66話
ここは、獣人の国のとある公園。
その片隅には、大量の枯葉が積まれていた。
それは掃除のために一か所に集めたものではなく、小さな子供が悪戯で積み上げたものだ。
その枯葉が大きく動き崩れると、中から人間がのっそりと起き上がる。
キョロキョロと周りを見渡し、大きく欠伸をすると干し肉を取り出し食べ始める。
「猪か。んまい」
ゆっくりと咀嚼しながら、自分の体を確認する。
目視で手の指を確認。
その後、触診で足の指その他が壊死していないことも確認。
実際に動かし、問題ない事を確認。
痺れなし。痛み無し。
健康な状態。
「何だったんだ?」
時間を少し遡る。
勝手に人の食い物に手を付け、あまつさえゴミのように扱った獣人に襲い掛かろうとした時だった。
走り出すために足に力を入れた瞬間、違和感があり、踏み込んだ瞬間に床が爆発したかのように吹き飛んだ。
おかしな事はここから始まった。
体が動きすぎる。
力が入りすぎる。
体が羽のように軽く制御が出来ない。
突然の出来事でバランスを崩し、転げるように壁と扉を粉砕しながら外に出る。
茫然とこちらを見ている獣人にバランスを崩しながらも駆け寄る。
本来ならば、すぐにでも体の異常を調べるか、一時撤退をするべきなのだが、そんな事を考える余裕はない。
こいつはしてはいけない事をした。
思ったように動かせない体を無理矢理動かした結果、床をぶち抜き、壁を引き裂き、柱をへし折り、天井を粉砕、建物を半壊状態にしてしまったが、何とかこの獣人を捕まえる事が出来た。
無駄な体力を消耗してしまった。
何人かは巻き添えで倒れおり、半数以上は逃げてしまったが、まぁ、問題はない。
問題なのは下で蠢くこの獣人だ。
どうしてやろうか。
この獣人は軽く肩を握っただけでも骨が折れてしまうほど脆い。
何も考えず、単純に暴力を振るえば死んでしまうだろう。
さらに、多少痛めつけただけでも心が折れている。
脆い。
弱すぎて扱いに困る。
何時ぞやの猫の獣人みたいなやつはもっとタフだった。
アイツを見習うべきだ。
グッと背伸びをする。
まぁ、いい。やり方はある。
二度と馬鹿な事が出来ないように痛みと後悔を体と心に刻まなくてはいけない。
最終的には死ねると言う事は救いなんだと、嫌でも理解することになるだろう。
手始めに.......そう考え屈んだ時、ぐらりと体が揺れ、膝をつく。
貧血かと思ったがどうやら違うようだ。
手足が痺れ初め、指先が青紫色になっている。
チアノーゼだ。
どういう事だ? 呼吸は普通に出来ている。
胸に手を当てる。肺に穴が開いたわけでもなさそうだ。
何故? と言う疑問符が頭に浮かぶ。
視界が揺らぎ、眩暈までする。
内臓のどこかにダメージでもあるのかと、脈診で確認する。
「なんだこれ?」
心拍数、血圧が極端に少ない。
睡眠時よりも少ないぐらいだ。
力を込め、無理矢理心拍数を上げる事を試みるが上がらない。
直接叩いての荒療治も無駄だった。
原因不明。
下手をすれば手足の壊死、最悪死亡する可能性もある。
それに、このままだと失神してしまう。
この場で失神するのはまずい。
逃げたやつが応援を呼んで、そいつ等に捕まる可能性が高い。
そいつらに、殺されることはないだろうが、半壊させた建物、獣人を叩きのめした惨状から見て、罪は重.......。
思考すらままならなくなっている。時間はない。どうする?
逃げるべきだ。
何処へ? 来た道へ戻るか?
ダメだ。見通しが良いうえに、相手は見た目が獣だ。嗅覚、聴覚が鋭敏である可能性がある。
発見される事は容易で捕縛される可能性は高いと判断すべきだ。
同様に、この場の近くに隠れるのもダメ。
なら、いっそ、街の中に入るか。
悪くないか。
人を隠すなら人の中。
灯台下暗し、これに賭ける。
決断後の行動は素早く行う。
急いで荷物をまとめ、素早く密入国。
そして、休める宿屋のような場所を探す途中に、この公園で力尽きた。
ボーっと空を眺めながら咀嚼していた干し肉を飲み込む。
何が原因だろうか。
父さん関連である可能性が一番高いが、経験上どうも違うような気がする。
他の原因も模索する。
この世界の未知のウイルス。
特殊環境ゆえの疾患。
食べ物関連。
挙げればきりがなく、また対処のしようがない。
出来る事と言えば、免疫機能を高めるように体調を気遣うのと、訳の分からない生き物の肉を食べないように気を付けるぐらいだ。
半壊させたあの場所に無くしてしまったのだが、健康を考えて諦めるべきだ。
惜しいな、と僅かに未練が残る。
新しい干し肉を取り出し、咥える。
鹿肉かな。
「あぁ、そういえば門番の獣人。.......逃げる前に口封じすればよかったな。せめて、喉と手と顎は砕いておくべきだったな」
今は、駆け付けた応援が事情聴取をして自分の外見的特徴がバレてしまっただろう。
捜索されたら一発アウトだな。
「ん? でも普通に入ったときは門に人らしき人物はいなかった。他の人も普通に出入りしてたし。門番って必要なのか? いや、本当にアイツらは門番だったのか? 新手の詐欺だったか? .......詳しく知る必要があるな。今後の行動に影響が出る。詳しく探ってみるか」
ゆっくりと立ち上がり、体と荷物に付いた葉っぱを払い落す。
誰かは知らないが、この大量の枯葉のおかげで荷物を隠す事ができ、盗られずに済んだ。
感謝。
「ありがとうございます」
荷物を背負い歩き出す。
やらなければならない事や、今後についてどうするべきなのか、しなければならない事は山ほどあるが、差し迫っての緊急の案件がある。
グゥ、と腹が鳴る。
早く食事をとることだ。
自分は、丸一日以上寝ていたようでその間食事はとっていない。
丸一日の絶食は、体質的に餓死を意識しないといけないレベルの段階だ。
干し肉が尽きる前に、何か胃に入れなくてはならない。
飢えを自覚してしまったせいで、強烈な空腹が襲う。
公園内や道端ですれ違う獣人が肉の塊に見えて仕方がない。
涎が出そうになる。
ふと、目の前で歩いているリスのような女獣人が目に入る。
咄嗟に、頭の中で調理工程が浮かび上がり、完成した料理を想像して腹が鳴った。
まだ、余裕はあるが本格的に危険な領域だ。
そんな事を考えていると、隣にいた恋人のような人物が絡んでくる。
「テメェ!! さっきから何見てやがんだ」
胸倉を捕まれる。
顔を上げ、男の顔を確認するとネズミのような大男だった。
ネズミか。いいな。どこぞで食べて以来だ。
久しぶりに食べたいな。
味は淡白で結構おいしい。
大男は何か恐ろしい物でも見たかのように小さな悲鳴を上げると、女性を庇うように急いでその場を離れていった。
あー。
離れていく背をグッと我慢して、見送る。
落ち着け。
深呼吸だ。
見た目は耳と尻尾が生えている人間。
さすがに人間の比率が高い。食えるかどうか怪しい。
人間は食えない。
体を壊すだけだ。
でも、耳や尻尾は食べれ.......やめよう。
ゆらりと体を揺らす。
あっちからおいしそうな臭いがするな。飲食店がありそうだ。
急がず、ゆっくりと臭いの方向へと進む。
・・・
・・
・
到着。
数多くの飲食店がずらりと並んでいる。
まるで区画丸ごとが飲食店のようだ。
そこかしこから、良い匂いが漂っている。
「こう多いと何処に入ればいいか迷うな」
出来るだけ安くたくさん食べられる店に入りたい。
カロリーが高ければなおいい。
現状は質は求めない。
現地のガイドがいてくれれば助かるのだが、いや、もうどこでもいいから入ろう。
本当に襲いそうになる。
あ、両替は......何とかなるだろう。いざとなれば、そのまま使えないか交渉しよう。
近くの店に入ろうとした時、その店内から聞き覚えのある声が聞こえた。
「それでね、私はビシッと言ってやったんですよ。『金額を誤魔化そうとしても無駄です。どんなに巧妙にしても私の目は誤魔化せません。劣人種だからと言って許される事ではありませんよ』って感じで毅然とした態度で言ってやったんですよ。はい。そしたら必要以上に怖がらせてしまったようで......」
どこかで聞いたことが有るような無いような。
知り合いかな? いや、今はご飯を食べたい。
店内に入り、空いている席を探すと、先程から話している人物と目が合った。
タヌキの獣人だ。
どこかで見覚えがあるが、はっきりと思い出せないのなら重要なことでは無いのだろう。
気に留めるつもりはなかったが、相手はそうではなかったようだ。
生き生きとした笑顔がみるみると変化し、突如死刑宣告を受け、電気椅子に座らされたかのような顔になっている。
.......放っておこう。
無視しようとしたが、向こうから小走りで近づき、服を掴んで外に出ようとする。
何するんだ。
振り払おうとしたが、小さな声で「お願いします。お願いします。ごめんなさい。お願いします」と今にも死にそうな声で呟き、拒否すればそれだけで心臓が止まりそうな顔をしていた。
ここまで分かりやすい絶望した顔を見るのは久方ぶりだ。
ついつい、流されるように外に足を運び、路地裏に連れていかれる。
突然、土下座された。
「出来心だったんです。浮かれてたんです。久しぶりにこの街への転属だったんです。気が大きくなってしまったんです。許されないとは思いますが許してください。はい」
独特な話し方。
タヌキ。
そしてこの怯え方。
思い出した。
アズガルド学園の時に居た。依頼料金を誤魔化そうとした受付嬢か。
何か言っているが、腹が減って内容が頭に入ってこない。
あの時の事を謝ってるのかな?
まぁ、正直どうでもいいのだが、今はとても都合が良い。
このまま弱みに付け込んで、こいつにここを案内させよう。
取り敢えず、早急にたくさん食べられる飲食店を教えて貰う事にする。
近くにあった棒を使い、ガリガリと、地面に文字を書く。
腹が減った。
それを見たタヌキが小さく「鍋?」と呟くと、今まで堪えていた物があふれるように涙を流す。
「わだじ、おいじぐないでず。ほんどうでず。まずいんでず。最近、お肉ばっかり食べだんで、ぐざいです。食べられまぜん゛。おながごわじでじまいまずでず。ぶぁい」
消え入りそうな声で、「許して」と呟く。
しかし、聞き取りずらい上に集中力が無くなってきた事もあり、何言ってるか分からなかった。
さっさと本題に入ろう。
泣くな
それを見たタヌキは、クワッと目を見開き、唇を噛んで泣くのを我慢する。
ただ、涙と鼻水は垂れ流しだ。
飯屋を紹介しろ。
「めじや?」
量が多くて安い所だ。
それを見るとハンカチを取り出し、鼻水を拭う。
「任せてくだざい!! 全身全霊で紹介しますです!! はい!!」
大命を授かった騎士のような顔をしていた。