだと思った瞬間、剝き出しの顔に拳がめり込む。
圧倒的な暴の力。
死の気配を強く感じさせた。
ここまでとは.......ここまで想定の範囲内だとは思わなかった。
本来なら尾の攻撃だけ充分事足りると予想していたが『万が一に備えて保険を備えておこう』という私自身のアドバイスが生きるとは思わなかった。
いや、初めからこれが狙いだったのだろう。
最初の攻防で仮面を割ったのも、攻撃箇所を絞るため。
魔法の弾幕はこれから注意を逸らさせるための目眩まし。
事前に解像度を落とし見やすくしたのもこのため。
片方の腕は尾を摘み、もう片方は拳を突き出している状態。
防ぐ事は出来ない。
全ては、この一撃を当てるための伏線。
拳から伝わる彼の位置。
事前に指示され置いておいた保険は、彼の目先の位置にある。
偶然ではない。
狙ってやっている。
未来予知を思わせるその用意周到さには寒気さえ覚える。
限界まで圧縮させ小さくした不可視の魔法が炸裂した。
赤い鮮血が宙に舞い、地面と白いサソリの様な尾に付着する。
拳から圧力が消える。
視界を覆うクマの毛皮を払いのけ、付着した血を素早く舐めとる。
『その体には鬼神・血鬼の眷属と【飽蟲】魔王の肉体を繋ぎ合わせている。流した相手の血を舐め、啜り、肉を食め。これで向こうは弱り、こちらはその分強くなる』
体の奥底に火が灯る。
全身の血が入れ替わり生まれ変わったかのような感覚。
恍惚と万能感が脳を支配する。
世界の時間が圧縮したかのようにゆっくりと流れる。
力が体の隅々まで広がっていく。
そして何よりこの血の味。
甘く瞬き蠱惑的な味に感動すら覚える。
勝てる。
今まで抱えていた不安の一切が拭い去れた。
これを繰り返していけば確実に勝てる。
そしてこいつを土台にすれば、私は必ず届く。
醜く口元が歪む。
その顎の下に硬い金属を思わせる何かが触れた。
「はぁ?」
もし敗因を挙げるとするのなら、もう一人の彼女からの指示や報告がない事に気が付け無かった事。
そして、千里眼の如く読み取っていたもう一人の彼女自身が彼の底を見通せなかったこと。
最後に、彼女達は白墨家の事を知らなかったことだろう。
「不動」
脱力と緊張が一度に襲いかかってきたかのような経験したことの無い感覚。
細胞レベルでの拘束。
自分の意思で体を動かす事が出来なかった。
「徹底して手の内を明かさないのに、本人に危機感が薄かった」
死地に置いて身動きとる事が出来ない。
「楽観的とまでは言えないが、どこか他人事のような振る舞い」
死に体状態。
「戦う理由や狙いが分からなかったんだが、今のでわかったよ」
垂れる鼻血を手の平に集め、露出した顔に叩き付けた。
『大事な事だから気を付けて。一度に大量の摂取は禁物だ。少しづつ沁み渡らせるようにするんだ』
一気に駆け上るかのような多幸感。
襲い来る力の津波。
適応しようと体が作り替わろうとするが微動だにできない体。
まるでドライアイスを入れたペットボトルのようだ。
行き場を無くした力の奔流が体の中で膨張する。
激痛となって体の危険を知らせる。
「......!!」
声をあげる事さえできなかった。
「血が欲しい。だが、大量に摂取するのは不味いんだろ? わざわざ体より遠い尾を選んで少しだけ付着したものを舐めたもんな」
腰につけていた小太刀を抜いた。
その刀身は気味が悪いほど黒く、一切の光沢を放っていたかった。
何処までも穴が開いているようにも見え、逆に目の前まで黒い何かが迫っているようにも見えた。
それが何で出来ているかさえ分からないような代物。
それに血を塗り付けた。
『黒い小太刀には気を付けろ。何が何でもそれに触れてはいけない。何もかもが終わってしまう』
「余計なことかもしれないが、他人の血は汚いんだ。触らない方が良いぞ。我が家は特にな」
止めろォ!!!
心の中で絶叫する。
しかし無情にもそれは胸のど真ん中に突き刺さった。
「......」
それに生き物としての意思はなくなった。
転がる石と同等な物へと成り果てた。